【創作|馬軸】春雷 伸長- 日盛りと鶏鳴

※支部からの転載版です。内容は変わりません。四話~六話収録。


天皇賞・春から一週間後__ 美浦トレーニングセンター


僕はナヴィアヴェラと一緒に知らない馬だらけの場所に連れてこられ、ここで調整を行うことになった。美浦トレセン、と言う単語を聞く。恐らくここも僕の暮らす栗東と同じで、競走馬を鍛える場なのだろうと自己解釈する。木に留まっていた小さな鳥が数羽飛び去って行った。
自己解釈と環境にはあっさり納得して、僕は鞍上にいる后子を気にした。今日は併せ馬でのトレーニングが予定されているらしいのだが、伴走相手は一向に姿を現さない。仕方ないので馬場をゆっくり歩きながら、僕は地面を歩く小さなトカゲを見つける。すばしっこく動いてすぐに茂みの方へ逃げていった。

「何かおった?」
(トカゲいたよ)
……ん~? ……あ、待って。なんかついてるわ。おがくずやな」

后子は僕の鬣を軽く梳いてくっついていたおがくずを取った。そのまま優しく頭を撫でられる。少し目を細めれば、その表情が見えたのか后子は首筋をぽんぽんと優しく叩いた。

「イギリス遠征かぁ……過去の私からはとてもやないけど想像できひんな」
(そう? 僕らならどこまででも行けるよ)
「ロジェは美浦に来ても全然動じんなぁ……ナヴィアヴェラはちょっとカリカリしてたみたいやけど」
(窓齧ってたよ。でももう大丈夫だと思う。ニンジン貰ってたし)

僕は耳を動かして后子の方へ向ける。ふにふにと耳を触られ、僕はなんとなく恥ずかしくて耳を前に戻した。

「ああごめん、嫌やったね」
……嫌では……ないんだけど……なんだろう)
「すまない、待たせたね。ラヴが暴れてな……
「柳沢さん。今日はよろしくお願いします」

向こう側からパカパカと音を立てて僕と同じ毛色の馬が現れた。ちょっと不機嫌そうな表情が隠せていない。
ラヴウィズミー。僕が昨年末の有馬記念で競り負け、先週の天皇賞・春で打ち破った異母兄弟。額にある三日月のような白斑と、左前脚の白い毛が僕との見た目の違いだった。鏡を見ているような気分になる。

(だってカッコ悪いだろ。弟にコテンパンにされたのに併せ馬の相手とか)
(そんなコテンパンにしたつもりはないんだけど……ラヴウィズミー)
(俺的にはコテンパンにされてんの。まぁいいや。宝塚記念で勝って引退よ。あとはお前が頑張れよな、ロジェ)
……うん)

鞍上の后子が「メンチ切り合ってる?」とぼやく。そういう訳ではないんだけど、無言で見つめ合っている状態なのでそう思われても仕方ない。
ラヴウィズミーの先導で坂路コースへ向かいながら考える。欧州__僕の知らない場所。海を超えたその先にある、新しい戦いの舞台。みんなが一緒に来てくれるとはいえ、少しの恐れが頭に過るのはどうしようもないことだと思う。ヒトだって新しいことに挑戦するときには恐れを伴うというから。

僕は徐々にスピードを上げ、外側を走るラヴウィズミーの横に張り付いて足を動かす。やはり競り合うとなれば兄のほうが強いのかところどころおいて行かれそうになる。鞍上の后子が一発右鞭を入れた。僕はそれを合図に加速しラヴウィズミーより少し前に出る。手綱の動きが銜を通じて伝わり、僕は后子の指示に従ってさらに加速した。

(なぁロジェ、本当はもっと速く走れんだろ)
(何を__)
(本来のお前はこんなに遅くねえ。あの天皇賞・春での大逃げ、忘れたとは言わせねえよ)

僕はきっちりラヴウィズミーに先着して側道に入り、歩きながら話しかけてきたラヴウィズミーに受答える。確かに春の天皇賞では大逃げをブチかまし、大差をつけて一着を奪った。しかしそれは日本だから通用する奇策と言えば奇策で、欧州ではそうもいかない。国美や后子はそう言う。
本来の僕の脚質をさらに引き出し、それを生かしてスタミナ勝負に持ち込む。それが僕らの戦い方で欧州の重い芝に対応するための方法だと。后子だって欧州の舞台で戦うのは初めてなのに、凡そ僕に欧州の事がわかるわけがない。
美浦で何を得られるのか。向こうでどのくらい戦えるようになるのか。
全て、走ってみなければわからない。

(欧州であの逃げは通用しない。そのために今、併せ馬で鍛えてるんだ。……多分)
(俺たちの親父は__シャルルマーニュは、二年連続で凱旋門賞二着だ。日本での走りをそのままやって、二着なんだよ。だからお前もそのまま行けよ。狡い事考えんな)
(距離の差がありすぎる。当てにならないよ。シャルルマーニュが出た凱旋門賞は二四〇〇だろ。ゴールドカップは四〇〇〇メートルぐらいあるんだって)
(四〇〇〇!!?! えっ、よ、四〇〇〇!!?! ちょっと待てよ!! もう一周追加!? ウソだろ!?)

慌てふためいているラヴウィズミーを横目に、僕はスタート地点に戻った。今度は僕が外側を走ることになっている。兄は次走の宝塚記念で競走馬としての生活を終えることが決まっているらしかった。
必ず勝って〝有終の美〟を飾る__。そういう風に意気込んでいたが、無事是名馬という言葉があるようなので、そこまで気負わなくていい気がした。引退すれば北海道の大きな牧場で悠々自適な生活だろう。僕は神代の牧場に戻るのだろうけど。

(だから考えないと__掲示板にすら載れないかもしれないんだ)
「ロジェ、しっかり前見て」
(ごめん、少しぼーっとしてた)

后子の声でしっかり前を見て加速していく。後方から追いつき真横に付けたラヴウィズミーは一瞬僕を見て一気に後脚の筋肉を爆発させて突き放しにかかる。僕も同様に前へ体を運び、ピタリと横に併せたまま真っ直ぐに走り抜けた。

「偉いね。いい子」
(ん……待って。そこ痒い、掻いて)
「お? フッ……ツボ押しがうまくなってしもたかな……

痒くて手が届かなかった場所を后子が柔らかく掻いてくれる。目を閉じて気持ちいいなあと思っていると横からラヴウィズミーにどつかれた。なんでよ。お前もさっきまで同じ顔してたくせに。