冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
Public
 

レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート


 土いじりは嫌いではない。
 大伯父の本丸で暮らしていたころは、よく畑当番の手伝いをしていた。
 土を耕して畝を作り種を蒔く。小さな芽を大きく大きく育て、実りを収穫する。自分の手を経た野菜や果物が食卓に並ぶと、なんとも誇らしく尊い気持ちになったものだ。
 二の丸の菜園は懐かしい本丸のものに比べればこぢんまりとしている。六振りの食い扶持を確保するにはじゅうぶんな広さだけれど。
「おーい、そっちはどーだぁ?」
 畑の反対側で豊前くんが手を振っている。
 妾は土を払い落としたジャガイモを籠に放りこみ、手を挙げて応えた。
「そろそろ籠がいっぱいよ」
「うっし。じゃあ切りのいいところで終いにすっか」
 豊前くんはやれやれとばかりに肩をぐるりと回し、ジャガイモが山盛りになった籠を小脇に歩いてきた。
「しっかし、ここんとこ豊作だなぁ。出来もなんつーか、活きがいいっつーか」
「前は違ったの?」
「量も少なかったし、実も大きい割りにはスカスカだったんよ。姥捨山が来てからだぜ、畑の調子がいい・・・・・・・のって」
 妾は陽射しにさわさわとそよぐ畑の緑を見回した。
 あいにく植物の『声』を聴く耳は持ち合わせていないが、たっぷりと光を浴びて気持ちよさそうだという気配は伝わってくる。
「同派に農家の守り刀だったんで畑仕事が得意な桑名江ってヤツがいるんだけど、姥捨山にもそういう逸話みてーなのがあんのか?」
……心当たりはないわね。もしかしたらステータスと関係があるのかしら」
『姥捨山正宗』は生存の数値が異様に高く、次いで統率がそこそこ、偵察と隠蔽がまあまあ、あとは軒並みお粗末という偏ったステータスの持ち主だ。打撃と衝力に至っては、本当に打刀か? と首を捻りたくなるような有り様である。
 元人間という不完全な存在ゆえの異常かと思ったが、もしかしたら『姥捨山正宗』はこれが・・・正常なのかもしれない。
 さらりと前髪が視界をよぎる。さながら老女のように真っ白な、卯の花色の髪。
「名は体を表す、ね」
「ん?」
「妾のなまえよ。姥捨山は名称どおり棄老の伝説で知られているけれど、山に捨てられた老女が山姥の正体だという説があるの」
 白髪をひと房つまんでみせると、豊前くんはぱちくりと瞬いた。
「山姥って、山姥切が斬ったってーヤツだよな?」
「ええ。かれが斬った山姥は山に棲む化生。そして別の説では、山姥は産霊神むすびのかみの権能を持つ地母神の零落した姿とされているの」
 産霊神とは天地万物を産みなす神霊、地母神は大地の豊饒性・生命力を体現する母なる女神のことだ。
 国産みの母たる伊邪那美命いざなみのみことを筆頭に、穀物神である大宜都比売おおげつひめ保食神うけもちのかみなどが挙げられる。
「つまり、山姥は豊饒の女神の成れの果てという説よ。だから山姥を斬った逸話を持つ隊長くんは、豊饒の女神の領分である畑に嫌われているというわけ」
「ははあ。つまり姥捨山は、山姥切とは反対にめちゃくちゃ畑に好かれてるってーことか?」
「そう。駄目押しで付け加えると、姥捨山は月神信仰の土地柄で、更に穀物神の保食神を殺したのは月読命つくよみのみこと――月の神だとされているわ」
「そりゃー駄目押しだな」
 豊前くんが苦笑しながら頬を描く。
「時代が変わって神格を得た以上、俺たち付喪神も八百万の神々の末席に連なる身。山姥の祖である穀物神、それを弑した月神を祀る土地の名を戴いて女神として生じれば、望まずとも山姥の性を帯びるはずだ」
 桁外れな生存値も急激な畑の活性化も、山姥――豊饒の女神の権能が影響していると考えれば説明がつく。
