【創作|馬軸】春雷 伸長- 日盛りと鶏鳴

※支部からの転載版です。内容は変わりません。四話~六話収録。




「ほんまにすいませんでした……

シワシワでくしゃくしゃの犬みたいな顔をして、馬装を片付けた私は馬主さんに謝罪する。渾身の九十度お辞儀をしたまま死んだ魚のような目で床を見つめた。本日のメインレース・桜花賞は十六着に馬を沈めてしもうて。騎手負傷の乗り替わりと言えどこれは酷いで。
しかも踏み出して三歩目で掛かりだして走る獅子舞みたいなことになってたし柳沢さんの乗ってる馬に体当たりかますし最悪や。いや調子乗りましたほんまにすんません……。うっ……馬のつぶらな瞳から向けられる視線が痛い……

しかもこの牝馬GⅠ阪神ジュベナイルフィリーズ二着だっただけにダメージがえげつない。なおジュベナイルFは私の騎乗ではなく先輩ジョッキーの騎乗だったのだがそれも申し訳なかった。そのまま先輩が乗ってたら勝ってたかもわからんでこれ。
もういやや……遺書……書こ……

あ~~もうわかる、もうわかるで今後の展開。絶対掲示板で「白綾負けてんじゃねえか」「やっぱロジェールマーニュに勝たせてもらってんのか」とか「負け確健在で草」「マジで去年の皐月賞もそうやけど雨女やん」とか「不良馬場を作り出すプロフェッショナル」とか書かれんのやろ。
見えてる。見えてんで今後の未来がァ!! うわぁ~~~~ッッッ!! 嫌やそんなん嫌や、まずこの子新馬戦とオープン戦は私の騎乗やったけど勝ってるやん。それに私ちゃんとスノーホワイトともGⅠ勝ってるやん、まぁあの子なぜか放牧先で怪我して療養中やけどなぁ!!

「いやいや、白綾騎手のせいじゃないですよ! 急な頼みだったのに……今日は馬場が重になっちゃいましたし……この子、重馬場苦手ですから……あと、距離もちょっと合わなかったみたいです」
「意地でも……オークス……勝ちますんで」
「そ、そこまで気負わなくても……
「オークス絶対勝ちますんで!!」
「アッハイ……

よっぽど悔しかったんだな、と微妙な表情からその心中が察せられた。
なおこの桜花賞で勝馬になったのは言わずもがな藤澤レーシングの牝馬で、驚くのはまだ早い__桜花賞馬になった牝馬はフジサワコネクトの妹である。馬体はフジサワコネクトみたいに薄いグレーではなく、全体は濃いめのグレーで右耳が白い。めちゃくちゃ珍しい、耳まで伸びる流星が顔に入っている馬だ。
なお鞍上は瀬川迅一。めちゃくちゃ笑顔でインタビュー答えてんの死ぬほどむかつくけどまぁ……瀬川はああでないとこっちも調子狂うねん。しおらしい瀬川とかちょっと想像つかんでほんま。

さて、私が鞍上になった牝馬の次回出走は優駿牝馬・オークスで決まりやとしても、瀬川の乗った馬……馬主が藤澤レーシングやったらもしかしてダービーに出すかもわからん。
姉・フジサワコネクトも制覇したダービー。それを妹も獲る。ありうる展開やわ。フジサワ姉妹、厩舎も同じはずやし。ま、知らんけど。
……とにかく切り替えていこう。これ引きずったらあかん気がする。

桜花賞から中一週挟んで次の大舞台は皐月賞だ。騎乗するのは新馬の時から一緒に戦ってきた牡馬だが__私にとっては二度目の皐月賞。ロジェのような大逃げ馬という訳ではないにせよ、最初から粘り強く前目に着けて走るのが得意な馬で前哨戦となったGⅡは二着と好走している。その前のGⅢは一着、新馬戦も一着という成績だ。
全てのレースが終わった後、阪神競馬場に併設された調整ルームに戻って少し体を休めながら、私は自筆の馬ノートを繰った。
通算成績は皐月賞に出る馬たちと比較してもかなりいいと思う。二月頭に行われたきさらぎ賞で皐月賞と同じ二〇〇〇メートルは経験済み。競馬場こそ違うがスタミナに余裕があることはきさらぎ賞の時点でわかっている。反応も悪くないし、何よりも素質がある馬。今後さらに飛躍するであろう光るものを持っている馬だ。ロジェと比較するのはあれやけど、仮にロジェと勝負することになったら迫るやろな、とは思う。

だが__今の私は。
私が乗る他の馬たちが〝ロジェールマーニュを超える〟という結果を全く想像できないでいた。


……平等に、馬を見てるつもりでも……やっぱ無意識にロジェのこと贔屓してるよなぁ……

オレンジ色の付箋が貼られたページには、ロジェとの調教やレースを通して気づいたことが事細かにメモされている。ところどころミミズみたいな字もあるにはあるが今年や去年の秋ごろから担当になった他の馬のこともとにかく気づきはメモするようにしているものの、どうにも量の差があるように思えてならなかった。考えるな感じろタイプなのでメモも要領を得ないものが多いが。
しかし昔の自分に問いただしたくなるような記述多すぎやねんほんま。なんや「坂路 ぐわ~~~~上がってだ~~~~」て。できたら苦労せんのよ。「スタートはさっとでてびゅんて走らす。いきおい」て。長嶋さんか。語彙力磨こう。

そんなことを思いつつ栗東に帰り着いてみれば瀬川がいた。栗東所属やからおって当然なんやけど、今まで以上に自信に満ち溢れた表情で一発ぶん殴ってやりたくなる。
だがしかし、瀬川迅一という騎手は腹立つくらいに自信満々で傲慢不遜なぐらいがちょうどええ。天才ジョッキーやのは絶対に否定できひんし。
周囲から望まれてここにいる、そういう騎手。それが瀬川迅一や。


「重馬場じゃなかったらお前らが勝ってたかもな」
「仮定の話は好かんのよ。結果が全部や。……次は?」

瀬川は自販機から出てきた冷たいお茶を私に投げ渡し、もう一度自販機を操作してスポドリを購入した。服装から察するに走り込みしていたのだろうと思う。
瀬川は私の質問に聞くまでもないだろ、とでも言いたげな視線を向けて呟いた。

「ダービー」
「やっぱりか。私らはオークスに行く。ちゃんと勝て。……私らも、オークス勝つんやから」

私が勝つと断言したのが意外だったのか、瀬川は目を丸くした。そう__確かに、私にとって「勝つ」と宣言することは珍しいと思う。

勝ちたいと思うこと、勝てるという確信を掲げること。その自信や勝ちたいという意欲を拾い上げてくれたのがロジェールマーニュという馬なので、私が好戦的になったとすればそれはロジェのおかげだ。
まぁ、こうもほぼ毎日朝から晩までレースやと体力的にも精神的にも結構しんどいけど。去年と状況が違いすぎんねん。ついて行かれへんぞ。


「その前に天皇賞・春がある。フジサワコネクトとロジェールマーニュ……五度目の直接対決だ。次こそは負けない。お前らを超えて俺たちは先に行く」
「ラヴウィズミーも忘れたらあかんで。……旧世代の伝説には負けられん。なんせロジェから見たら兄貴やしな。同じ手は二度も食らわん」