冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
Public
 

レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート


03


 歩きながら記憶を確かめて見ると、本丸に就任する以前の出来事も朧げにしか思いだせない部分があった。
 一冊の本の中のあるページだけインクが滲んで文字が読み取れないように、記憶が虫食い状に混濁している。
 特に目立つのは、審神者として政府に出仕するようになってからの時期だ。前後の記憶は明瞭なのに、いち部分だけ映像が結ばれずノイズが走ってざらついてしまう。
 記憶データはきちんと妾の頭の中にある。
 しかし、それを再生する機能プログラムが正常に働いていないのだ。さながらソフトウェアに不具合が生じたように。
 ハードウェアである肉体に異常は見当たらないから、問題は中身である。妾の人格が残っているだけで御の字なのだけれども。
 つらつらと考えながら隊長くんについていくと、別館を抜けて外に出た。
 二の丸の景趣は初期設定のままのようで、うららかな春の陽射しが頬を撫でた。どこからともなく花の雨垂れが降り注ぐ。
 洋館の周囲は真緑の芝生に覆われ、ちらほらと背丈の低い庭木が立っている。遮蔽物が少ないので籠城戦になったら厄介だな、と思った。
 芝生の合間には玉砂利の敷かれた小径が張りめぐらされ、敷地内に点在する施設につながっているようだ。別館から延びる小径を進んで間もなく見えてきたのは、古風な平屋建ての日本家屋だった。
 瓦葺の屋根の建物は、一見すると寺院の御堂を思わせる。建物の周囲をぐるりと濡れ縁が走り、正面の階段上に『練兵場』と書かれた額が掲げられていた。
「ここは――
「文字どおり練兵場にゃ。手合せに使う武道場と、弓射と射撃の練習場があって、多重亜空間構造になってる。出入り口横のキーパッドで行きたい亜空間のコードを打ちこむと通路が開くって仕掛けだ」
 南泉くんが小声で説明してくれた。
 隊長くんがキーパッドを操作すると、電子音声が『武道場に接続します』と告げた。板戸の表面に青い光がくるりと円を描いて消えると、自動でスライドした。
 戸口の先は靴を履き脱ぎするための小さな土間スペースになっていた。脱いだ靴は下足箱に入れ、一礼して場内に上がる。
 武道場はちょっとした体育館ほどの広さがあった。出入り口側には障子戸が連なり、古めかしく黒ずんだ板張りの床が奥まで続いている。
 突き当たりには天照大御神を祭った立派な神棚。出入り口と反対側の壁には、長さが様々な木刀や長物がずらりと並ぶ。
 壁際にジャージ姿の青年と少年が座っていた。首にタオルをかけて水分補給をしているところから察するに、手合せの合間の休憩中のようだ。
「隊長と副隊長が揃ってどーしたん?」
 呂色の癖毛の青年が笑顔で片手を挙げた。すっきりとした目元とは対照的に、瞳はガーネットのように華やかなざくろ色だ。
「やあ豊前、篭手切。休んでいる最中に失礼するよ」
「いや、かまわない。そろそろ切り上げようかと、りいだあと話していたところだ」
 形のよい頭の線に沿って黒髪を切り揃えた少年がはきはきと答える。黒縁の眼鏡に品よく納まった双眸は瑞々しいオパールグリーンで、右目の下のほくろが特徴的だった。
 江派の打刀と脇差、豊前江と篭手切江だ。爽やかに汗を光らせている姿は、手合せを終えた刀剣男士というよりもステージに向けてのダンスのレッスン中のアイドルに見えてくるから不思議である。
 二口の視線が妾に注がれる。隊長くんは片手をこちらへ向けて「紹介しよう」と言った。
「新しく仲間に加わった刀剣女士の姥捨山正宗だ。先ほど目が覚めてね、二の丸を案内しながら順繰りに顔合わせをしているんだよ」
「あー、昨日本丸から来たヤツか」
 豊前江が前髪を掻き上げながら流し目を投げてきた。仕草がいちいちアイドルのファンサービスである。
「姥捨山正宗よ。これからよろしくね」
