【創作|馬軸】春雷 伸長- 日盛りと鶏鳴

※支部からの転載版です。内容は変わりません。四話~六話収録。




誰もがさすがのロジェールマーニュでも、三二〇〇の長丁場をそんな高速で走るとは考えていなかった。加えて昨年末ラヴウィズミーに負けていることを考えても、徹底したマークでついていき最後に加速して差す、というラヴウィズミーの走法を踏襲するのではないか__。そう、誰もが考えていたのだ。
何せ公開されている調教内容や、追い切りの様子がそういう作戦を使うとしか思えない中身だったから。スタートが得意な馬であることは以前のレース映像からも皆知っているし、何よりもロジェールマーニュはもともとの脚が速い。青毛の血筋は基本皆「逃げ」一択の走りをする、というのは父馬であるシャルルマーニュも、祖父馬であるシャルルも同じこと。

だから逃げるラヴウィズミーを徹底的にマークする形で逃げるのだろうと、皆思っていた。

だがロジェールマーニュはこの時点で後続の馬郡はおろか、ラヴウィズミーを突き放して六馬身程のリードを保ったままハナを進んでいる。掛かっている様子はなく、以前同様に只管〝己の心地よい速度〟に身を委ねているように見えた。一周目はハイペースで進むというのは過去のレースデータからも予想がつくことだが。

だが____


(____いくら何でも速過ぎる!!)


白綾后子以外の騎手全員の総意だった。とてもではないが三二〇〇のペースではない怪物的速度で駆けるロジェールマーニュはその速度を保ったまま一周目のホームストレッチへ突入する。
内ラチ側を走るロジェールマーニュを追いかけるラヴウィズミーは、若干掛かっているのか前に行きたそうに首を上下させる。その後ろに一馬身程の差でいるのはフジサワコネクト。追い込み脚で最後に追い込んでくる彼女がこの位置につけているというのは誰もが予想外(ダービーの際に辛くも掛かって逃げたことで、先行・逃げでも走れると証明されてしまったが)で、鞍上にいる瀬川の勝利への執着がうかがえる。

旧世代の伝説には負けられないという気概か。
白綾の背を今度こそ超えるという決意の表れか。
その心中を知りえるのはフジサワコネクトと瀬川自身だけだ。

しかし、あまりにも速いペースで走るロジェールマーニュに引っ張られる形で後続の馬たちも速度を上げざるを得ない状況になっている。
コーナーを回って内回りコースへ入るが、ここから上り坂を昇って下がって、という動作がある。登りが得意なフジサワコネクトはここで来るな、と柳沢は手綱を動かしてラヴウィズミーを前に行かせた。さすがに大逃げしていたロジェールマーニュも、一度は息を入れねば厳しいようで少し速度が落ちる__かと思ったが、一定のペースを保ったまま____。

一定のリードを保ったまま、坂を全く同じペースで登っていく。
一定の速度で、一定の息遣いで、一切の無駄な動作がなく____極端に言ってしまえば、時計の秒針がカチカチと正しい時を刻み続けるような、メトロノームに定められた一定のリズムを刻むような。

そんな走りで坂を軽々と登っていく。二馬身程後ろにいるラヴウィズミーと、その真横にピタリとつけているフジサワコネクトは何故か追いつけないロジェールマーニュの背を睨みつけながら坂を上りきった。




「つまり、ラヴウィズミーを無視して走る、と」
「いつも通りでいいよ。多分ヤナなら『マークする形で逃げるんだろうなあ』とか思ってるだろうから」
「せやけど逃げたら差されんですか? ラヴウィズミーの末脚やばいですよ。……この後ゴールドカップあるし、手堅く勝ったほうが」

私は『大逃げ』でいいと言う国美さんにそう言った。ダービーの際に出遅れ、だがそれのおかげでロジェが追い込みにも対応できるとわかったので、個人的にこれは使えると思っていた。
ラヴウィズミーが逃げるならフジサワコネクトのように最後方からごぼう抜きして差し切るほうが勝機は見える気がする。というのも、ラヴウィズミーは追い込み馬に悉く負けており、最後方からの追い上げに対応できていないのが顕著だ。前で競り合うのが得意な馬なのだろう。

何が言いたいかというと、逃げていると最後差されて負ける、なら見向きもしてない最後方からおもっきし差したろということだ。
英国GⅠゴールドカップへの事前登録はとっくの昔に済ませている。ここで手堅く勝ち、イギリスへの弾みにしたい。それは国美厩舎と馬主である神代さんの総意。私もそのうちに入っている。

