冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
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レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート

 窓の外が薄ら明るくなるころ、豊前くんが手入部屋にやってきた。
 兄弟刀の顔つきをひと目見た豊前くんはひょいと片眉を跳ね上げた。だが何も指摘せず、「そろそろ交代の時間だから、あとは任せてなんか食って寝とけ」と篭手切くんの背中をポンと叩いた。
 篭手切くんはぺこりと頭を下げ、無言で退室した。
 廊下のむこうに気配が遠ざかってから、ベッドサイドの椅子に腰かけた豊前くんが口を開いた。
「篭手切と話してくれたんか」
 アルコールランプの燈を跳ね返し、ガーネットの瞳が冴えた光を放つ。
 妾は苦笑いで応じた。
「話してみたけれど、妾の気持ちばかり伝えたような結果で終わってしまった気がするよ」
「アイツ、すっきりした顔してたよ。姥捨山のおかげで、ちょっとは前向きになれたんだろーよ」
「そうだといいなあ」
「そうだよ」
 思いがけず、豊前くんはきっぱりと断言した。
「本当は、俺が荷物の半分でも引き受けてやれたらいーんだけどな。でもアイツ、変なとこで頑なだからさ」
「弟には弟の矜恃があるんだって」
……篭手切が言ってたんか?」
「ううん。妾が育った本丸の、別の脇差の意見。『どんなに信頼して尊敬していても、情けないって思われたくないし、譲りたくないことは山ほどあるんですよ』って」
 若駒の尾のような、夜色の束ね髮が脳裏で翻る。
 大伯父の本丸へ来て数年後の出来事だ。日向くんに何か注意されて腹が立ち、一方的な口喧嘩を売りつけた挙句にその場から逃げだした。そのうち罪悪感がこみ上げてきて、しかし素直に謝るには踏ん切れず庭の植え込みの陰で蹲っていると、ずおくんが様子を窺いにやってきた。
 ずおくんは妾の隣に並んで膝を抱えると、ぐずぐずと言い訳を連ねる妾の話に根気強く付き合ってくれた。
 泣きべそまじりの気持ちをぜんぶ吐きだしたあと、ずおくんはポケットティッシュで妾の涙やら洟やらを丁寧に拭いながら告げた。
 ――雛罌粟の気持ち、俺にもわかります。
 予想外の共感を打ち明けられ、驚きで涙が止まった。
 ――俺、この本丸で骨喰よりもあとに顕現したんです。だからうちの兄弟で次男坊は骨喰なんですよ。
 ――よその本丸だと『鯰尾藤四郎』が『骨喰藤四郎』の世話を焼くのが当たり前らしいですけど、うちの骨喰は結構しっかり者でしょ? 粟田口の年長者で一番に顕現して、ずっと弟たちの面倒を見てきたから。俺が顕現したときには、骨喰が頼り甲斐のある次男坊って空気がすっかり出来上がっていて……俺には遅れてきた三男坊の役割しか残されてなかったんです。
 ――別に不満なんてないですよ? でも、よその本丸より俺は『弟』なんです。いち兄だけじゃなく骨喰もそう扱いますから。嫌がらせじゃなくて純粋に俺のことを考えてくれているってわかるから、たまーにね、行き場のないもやもやした感情が胸の底に溜まっていくんです。いち兄の小言すら煩わしいときがあるのに、骨喰の兄貴面になんか付き合っていられるか! ってね。
 ――日向はまだ兄弟刀がいないし、正宗一門の中だと『御師様』ですからね。骨喰と同じで根っからの兄貴分なんですよ。だから可愛い可愛い『妹』の雛罌粟に口うるさくあれこれ言っちゃうんです。でも、『妹』にしてみたら偉そうでたまったもんじゃないんですよねえ。
 ずおくんは髪を梳くように妾の頭を撫でながら、ほろ苦い微笑を滲ませた。
 ――だって弟妹俺たちにだって矜恃があるじゃないですか。どんなに信頼して尊敬していても、情けないって思われたくないし、譲りたくないことは山ほどあるんですよ。
 灰簾石のような深い紫の瞳は寂しげに翳っていた。冬の薄暮の空の色だと、漠然と思った。
「篭手切くんにも、豊前くんにこそ吐きたくない弱音があるのかもしれない。そういうときの聞き役こそがわたしだよ」
 豊前くんはフッと笑った。
「確かに、付喪神の声を聞くのは審神者の十八番だもんな」
 伏し目がちな睫毛の先が火あかりに濡れて光っている。
 陰影のせいか常より沈んでいるような表情に、かれはなんとなくずおくんに通じる空気感を持っているように思った。
「なあ――主」
 静かだが逡巡のない口調で呼ばれ、妾は居住まいを正す代わりに上体を起こした。
「おまえ……あんたが審神者で本当の主なんだって言われて、正直まだ混乱してんだけどよ」
「うん」
「認めてねーとかじゃなくて、戸惑ってるだけだかんな? あんたみてーな気骨のあるいい女が主だなんて最高だと思ってるし」
「褒めても何も出ないわよ」
「ハハッ、世辞じゃねーって」
 豊前くんは片手で前髪を掻き上げると、そのままぐしゃりと握り潰した。
