【創作|馬軸】春雷 伸長- 日盛りと鶏鳴

※支部からの転載版です。内容は変わりません。四話~六話収録。




珍事と言われた。というのも、俺は落馬することが少なく、どんな馬とでも折り合うと言われていたからだ。そうは言っても仕方がないと思う。フジサワコネクトから嫌われてしまったのは事実で、あの天皇賞・春でロジェールマーニュをマークするように走っていたあの時だって抑えるのに必死だった。
フジサワコネクトは、俺を嫌っている。昨年の有馬記念から俺たちの歯車は噛み合っていない。なんとか再び彼女に跨ったが、今度はピクリとも動かない。厩務員の河口さんが必死に取り付けた手綱を引っ張ってみるが、コネクトは地面に釘を打ったかのように突っ立っていた。耳を絞って__「あんたなんかいつでも落とせるんだからね!」とアピールしている。

「コネクト~! 頼むよ、海外なんだぞ~! 迅、悪いなぁ、もうちょっと待ってくれ」
「いえ、大丈夫です。いくらでも待ちますよ。……だって、元はと言えば俺が悪いので」
「迅……

河口さんはぐいぐいと手綱を数度引いたが、全く動こうとしないコネクトに根負けして手綱を外した。傍で不安げに見守ってくれている。不機嫌を全開にしているコネクトは、右前脚で地面を数度踏みつけて苛立ちを露わにしていた。俺は何度がコネクトの腹を軽く押して歩くよう促してみるが、全く動こうとしない。仕方ないので俺は鞍上で大人しく動かず、コネクトが自分から歩きはじめるのを待つことにした。

……白綾はスノーホワイトのやる気を上手く引きだして、しかも調子に乗せていた)

はぁ、と息を吐いてコネクトの首筋に少し触れてみる。脈が速い__怒りで興奮している。これ以上刺激するべきじゃないな、と俺は手を離した。
一瞬びくりと体を震わせたコネクトは、ついにブチギレて俺を振り落とさんと後ろ脚だけで立ち上がった。俺は手綱を握って体を馬体に沿わせてバランスを取る。だがそれに気づいた彼女は首を思い切り振って俺のバランスを崩させ、今度は後ろ脚で蹴り上げるように体を浮かせた。当然耐え切れない俺は弧を描いてその辺の植え込みへ放り投げられる。

「うう……
「自分何してんの? 新喜劇?」

そう言って__覗き込む影が一つ。先日までイギリスに飛んでいたはずの白綾后子が俺を覗き込んでいる。俺は「お、おはよう……」とあいさつを返せば「うん。おはようさん」と微妙な顔で言われた。

「フジサワコネクトめちゃくちゃ怒ってるやん。何したん?」
……俺はお前の言う通り、コネクトをちゃんと見ていなかったんだ。だから……
「嫌われてんねや」

そう言うと白綾は俺の方へ手を伸ばした。俺はその手を掴んで植え込みから脱出し、体中に付いている小枝やら小さな葉っぱを払い落とす。コネクトは河口さんに大人しく捕まっているが。俺がコネクトの方へ一歩踏み出すと「いや!!」とでも言うように地団駄を数回踏んだ。
相当嫌われている。凹んでいると黙ってみていた白綾が、手に持っていたヘルメットを被って河口さんに近づいた。これは埒が開かないと思われたのだろう。

……代わりに追いましょうか?」
「神崎先生に……あ、いいみたいです。お願いできますか」
「了解です。坂路ですよね」
「ええ。本当すみません……

ワガママ娘に疲れ果てた父親の様相を呈する河口さんは、白綾を鞍上へ押し上げた。するとコネクトは何事もなかったかのようにひょいひょいと歩き始め、厩舎の前の馬場でくるくると円を描くように歩く。俺のことは見えているだろうが、背中に俺がいないという事に満足しているらしかった。

「瀬川。代わりにベテルギウス見て。もともとそのためにこっち来てんねん」
「あ、ああ。そうだよな……悪い」

ベテルギウスは白綾が再来週の新馬戦で乗る予定の牡馬だ。なんでも走りのクセがすごいと評判で、しかもなかなかにやんちゃな気質らしい。俺は乗ったことがないのでなんとも言えないが、白綾を持ってしても御すのが難しいという。彼女曰く「スノーホワイトよりまし」との事だが。どんだけスノーホワイトがヤバい馬なのか寧ろ興味が湧いてくる。
そんなベテルギウスは厩舎で既に馬装を終えいつでも走れる状態になっていた。まだうとうとしているのか、数度瞼を動かして首を上下させている。河口さんがぽんぽんと叩いて起こせば、彼は白目ひん剥いて襲い掛かってきた。寝起きが最悪すぎる。これでスノーホワイトよりましと言える白綾のメンタルがおかしいとしか思えない。

