冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
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レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート


 泥の底から浮かび上がるような感覚とともに意識が覚醒する。
 視界が薄暗い。細い枝葉が頭上に広がり、網目模様のような隙間から薄ら明るい空が見えた。
 妾は樹上で、幹に凭れかかり刀を抱えている姿勢を取っていた。
 いまは夜明け前だろうか。周囲の空気は冷たく湿り、藍灰色の靄がゆらゆらと波打ちながら木立を覆っている。
 冷気で肺を膨らませ、全神経を研ぎ澄ます。
 索敵網に引っかかる気配はない。近くに敵はいないようだ。
 両手で軋むほど刀を握りしめる。柄尻に額を寄せると、ほわりと身の裡から温かくなった。
 夢の中で言葉を交わしたばかりの彼女の気配を感じ取り、強張っていた口元がゆるむ。
 自分以外の存在がこんなにも心強い。この戦いはけして孤独なものではないのだと思うと気概が湧いてくる。
 ――必ず生き延びる。むざむざ折れてなどやるものか。
 マリアヴェールを被り直し、樹上から飛び降りる。
 陽が昇れば、あたりは合戦場と化す。時間遡行軍が動きはじめる前に身を隠せる別の場所へ移動しないと。
 そう、ここは時間遡行軍との戦いの最前線だ。
 西暦一一八九年(文治五年)、奥州・阿津賀志山。
 鎌倉時代初頭、幕府軍によって奥州藤原氏が滅ぼされたいくさの舞台だ。歴史の分水嶺、歴史修正主義者による歴史改変が常態化している重要時空観測点のひとつ。
 現在、妾は単騎で阿津賀志山に出陣している。練度は一桁、装備は一切なし。
 妾をこの時代へ送りだしたのは、もちろん『主』である玉葛だ。
 年賀のご機嫌伺いの直後、二の丸に戻ることも許されず阿津賀志山への初陣を命じられた。
 ――面妖なる刀、おまえの技量を見せてみよ。
 どす黒い憎悪と殺意を隠しもせず、雛罌粟わたしの顔をした女は冷え冷えと告げた。
 当然抗議しようとした山姥切くんは本丸の刀剣男士によって力ずくで抑えこまれ、喉元に白刃を突きつけられた。
 ――従わなければ、二の丸の刀どもを一口ずつ破壊する。まず手始めに、山姥切長義の首を刎ねてやる。
 笑ってしまいたくなるほど卑劣な脅迫だ。
 だが、玉葛の目は本気だった。妾が少しでも首を横に振れば、次の瞬間には山姥切くんの頭と胴体が永遠の別れを迎えることになっていただろう。
 奥歯が擦り潰れるほど食いしばり、妾は「拝命いたします」と頭を垂れた。
 血反吐を吐くような山姥切くんの呼び声が鼓膜にこびりついている。振り返ることもできないまま時空間転移装置ゲートまで引きずられ、過去の世界に放りだされた。
 これは出陣という名の処刑だ。
 妾の正体に勘づき、成り代わりが露呈しないよう口封じに走ったのだろう。
 いや……それにしてはあまりに短絡的だ。単純に妾の存在が気に食わなかったのかもしれない。
「挑発しすぎたわね」
 思い返すと、私もかなり頭に血が上っていた。もっと穏便に立ち回るべきだった。
 だが、気分は妙に晴れ晴れとしている。言霊とはいえひと太刀浴びせてやった爽快感は、刀剣の性質によるものだろうか。
 敵は知れた。あとは塵ひとつ残さず叩き潰し、滅ぼすだけだ。
 そのためには、まず無事に生還しなくなればならないのだけれど。
 なけなしの隠蔽能力を振り絞り、気配を殺して戦場を移動する。並行して索敵網を全開にする。
 敵に見つかる前に政府側の部隊を見つけて救助を求めるのだ。助けてもらった本丸から政府に通報すれば、歴史改変特異点調査室が動くに違いない。
 歴史改変特異点調査室は、元は名称どおり新たに歴史改変が確認された特異点の調査を行うために設立された部署だ。戦争の長期化に伴い、本来の目的以外の業務――通常の本丸では取り扱えない特殊任務の遂行や、取り締まり・摘発対象の本丸への潜入・制圧、政府内部の監査時における武力派遣など――も担うようになった。
 調査室の職員は大半が審神者の有資格者で、政府所属の刀剣とツーマンセルで行動する。いわば小回りが利く実働部隊であり、緊急性を要するケースには必ず介入する。
