冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
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レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート


 本丸は、二の丸とは打って変わって純和風の建築様式だった。
 築地塀に取り囲まれた敷地に、平安貴族の邸宅を彷彿とさせる寝殿造の屋敷と庭園が広がっている。神経質なほど手入れが行き届いた庭園は四季折々の花々が群れ咲き、煙のように漂う香気に眩暈がしそうだ。
 一歩脚を踏み入れた瞬間、寒気が走った。
 間違いない。ここは妾が見習いとして入ったはずの本丸だ。
 冷や汗がぶわりと噴きだす。思わず山姥切くんの外套を握りしめると、そっと背中を撫でさすられた。
「なかなか凄まじい香りだろう? 先代の趣味を律儀に引き継いだらしい」
 小声でささやく口調はわざとらしく皮肉げだ。妾を安心させようとする気遣いを感じ、苦笑いを返す。
「申し訳ないけれど、妾の趣味ではないわね」
「奇遇だな。俺も同感だよ」
……何をこそこそと話しているのです?」
 案内役のこんのすけがイライラした様子で振り向いた。
 首に結んだ鴇色の組紐が目印の、先代に仕えていた管狐だ。見習いの妾を迎え入れたときの愛想はどこへ行ったのか、正門の向こう側で二の丸部隊と対面した際の態度といったら初見の山姥切くんよりもひどかった。
 部隊全員での入城はすげなく却下された。しかし、妾と山姥切くんが無事に戻るまで梃子でも動かないという国広くんの主張に根負けし、門外での待機を渋々認めた。
 仲間たちに見送られ、妾は山姥切くんとともに本丸の門を潜った。
 敷地に一歩入った途端、強制的に刀封じを施された。右手首に巻きつく黒い組紐がある限り、抜刀できない術式になっている。
 通常、刀封じは罪を犯したり加害の危険性があると判断されたりした刀剣に講じる措置だ。あまりの仕打ちに絶句していると、山姥切くんは眉をひそめただけで何も言わなかった。
 抗議したところで無駄なのだという態度に頭が冷えた。妾はいかにもしおらしく俯き、山姥切くんに倣った。
 そして現在、こんのすけに先導されて当代の許へ向かう途中である。
 山姥切くんは肩を竦めた。
「別に大したことではないさ。彼女は顕現して間もないから、変調はないか確認しただけだ」
「本丸における刀剣の検分はこんのすけの職務です。無用な私語は慎んでください」
 ぴしゃりと切り捨て、こんのすけはつぶらな黑眼を妾に向けた。ぬいぐるみのような、愛らしいのに無機質なまなざしが肌を粟立たさせる。
「ずいぶん山姥切長義と親しいようですね、姥捨山正宗。あなたの経歴を見る限り、過去にかれと接点があったとは考えにくいのですが」
「もともと面識がなくても、顕現後に誼を結ぶことは然して珍しくもないと思うが?」
 妾が口を開く前に山姥切くんが素早く切り返す。さりげなくこんのすけの視線から庇う位置に体をずらし、腰の刀に手を置いた。
「主君に顧みられない不遇を分かち合えば、自然と親しみも湧くさ。あの偽物くんですら、本丸でのうのうと当代に侍る連中に比べれば頼もしく思えるものだ」
 刹那、山姥切くんの右腕から火花が散った。
 バチバチという炸裂音。山姥切くんの表情が苦悶に歪み、血が滲むほどくちびるを噛みしめる。
 右手首から焦げ臭い煙が上がっている。刀封じの組紐から電撃を浴びせられたのだと理解し、悲鳴が洩れそうになった。
 藍方石の瞳が「声を出すな」と訴える。妾は半泣きになりながら、小さく痙攣するかれの右手を撫でさすることしかできなかった。
「立場を弁えなさい。いまのあなたは政府の監査官でもなんでもない、ただの無力な刀に過ぎないのですよ」
……骨身に染みるご忠告どうも。これ以上当代をお待たせるのも申し訳ないから、さっさと案内してくれないか」
 艶やかな微笑を返されたこんのすけは、興味を失った様子で歩きだした。
 山姥切くんがそれに続く。右半身を支えながら寄り添うと、苦笑まじりに「ありがとう」と耳打ちされた。
 組紐の絡みつく右手は鉛でてきているみたいだった。意に反する拘束が厭わしく、口惜しくてたまらない。
 ――このひとは妾のものなのに。
 固く締めていたはずの蓋が弾け飛び、黒い感情がドロドロと溢れだす。怒りと独占欲が混ざり合い、とぐろを巻いて蛇となる。
 漆黒の蛇は赤い舌をちらつかせ、緑色の眼を爛々と燃やす。
 山姥切くんも国広くんもほかの仲間も、本来は妾の刀なのだ。かれらを手にしておきながら捨て置き、傷つけ、貶める妾の偽物が憎い。
 自分が鈍刀であることに、いまほど腹立たしかったときはない。刀封じがなければ、妾の顔をした当代を前に刃を見せずいた自信がない。
 物騒な思考回路は刀剣の性に引っ張られているのだろうか。姥捨山正宗の魂と溶け合い、彼女の器に馴染みつつある雛罌粟わたしの人格は確かに変容している。