 攻撃、つまり敵に死を与えるための能力に乏しいのも、生命を産み育む豊饒の女神の性質的に許容しがたいからなのかもしれない。
 いささかこじつけめいているが、名はこの世で最も短く強力な呪だ。姥捨山正宗の号は、妾を刀の付喪神であると同時に月神に殺された豊饒の女神の娘だと意味づけた。
「桑名が羨ましがりそうっちゃ!」
 豊前くんはからりと笑う。なんだか拍子抜けして、つられて口元がゆるんだ。
「前線ではいまいちだけれど、兵糧攻めのときには役立ちそうね」
「籠城戦かー。もし時間遡行軍に襲われたら本丸は二の丸俺たちをさっさと切り捨てるだろうし、姥捨山がいてくれるなら心強ぇな!」
 どこまでも明朗な台詞に励まされる。隊長くんが二の丸部隊の司令塔だとすれば、だれに対しても屈託なく接せられる豊前くんは潤滑油のような存在だ。
「こちらこそ、豊前くんがいてくれてとても助かるわ」
 ざくろ色の瞳がきょとりと丸くなった。
「隊長くんは部隊の監督や本丸の折衝、南泉くんはその補佐に忙しいから、二口の手が回りきらないところをさりげなくフォローしてくれているでしょう? 篭手切くんだけではなくて初期刀くんや妾にも声をかけて、きちんと二の丸に馴染めているか気を配ってくれているし」
……よく見てんなぁ」
 豊前くんは眉尻を垂らして頭を掻いた。
「山姥切は限界まで根を詰めるたいぷだし、そうなりゃ南泉はアイツを放っておけねーだろ? 順当に考えりゃ俺が三番手でお役目にも就いてない気楽な身分なんだから、自分のできる範囲で動くのは当然だ」
「さすがは『りいだあ』ね」
 篭手切くんがそう呼んで慕うのも頷ける。
 面倒見がよくて懐の深い豊前くんは、根っからの長男気質なのだろう。豊前江は兄弟からの信頼が篤い刀だったと試験運用の評価記録で目にした覚えがある。
 ふと、豊前くんの表情が翳った。
「りいだあ、なぁ。そんな風に呼ばれるほどたいそうなことなんて、なーんもできてねーのに」
 かれにしては珍しく自嘲的な台詞だ。思わず眉をひそめると、豊前くんは口端を持ち上げた。
「篭手切はさ、自分から主に願いでて二の丸へ来たんよ。あ、もしかして山姥切あたりから聞いてっか?」
「だいたいの経緯は」
 篭手切くんは、先代の審神者が顕現した最後の刀だそうだ。
 当初は古参組と本丸で生活していたが、豊前くんが二の丸へ移されると身ひとつで追いかけてきたのだという。
「本丸には篭手切の昔なじみが何振りかいたんよ。考え直せってずいぶん引き留められたらしいぜ。でも、アイツはそれを振り切って俺を追っかけてきた」
 豊前くんは深く息を吸いこみ、首にかけていたタオルへ顔を埋めた。
「莫迦だよなぁ。いくら同派の誼だからって、何もかも捨てて面識もなかった俺を選ぶなんてさ」
 妾はかけるべき言葉を見つけられず、途方に暮れて青年の肩越しに菜園の風景へ視線を投げた。
 篭手切くんの昔なじみとは、おそらく細川家つながりの歌仙兼定や小夜左文字だろう。
 大伯父の歌仙さんは例に違わず畑仕事が苦手だったけれど、小夜くんは「飢饉になったときに蓄えがないと大変だから」と言って黙々と打ちこんでいた。長兄の江雪左文字――江雪さんといっしょに、当番でない日にも何かと畑の世話に勤しんでいた。
 きっと、かれらにとって命を育むということは人間が想像する以上に特別で得がたい体験だったのだ。
 だからこそ、幼い妾へ無償の愛情を惜しみなく注いでくれた。兄のように、友のように、ときには父のように――いつかわれらの主になる日まであなたをお守りしようと、笑っていた神様たちはもういない。
 この世界の、どこにも。
「嬉しかったんだよ。豊前くんが生きていてくれて」
 何も考えずにこぼれ落ちた呟きに、豊前くんが顔を上げた。
「自分と同じ世界に存在していることが。会いにいけることが。そばにいられることが。嬉しくて――だから、篭手切くんは後悔なんてしていないと思う」
……生きて、いっしょにいるだけでいーんか?」