 政府から育成を任された試験運用中の刀剣をレベル違いの合戦場へ単騎出陣させるなど、審神者の資格停止処分を食らって本丸の緊急監査を強制執行されるような案件だ。更に二の丸部隊の不当な冷遇、見習いわたしの殺害が明らかになれば玉葛は相応の裁きを受けるだろう。
 二の丸部隊の仲間たちを、国広くんを、山姥切くんを助けられる。守ることができる。
 ――かれらの隣に、妾が在り続けられるかどうかはわからないけれど。
 樹々の影が際立ち、徐々に視界が明るくなってきた。山並から光の鏑矢が放たれ、過去の地平を白々と照らす。
 清々しい朝陽は、いまの妾にとって敵の前に姿を炙りだすサーチライトでしかない。削り取られていく影から影へと逃げこみながら、敵と味方の気配を探し続ける。
 うなじを寒気が走り抜けた。
 とっさに脚を止めて身をを伏せる。ふわりと翻るマリアヴェールの裾を鏃が切り裂き、近くの樹に矢が突き立った。
 続け様に射ちこまれた矢を鞘ごと刀で叩き落とした。矢羽根が空を切る追撃の気配に全力で地を蹴った。
 駆けながら横目で敵影を確認する。敵短刀が三口、後方から脇差二口と打刀一口が迫ってくる。
 噛んだ口唇から血が滲んだ。短刀だけならまだしも、脇差と打刀に追いつかれたら間違いないなく負ける。
 なんとか振りきらなければ――そんなことを考えていた端から、背中に矢が突き刺さった。
「ぐっ……!」
 どくりと血が染みだす感覚。腕を、脚を、頬を、鏃が掠めて葡萄の皮のように皮膚が弾ける。
 痛い。熱い。殺気を剥きだしにした敵に追い詰められる恐怖に、心臓がキリキリと引き絞られる。
 調査官として働いていたときだって、危険な現場なんて数えきれないくらい経験した。死にそうな思いをしたこともある。
 でも、隣にはいつも山姥切くんがいた。
 ――俺はきみのバディで、護衛官だからね。
 ふてぶてしくほほ笑んで、傷だらけになりながら妾を守ってくれた。敵に囲まれても揺らがない背中に、何度救われて励まされたかわからない。
 必死に走りながら、妾は泣いていた。泣きながら山姥切くんのことを想い、かれが好きなのだといまさら理解した。
 氷雪のように清冽で、桜花のように気高い、ひと振りの神様に恋をした。
 左の大腿部を矢が貫いた。激痛と衝撃のあまり地面に投げだされる。
 カチカチ、カチカチと肉薄する、敵短刀が骨のような外殻を打ち鳴らす威嚇音。
 左脚からの出血がひどい。血の気が下がって悪寒が走った。
 冷たく痺れた指先で土を掻く。奥歯が軋むほど食いしばり、跳ね起きると打刀を鞘から抜き放った。
 間合いを挟んで敵短刀と睨み合う。鬼火を纏った骨の異形は、錆まみれの刃を嘲笑うかのように威嚇音を響かせた。
 折るなどたやすい、嬲り殺し甲斐のある獲物だと思っているのだろう。追いついた敵脇差と敵打刀など、あからさまに下卑た笑みを浮かべている。
「お生憎様」
 妾の声に、威嚇音がぴたりと止んだ。
 右手で刀をかまえたまま、左手を左の大腿部に這わせる。溢れ続ける血をたっぷりとてのひらで掬い取った。
 審神者の言霊は時間遡行軍に対しても有効らしい。敵部隊は気圧されたように硬直している。
 あれら・・・もまた刀剣の付喪神なのだから、当然といえば当然だ。違いは審神者と歴史修正主義者、どちらに使役されているかということだけ。
 歴史修正主義者に与した時点で、あれらは滅ぼすべき敵だ。
 滅ぼされるのではない。妾が、滅ぼすのだ。
 口端がゆるゆると持ち上がる。鏡で確かめずとも、自分が山姥切くんのように笑っているのだとわかる。
 美しく高慢な、死神の顔で。
「妾の死はおまえたちではない。……そこを、退け」
 時間遡行軍が怒号を上げた。
 正面から突っこんできた敵短刀たちめがけ、左手を振り抜いて血飛沫を飛ばした。
 血液には高濃度の霊力が宿り、それ自体が強力な呪具となる。審神者の魂を宿した刀剣女士の器から流れでたものならば、なおさら――
 バタタッと敵短刀に血飛沫が降りかかる。妾は全身全霊で命じた。
「爆ぜろ!」
 血液から雛罌粟色の炎が迸り、敵短刀が甲高い音を上げて爆散した。
 敵脇差と敵打刀が動揺したように足踏みする。火に包まれたままの同胞の残骸に、敵脇差の片割れが上体を激しくわななかせた。
 妾は自分の刀身に血を塗りたくった。意識して霊力を流しこむと、赤い光がゆらゆらと波打つ。
「見てのとおり妾は赤鰯の鈍刀。だが、おまえたちを破壊することはできる」
 敵脇差の片割れがガシャガシャと外殻を打ち震わせて攻めこんできた。振り上げられた刃を打刀で受け止めると、体の芯が痺れたように目が眩む。
