冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
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レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート


11


 二の丸が再起動した翌日。
 なゆたけのメディカルチェックを受けて療養をしばらく継続したほうがいいと勧告された妾は、あいかわらず手入部屋の囚人だ。
 仲間たちは律儀に交代で付き添いを続けてくれている。たまに付き添いではなく看守ではなかろうかと思うけれど。
 山姥切くんと日向くんは政府に提出する報告書を完成させるため、審神者執務室に缶詰状態だった。
 たまにふらりと手入部屋にやってきては妾の顔をじっくり眺め、五分ほどで戻っていく。なゆたけの協力を得て玉葛がこの上ない厳罰に処されるよう完璧に仕上げてみせると笑う二口は、凄みがありすぎてかなり怖かった。
 ……気がかりがひとつあった。
 枕を背凭れにして出来上がった報告書の一部に目を通しているうちに、いつの間にかうとうとまどろんでいたらしい。
 気がつくと室内は薄暗く、サイドテーブル上のアルコールランプに火が点いていた。
 報告書のデータを表示していた粒子モニターは閉じられ、肩の上まできっちり掛布がかけ直されている。クッションの角度を調整してくれたのか、再び眠ってしまいそうに快適な体勢だった。
 妾はぼんやりとベッドの左脇に視線を投げた。
 いくさ装束を纏った篭手切くんがピンと背筋を伸ばして椅子に腰かけていた。
 火あかりを反射する眼鏡の奥からオパールグリーンの双眸が凝乎じっと見つめてくる。
 膝の上で握りしめられた拳は紙のように白く、少年の葛藤を表しているようだった。
「篭手切くん」
 墨色の睫毛がはたたく。篭手切くんは口唇を引き結んだ。
 妾は曖昧にほほ笑んだ。
「ずっと付き添ってくれていたの? ありがとう」
「いや――少し前に南泉と交代したばかりなんだ」
 篭手切くんは視線を伏せると、迷いを乗せた声で「姥捨山」と妾を呼んだ。
「なあに?」
……あなたは、姥捨山正宗と呼ばれることに抵抗がないのか?」
「そうだね。不思議なんだけれど、最初から『妾は姥捨山正宗なんだ』っていう実感があったの。更級ちゃん……『姥捨山正宗』が何がなんでも『わたし』を助けようとして、生かしてくれたおかげだと思う」
 この異常な状況にすんなり順応できたのは、更級ちゃんが己を殺して献身に徹してくれたからだろう。片手を胸に当てると、身の裡で眠る彼女のぬくもりをあえかに感じ取れた。
「そうか……あなたは『姥捨山正宗』に善き主君として慕われていたのだな」
 篭手切くんはふっと吐息を洩らした。
「私の主が、最初からあなただったらよかったのに」
「篭手切くん?」
「南泉も山姥切もりいだあも、代替わりしてから本丸へ来た。かれらはもともとあなたの刀だったんだ。国広も日向も審神者だったあなたを知っている。私だけ……
 篭手切くんはいくさ装束の胸元を握りこみ、深くうなだれた。
「私の主は悪しき審神者だ。罰せられるべき咎人だ。あの方が、私のことなど目障りにしか思っていないとわかっている。わかっているんだ」
 少年の細い肩が震える。それなのに、と篭手切くんは声を振り絞った。
「苦しくて、身もたまもばらばらにちぎれてしまいそうなんだ。あの方の刀として、あの方のために戦う日はもう来ないのだと思うと、悲しくてたまらない」
……うん」