 眉で八の字を書いている豊前くんに、ほほ笑んでみせる。
「それでいいんだよ。妾だったらそれだけでいい。生きて、元気に笑っていてくれたら、それだけで」
 小夜くん。歌仙さん。大般若さん。前田くん。博多くん。……日向くん。
 大好きだった神様たちの笑顔が浮かんでは消える。
 おひさまみたいな大伯父の笑い声。大きな膝に乗って眺めた、妾のすべてだった幸福な箱庭。
「妾にもね、兄様がいたの。本当の兄弟ではなかったけれど、妾を愛して、大切にしてくれた。ずっといっしょにいられると無邪気に信じていたわ。……でも、もう会えない。みんないなくなってしまったから」
「正宗の兄弟か?」
 考えてみれば、日向くんは『姥捨山正宗』にとって兄弟刀になるのだ。いっとう慕っていた傅役が兄様なんて、悪いことばかりでもない。
……うん。顕現する前のことを、少し思いだしたの。だからね、篭手切くんの選択を莫迦だなんて言わないで」
 豊前くんは一瞬黙りこみ、「悪ぃ」と小さく言った。
「篭手切だけだ、俺たちの処遇はおかしいって真っ向から主に言ってくれたのは。俺たちも本丸の仲間だって、アイツだけが断言してくれたんよ」
「そうだったの」
「主には恵まれなかったけど、兄弟に救われた。アイツのこと莫迦だなんて思ってねぇよ。まっすぐで頼もしい、自慢の弟ちゃ」
 さっぱりした表情で笑う豊前くんを見て、そっと胸を撫で下ろす。よかった、もう大丈夫そうだ。
「姥捨山は『妹』だったんかー。ちょっと意外だな」
「え?」
「おまえっていつも冷静だし、初期刀の面倒もよく見てるだろ? なんとなく『姉ちゃん』してたのかなって思ってたんよ」
 妾は首を傾げた。
「外れでもない、かな。いっしょにいたのは兄様たちのほうが長いけれど、弟もいるの。ずっと離ればなれで……元気でいてくれたらいいのだけれど」
 現世で暮らす家族の消息を確認したのは、本丸着任が決まった間際だった。
 こちらは変わりない、どうか体に気をつけてというお決まりの手紙を貰って……忙しさにかまけて返信しないまま死んでしまった。
 妾の死を、家族は知らされたのだろうか。両親は泣いただろうか。弟は、きっと妾の顔も憶えていまい。
 それでいい。忘れてしまってかまわない。
 妾の死が弟にとって不幸でないなら、寂しいけれど、悲しまずにいてくれるほうがいい。
 妾のことなど忘れて――どうか、人として幸せに。
「姥捨山」
 強い声で呼ばれた。
 驚いて瞬くと、眉をひそめた豊前くんが顔を覗きこんでいる。「でーじょーぶか?」
 睫毛の白い影が水滴を弾く。うっすら滲んだ視界に、ようやく涙に気がついた。
「ご、ごめんね。ちょっとしんみりしてしまって」
 汚れたままの手で目元を拭おうとして、やんわりと手首を掴まれた。
「泣きたいなら泣けよ。見なかったふりすっから」
 気障でやさしい台詞に笑ってしまう。妾は首を横に振った。
「無理すんなよ」
「してないってば! さ、そろそろ戻ろう。遅くなると篭手切くんが心配して迎えにくるよ?」
 慎重に豊前くんの手を外すと、ざくろ色の瞳が妾を見据えた。
一口ひとりで泣くくらいなら、俺んとこに来いよ。……仲間なんだから」
 最後のひと言だけ、奥歯に物が挟まったような口調だった。
 ひたむきな視線は火傷しそうな勢いだ。
 胸の奥に覚えのないざわめきを感じながら、曖昧に笑みを取り繕う。
「ありがとう。豊前くんこそ、何かあったら遠慮せずに言ってね? 仲間なんだから」
「ん」
 豊前くんは薄く目を眇めて頷いた。
 あっさりと雰囲気が元に戻り、抱えていた籠をひょいと奪われる。
「あっ、豊前くん!?」
「怖ーい隊長から『くれぐれも姥捨山に無理をさせないように』って念押しされてっからさ。ほら、篭手切が来る前に戻ろーぜ」
「隊長くんは過保護なのよ……
 ため息を噛み潰しつつ、豊前くんの後を追いかける。
 常春の空はどこまでも晴れやかで、眩暈がするほど青かった。