「それもありではある。けど俺はあくまで今のままでいいと思うんだよな。だから、終盤競り合って差して差し返されても差し返す__それができるようになるメニューを組んだ」
……!! これは……

にやりと笑う国美さんから手渡されたメニューには、伴走トレーニングと坂路メニューがびっしりと並んでいる。二度の坂の登り降りをする天皇賞・春では、いかに同じスピードを保ち続けるかが勝負のカギである。
前の馬が思い切り走ろうが、急に減速しようがずっと同じスピードで、まさに時計の秒針のように走ることが勝利の必須条件。国美さんには本当に頭が上がらない。夜なべしてこれ考えたんやろなぁなんて思いながら、私はメニューを国美さんに返却してヘルメットを被った。


「国美さん」
「ん? どうしたよ后子さん」
「おおきに。……私、ロジェのこと絶対に勝たすから」

私はそう言ってロジェの背に跨った。向こうから太陽がゆっくりと昇り、栗東トレセン内を照らしていく。ロジェの黒い馬体が陽光を反射して私は少しまぶしくて目を細めた。




『____さぁ第四コーナーを抜けて直線へ!! 変わらずハナを進むロジェールマーニュ、二番手ラヴウィズミー、三番手にはフジサワコネクト!! 三者見合ったまま直線へ入る!! 駆け抜けてくる!! 仕掛けどころだラヴウィズミー、いやフジサワコネクトだ!! フジサワコネクト行った!! 逃げるロジェールマーニュに食らいつくのはやはり鉄骨娘だ、逃げる、逃げるロジェールマーニュ、____……ウソだ』

ぽつり、と実況者は言う。それはスタンドにいた観衆へ大いなる衝撃を与えた。だが騎手の耳にそれは届かない。私は鞭を二度入れて合図を送り、手綱を握ってロジェを導く。

直線コースに入る直前、コーナーを回る際に籠めた力を開放し直線へ入った瞬間から爆発的な末脚で後続を一気に突き放す。私の耳に届くのは風が空を切る音とロジェの短い息遣いだけ。降り続く天気雨が私とロジェの体を叩く。だがそれも気にならないほど、スピードが圧倒的に他の馬よりも速い。

____当然。なるべくしてそうなっている。

放牧先の人が入厩までに、柔と剛のバランスを完璧に調整してくれた。国美さんが夜なべしてロジェの調教メニューを考えてくれた。
そしてきついトレーニングをロジェは全部手を抜かずにこなしてくれた。
坂路も、伴走も、ウッドチップコースも。

おかげでロジェは時計を刻むように正確で同じリズムの走りを磨き上げ、エンジン全開が常だったのが『ギアチェンジ』の概念を今まで以上に細かく覚えてくれた。だからこそ__この直線でギアを変えて一気に後続を突き放し、周回していた時を超える加速力で前へ体を運んでいく。

____三,四,五,六,七,八

追い込んでくる馬の足音は遥か彼方。私の耳が拾うのはロジェの息遣いと風の音だけ。私は開けた視界に青々とした芝とゴール板を捉える。
残り二〇〇。ロジェはそれを気取ったのかさらに加速して一気に駆け抜けていく。風が、音が、周囲には誰もおらず私とロジェだけがそこにいるような気さえして、私は自然と口角を上げてしまう。
そしてこれが正解なのだと再認識する。
小細工も、作戦変更も、この〝無敵の紳士〟の前では何の意味も成さないのだと____。

私は私を超えたかった。でも一人では無理だった。己を超えることの意味は、いつだってこのロジェールマーニュという馬が教えてくれる。

残り一〇〇、五〇、二〇____

私はロジェールマーニュの騎手だ。
だからこの馬を、最短距離で勝利へ導かなくてはならない。
ただ前へ。ただ、速さのその先へ。

ただ只管に先頭を進み、心地よい速度に身を委ねて走り続けること。
それが私とロジェの最適解なのだから。


(そっか。ロジェ。……私、ロジェだけやなくて自分の事も信じてよかったんやね)

ゴール板の前を通過する直前、ロジェは一瞬スピードを緩めた。
私はスタンドの観衆に向かって一着を示して__

そして、ロジェは一気にゴール板を駆け抜けた。