【創作|馬軸】春雷 伸長- 日盛りと鶏鳴

※支部からの転載版です。内容は変わりません。四話~六話収録。


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カニが__ぐつぐつと、煮えている。カニの顔になっている渚ちゃんは、カニの匂いに当てられて「絶対美味しい……絶対美味しい……もう既に美味しい……」とぶつぶつ呟きながら水蒸気をあげているコンロの上の土鍋を凝視していた。その隣で岩蔵さんが「まだよ~」と声を掛けた。
先日天皇賞春を快勝した私たち国美厩舎黎明期メンバーは、現在栗東トレセン近くにある国美さん宅でカニ鍋をやっている。ちなみに冷凍カニはロジェールマーニュの馬主である神代信二郎さんからの贈り物だ。発泡スチロールの箱には熨斗が張られており、そこには以前いただいたカニの缶詰同様「優勝記念」とあった。なお鍋の中にはその時のカニ缶もぶち込まれている。
今年からやってきた新しい厩務員の皆さん(五人)にもカニ缶とカニは分けた__というか、冷凍カニが到着した瞬間に争奪戦が勃発した。なおカニ以外の高級刺身もあったのだが、そちらは全部厩務員さんたちの腹に今頃収まっているだろう。

「もう良さそうだな。……開けるぞ」
「うぉあ~~!!!!」「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「やべえ、リッチだ……カニ富豪だ……、もう……俺たちは……カニカマを食えない……!!」
「神代さんが桁違いの富豪やて改めて認識させられますわ……
「ですね……くっ……もう我慢できない、いただきます!!!!」
「駄目やなぎちゃん!! そんなっ、あ______ッッッ!!!!」

岩蔵さんの叫び虚しく、渚ちゃんの口へカニが吸い込まれた。
なおここ、リビングではなく外の庭なので私らのアホな会話はご近所さんに丸聞こえである。

「うっま………………
「渚ちゃん!! しっかり!! おい、しっかりせえ!! 渚ちゃ____ん!!!!」

私はそう叫ぶ横でノンアルコールビールを開封した。全休日の月曜日と言えど、流石に真っ昼間から飲酒するわけにはいかない。自分の取り皿にカニのほぐし身と野菜を取り分けてとりあえず鍋汁を啜る。カニの身から染み出した旨味が詰まった汁。これはあかんやつや。ビール飲みたい。

「食いながらでいいから聞いてくれ。……ゴールドカップの話だ」
「ロイヤルアスコット開催三日目のメイン競争__ですよね?」

渚ちゃんがもぐもぐと口を動かしながら問いかけた。国美さんは「そうだ」と同意して話を続ける。

「后子さんには釈迦に説法だろうけど、ゴールドカップは世界最長距離のGⅠだ。過去挑んだ日本馬の最高成績は五着。欧州の重い芝にスタミナをゴリゴリ削られていくだけじゃなく、距離をメートルに換算すると三九九〇メートル。日本国内の最長距離GⅠは天皇賞・春だが、それよりも七九〇メートルの距離延長がある。血統的には適正ありと判断できるが、欧州は日本と芝の質が違う。深い芝に足を取られてスタミナが切れるかもしれん。過去の日本馬はそうやってスタミナ切れで負けてきた」

国美さんはそう言って取り皿に残っていた野菜を口へ運ぶ。それを聞いていた渚ちゃんが横から言う。

「でもロジェなら、走れそうな気がしますよね。血統を遡ると父系にイギリスの馬がいますし、母スイングウィズミーにも欧州系の血が入っています。……后子さん的に感触はどうです?」
「ん~~。血統云々より、ぶっちゃけもうこれは馬個人の能力にもよる気ぃすんねんけどなあ……

首をひねってノンアルコールビールを飲み干す。能力の個人差とはいえ、競馬において血統が重要な要素であることは間違いない。ロジェールマーニュは生粋のステイヤーだ。天皇賞・春をあんな強い勝ち方できるわけだし、しかも二着との着差は八馬身。三二〇〇を逃げ切り勝ちするという前代未聞の春天から、世界最長距離のGⅠ__アスコットゴールドカップへ。
もしかしたら勝つかもしれへん、いや勝てる気がする、なんて楽観的な考えがよぎる。だが出てくる馬も名だたる名馬ばかりだろう。欧州長距離三冠の一角を占めるレースなのだから、そうそう簡単に勝たせてもらえるとは思えない。

「んで、欧州出発前にちょっと美浦トレセンで調整することにした。それが終わればすぐイギリスに飛んで現地で調整。そして出走」
「帯同馬は他厩舎から選出したんですよね?」

私は箸をおいて思い出したように言った。国美さんは「スノーホワイトが長い距離走れたら連れてくんだけどなぁ……」とぼやいたが、スノーは残念ながら短距離・マイル路線の馬だ。先日帰厩したが壁を破壊するなど元気が有り余っている。その破壊神っぷりをレースにぶつけてぜひ勝ってくれと思うが、彼のやる気はおみくじに等しい。大吉か大凶しかないおみくじやけどな。

「まぁ、それは仕方ない。弥作先生が快くナヴィアヴェラを貸してくれたわけだし、オーナーサイドからの許可も下りてるからな。ナヴィの気性はかなりのんびりしてるらしいし、図太いんだと。立派に帯同馬としての仕事をフルに果たしてくれるよ」

岩蔵さんがカニを吸い込みながら言う。私は持ってきていた手帳にメモしながら考える__現地の騎手に依頼をするか。それとも私がロジェに跨るのか。それを決めるのは私ではなく神代さんだ。だが、ついていきたい気持ちはある。
厩舎所属ではない、フリーの騎手なわけやし。ロジェとスノーのおかげで騎乗依頼は倍以上になった。このロイヤルアスコットの開催期間である六月三週目の一週間。そこにも無論、ありがたいことに乗ってくれ、という依頼は多く来ている。新馬戦も、条件クラスも、重賞も。

だがそれでも、依頼を全部蹴って私の道を作った特別な馬の傍にいたいと思ってしまう。


「ん~~……。騎手は……
「何言ってんですか国美さん!!」
「うわびっくりした。何だよ渚……
「ロジェールマーニュ! その鞍上は后子さんに決まってます! そもそも、私たち全員海外経験ないじゃないですか! 短期間ですけど、経験してそれで強くなるんです!」
「渚……
「そうだな、なぎちゃん。……鞍上は后子さんがいいよ。単に俺たちの我儘かもしれないけどな、俺たち含め__ファンもきっとロジェールマーニュとの鞍上は白綾后子だと、そう確信してる。期待には応えなきゃ。あとは后子さん次第だ」

三人の視線が私に集まる。私は考えるより早く脊髄反射で言葉を吐いていた。


「乗ります。……イギリス、一緒に行かせてください」