冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
Public
 

レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート


 曰く、姥捨山正宗は架空の刀である。
 歴史上に実在したわけではなく、江戸時代の説話集や講談でのみ記録が残っている。姥捨正宗とも呼ばれる刀の物語は、おおよそこうだ。
 ――江戸のころ、信濃は姨捨山を訪れた本阿弥某が、ある刀の鑑定を頼まれた。
 実は大して値打ちのない鈍刀だったが、某は戯れに「これは名刀中の名刀、正宗である」と偽の鑑定結果を出した。
 すると、大樹公うえさままでお出ましになられるほどの評判を呼んだ。斯くして、名もなき鈍刀は『姥捨山正宗』という大層な銘を与えられて珍重されたという。
「正宗の高名を皮肉る面白話……という内容かな。失礼を承知で言うと『姥捨山正宗』の認知度は低いし、神格も大して高くない」
「そうね……付喪神として顕現できたのが不思議なくらいだわ」
「まあ、きみのように顕現できるかどうか微妙な付喪神はごろごろいるからね。政府に協力的な神霊から優先して試験運用を行っているんだ」
 テストに合格すれば、晴れて時間遡行軍討伐付喪の一口として登録される。その後は前線である各本丸に実装されたり、政府所属の刀剣として特殊任務に就いたりと様々だ。
「もしかして、妾は試験運用中……もしくは運用が中止になった刀?」
「ご明察! 優判定だ」
 山姥切長義はわざとらしく拍手を響かせた。
「当代は、引き継ぎ以前は宮仕えをしていてね。きみは彼女が試験運用の初期段階で鍛刀したんだよ。だが政府権限の顕現ではうまくいかず、テストは保留になった」
「本丸勤めになったから、再度顕現を試みるようお達しがあったと?」
「いや――未顕現の刀剣の保管庫で、きみが勝手に・・・顕現していたんだ」
「は……?」
 目と口が真ん丸になる。政府の管理下で刀剣が勝手に顕現するなんて、聞いたことがない。
 山姥切長義は肩を竦めた。
「俺も初耳だよ。不慮の事故で過去に飛ばされたり廃本丸に放置されたりしていた刀剣が顕現する事例は知っていたが、政府の施設で起きるなんて想定外だ」
「だれかが密かに顕現した――のではなく?」
「ああ。更に驚くべきは、データベース上できみの所有者が政府から鍛刀した当代へ書き替えられていたんだ」
 ますます訳がわからない。
「審神者様が保管庫に侵入して顕現した……証拠にはならないの?」
「きみが顕現した当日――つまり昨日だが、当代は引き継ぎ後の報告を兼ねた面談で別の政庁に出向いていたんだ。もちろん遠隔で顕現を行った痕跡もなし、顕現の要因はまったくもって謎だ」
 顕現をしたものの、妾は深く眠り続けたままだった。
 事態の解明のため、政府はひとまず所有者となった当代に妾の身柄を預けた。妾の目覚めを促すには『主』の手元に置いたほうがいいと判断したのだ。
「ところが、当代は連れて帰ったきみを二の丸に投げ捨てた。『使えない鈍刀を本丸に飾っておく趣味はない。覚醒するまで二の丸で適当に世話をしろ』と命じてね」
……なるほど。だいたいの経緯は把握したわ」
 妾はこめかみを揉んだ。
 現状を打破するどころか、ますます迷宮の奥深くに引きずりこまれた気分だ。アリアドネの糸はぐちゃぐちゃにもつれて絡まり合って頼りにならない。
 とにかく、情報を整理しよう。
 まず第一に、本来の妾の肉体はどうなっているのだろうか。生きているのか――あの夢で感じたように死んでいるのか。
 ……おそらく、本来の妾は死んだのだ。奇妙な確信があった。
 死因の心当たりや、手かがりとなるような記憶はまったく浮かばない。突発的な事故……時間遡行軍による急襲の可能性もありうる。『何か』が起こって妾は死に、肉体を離れた魂は『姥捨山正宗』の刀に入りこんでしまった。
 不可解な顕現は妾の魂が入りこんだことが原因だろう。不完全な『姥捨山正宗』の神格が妾という人間の魂を核として得て、存在を確立させた……ということだろうか?
 ふと思った。人間としてすでに死んでいるのならば、いまここにいる妾はいったい何?
