冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
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レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート


 遠くから、幽霊が奏でるパイプオルガンの音色が聞こえてくる。
 シーツから漂う石鹸の匂いと、汗臭い男の香り。覆い被さってくる山姥切くんの頭髪やシャツの肩がアルコールランプの光にふちどられ、天井の暗がりに浮かび上がる。
 背中の下でベッドのパイプが小刻みに軋んでいる。息をつく間もないキスに耐えきれず口唇はどろどろに溶け崩け、すっかり腰砕けになって体に力が入らない。
「ふ、ン、あっ」
「は……春妃、春妃――
 山姥切くんに縋ることもできず、両手はがっちりとシーツに縫い留められていた。
 ベッドに乗り上げた山姥切くんによって掛布は撥ね飛ばされ、すらりとした長い脚が妾の両脚のあいだに差しこまれている。
 いまの妾は、いくさ装束のドレスシャツとフレアスカート、ガーターストッキングのみという恰好だ。太もものあいだに山姥切くんの膝が置かれているので、スカートの裾が盛大にまくれ上がっている。
 ――もしかしなくても、かなりあられもない様になっているのではないだろうか。
 いつの間にか移動した山姥切くんの右手がするりと左膝を撫でる。ストッキングの薄布を滑り、ガーターベルトのふちを硬い爪の先がツゥとなぞっていく。
 指の腹が素肌の部分に至り、蕩けていた両目を剥いた。自由を取り戻した左手で山姥切くんの肩を叩くと、不満そうに片眉を持ち上げて顔を離す。
「なんだ?」
「な、なんだって、どこ触っているのよ」
「きみの脚だね」
 問答しているあいだも左脚を撫で回す手は止まらず、かろうじてスカートの内側へ潜りこむような不埒な真似をしない範囲で好き放題に動いている。フェザータッチというか、手つきはやさしいのに醸される空気は逃げだしくなるほど官能的だ。
「あの、そろそろどいてくれないかしら」
「なぜ?」
「なっ、ん……なぜって、ホラ、山姥切くん事務作業の途中だったのではない?」
 まっすぐ凝視してくる藍方石の圧に屈して視線をうろつかせると、ベッドサイドに開かれたままの粒子モニターが目に留まった。
 引きつり気味の笑顔で指差す。「あぁ」山姥切くんは淡々とした一瞥を粒子モニターに投げた。
「日向正宗に頼まれて、これまで玉葛から受けた虐待行為についてまとめていたんだ。政府に通報するとき、資料としてすぐに提出できるように」
……かれは何者なの?」
 浮かれていた思考がスッと冷めた。
 政府から戦力補充の要員として本丸に派遣されたという短刀。妾たちを助けてくれたが、本当に味方なのだろうか?
 山姥切くんは青い目を眇めた。
「懐かしい俺たちの古巣が玉葛の不審を嗅ぎつけて送りこんできた斥候だよ。三角管理官や四葩よひら補佐官のことをよく知っていたし、調査室預かりの顕現証明を提示してくれた。玉葛に気取られないよう、内密に調査室が動いているらしい」
 かつての上司や先輩の名を出され、ドッと安堵がこみ上げる。思わず顔がくしゃくしゃになった。
「そう……そうなの。それなら、よかった」
 呟く声はわれながら弱々しく、掠れていた。
 ふわりとこめかみにキスされ、指を絡め合うように右手を握りこまれた。
「きみのことをずいぶん気にして……いや、案じている様子だったな。救出に無我夢中だったからはっきり聞きだせたわけではないが、以前からの知り合いのような口ぶりだった。心当たりはあるか?」
……ないわね。御爺様の本丸で傅役を務めてくれた日向くんのことを思いだしちゃうから、調査官として働くようになって『日向正宗』と深く関わることを避けていたもの」
「ああ――そうだったな」
 山姥切くんのくちびるが額、瞼、鼻梁、頬と、次々に触れていく。こそばゆさに首を竦めると、喉の奥で笑いながらくちびるを塞がれた。
 青年の右手が巧みに動き、左脚のガーターベルトの留め具をパチンと外した。
