河童の皿箱
2025-12-18 09:11:15
41671文字
Public 遊戯王:長め
 

その男は、楽人であった。

あるグループがグループになる前、昔のさらに昔の話。
※捏造の濃度が高い。



 すっかり静かになった火鉢と、ずっと抱きついていた布団の塊と。明るい部屋のその光を目で追ってみれば、あぁ。ちょうど朝のようであった。布団からなんとか這い出てみれば、あいも変わらず凍えるように寒く、頭や胸や、それに目がどうにも痛かった。
 あぁ、なんてことを。男は自らに深く失望した。何者かも知らぬ誰かの前で、酷い醜態を晒したことは、よく覚えていた。

 これから、どうしよう。

 死に損なった己に、一体何ができるというのか。それでもなお、この身はあの優しさを求めてしまって。死と生が体の中で塒を巻き、絶望の虚が足に纏わりつこうとしたその時であった。おはよう、と。声をかけられた。そちらについ目をやれば、襖の先から声をかけられたようであった。程なくしてすうっとひらけば、そこにはしわくちゃな老婆が座っていた。その傍らには、皿の乗ったおぼんがあった。
 さ、改めておはよう。昨晩は随分、大変そうだったじゃあないか。お腹は空いてないかい? いっぱい泣いて、喉も乾いたじゃろう。ほれ。そばまで寄ってきた老婆は、少年にそのおぼんを差し出した。
 ほかほかと湯気をたちのぼらせるお粥。自らの腫れ上がった顔を映した湯呑み。少年が戸惑えば、老婆はにっこりと、穏やかに笑った。なぁに、遠慮しなくても良いのよ。子供は甘えるのが仕事なんだし、ババアは甘やかすのが大好きなの。残されちゃったら悲しいわ。それにあなた、お熱が出てるからのう。しっかり食べなきゃ。
 そう、言った。少年は耳を疑ったが、けれど老婆の声には、同僚たちのような企みもなければ、両親のような厭気もなく、ただただ案じられているのだと。少年はなお戸惑ったが、観念して匙を手にした。

 い、いただきます。

 はぁい、どうぞ。老婆の声に目を配り、けれど淡い香りの粥に引き寄せられて。匙を粥に沈めれば、数粒乗っかって。口を開いて、ひとくち。噛み締める間もなく、またひとくち。もうたまらなくなって、一気に掻き込んで。その度に、目は勝手に涙を流した。
 お味はどうかね? 尋ねられれば、少年は飲み込み、そしてしゃくりあげた。おいしい、です。どうにも体は言うことを聞かなかったが、それで老婆は微笑んだ。そうかい、そりゃあ良かった。積もる話はあるけれど、まずはゆっくり休むんじゃ。そういうても、今日は年の瀬。夜通しジジイどもが騒いでうるさいがそこは勘弁しとくれなぁ。涙はとめどなく。けれど老婆は気にも止めずに、そうっと背中を撫でた。

 すっかり平らげてしまえば、体の調子もそれなりには良くなった。岩が詰まっているかのようだった頭の痛みも、息ができないような胸の痛みも。僅かに水が流れ出したような、そんな具合で。もしかして涙が出るのは、そのせいか。はい、お粗末さま。老婆がせっせと片付けて、また火鉢に新しい炭をくべた。その頃になると、外から賑やかな声が聞こえ始めた。
 やあ、おはよう。おはようさん。薪はあったかのう。蓄えはたっぷりある。今日は宴じゃ、宴じゃ。襖の向こうの広間にぞろぞろと、老人がやってきた。おっ、坊主が目を覚ましとる。起きたぞー、起きたぞー。そう誰かが声を上げれば、老人たちは次から次へと少年の部屋に押しかけようとしたが、老婆が一喝した。コレ! この子はまだ起きたばっかりだよ! そんなにたくさん来たら怖がるじゃろうが! 熱もまだある! ホレ、あっちで将棋でも指しとれ!
 おうおう、怖いのう。婆にゃあ敵わんわい。肩をすくめて退散していくその景色を、少年はじっと眺めていた。すまないのう。でも、みぃんなあなたを心配してたんじゃ。許してやっておくれ。少年はなおも目を疑ったが、首を横に振った。

 大丈夫、です。あの

 おおーい婆! 将棋盤はどこじゃあ! 老人の元気な声に、老婆ははぁーと深いため息をついた。全く手のかかる爺じゃのう! こんなんですまんのう。ともかく、ゆっくり休んで元気におなり。お昼もまた、持ってくるからね。

 老婆はそうして、部屋を後にし、襖を閉めた。なんだか、すごいところに来てしまったのかもしれないと、少年は今更ながらに思った。

 でも、まだもう少し。生きててもいいみたいだ。ふぅー、と。長い長い息が出て、また涙がこぼれた。