冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
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レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート


 

01


 カチ、コチ、カチ。規則的に時を刻む音が聞こえる。
 少し重くてもったりと空気を震わせる、古い振り子時計の音色だ。
 幼少期を過ごした大伯父の本丸にも、成人男性の背丈ほどもある立派な振り子時計があった。その横に膝を抱えて座りこみ、振り子が揺れて秒針が進む音に耳を澄ませることが好きだった。
 ボォン、ボォンと、くぐもった鐘の音。一時間ごとに長針と短針が重なると、こうして時告げの鐘を鳴らすのだ。
 鐘はひとつ、ふたつ――時刻は午前二時、あるいは午後二時。
 わたしは両目を開いた。
 視界は薄ら明かるく、黒っぽい板張りの天井がぼやけている。鈴蘭のようなランプが垂れ下がった古風な照明。
 壁は漆喰を塗りこんでいるのか真っ白だ。一方の壁にはレースのカーテンがかかったフランス窓が三つ並び、仄白い光が射しこんでいる。
 淡く艶めく床板も黒く、くすんだ緋色の絨毯がやけに目につく。絨毯の上にはどっしりとした木製のローテーブルと臙脂色の布張りの長椅子が置かれ、妾は長椅子のうちのひとつに横たわっていた。
 長椅子の背凭れに手をかけ、ゆっくりと起き上がる。
 ギシギシと関節が軋む。まるで油が切れたブリキの人形になった気分だ。
 改めて室内を見回すと、二十畳ほどの広々とした洋室だった。ローテーブルと長椅子のセットの隣にはビリヤード台があり、壁際にはひとり掛けの布張りの椅子と小卓が置かれている。
 小学校の社会見学で訪れた旧華族の邸宅を思いだした。遊戯室を兼ねた談話室といった雰囲気だ。
 窓が並んだ壁の反対側にはクロード・モネの『睡蓮』の一作(もちろんレプリカだ)が飾られている。夏の緑陰と、涼しげな睡蓮の池に架かるアーチ状の橋が描かれた有名な風景画だ。
 絵画の隣には振り子時計が立っていた。
 幼児が潜りこめるほど大きく、グリム童話の『狼と七匹の仔ヤギ』に出てきそうなアンティークだ。長針と短針は二時五分を指している。
 妾はふらつきながら立ち上がり、吸い寄せられるように振り子時計へ近づいた。
 振り子を納めた硝子の扉は、降り積もった年月にうっすら曇っていた。そこへ妾のシルエットが映りこむ。
 腰のあたりまで伸びた白髪。両サイドをひと房ずつ肩のあたりでポピーレッドのリボンで結んだ髪型は、ロップイヤーの白ウサギのようだ。
 滑らかな肌は濃い飴色、真っ白な睫毛にふちどられた双眸はピンクとオレンジを混ぜ合わせた朱華色。十代後半とおぼしき顔立ちは驚くほど端整で、等身大の少女人形のようにも見える。
 黒いレースの羽織、赤い懸帯、腰に帯びた打刀――見覚えのある出で立ちだ。夢の中に現れた刀剣女士のものに違いない。
 黒のグローブに包まれた右手を伸ばすと、硝子に映る少女も同じ動作をなぞった。これは妾だ・・・・・
「うそ……
 思わずこぼれた呟きは自分の声だった。口元を押さえ、ずるりと膝をつく。
 妾自身の肉体が変化したのではない。まったく別人の――人間ですらない――肉体に魂が入りこんでしまっている。
 いったいなぜこんなことに。本来の肉体はどうなってしまったのか。
……そうだ。山姥切くん」
 妾の相棒である山姥切長義は無事なのだろうか。
 思いだせる最後の記憶は――二年半続いたバディ最終日の朝、出勤するといつものようにふたりぶんのコーヒーを淹れて待っていてくれたかれの「おはよう」とほほ笑む顔。それから朝のミーティングまでコーヒーを飲みながら一日の予定を確認したり、妾の送別会の話をしたり……
 そう、山姥切長義は妾の相棒だった・・・。配置転換に伴う妾の本丸勤めが決まり、バディを解消したのだ。
 それから――それから? 送別会を終えて官舎に戻り、シャワーを浴びて布団に潜りこんで……
「本丸……
 翌朝、すっかり空っぽになった官舎を出て赴任先の本丸に向かった。
 ある審神者の女性が高齢のため前線を退くことになり、妾が後任として本丸を引き継いだのだ。いや、正確には一ヶ月の研修期間を経てから正式な着任という運びになり、まずは見習いという名目で本丸入りした。
 こんのすけに出迎えられ、先代への挨拶の前に自分の初期刀を選ぶように言われた。
 五口の打刀の中から妾が手に取ったのは――
 コンコン、と、ノック音が響いた。
