冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
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レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート


09


 手入で傷は癒えたものの、刀剣女士の身で審神者の能力を行使した副作用なのか全回復にはほど遠い状態だった。
 あれから急激な眠気に襲われ、昏倒したかのように意識がブラックアウトした。
 再び覚醒すると窓の外は真っ暗で、手入部屋の四隅には煤けた闇が溜まっていた。
 裸電球は点いておらず、サイドテーブルに置かれた硝子製のアルコールランプのあかりが枕辺を温かく照らしている。
 ベッドの左側では、山姥切くんが作業机から拝借した椅子に腰かけ、中空に開いた粒子モニターを注視していた。
 手元の粒子キーボードを使ってタイピングしているらしく、カタカタと文字を打ちこむ音に合わせて反転した画面が上方に流れていく。モニター越しに目が合うと、銀色の睫毛が光を弾いて瞬いた。
「目が覚めたのか。気分はどうだ?」
……すごくだるい」
 全身に泥のような倦怠感がまとわりつき、ずっしりと重い。山姥切くんのほうへ寝返りを打つのがようやっとだ。
「食欲は? 喫茶室の冷蔵庫に握り飯の残りが……固形物よりインスタントのスープやポタージュのほうがいいか?」
「ごめん、いまは無理かも。あ……でも、何か温かい飲み物……
「ちょっと待っていてくれ」
 山姥切くんは素早く立ち上がると、そのまま手入部屋から出ていった。
 体感として十分ほど経ったころだろうか。薄緑色に明滅する粒子モニターをぼんやり眺めていると、山姥切くんがカップを手に戻ってきた。
「生姜湯だが、飲むかい?」
……飲む」
 山姥切くんの手を借りて上体を起こし、湯気を立てているカップを受け止った。
「熱いから気をつけて」
 生姜独特の香気がふわりと鼻から抜ける。
 息を吹きかけながら生姜湯を舐めると、ほんのりと甘苦い味が染みるように広がった。
「おいしい……
「それはよかった」
 山姥切くんが口元にうっすら笑みを刷く。色に喩えるなら淡い桜色をした表情は、バディ時代の後年、ふたりっきりのオフィスや休憩室でかれが時折垣間見せていたものだ。
 真っ白な素手が伸びて、頬に落ちた髪を耳の後ろにかけ直す。ゆったりとした指先の仕草に痺れるような感覚を抱き、妾は目を泳がせた。
 生姜湯に負けず劣らず、山姥切くんが纏う空気はとろりと甘い。十代の青春を復讐に捧げ、仇を討ち果たしたあとも仕事に邁進しすぎて同僚から鉄の女呼ばわりされていた妾ですらあからさまに感じるほど、焦がれるような感情がだだ漏れだ。
 接吻を受けたてのひらと手首がちりちりと熱を発している。……そういえば、体の部位によってキスの意味が異なるとかなんとか。
 半ば現実逃避で思考を回転させる。
 てのひらは『懇願』、手首は……『欲望』。
 するりと指の背で頬の輪郭をなぞられ、思わず肩が跳ねた。
「きみに教わったとおり作ったんだよ。蜂蜜の代わりに和三盆を使うんだろう?」
 和三盆を使った生姜湯のレシピは、大伯父の初期刀だった歌仙さんから教えてもらった。
 風邪を引くと、お盆に並べた色とりどりの和三盆や落雁を差しだして「好きなものを選びなさい」と尋ねられる。ころころとして愛らしい干菓子たちは、歌仙さんがお茶会のために選び抜いたとっておきの高級品だった。「遠慮せず、何個でも取ってかまわないよ」いつになくやさしい笑顔で促され、ひとつふたつ干菓子をつまむ。
 歌仙さんはすり下ろした生姜を溶いた湯が入った小鍋を火鉢で温めながら、妾が選んだ干菓子をぽとんぽとんと落としていく。匙がくるくると小鍋を掻き混ぜ続けるうちに湯がとろみを帯び、仄甘い香りが部屋じゅうに立ちこめると、子どものころから愛用している花柄のマグカップに生姜湯が注がれる。