 戻れないのだ。疑いもせず未来が続いていくと信じていた、あの日には。
 ひらり、薄紅色の花が舞う。
 いつの間にか満開の桜の樹々に囲われた庭にたどり着いた。
 こんのすけは玉砂利が敷かれた庭を渡り、古めかしい建物の簀子縁に続く階を駆け上がる。
 簀子縁には武装した刀剣男士がずらりと並んでいた。正面の両脇、向かって右に極の加州清光、左に鵺を従えた獅子王が控えている。
 記憶が正しければ、加州清光は先代の初期刀で白刃隊総隊長、獅子王は常任近侍だったはずだ。底冷えするような――とうてい仲間へ向けるべきではない敵意に満ちた眸に息を呑む。
 横に並んだ刀剣たちも同様に、あるいはもっと苛烈に睨んでくる。何振りかは無表情だったり、物憂げに目を伏せたりしていた。
 ……こんのすけや本丸の刀剣たちは、当代による精神操作を受けているのかもしれないと考えていた。かれらもまた被害者であってほしいと。
 だが、政府直属の審神者としてあらゆる本丸に赴き、時に破綻しきった惨状を目の当たりにしてきた妾の直感が「ここは『黒』だ」と首を横に振っている。
 こんのすけも本丸の刀剣も、かれら自身の意志で妾たちと対峙している。間違いなく、妾たちの敵だった。
「主さま。二の丸部隊隊長の山姥切長義、並びに同部隊末席の姥捨山正宗をお連れしました」
 こんのすけが簀子縁の奥、下ろされた簾のむこうへ恭しく語りかける。すると、簾がするすると巻き上がっていく。
 簾の下から、燃えるような猩々緋の打掛と白い小袖という時代錯誤な装いに身を包んだ女が現れた。
 打掛の上を流れ落ちる黒髪の滝。雑面を思わせる、人の顔を意匠化した紋様の描かれた白布の面を被っている。
 打掛の緋と髪の黒から浮かび上がるように青白い首には、きっちりと包帯が巻かれていた。火傷したように首回りが疼く。
 異様な面を除けば室町時代の姫君にも見える。髪の長さが違うものの、小柄な体格は生前の妾そのままだ。
 女の手を伸びて、すり寄るこんのすけをやさしく撫でる。こんのすけは当然とばかりに小袖の膝の上に収まった。
「よくもまあ、のこのことやってきたこと」
 一瞬、だれが話しているのかわからなかった。
 ひどく嗄れた老女の声。北風に枯れ枝がこすれ合う音にも似た響きは、面に隠れた女の口から発せられていた。
「恥知らずにも徒党を組んで本丸に押し入ろうとするなんて。おお、こんのすけや。さぞかし怖かったでしょう?」
「はい。ですが主さまのお言いつけどおり、山姥切長義と姥捨山正宗だけを入城させました」
「よしよし。いいこね」
 誇らしげなこんのすけの顎をくすぐりながら女が首を傾ける。面の端がちらりとめくれ、派手な口紅を塗ったくちびるが嗤っていた。
「だれの許しを得て立っているの? 跪きなさい」
 見えない力で背中を押され、地面に膝をつく。審神者が扱う言霊の力だ。
 山姥切くんは顔をしかめつつ外套の裾を払って跪座を取り、妾はその隣で正座をした。刀は腰から外して膝の前に置く。
「あいかわらずふてぶてしい面構えね、元監査官殿。もう少し愛想を振りまいたらどうなの?」
……それで、われら二の丸部隊の処遇改善につながるのであれば」
 微塵も期待がこもっていない口調だった。女は不愉快そうに鼻を鳴らした。
「衣食住が保障されていることに感謝しなさい」
 じっとりとした視線が階上から注がれる。「ところで、その陰気臭い被り物をしているのが件の新顔かしら?」
 山姥切くんがちらりと一瞥を投げてきた。妾は三つ指をついて叩頭する。
 意を決し、口を開いた。
「お初お目にかかります。こたび顕現いたしました、刀剣女士の姥捨山正宗と申します。不束者ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします」
 刀剣の付喪神には顕現時に述べる口上が各々あるが、『姥捨山正宗』として相応の字句が思い浮かばず当たり障りのない挨拶に落ち着いた。
 ――ざわりと、空気が波立った。
 息を呑む気配があちこちから伝わってくる。妾の声を聞いた本丸の面々は明らかに動揺していた。
「その声は……!」
 女が戦慄して叫ぶ。こんのすけの驚く声、加州清光と獅子王の制止を振り切り、転げるように足音が階を駆け下りる。
「おまえ!」
 髪を掴まれて無理やり上向かされた。ヴェールが滑り落ち、面の紋様が鼻先に迫る。
「なぜその声を持っている! おまえは何者だ!?」
 女は狂ったように妾を揺さぶり、罵倒まじりに責め立てる。耳障りな嗄れ声が鼓膜を揺さぶるたび、記憶が鮮明によみがえる。
 妾の首に巻ついた紐をぎりぎりと絞め上げる、痩せ細り皺と老斑にまみれた手。ぱさぱさと艶が失われた白髪の下から血走った両目が凝視してくる。
 ――私はまだ戦える。まだみんなに必要とされている。
 ――よこせ。その命、その若さ、その体を、私によこせ……
 嗚呼。この女が、先代の審神者が、妾を殺したのだ!