 長い指がストッキングの内側に滑りこむ。ひくんと腰が跳ねると、山姥切くんは愉しそうに下瞼を持ち上げてみせた。
「ちょ、まっ……んっ、うぅ、ば、ぎり、やまんばぎりくんっ」
「うん?」
「す、すとっきんぐ……!」
「脱ぎたくない? それはそれで煽情的でそそられるな」
「そういうことではなく……ン、ひゃッ」
 ドレスシャツの首元がゆるんでいたのをいいことに、喉笛に噛みつかれた。
 熱い舌が鎖骨まで這いずり、浮きでたくぼみに口づけられる。
「や、やまっ、山姥切くん、あの」
――俺としては、いますぐきみを抱きたいんだが」
 胸の上から、凍てつく冬空のように青ざめた瞳が凄んでくる。
 調査室で氷の男と揶揄されていたかれの内面は、渾名に反して灼熱の業火より烈しい。
 まなざしだけで他者を焼き殺せるなら、妾はすでに百遍死んでいる。
「真名まで渡しておいて、操をよこすつもりはないなんて言うなよ。俺が呼んで、きみは応えた。よばいは成立している」
 真名での呼びかけに応じることは、山姥切くんの求婚を受諾したという意味にほかならない。
 山姥切くんの右手が下腹部に押し当てられた。その下にある臓器を愛撫するかのように、殊更ゆっくりと撫でさする。
「きみは俺の主で、戦友で、同時に俺のつまだ。俺には夫として、きみの中に迎え入れられるべき権利がある。……頼むから、拒まないでくれ」
 居丈高な主張の、最後の最後で切ない声で懇願してくる。ずるいなあと思いつつ、妾は右手で山姥切くんの頬を撫でた。
「誤解しないでね。拒絶したいわけではなくて、その……いまは本調子ではないし、いろいろ起こりすぎて気持ちが追いつかなくて……
……うん」
「もう少し、待ってほしいの。その、ものすごくではなく、少しだけ」
 山姥切くんは瞬き、深々と息を吐いた。
 そのまま胸元に突っ伏して倒れこんでくる。むにゅりとふくらみ――完全に余談だが、結果として元の体よりも大きくなった――が押し潰される感覚に悲鳴を上げそうになった。
……やわらかい」
「た、たぶん刀剣女士も脂肪が詰まっているからだと思うよ!?」
「女性の胸に詰まっているのは愛とロマンだって聞いた」
「間違いなく神無かんなさんの発言だね……
 心当たりしかない元同僚の名前を挙げると、山姥切くんは小さく笑って「正解」と呟いた。
「俺は奥さんの意思を尊重したいから、今日はやめておくよ。この姿勢もいやならどくけれど……くっついていると、きみの心音が聞こえて安心するんだ」
「いや、な、わけではなくてですね……そのう、恥ずかしいだけです」
「ふふ、なんで急に敬語?」
「それはっ、山姥切くんが『奥さん』とか言うから!」
「だって本当のことだろ。妻、嫁、女房、奥さん。ぜんぶきみを表す言葉だ、遠慮なく使わせてもらう」
 山姥切くんの両腕が腰に巻きつき、ごろんと右向きに転がされた。
 向かい合って抱きつかれている恰好だ。妾からは銀色のつむじしか見えない。
 山姥切くんは妾の胸に顔を埋めたまま微動だにしない。だんだん羞恥よりも妙なかわいさを覚え、そろりと両手でかれの頭を抱き寄せた。
 後頭部を撫でていると、背中に回された腕に力がこもる。銀雪の髪から覗く耳の先が仄赤い。
……もう一生このままがいい」
「それは困るなあ」
「どうせなら尻も揉みたい」
「こちらは初心者だから、もう少し欲望をオブラートに包んでほしいなあ……
「新婚なんだぞ、浮かれたって仕方ないだろ。いつまた邪魔が入るかわからないのに」
「そういえば、国広くんは?」
 山姥切くんがもぞりと身動ぎ、ふてくされたような半眼を覗かせる。
「あいつもお眠・・のようだったから自室に追い返したよ。ほかの皆も別館で待機している」
「本丸側で、何か動きは?」
 妾の質問に、優秀な元相棒は一瞬でまなざしを研ぎ澄ませた。
「俺たちが二の丸に駆けこんだ時点で、本丸に通じる小径パスが途切れた。いや、時空間転移装置ごと二の丸を封じこまれたと言ったほうが正しいか? 外部との通信や行き来が完全にシャットアウトされたんだ」
「籠の鳥、それとも袋の鼠?」
「さて。いずれにせよ、生殺与奪の決定権はあちらが握っている状況には変わらない」
 本丸側が仕掛けてくるのが先か、調査室が切りこむのが先か。妾たちは事態が有利に動くよう祈ることしかできない。