 火傷をしないようにと口うるさく念押ししながら、碧玉の瞳には慈しみに溢れていた。甘苦い生姜湯を飲み干すころには、小夜くんが「体を冷やすといけないから」と湯たんぽを抱えてやってくる。
 ぱたりと、涙がこぼれ落ちた。
「お捨」
「ご、ごめんね。なんだか急に昔のことを――御爺様の本丸のみんなを思いだしちゃって……
 慌てて目元を拭っても涙は止まらない。堰を切ったようにぽろぽろと溢れ、山姥切くんの手を濡らす。
「悲しいのではないの。ただ……山姥切くんが、憶えていてくれたことが嬉しかったの」
「俺が?」
「御爺様も本丸のみんなもいなくなって、肉体まで奪われて……それでも、きみが、妾の思い出を取りこぼさずにいてくれて、よかったって」
 疲労のせいで気持ちまで弱くなってしまったのだろうか。ふわふわともぐずぐずともつかない状態の思考を持て余していると、そっと両手からカップを引き抜かれた。
 山姥切くんの右手がサイドテーブルにカップを置いた。
 戻ってきた右手に顎を掬い取られ、濡れた視界に銀色の輝きが映りこんだと認識した瞬間には口づけられていた。
「んっ……ぅ」
 吐息といっしょに鼻にかかった声が洩れる。妾に噛みつくくちびるはひんやりとしているのに、ぬるつく粘膜は滾るように熱い。
 いやらしくうごめく舌がくちびるを割って押し入ってきた。舌先で口腔を掻き回され、愛撫され、上顎の裏側の筋や歯茎の凹凸まで丹念になぞられる。
 飲みこみきれない唾液が口の端から滴り落ち、息苦しさのあまり皺が寄るほど山姥切くんのシャツを握りこんだ。
……ふっ、は、ンむ!?」
 腰に力強く左腕が巻きつき、角度を変えてぐっと深く口を塞がれた。
 舌で舌を搦め捕られ、ぢゅっと水音を立てて吸われる。ぞくぞくするような熱が腰の付け根から背骨を這い上がり、思わず体が縮こまって先ほどとは別物の涙をこぼした。
 後頭部に右手が回る。体重をかけられた勢いでベッドに倒れこんだ。
 ギシッとパイプが軋む音が非現実的に響いた。
 さんざん口腔を貪られて酸欠気味になった頃合いでようやく山姥切くんの顔が離れた。乱れた銀髪が頬にかかる程度の距離だったが。
 涙目でほうっと青年を見上げていると、藍方石の双眸がほほ笑んで弧を描いた。くちびるから垂れた銀糸を艶めかしい赤い舌が舐め取り、ぷつりと断ち切る。
 山姥切くんが身を屈め、眦にくちびるを寄せる。目のふちに溜まった水滴を吸われ、われに返った。
「やっ、やまんばぎりくんッ?」
「ん?」
「い、いきなり、なにして」
「何って、口吸いをしただけだよ」
「くち……
「口づけ、接吻、キス。意味はどれも同じ」
 山姥切くんがふふっと笑う。
 雪膚がほんのり薄紅色に上気して壮絶に色っぽい。それでいて妾を見つめる瞳は腹を空かせた狼のようにぎらつき、凄みを帯びた雄々しさに満ちていた。
「きみがあんまりにもかわいらしいことを言うから」
「かっ……かわ?」
「もう金輪際、遠慮も我慢もするつもりはないんだよ。名の呪まで魂に刻ませておいて、いまさら俺の想いを拒むことなんて許さない」
 山姥切くんの右手が頬に触れた。親指が下くちびるを押さえ、ゆるりと撫ぜる。
「雛罌粟のころから、ずっときみが好きだ」
 ぎゅっと心臓を鷲掴まれるような、哀願じみた声だった。このひとの前から、妾は確かにいちど喪われてしまったのだと思い知った。
 胸が痛い。見開いた両目から止まっていた涙が再び溢れだす。
 山姥切くんの頬が歪む。後悔と、怒りと、屈辱と、それらを凌駕する喜びが綯い交ぜになった狂おしいような表情だった。
「きみは前途ある人の子だからと恰好つけて見送った。だが、もういちど俺の前に現れた。気付かぬうちにきみを奪われていた間抜けで莫迦な男を許して、魂を委ねて、俺が聞きたかった声で離すなと命じてきた。……なら、もう、きみの心を手に入れるしかないじゃないか」
「山姥切くん」