 初陣に出た国広くんを見送ったあと、こんのすけに「主さまがお呼びです」と先代の寝所へ案内された。
 寝巻きに打掛を羽織った姿で妾を出迎えた先代は、本丸の運営について相談があるのだとにこやかに告げた。近侍の獅子王がお茶とお茶請けを運んできて、先代から「城下で評判の焼き菓子よ。よかったら召し上がってちょうだい」とすすめれた。
 恐縮して焙じ茶とパウンドケーキを頂いた。どちらもお世辞ではなくおいしかった。
 しばらく雑談に興じていると、不意に舌に違和感を覚えた。酔っ払いのように自分の呂律が回っていなかった。
 違和感をはっきりとした痺れとして知覚したときには手遅れだった。四肢が脱力し、畳の上に倒れこんだ。
 毒を盛られたのだとようやく理解した。必死に先代のほうを向くと、ビクビクと痙攣する妾を冷然と見つめていた。
 ――相談というのはね……若くて健康なあなたの体を譲ってもらえないかというものなの。
 暗いあなのような眸で、笑っていた。
「彼女を放せ!」
 あいだに割って入った山姥切くんが女を引き剥がそうとする。
 女の体から湯気のごとく立つ怒気が膨れ上がる。
 凝縮された霊力が鉛玉となって山姥切くんに撃ちこまれる気配を感じ、喉が裂けんばかりに声を張り上げた。
「雛罌粟!」
 女が動きを止め、山姥切くんが目を瞠った。
 真っ向から女を睨み据え、胸倉を掴む青白い手をぎりりと掴んだ。
「いくさ場に咲く赤き花の名を冠する審神者によって鍛えられた、紛い物の正宗です。しかしわが心に偽りはなく、勝利のためならば何度でも死の淵よりよみがえりましょう。いくたび軍靴に踏みにじられようと、再び花を咲かす雛罌粟のように」
 これは決意表明であり、女――妾に成り代わった先代・玉葛に対する宣戦布告だ。
 われこそが審神者なる者、雛罌粟であると。
 ピッ……と、玉葛の面に切れ目が入った。
 まるで透明な刃をス――ッと布地に走らせたかのように、面がまっぷたつに裂けた。
 驚愕したまま凍りついた、若い女の貌が現れる。
 やつれて痩けた頬や落ちくぼんだ目元を隠すように白粉と頬紅を塗りたくっているが、鏡越しに見飽きるほど見たかつての自分の貌だと確かにわかった。
 厚化粧の眉間にふつりと赤い雫が浮かぶ。やがて面の裂け目をなぞり、鼻筋から口元まで薄赤い傷口がス――ッと浮き上がった。
「ぎゃあ! 痛い、痛いィ!」
 玉葛は悲鳴を上げ、顔を押さえて崩れ落ちた。こんのすけと本丸の刀剣男士たちが駆け寄る。
 呆然とする山姥切くんに支えられながら、妾はにっこりとほほ笑んだ。
「これはこれはご無礼を。どうやらその面にはよからぬまじない・・・・がかけられていたご様子。御名に宿る言霊が刃となり、悪しきものを断ち斬られたのでございましょう」
「貴様ァ!」
 激昂した刀剣男士が妾たちを取り囲み、得物に手をかける。瞬時に臨戦態勢を取った山姥切くんを片手で制し、妾は腹の底から声を出した。
「控えよ!」
 ビリビリと空気が震撼する。
 立ち竦む一同を睥睨し、数段声を低めて「ここをどこだと心得る」と凄む。
「主君の許しもなく本丸で刃を抜こうとは言語道断。先ほどの御業は、当代のお力による邪気払いである。誉れある向こう傷をつまらぬ手負いのごとく扱うとは、将たる御方への侮辱と心せよ!」
 もちろん、でまかせのはったりだ。
 玉葛の面と顔を斬ったのは妾の言霊だ。しかし妾の所業だと指摘すれば、玉葛が雛罌粟とは別人だと認めることになりかねない。
 刀剣男士たちは悔しそうに押し黙り、こんのすけはしっぽを膨らませてわなわなと震えている。泣きそうな加州清光の腕の中で、顔を押さえる両手の指の隙間から刺し殺さんばかりの勢いで玉葛が睨んでくる。
 ――受けて立ってやる。
 この本丸しろの本当の主がだれなのか教えてやろう。玉葛との戦いに勝つことが、かつての自分と身を賭して救ってくれた『姥捨山正宗』への餞になる。
 開戦を告げるように、舞い散る桜花が妾と玉葛のあいだに降り注いだ。