 無意識に腰のあたりをさまよまっていた手が打刀に触れた。柄を撫で、ハ、と息を吐く。
「あの……、山姥切、隊長?」
 山姥切くんと言いかけ、かれは元相棒ではないのだと思い至ってとっさにごまかした。   
 山姥切長義は銀色の睫毛を上下させた。
「何かな」
「いまここで、依代を確かめてもいい?」
……ああ、かまわないよ。記憶がよみがえるきっかけになるかもしれないし」
 承諾を得て打刀を腰から外し、両手で持ち直す。山姥切長義の視線を感じながら、妾はゆっくりと刃を引き抜いた。
 短く息を呑む気配。
「赤鰯の鈍刀」
 妾は奇妙にしっくり来る気持ちで呟いた。
『姥捨山正宗』の刀身には赤茶けた錆がびっしりとこびりついていた。刃先は虫に食われたようにぼろぼろで、まともに物を斬れる状態ではないとひと目でわかる。
「これは――
「無名の鈍刀が正宗を騙った罰、かしら」
 自嘲がこぼれた。
 人間の魂を核に持つ妾は付喪神として欠陥品なのだろう。最初から欠けているからこそ不具を抱えた状態が正常・・なのだ。
 偽物の銘刀、偽物の神様。でたらめな存在がいったい何を為せるというの?
 両目はカラカラに乾涸びて涙も出ない。打刀を握りしめて俯いていると、山姥切長義が沈黙を破った。
「お望みなら介錯して進ぜよう」
 やさしくはない、だが冷たくもない声だった。
 のろのろと視線を上げると、静謐な瑠璃色のまなざしがひたと注がれていた。
「そんな有り様で顕現してしまったことを恥辱と感じでいるのなら、いまここで俺が折ってあげるよ。正宗十哲の末席に連なる備前長船長義がひと振りとして、わが祖師の名を身に帯びた不届きな刀を」
 山姥切長義は立ち上がると、手にした得物の鍔をカチリと鳴らした。
「選べ、姥捨山正宗。潔く死ぬか、それとも生きて怺えるか」
「わたし、は」
 藍方石を思わせる深い青の瞳に、山姥切くんとの別れがよみがえった。
 バディ解消の日、最後の業務が終わると山姥切くんは握手を求めてきた。いつものふてぶてしい微笑に、ほんの少し寂寥を滲ませて。
 ――自信を持て。きみは立派な審神者になる。俺が保証するよ。
 ――きみを主と呼べる刀は運がいい。
 そのころ、廃棄された並行世界に潜入する特命調査が開始された。最初の調査に携わる監査官に抜擢された『山姥切長義』は、任務成功の報酬として各本丸へ実装されることが決定した。
 いずれかれもどこかの本丸に配属される――それが妾の本丸だったらいいのになどと、莫迦みたいな幻想は最後まで口にしなかった。
 ――これからのきみの活躍を……健やかに、幸せであることを祈るよ。
 そう言って笑っていた、きみ。
 似ても似つかない、襤褸布に隠れがちな翠色の瞳が浮かぶ。 
 山姥切くんの代わりが欲しかったわけではない。むしろ、最初は国広くんではない刀を選ぶつもりだった。いやでも山姥切くんを思いだしてしまうはずだから。
 けれど、いざ手を伸ばす場面になったとき――まっすぐ呼ばれたのだ。
 強く強く、自分を手に取ってほしいという想いを感じた。襤褸布の下からまぶしそうに妾を見つめるまなざしそのままの、子どもよりも無垢な願いを。
 いざ顕現してみたら、当の国広くんは「そんな覚えはない」と下を向いていたけれど。山姥切くんよりも幼くて、年の離れた弟のことがふと浮かんだ。
 早くに霊力が発現した妾は両親と離れ、審神者だった大伯父の許で育った。弟とは子どものころに数えるほどしか会ったことがなかった。
 弟も高校生になったはずだ。学生の制服のような国広くんのいくさ装束を見ていると、大きくなった弟もこんな男の子なのだろうかと思えた。
 まだ笑った顔も見たことがない、きみ。
「妾は――まだ死ねない」
 首を横に振ると、山姥切長義は下瞼をきゅうと持ち上げた。
「忍苦の生を選ぶと?」
「たとえ偽物でも、姥捨山正宗わたしは確かに存在するわ」
 錆まみれの刀を胸元に引き寄せ、妾は心に刻みこむように告げた。
「斬れない刀に価値なんてないかもしれない。きみのような名高い霊刀からすれば、取るに足らない結果しか残せないかもしれない。それでも、戦いもせずに泣いて終わるなんて、性に合わないの」
 この身が人ではなく刀になったというならば、それでも生きてこそと信じられる意味を見つけたい。
 何より、国広くんが、継ぐはずだった本丸がどうなっているのか確かめなくては。
 無事ならいい。妾の死を乗り越えて新しい道を歩んでいるのなら、その背中を見送りたい。
「妾は生きたい」
 山姥切長義は刀から手を離した。
「ならば、生きればいい。好きなだけ生きて、戦って、いつかきみにふさわしい場所で死ねばいいさ」
……いいの?」
「俺にとやかく言う資格はないよ。きみがまともな戦力になるかどうかは別にして、引きこもりの初期刀よりは立派な志を持っていると思うし」
 外套の裾を払うと、山姥切長義は片手をこちらへ差しだした。
 形のいいくちびるで高慢なほど美しい笑みを描き、歌うかのように言祝ぐ。
「ようこそ二の丸へ。歓迎しよう、姥捨山正宗」