「落ち着け! どうどう、ほら〜ニンジンあるぞ〜。走り行こうな……

河口さんから渡されたニンジンをボリボリ食べて機嫌が良くなった彼は足取り軽く馬房から出た。機嫌がいいうちに乗れと言われたので背に跨って歩かせてみる。存外すんなり言う事を聞いてくれたので、俺はベテルギウスをウッドチップコースまで導いた。単走のメニューが組まれているので距離は新馬戦の一六〇〇メートルを想定しておく。軽くスピードを上げさせ走り始めれば左右に少しふらつきながらスピードを上げていく。が、突如ベテルギウスは首を上下させ掛かり始めた。俺は手綱を絞って抑えようとするが全くいう事を聞いてくれない。

……ッ、まずいまずい……これはちょっと……!」
(ううぉおお~~~~!!!! 俺はやるぜ!! 俺は!! やるぜ!!!!)
「ちょっ待っ」
(うぉおおおおぉおおおお!!!!!!)

盛大に引っ掛かっている上に右へ左へとジェットコースターの如くよれるので、もう姿勢を維持するだけで精一杯だ。必死に宥めてもベテルギウスは全く意に介さず好き勝手に走っている。横を走っていた馬の騎手が俺たちを二度見してさっと避け道を作ってくれた。すみませんと謝って俺は必死で宥める。しかしむしろ逆に彼は加速してコーナーを回った。
ウッドチップが跳ねている。俺は仕方ないと一周した後に思いっきり手綱を引いて止まるよう指示した。ベテルギウスは驚いたように速度を落とし、徐々にゆっくりになっていく。不満げな雰囲気を彼の耳から気取ったが、正直こっちはそれどころではなかった。騎手やってきて今までで一番とんでもない馬の背にいるのだと痛感する。まるで戦車のようなパワーとスピードを内包した牡馬だ。間違いなく実力はGⅠ級なのだが、どうにもこの掛かり具合が気になる。他馬がいなくてもこれなら、他馬がいたら一体どうなってしまうんだろう。横の馬にタックルかますのか。それとも掛かりに掛かって大逃げするのか。

「はぁ……白綾はいつもこんな馬ばっかり任されているんだな……
……ん? あれ? 違う。俺のリュックサックが違う!!!!)
「えっ何で急に、ちょっ!?」

旋回するように暴れはじめたベテルギウスはグルグルその場で回って俺は必死でしがみつく。とにかく落ち着かせないと、と宥めるがどんどん旋回の速度を上げる彼は自分でも目が回っているのだろう__フラフラしながら止まった。牝馬の鞍上で大爆笑している武内秀吉が、目が回ってバランスを崩し落馬した俺を助け起こす。わざわざ下馬してくれたのだ__当然だが、その判断が遅れるぐらいに俺は目が回っていた。

「お前……ンフフフ……何やってんだよ迅一ィ。珍しいな……あ~可笑し、いいもん見たわ~」
「ひ、秀吉さ…………ッ、あんなん、目が回らない方がおかしいですよ……
「いやすまん。天才と名高いお前が馬に振り回されてるとこなんか、普段絶対見れねえだろ。……そういやフジサワコネクト、后子ちゃんが乗ってたな。なんかあったか」
「嫌われてしまったみたいで……。何とか俺も、関係を修正したいんですが……
「女の子は難しいからねえ。人間も、馬も。お前女心とかわからなさそうだもんなぁ。あっ、后子ちゃんとデートしてみれば? 女心を理解しよう大作戦」
「誘う段階で『……ドッキリ企画?』とか言われますよ。脳内がお笑い芸人なんですから」
「お前本当そういうとこだよ」

そういうとこってどういうとこだよ、と思いながら俺は捕まっているベテルギウスに近づいた。何か驚いたように顔を寄せたり目を見開いたりしているので、察するに俺が白綾じゃないことに気づいて驚いたんだな、と思う。
悪かったな。……白綾じゃなくて。