 まともに打ち合えばひとたまりもなく折れるだろう。赤錆びた刃を挟んで怒り狂う敵脇差を睥睨し、相手の刀身へと伝う血潮に命じた。
「灼き尽くせ」
 血液が沸騰し、雛罌粟色の炎が噴き上がった。敵脇差は火達磨になり、断末魔を上げて転げ回る。
「戦野は火の色。おまえも雛罌粟コクリコ、妾も雛罌粟コクリコ
 冷めた視線を残りの二口に向けると、警戒しきった様子でじりじりと後退する。
 ――そのまま立ち去れ。
 もはや気力だけで立っている状態だった。目の前が暗く翳り、敵の姿も朧げだ。
 いま踏みこまれたら、次の瞬間には首と胴がおさらばするだろう。早く、早くいなくなれと焦燥しながら念じていると、敵の後方から殺気を纏った影が飛びだした。
……っ!?」
 新手の敵兵かと身構えた瞬間、剣戟の音が立て続けに聞こえた。
 どうやら、敵の二口がだれかと交戦しているらしい。間を置かず敵脇差が、続けて敵打刀が苦鳴を上げて砕け散る。
「姥捨山!」
 ひどく切羽詰まった声で、山姥切くんが妾を呼んだ。
 ぐらりと崩れ落ちそうになった体を抱き止められる。不明瞭な視界で銀雪の髪が星屑のように瞬き、まぶしさに思わず目を閉じた。
「姥捨山? おい、しっかりしろ! 頼むから返事をしてくれ!」
 逞しい肩に凭れかかると、容赦なく頬をはたかれた。
「痛いよ……山姥切くん」
 息を呑む気配。苦しいほどの強さで抱きしめられる。
 引き絞ったようにかすかな声が、耳元で「雛罌粟」と呟いた。
 妾は山姥切くんの外套を握りこみ、小さく首肯した。
「山姥切! ――姥捨山ッ!?」
 複数の足音が駆けてくる。国広くんの泣きそうな声。
 南泉くんが山姥切くんを怒鳴りつけ、豊前くんが妾から引き剥がそうとしている。篭手切くんがだれかの指示に従いながら止血をはじめた。
「姥捨山正宗。僕の声が聞こえるかい?」
 嗚呼と、妾は呻いた。
 違えるはずもない。揺り籠のような大伯父の本丸で毎日聞いて育った、傅役の少年と同じ声を。
「僕は日向正宗。戦力補充という理由できみたちの本丸へ配属された、元政府所属の短刀だ」
 日向正宗の話によると、かれの配属は急遽決定したもので本丸側には通達されていなかったらしい。
 入城をめぐってこんのすけと押し問答しているところに二の丸部隊と遭遇し、妾と山姥切くんが入城したまま戻らず、それどころか「二口は審神者へ無礼を働き処断された。二の丸部隊は二の丸へ帰還し、謹慎を永続せよ」と一方的な通告を受けるという異常事態を知って即座に動いた。
「僕は審神者と正式に契約していないから、まだ政府権限による顕現状態なんだ。御上のご威光を借りてただちにきみたちを解放するよう迫ったら、隊長殿は不当に拘束され、きみは単騎で戦場に放りだされているときた」
 篭手切くんに指示を出しながら、日向正宗はてきぱきと応急処置を施す。
「隊長殿の拘束を解いて、僕と二の丸部隊できみの救助に来た。以上がおおまかな経緯だよ」
……わかったわ」
 山姥切くんの腕の中で頷いてみせると、日向正宗が吐息を震わせた。
「ひとまず本丸に戻ろう。審神者は渋るかもしれないけれど、一刻も早く手入をしてもらわないと」
「このまま政府に保護してもらうってわけにはいかねーのか?」
 豊前くんの問いに、日向正宗は厳しい口調で返した。
「ここは時間遡行軍との交戦区域だ。政府からの救援を待つにしても、本丸へ移動したほうがいい」
「のこのこ本丸に戻ったら、自棄になった審神者と本丸の連中に全員まとめて折られるかもしれねぇぞ」
 南泉くんの発言に沈黙が落ちた。
 山姥切くんがきつく妾の体を掻き抱く。血まみれの手を固く握りしめているのは国広くんだ。
 冷たい雨垂れがぱたぱたと頬を濡らす。これは国広くんの涙だろうか。それとも山姥切くん?
「二の丸、へ」
 声を振り絞ると、皆の視線がいっせいに突き刺さった。
「姥捨山……?」
「二の丸の、手入部屋に連れていって」
「いったいどうするつもりだ?」
 篭手切くんが気遣わしげに尋ねてくる。妾は腹を括り、国広くんの手を握り返した。
「二の丸にも、緊急時のために必要分の資源は貯蔵してあったはずよ。それを使って、妾が自分で手入をするわ」
「はあ!? 何言ってんにゃ、刀剣に審神者の真似事が――
「できるのよ、妾なら」
 くちびるを歪め、『わたし』は名告なのった。
「本来の妾は刀剣女士ではないの。審神者としての名は『雛罌粟』。玉葛の跡目を継いであなたたちの主になるはずだった……人間よ」