「本当に、好きなんだ。審神者としてのきみも、ひとりの女性としてのきみも、ぜんぶ欲しい。どんな姿になったって、刀になったって、きみがきみなら、俺は……
 両手で頬を包みこむと、山姥切くんの言葉が途切れた。きつく眉根を寄せて目を伏せ、妾の左手首へ口吻を滑らせる。
 二度目のキスを受けた箇所がぢりっと痛んだ。左手がびくりと震える。
 手首の内側に一瞬、山姥切長義の刀紋が浮かび上がり、吸いこまれるように消えた。
 頭がくらくらした。恋仲になった相手の刀紋を刻みこまれた審神者や刀剣を見かけたことがあるが、つまりこれはそういうことなのでは。
 普段は隠れているが、霊視すれば一発で識別できる。お手付き・・・・だから手出しは無用という、あからさまな牽制だ。
 顔が熱い。山姥切くんがちらりと薄目を開き、妾の反応を確かめて満足そうに笑った。
「怒らないのか?」
「キスまでしておいて訊くの……
「まだ返事を聞いていない」
 山姥切くんの眉尻が下がり、甘えるようなまなざしが訴えてくる。逃げ場はどこにもなかった。かれを前にして、逃げられるはずが。
「あのね」
「うん」
「わたしも、ずっと、たぶん、出会ったときから、山姥切くんが好きで。でも、恋とか、そんな余裕なくて」
「うん」
「復讐が終わっても言いだす勇気もなくて、ずるずるしているうちに配置転換になって、引き継ぎの話が持ち上がって……わたし、いつか、山姥切くんがわたしの本丸に来て、わたしの刀になってくれたらいいな、なんて都合のいいこと、考えていたんだよ」
「うん。……うん」
「わたし、妾ね、ずっと……ずっと、きみが、妾のものになってくれたらいいのにって、そんな浅ましいこと、思っているような女なのよ?」
 こつりと額が触れ合う。しゃくり上げる寸前の妾へ、山姥切くんはひたすら愛おしそうに笑いかけてきた。
「浅ましくて結構。俺は嬉しいよ。名実ともにきみのものになれて――わが主」
 どろどろに甘くて熱い呼びかけに身震いする。くちびるを重ねるだけのキスが何度も降り注ぎ、はふ、と息が洩れる。
「雛罌粟。姥捨山……お捨。ぜんぶ、俺が、貰い受けてもかまわないよな?」
「いいよ」
 熱に浮かされたような心地で、妾はこくりと頷いた。
 山姥切くんの首に両腕を回し、滑らかな頬に口づける。妾のすべてを欲する男神へ何もかも明け渡す、妾なりの返答であり求愛だった。
「妾のぜんぶ、貰ってくれるなら、最後にもうひとつ」
「え?」
「わたしの、人間としての、真名」
 息を呑んで山姥切くんが硬直する。
 審神者や政府機関の職員の真名は徹底して刀剣から秘匿される。妖物であり神霊であるかれらに知られれば、文字どおり身も魂にも掌中に囚われることになるからだ。
 真名の開示は、それこそ正式に婚姻を交わした相手でもなければ為されない。長らく政府に仕官してきた山姥切くんならば、いやというほどその重みを理解しているはずだ。
春妃はるき
 耳に息を吹きこむようにささやくと、玲瓏な白面がボボッと真っ赤になった。
 瑠璃色の瞳が激しく揺れている。山姥切くんは歯を食いしばって喉の奥で唸った。
「畜生、きみ、なんてことをしでかすんだ」
「これで正真正銘、山姥切くんにぜんぶあげられたと思うのだけれど」
「人間としての来世まで手放すつもりか?」
 付喪神に真名を握られてしまえば輪廻転生から外れてしまう。名の呪を刻まれ、真名まで捧げた妾の魂は、未来永劫かれのものだ。
 妾は苦笑した。
「姥捨山正宗になった時点で人間に生まれ変わる可能性は限りなく低いと思うわ。ただの鉄屑になる日まで更級ちゃんや国広くんたちといっしょにいて、そのあとは――山姥切くんの好きにしていいよ」
……本当に、きみは俺を振り回す天才だな」
 春妃と、教えたばかりの真名で呼ばれた。
 ぶるりと体が震える。馴染みの薄いその名が確かに自分のものだと思いだした。
 温かい雨のような銀髪が視界を覆う。
 まばゆさに目を閉じて、息もできないような深い口づけに溺れた。