「こっから先は俺の私情なんだけどさ。出鼻くじかれたっつーか、手ェ出し損ねたっつーか」
……うん?」
「おんなじ刀で仲間なら俺にも勝ち目あるかなーって高望みできたけどよ。主君だなんて身分違いな上に、山姥切とは二の丸に来る前からの関係だなんて言われちゃ完全に俺の出遅れだろ?」
「えっ、なんで急に山姥切くん?」
 話の流れを掴めず疑問符を浮かべていると、ため息を返された。
「俺があんたに惚れてるっつー話だよ」
「はっ!?」
「最初はイイなーぐらいだったんだけどなあ。山姥切が堂々とあんたを手に入れたって知ったら、俺も本気だったんかーってわかった」
 カラカラと笑いながら打ち明ける内容の話ではない。どんな顔で聞けばよいのかわからず固まっていると、豊前くんの眉尻が申し訳なさげに下がる。
「困らせちまってごめんな。こんなときに迷惑だと思うけど、黙ったままでいるのも性に合わなくてよ」
「困るだなんて、そんな……
 うろたえる妾に、豊前くんは笑みを深めた。
「この先、本丸の連中とやり合って何が起こるかわからねーからさ。俺の気持ち、知っててほしかったんよ」
 腰元に帯びた打刀を外し、両手で持ち直すと妾に向けて差しだす。
「想いを受け取ってくれとは言わん。なんつーか……そうだな、預かっててくれねーか?」
「預かる?」
「うん。俺の、あんたへの好意とか、忠義とか、心配とか。あんたが俺の主でいてくれるあいだ、預かっててほしい。で、もしもあんたが主じゃなくなるときが来たら俺に返してくれ」
 まるで年月を隔てたキャッチボールのようだ。妾はこわごわと「返して、その先は?」と尋ねた。
 豊前くんはやさしく両目を細めた。
「そんときが来たら考える。未練がましく受け取ってほしいって思い直すかもしれんし、きっぱりあきらめて後ろに投げ捨てるかもしれん」
「妾は……ただ預かるだけでいいの?」
「いいよ。そん代わり、あんたが俺の主じゃなくなるまで好きでいさせてくれ。あんたが只の女に戻ったら、只の男になった俺を遠慮なく振ってくれよ」
……振られる前提なのね」
「まー、できるだけ健闘するつもりだけどな? あんたを振り向かせるのは、歴史修正主義者を全滅させるより難しそうだ」
 楽しそうに笑う豊前くんにつられて妾の頬も緩んでいく。
 妾は左手でそっと豊前くんの本体に触れた。
「わかりました。豊前くんの、心、お預かりします」
 ざくろ色の双眸が瞬き、くちびるがキュッと引き結ばれる。
 引き立つような黒を纏った拵を指先で撫で、頷いてみせる。
「きみがどこまではしっていっても、ちゃんとここへ戻ってこられるように。きみが、きみの物語を心行くまで駆け抜けられるように――預かり物を返したとき、きみが笑顔でいてくれるように。豊前江様、あなたに恥じない主であると誓います」
――応」
 豊前くんは笑み崩れると、打刀を捧げ持ったまま深々と頭を垂らした。
「この豊前江、常に二の丸の先駆けとして働き、御身の征かれる道を切り開く所存。わが刃の帰る庭はただひとつとお約束申し上げる」
 神気の桜がひとひらふたひら舞い、儚く消える。
 顔を上げた豊前くんはさっぱりした様子で打刀を定位置に戻した。
「あんがとな、俺のわがままに付き合ってもらって」
 妾は首を横に振った。
「こちらこそ、妾の刀になってくれてありがとう」
……正面から言われるとこちょばいな」
 豊前くんは刈り上げた襟足を掻き、ごまかすように「ほら、横になっとけ」と促した。
 おとなしく枕に頭を埋めると、豊前くんの右手が額に触れた。
「あのさ。預かってくれって言っといてなんだけど、俺の気持ちなんて考えなくていいからな?」
「え?」
「あんた人が好いから、重荷しょいこんだり、山姥切との仲こじらせたりしそーだと思って。俺、山姥切のことは仲間として好きだし、ましてやアイツと主を引き裂こうだなんてこれッぽっちも考えてねーからな?」
 真剣な顔で念を押される。妾はなんとも言えない心地で笑ってしまった。
「豊前くんこそお人好しだね。恋敵に塩を送るなんて」
「あのなあ」
「ふふ、ありがとう。妾、豊前くんに好きになってもらえて光栄だよ」
 豊前くんは虚を衝かれたように瞠目した。
……罪作りなおひとだよ、あんた」
「ええ?」
 思いっきりため息をつかれた。妾の額をそっと弾き、豊前くんは拗ねた子どもみたいに口を尖らせた。
「別に。山姥切は苦労しそうだなって思っただけだ」
……篭手切くんにも似たようなことを言われたわね。山姥切くんより妾のほうが手強そうだって」
 釈然とせずにぼやくと、豊前くんが小さく噴きだした。喉の奥でククッと笑う。
「篭手切も言うなあ」
 子どものころ、眠りに落ちるまで日向くんやずおくんが話し相手になってくれた懐かしい夜を思いだした。
 枕から見上げる赤いまなざしはひどく鮮烈で、もうあの場所には戻れない遠くまで来てしまったのだと切なくなった。
 朝陽が二の丸を照らすまで、妾と豊前くんは他愛もないことを語らった。穏やかな時間がなるたけ長く続くよう足掻くように。