【創作|馬軸】春雷 伸長- 日盛りと鶏鳴

※支部からの転載版です。内容は変わりません。四話~六話収録。


発走二十分前__ ラヴウィズミー陣営


「ロジェールマーニュと后子ちゃん、ハナを進むとは思えないんだよね」

地下馬道を進みながら、ラヴウィズミーの騎手である柳沢俊一はそんなふうに鞍上で言った。ラヴウィズミーの手綱を握る厩務員は驚いたような表情で柳沢を見上げ、疑問を口にする。
というのも、柳沢が他の騎手や馬の事に関して言及することが珍しいことだったからだ。普段の柳沢といえば陣営の意見を優先し、自分は控えているような印象を厩務員も覚えていた。

「三二〇〇はロジェールマーニュにとって未知の距離だし、僕らに負けたことでマークする作戦に変えてくるだろう。……他のレースを見ていて思うけど、彼女は意外に手堅いからね」
「珍しいですね。ヤナさんがそういうこと言うの」
「嫌でも意識してしまう相手だからね。……ロジェールマーニュはラヴウィズミーの弟。そして鞍上にいる后子ちゃんは……
「シャルルに憧れて競馬界の門を叩いたんでしたっけ? ロングインタビューが雑誌に載ってました。そんときの騎手ってヤナさんですよね」
「そうだね。……彼女は、僕に聞いてきたんだ。記者陣を押しのけてね」
「あ~~! テレビで見ましたよ、宝塚記念でしょ?! あれ白綾騎手だったんだ……

楽しそうに厩務員は言った。ラヴウィズミーは「おっ? じいちゃんの話か?」とでも言うように耳をピンと立てて話を聞いている。驚くほどリラックスしているラヴウィズミーは、確かな足取りで地下馬道を歩いていた。柳沢は優しくラヴウィズミーを撫でながら話を続ける。

「ああ。后子ちゃんは僕に『どうしてそんな馬が楽しそうなんですか』『どうやったらそんな楽しくしてあげられるんですか』って聞いてきたんだ。そういう質問はされたことがあまりなかったから驚いたのを覚えているよ」
「はぁ……確かに、どうやったらそんな騎手になれるか、とかは聞かれそうですけどね」
「うん、馬のほうをよく見てたんだろうかとか、思ったんだけどね。どうも后子ちゃんにとって騎手は重要ではないみたいだった」

柳沢はそう言ってふふ、と笑った。癖のある金髪を揺らして、ウィナーズサークルに飛び込んできた少女。記者を押しのけてそんなことを聞いた彼女が今同じ舞台にいるのだと思うと、時間の流れか。はたまた彼女自身の強さがそれを引き寄せたのか。柳沢は感慨に耽る。まあ勝つのは僕ら、ラヴウィズミーだけどね、と思ってはいるが。

「騎手が重要じゃない、ですか?」
「まぁ今はそんなこと思ってないと思うけどね。だって当時の彼女、五歳ぐらいだったし。競馬、って言うくらいだから人間はそこまで重要じゃないと思ってたんだろうね」
「でも白綾騎手の騎乗って凄いですよね。なんていうか……騎手がいないように見えるんですよ。馬がとにかく思い切り走っている感じ。でもコーナーリングとかに無駄は一切無いんです」
「確かにね……。馬の我が強ければ強いほど后子ちゃんは強くなる。だからきっと国美ちゃんのところには一癖も二癖もある馬が集まるんだろうね」

地下馬道の出口から歓声が聞こえる。柳沢はゴーグルを装着して、厩務員が手綱を外したのを見計らいラヴウィズミーを走らせた。
分厚い雲を割って、陽光が差し込んでいる。天気雨が京都競馬場に降り注いでいた。