 思わず肩が跳ねる。硬直していると、唯一の出入り口であるドアがゆっくり開いた。
「失礼するよ」
 真白い外套が翻る。裏地の濃い青が残像のように目に焼きついた。
 片側に撫でつけた銀雪の髪、冴えた瑠璃色の瞳。振り子時計の前にへたりこむ妾を見咎めると、玲瓏な美貌が怪訝そうに歪んだ。
……何をしているんだ?」
 山姥切長義は大股で近づいてくると、腰に片手を当てて顔を覗きこんできた。
「ずいぶんぼんやりしているが、俺の言っていることが理解できるか? 姥捨山正宗うばすてやままさむね
「え――
「おいおい、顕現して早々に自分のなまえを忘れたのか? しっかりしてくれよ」
 あからさまに莫迦にする物言いにムッとする。山姥切長義は薄く笑んだ。
「立てるかい?」
 黒いグローブを纏った手が差しのべられた。
「ありがとう……
 お礼を言って手を借りると、山姥切長義は瞠目した。
「きみ、その声は――
「声?」
……いや。なんでもないよ」
 一瞬、青いまなざしが翳りを帯びる。たっぷりと長い睫毛が伏せられたかと思うと、幻のように払拭された。
「紹介が遅れたね。俺は山姥切長義。この二の丸部隊の隊長を務めている」
「二の丸?」
 違和感を鸚鵡返しで口にすると、山姥切長義は皮肉たっぷりに笑んだ。
「そう、ここは『本丸』ではなく『二の丸』。審神者から捨てられた刀たちが寄り集まって暮らす、生者の墓場だよ」
 山姥切長義によると、この二の丸を含む本丸は一ヶ月半ほど前に審神者が代替わりしたばかりだという。急死した先代の跡目を継いだ審神者は、先代から仕える古参ばかりを重用し、新参の刀を冷遇した。
「目通りも敵わず、内番も出陣もまともにさせてもらえない。業を煮やした当代の初期刀が直訴したら、『出陣命令が出るまで本丸の補助施設である二の丸で待機せよ』と言われて、まとめて放りだされたんた」
「そんな……
 間違いなく政府への通報案件だ。
「こんのすけは何をしているの? 刀剣が不当な扱いを受けていたら、通報義務が発生するはずなのに」
「管狐は完全に当代の味方だよ。もちろん通報を依頼したけれど、『本丸の運営には支障が出ていないから問題ない』『古参だけで戦力としてはじゅうふん』ときたもんだ」
 二の丸は本丸を経由しなければ外部に出ることができず、連絡手段もない。八方塞がりの状態のまま、二の丸部隊の隊員たちは今日まで無為に過ごすしかなかった。
「主に捨てられたショックで、部隊を率いるべき初期刀がすっかり引きこもってしまってね。宮仕えの経歴があって世慣れしている俺が、暫定で名ばかりの隊長を仰せつかったわけさ」
……ちなみに、その初期刀は?」
 山姥切長義の麗貌から表情が消えた。
 ごっそりと感情が抜け落ちた、凍えるような声が端的に答える。
「山姥切国広」
 妾は息を呑んだ。
 この手で選び択った初期刀と同じだった。
 嗚呼。妾の山姥切国広――国広くんはいったいどうなったのだろうか。
 顕現を果たしたところまでは憶えている。「写しの俺を選ぶなんて、あんたも奇特な審神者だな」とぶっきらぼうに話していた。まだ初陣を飾ってすらいないのに。
……姥捨山? 顔色が悪いぞ、大丈夫か?」
 山姥切長義が眉をひそめて尋ねてくる。妾は呼吸を整えながら、なんとか頷いた。
「大丈夫、よ。少し眩暈がしただけ」
 気持ちを立て直し、思考を切り替える。
 じっと注視してくる瑠璃色の双眸を見据え、妾は手探りで言葉を捻りだした。
「実は……顕現の異常を来しているのか、うまく自分の来歴を思いだせないの。時間遡行軍と戦うために時の政府の招聘に応えた、刀剣の付喪神ということは理解しているわ。いまの情勢や、審神者や本丸のシステムも。ただ、肝心の妾自身に関する記憶が曖昧で……
 いきなり「実は人間で審神者になるはずだったんです」と莫迦正直に話しても、信じてもらえるはずもない。あくまで姥捨山正宗という刀剣女士として、この非常事態を切り抜けるための設定を取り繕った。
「ああ……なるほど。顕現異常による記憶や人格の障害は、宮仕えのころに何件か事例報告を読んだことがあるよ」
 山姥切長義は得心が行ったとばかりに頷くと、自然な仕草で妾の手を取って長椅子までエスコートした。
「立ち話もなんだから、とりあえず座ろうか」
「そ、そうね」
 相棒の山姥切くんも、息をするようにレディーファーストを実践するタイプだった。さすが長船の系統だ。
 ひとりぶんの空白を空けて隣に腰を下ろした山姥切長義は、すらりとした脚を組んで膝に手を置いた。
「と言っても、俺もそんなにきみについて詳しいわけではないんだ。管狐から聞きだした程度の情報に過ぎないからね」