「二の丸に来たことを悔いてなどいない。りいだあとともに、あなたの麾下でこれからも働きたいと心から思っている。でも、それでも……あの方の膝に泣いて縋りつきたい私がいるんだ」
「うん」
 妾はよいしょと起き上がり、篭手切くんの肩にそっと触れた。
 少年の体がびくりと跳ねた。涙の粒を溜めたオパールグリーンの瞳が瞬く。
「篭手切くんの気持ちは間違っていないと思うよ」
「え――
「いままでいろんな刀剣を見てきたけれど、篭手切くんみたいに悩んだり苦しんだりしている刀剣は大勢いたわ。刀剣にとって、どんな人間であっても主君は特別な存在だもの」
 人に愛され、人に想われ続けたがゆえに魂を得た付喪神は、人へ深い情を寄せる。それが主人であればなおのこと――かれらの情愛は、人の世の理などいともたやすく超越する。
 付喪神に慈しまれて育まれた人の身だからこそ、いまや付喪神のひと柱に加わったからこそ理解できる。理解できてしまう。
「篭手切くんが自分自身の感情を否定する必要なんてないよ。妾が二の丸の審神者として丸ごときみを貰い受けて、玉葛よりもっと大事にするつもりだから。玉葛のことは、納得できるまで時間をかけてしっかり消化してちょうだい」
……あなたは、私が主のことを忘れられずにいることを不愉快に思わないのか?」
「うーん、気にならないと言えば嘘になるけれどね。でも、玉葛の刀だったことを含めて篭手切くんだから――妾の篭手切江は後にも先にもきみだけだから、妾は篭手切くんのぜんぶを取りこぼしたくないよ」
 篭手切くんは息を呑んで硬直した。
 見つめ合うことしばし、少年の白い頬がじわじわと赤くなる。
「う……姥捨山は」
「うん?」
「ずるい。ずるいひとだ」
「えっ」
 以前にも似たようなことをだれかに言われたような。
 篭手切くんは紅潮した頬に睫毛を伏せ、くちびるを尖らせた。
「山姥切と婚姻を結んだのだろう?」
 思わずむせこんだ。咳払いでごまかしながら「うん、まあ、そうね」と答える。
 オパールグリーンの視線がちらりと左手首へ向けられる。
 篭手切くんは眉根を寄せた。
「今後は夫以外の男に思わせぶりな言動は慎んだほうがいい。意図はどうあれ、あなたの振る舞いは見ていて心臓に悪い」
「ええ……?」
「男神の悋気は厄介だぞ。あなたが考えている以上に」
 少年の密やかな声に心臓が竦み上がった。
 どこか無機質な美貌の上で火あかりが揺らめいている。空気に呑まれないよう丹田に力を入れ、にこりと笑みで応えた。
「ご忠告ありがとう。じゅうぶん気をつけるわ」
 篭手切くんはため息まじりに苦笑した。
「前言撤回する。姥捨山のほうが手強そうだ」
「そう?」
「山姥切が『お捨』と呼ぶのもわかる。りいだあはあなたを山姥の娘なのだと話していた。山に追いやられた豊穣の女神が化け物に堕ちても永らえたように、名を変え姿を変え、何度でも命を拾いつなぐ強かな姫神だと」
 褒められているのか貶されているのか微妙な気分である。
 ……そういえば妾の号は、奇しくも山姥切くんと対になる意味合いなのか。
 山姥を斬った逸話を持つ霊刀に山姥の娘が嫁入りするとは、なかなか皮肉が効いている。三角室長あたりは「似合いの夫婦だな」と冗談か否かわかりづらいコメントをくれそうだ。
「だが、きっとあなたは主のように他者の尊厳を踏みにじってまで死から逃れようとはしないだろう。ちりぬべきとき、しりてこそ……花も、人も、刀も、散り際を見誤ってはいけない」
 篭手切くんはそっと両手を差しだした。
 刀を振るうよりも花を活けたり筆を執ったりしたほうが似合いそうな、白くすらりとした手。
「姥捨山。手を」
「妾の?」
「ああ。手を、貸してもらえないか」
