【創作|馬軸】春雷 伸長- 日盛りと鶏鳴

※支部からの転載版です。内容は変わりません。四話~六話収録。




『 例えば一瞬、一呼吸の間に勝負が決まってしまう世界があるとして、息つく間もない程に高熱を覚えるような手に汗握るレースが出来たなら、どうだろう。その場で皆が一様に思うのだ。走れ__逃げろ、差せ、遥か遠くまで駆け抜けろ。何よりも速く、誰よりも速く。どこまでだってお前なら行ける。まだまだ遠いところへ、前人未到の地へ至れる。私たちにその先をもっと魅せてくれ__思わず願ってしまう。
誰もがきっと彼らの走りを一生忘れることは無いだろうし、数々のレースは多くの人の心に残り続ける。

レースの数だけドラマがあり、レースの数だけ流される涙がある。一生に一度の晴れ舞台。勝つ者は一人だけ。そんな、厳しくも美しく、誰もが心揺さぶられる戦いの舞台で、私は目撃した。

__圧倒的な速度。

他の追随を許さずに先頭を走り続ける、青毛の馬の姿を。

その馬の名は、ロジェールマーニュ。〝無敵の紳士〟の異名を冠し、圧倒的な速度とパワーで他の馬たちを引き離して走る大駆けのプロ。初っ端からトップスピードで飛ばし、ぐんぐん加速して後続を引き離して大差でゴール。その戦法は嘗ての優駿の姿を想起させた。

逃げる。圧倒的な速度で。走る。圧倒的なパワーで。加速する。疲れを知らぬとでも言うように。

年末の中山、今年の大一番にて。
黒曜石の輝きがターフを駆け抜ける。 』


有馬記念のCMがそんな風に流れていた。吐く息は白く、街にはイルミネーションが飾り立てられていて、競馬よりもクリスマスの方が雑踏を往く人々の関心を集めているだろう今、放送されているCMである。例年通りのクリスマスであれば、の話だ。

今年は一味違った。鮮烈に皐月賞・菊花賞のクラシック二冠を達成した青毛の牡馬、ロジェールマーニュの存在があったからだ。騎手が女性(しかもかなりの美人)というのも世間の目を引くには十分すぎる話題で、競馬界もそれ以外も彼らの道行に関心の目をギラギラと光らせていた。何せ女性騎手初のクラシック制覇という偉業を成したのだ、嫌でもニュースで流れ目に入る。

皐月の王となり、菊の舞台で二着と二馬身差での一着。しかも差し返して、二馬身差なのだ。文句なしの走りで世代最強の座に輝いた、まごうことなき一等星。
驚異的な末脚と、トップスピードまでの到達時間の速さ、最初から飛ばして逃げ切ってしまう圧倒的なスタミナ。誰もその馬に追いつけないと、ロジェールマーニュは曾ての優駿の面影を想起させる走りをした。

皆が「次こそは勝つ」「絶対に追いつく」と思い、ロジェールマーニュを追う。だが影すら踏ませぬロジェールマーニュは逃げ切って一着を譲る事はなかった。最も迫った馬でさえ二馬身差。
速すぎる、圧倒的すぎるスピードは、スタートの時から抜きん出ている。
騎手の器量か。馬のポテンシャルか。まさに人馬一体のロジェールマーニュはあまりに他の馬たちにとって高く、遥かな壁であった。



瀬川は汗をスポーツタオルで拭って考えた。芦毛の牝馬フジサワコネクト、瀬川の騎乗する彼女もポテンシャルは引けを取らない。だがロジェールマーニュの影を踏むことすら出来ず、クラシックでフジサワコネクトはダービーを獲るも皐月賞・菊花賞は二着止まりのままだった。
次こそはロジェールマーニュとその騎手、白綾后子に勝つと闘志を静かに燃やしているように見える。しかし彼は届かない背を呆然と眺めているようにも見えた。

フジサワコネクトを勝たせてやれない不甲斐なさ。自分の騎乗に問題があるのか、色々考えて必死に背を追った。だがどんどん離れていく彼女とロジェールマーニュに、何度悔しさを噛み締めて歯噛みしたかわからない。
重賞未勝利で皐月賞を獲ったロジェールマーニュと、新馬の時点で脚光を浴び、二歳GⅠホープフルステークスを勝って皐月賞に挑んだフジサワコネクト。毛色も何もかもが真逆の二頭。
ロジェールマーニュに追いつけないという世間の評価をひっくり返すには、もう何をすればいいのかわからない。


……俺は、どうしたら……ロジェールマーニュを超える未来を……想像できない)
「お、やっぱおった」
「白綾……
「武内さんがまた寿司持ってきてんで。まぁみんなで食べたらすぐのぉなるさかい、はよきぃや」

若干顔色の悪い白綾后子がジムに入ってくる。瀬川は少し驚きながら顔をあげて彼女の表情を見た。先輩からの厚意を無下にするのはさすがに失礼だと、瀬川はシャワー浴びてからそっちに行くよ、と伝える。分けといたるわ、とだけ言って后子はジムを出ていこうと踵を返した。

ピンと伸びた背筋が、この一年間で身についた自信や風格のようなものを表すようで、瀬川は思わずその背中をじっと見た。二十センチ近く瀬川より大きい后子を見上げながら瀬川は思う。

俺にはないものが、やはり彼女にはある。
白綾后子という人に感じた才能の片鱗は偽物なんかじゃなかった。

するとドアを開けて出て行こうとした后子は足を止め、振り返って意を決したように口を開いた。


「瀬川」
……? なんだ?」

軽く頭をかきながら后子は振り返る。青い瞳が瀬川を射止めた。何が言いたいのかわからないままだったので、話の続きを催促する。

……何か言うことあったんじゃないか?」
「ええ加減にせえ」
「えっ」
「舐めんな。馬を舐めんな。ほんまに……自分の才能に自惚れんのもええ加減にせえ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!! 俺は才能にうぬぼれてるつもりなんか」
「ハァ~~~~……そんなんやから嫌われてんのとちゃう?」
「俺は嫌われてないだろ。……た、たぶん」
「少なくとも私はお前のそういうところが嫌いや」
「そんな……

唐突に嫌いだと宣言されて瀬川はダメージを静かに食らう。そんな瀬川の様子を無視して后子は話を続けた。


「無自覚に人の神経を逆なでするだけじゃなく、自分の才能に胡坐かいて傲慢にも勝つことが当たり前やと思てたやろ。しかも私が勝ったのは才能があったから、なんてクソみたいな答え記者に出しよったな」
「っ、実際そうだろ。諦めない事は一つの才能だと……俺は」
「ふざけんな。……諦めんことが才能、やと? 舐めやがって。私の努力を、私の日々を、才能なんて言葉で片付けられてたまるか」


后子は胸倉を乱暴に掴んで瀬川を睨みつける。氷より冷たい絶対零度の視線が瀬川を貫いた。
もういい、これ以上話しても無駄や、と后子はどうでもいいように胸倉から手を離しジムを出た。嫌に大きいドアの開閉音が瀬川の鼓膜を揺さぶる。遠ざかる彼女の背を、瀬川は呆然と見つめるしかできなかった。