「おー! 俺は豊前江だ。で、こっちは兄弟刀の篭手切江」
 ニカッと笑う表情は屈託がない。学生時代、いつもクラスの中心にいた人気者の男子生徒を思いだした。
 豊前江に紹介された篭手切江が「こちらこそよろしく頼む」と会釈する。眼鏡を直す仕草が品行方正な学級委員といった印象だ。
「不躾な質問だが……正宗の号を持つということは、われわれ相州伝の開祖たる五郎入道正宗の作刀なのか?」
 篭手切江の問いかけに空気がピンと張り詰めた。
 豊前江は不思議そうに瞬き、隊長くんと南泉くんは落ち着きを払いつつ妾の様子を窺っている。
 妾は苦笑いを浮かべた。
「残念ながら、妾は本物の正宗ではないわ。正宗の高名を皮肉るために作られた虚構フィクションの刀なの」
 手っ取り早く刀を拔いてみせると、郷の二口は目を瞠った。
「畏れ多くも正宗の銘を騙って不具の呪いを受けた偽物よ。誉れ高き正宗十哲の作刀にしてみれば、面白くない存在だろうけれど――
「それってさ、なんかおまえ自身にも影響があんのか?」
 唐突に豊前江が口を開いた。
「え?」
「南泉みてーに水気に触れると調子が悪くなるとか、そういう不具合があんのか?」
……いいえ。いまのところ肉体面の問題は見当たらないわ」
 戸惑いつつ答えると、ざくろ色の瞳が温かい線を描く。
「そっか――ならよかった」
 心からの安堵がこもった台詞に、思わず言葉に詰まった。
「すまない。そのような事情があるとは知らず、軽々しく踏みこむような失礼をした」
 篭手切江が神妙な表情で頭を下げる。妾は慌てて首を横に振った。
「気にしていないから謝罪は必要ないわ。頭を上げてちょうだい、えっと……篭手切くん?」
 そろりと顔を上げた篭手切江――篭手切くんは濃い睫毛をはためかせ、ちょっと目元を赤らめた。
「その呼称は……少々気恥ずかしいな」
「気に障った?」
「いや、そうではないんだ。その、あなたの声が――
「声?」
 無意識に喉元へ触れた。いまの妾に唯一残された自分自身のもの。
「魅惑的というか、ずっと聞いていたくなるような抗いがたさがあるというか」
「あー、なんとなくわかる」
 豊前江が頷きながら胸に手を置いた。
「このあたりがさ、ざわざわするっつーかドクドクするっつーか、なんか妙な気分になんだよ。気持ちーのに落ち着かねーってか、うまく説明できねーんだけど」
 郷の刀たちの説明がいまいち理解できず尾張徳川家の刀たちに助けを求めると、二口の顔には「心当たりがある」と書いてあった。
「顎の下をくすぐられて、思わず喉を鳴らしちまう猫になった気分……だにゃ」
「おっ、さすが南泉。うめーたとえだな!」
 歯切れの悪い南泉くんの捕捉に豊前江が指を鳴らす。
 隊長くんがわざとらしい咳払いを響かせた。
「特異な顕現を踏まえれば、姥捨山の声に何かしらの力があっても不思議ではないな。審神者が持つ言霊の異能のようにね」
「言霊――
 本来の妾は審神者だ。在りし日のままのこの声は、付喪神に対して霊威を振るう武器となりうるのだろうか。
 拳とともに震えを握り潰す。
 刀剣女士かみさまとしては不完全で、もう審神者にんげんには戻れない。中途半端な姥捨山正宗わたしは、いったい何?
「姥捨山?」
 怪訝そうな隊長くんの呼びかけにわれに返る。
「顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「ええ……ごめんなさい。ちょっと考えこんでしまって」
 笑顔を取り繕ってごまかそうとするものの、秀眉の歪みは更に険しくなった。
 ああ、苛立っているなとわかってしまう。『山姥切長義』は情け深いくせにプライドが高いから、差しのべた手を拒まれることが気に食わないのだ。
 突き刺さる瑠璃色のまなざしからそっと視線を逸らす。
 隊長くんが妾の言動にかつての相棒を重ねているように、妾も隊長くんのに山姥切くんを探してしまう。どちらも本当の意味で相手を見ていない。
 息が詰まりそうな空気を変えたのは、豊前江がぽんと膝を叩く音だった。
「ちょっと横になっか? 俺の膝でよければいくらでも貸すぞ」