 首を傾げつつ左手を篭手切くんの両てのひらに乗せる。少女らしい妾の手と比べると、篭手切くんの手はやはり男の子特有の武骨さも感じられた。
「篭手切くんの手って、豊前くんと似ているね」
……りいだあと?」
「うん。豊前くんも、色が白くてすらっとした手をしているでしょう。やっぱり兄弟なんだなあって思って」
 篭手切くんは妾の手を両手で包みこみ、伏し目がちに笑った。
「そうか。それは嬉しいな」
 姥捨山の手は、と少年の声が続ける。
「打刀なのに、脇差の私よりも華奢だな」
「それはまあ、男女差というか体格差というか……たぶん人間のときと同じぐらいの身長だけれど、そのころから脇差の男士より小柄だったもの、妾」
 悲しいかな、それなりに努力はしてみたものの中学生あたりで縦の成長は止まってしまった。大伯父の鯰尾藤四郎――ずおくんは、しょっちゅう嬉しそうに「雛罌粟は俺よりも小さいですねぇ」と頭をぐりぐり撫で回していたものだ。
 調査室時代の同僚だった肥前忠広――肥前くんにもよく頭を撫でられては、「おまえ、ちゃんとめし食ってんのか?」と真剣な顔でぼやかれた。食生活にはじゅうぶん気をつけていたつもりだけれど、どうやら肥前くんからすると危なっかしいほど貧相な体躯に見えていたらしい。
 肥前くんは特定のバディを持たないフリーの護衛官で、山姥切くんとかれを加えたスリーマンセルで任務に当たることがたまにあった。戦闘時における連携は抜群なのに、基本的に二口の相性は最悪で任務中は頭と胃が痛かったものだ……
 元気かなあ肥前くん、などとぼんやり考えていると、篭手切くんが身を屈めた。
 恭しく両手で捧げ持った妾の左手の甲にふわりとくちびるが触れる。続け様に指先にも。
 左手首の内側に刻まれた山姥切くんの刀紋がぢりッと痛んだ。
 思わず顔をしかめると、篭手切くんがパッと頭を上げた。
「すまない!」
「ああ……うん、だいじょうぶ。神気が反応しただけだと思うわ……たぶん」
 篭手切くんは眉宇を曇らせた。
「あなたの夫の悋気も、厄介だな」
「肝に銘じておくわ。篭手切くんは大丈夫だった?」
「平気だ。……主君への敬意を表したつもりとはいえ、人妻の肌にみだりに触れるのは確かによろしくないな」
 そっと左手が掛布の上に戻された。
 オパールグリーンの瞳が火あかりを吸いこみ、柔くあたたかな色彩を帯びる。篭手切くんは静かな所作で鞘に納まったままの脇差を縦に構えた。
「篭手切江の号にかけて、身命を賭してお仕え申し上げると誓約する。いつくしき花の、吾が君が散りゆくときまで」
 わずかに刀身を抜き、すぐに鞘へ戻して鍔を打ち鳴らす。金打という、堅い約束を結ぶ際に行う儀式だ。
 驚いていると、篭手切くんははにかみながら脇差を腰元に戻した。
「古臭いが、こちらのほうがしっくり来るな」
 少年は居住まいを正し、形のいい頭を深く下げた。
「どうか、私の誓いを受け取ってほしい。あなたの――篭手切江の、唯一の望みです」
 妾はそろりと息を吐き、篭手切くんへ左手を伸ばした。
 前髪に隠れた頬に指先で触れると、いくさ装束の肩がギュッと強張った。
「篭手切江様。審神者として、主として、あなたの誓願を確かに聞き届けました」
 いつか切国くんへ告げた言葉を、形を変えてなぞる。
 妾の刀になりたいという願いを、ともに在ろうという約束を、もう二度と取りこぼさないと心に決める。
「篭手切くんが妾という花の散り際を見届けてくれるのなら、妾は篭手切くんがきみの花を輝かせられるように力を尽くすよ。妾の刀になってよかったと思ってもらえるように、がんばるね」
 篭手切くんは面を伏せたまま、突っ張った両肩を震わせた。
 冷たい雫が指先を濡らす。少年は小さな小さな声で、「ありがとう」と呟いた。