 ……いいや。祈りはあらゆる手を尽くしたあと、最後の行為だ。
 思考を止めるな。考えろ。少しでも活路を広げるために何ができるのか。何をすべきか。
 復讐の道に進むことを決めてから、そうやって生きてきた。妾の死に場所はこんなところではない。為すべきことを為さぬまま斃れてたまるかと、何度も何度も自分を奮い立たせた。
 そして、仇を討ち果たした。今回も同じだ。屈辱を晴らす。肉体を奪還する。
 人間として生まれ落ちた体に戻ることはできないが、亡者の傀儡になんてさせてたまるか。妾の、二の丸部隊の、踏みにじられた尊厳を取り戻すのだ。
 する、と、頬を撫でられた。
 同じ目線の位置まで移動した山姥切くんは、左腕を枕にして至近距離から妾の顔を覗きこんでいた。
「なあに?」
「きみのつよさを改めて感じただけだよ。雑草根性というか、打たれても踏まれても最後には必ず立ち上がる底意地の強さは、不愉快だが偽物くんに似ているよな」
「ざっ……もうちょっと表現があるのではない?」
 ムッとして眉をひそめると、山姥切くんは淡くほほ笑んだ。
「きみが初期刀にあの子を選んだと知ったとき、『山姥切』なら俺でなくてもいいのかと腹立たしく思ってしまったことを謝るよ。きみの気質には山姥切国広がよく合っている。魂に通じるものがあるのかもしれないな。……あの子の本科として、元相棒の目利きの確かさを嬉しく思うよ」
……そういう台詞は、ぜひ国広くんの前で言ってあげてちょうだい」
「いやだね。それこそ修行を済ませて、堂々と俺の前に立ったら考えてやってもいい。あに様だなんて甘えてくるような青二才には、まだまだ早い」
「かわいいくせに」
「手塩にかけて育てた子だもの、それはそれはかわいいさ。かわいさが余って憎さも百倍だがね」
 山姥切くんは片頬を歪めた。育て親かつ本科の心中もなかなか複雑のようだ。
 なんとなく慰めたくなって身を寄せると、足元でくちゃくちゃになっていた掛布を肩まで引っ張り上げてくれた。
 掛布ごと体を抱き寄せた山姥切くんの手が、やさしく背中を撫でる。
「そばについているから、このまま寝てもかまわないよ」
 眉間に短いキスが落ちる。くすぐったさに目を閉じると、山姥切くんがクツリと喉を鳴らした。
 熱のこもった吐息が耳朶を掠めた刹那、コンコンと手入部屋の扉がノックされた。
 山姥切くんの空気が一瞬で張り詰める。微塵も隙のない声音で「だれだ?」と誰何した。
「日向正宗だ。入ってもかまわないかな?」
 妾は両目を見開いた。山姥切くんが視線で入室を許すか否か問うてくる。
 小さく頷いた。
「どうぞ」
 ひとまず身を起こそうとしたが、山姥切くんの右腕に阻まれた。
 シーツに押し戻されて慌てていると扉が開き、軽やかな靴音が衝立のむこうから近づいてくる。
「失礼するよ…………
 日向正宗の声が一瞬、不自然にぶれた。
 ちょうど少年に背中を向けている姿勢なので表情はわからないが、ベッドで寝ている(ように見える)妾に堂々と添い寝している山姥切くんに出迎えられたらギョッとするに違いない。
 恥ずかしさのあまり呻きたい衝動と戦っていると、日向正宗がふうと息を洩らした。
「きみたちは同衾する間柄なのかい? 救助のときも、真っ先に彼女へ駆け寄っていたね」
「いちばん大事なひとだよ、俺の」
 山姥切くんは揺るぎなく真摯な口調で答えた。
 日向正宗は再び沈黙し、苦笑いをこぼした。
「そっか。失礼を承知で訊くけれど、彼女の同意を得た上での関係だよね?」
「俺が女性に無体を働くような下郎に見えるか?」
……想いが強すぎて、いざとなれば迷わず現世から攫ってしまいそうには見えるかな」
 藍方石の瞳がちらと妾を一瞥し、薄く笑う。
「今生を終えたら俺の好きにしていいとは言質を貰っているよ。その信頼に報いるための努力は怠らないつもりだ」
 背中を抱く山姥切くんの手は力強い。かれの匂いに包まれて身を委ねると、日向正宗はやわらかな笑声を響かせた。
「そう。それならいいんだ。彼女が心から望んで選んだ相手なら、僕の出る幕はない」
……日向正宗。きみは彼女のなんなんだ?」
 靴音がすぐそばまで迫る。
 後方から影が差した。幼いころ、午睡から目覚めるとほほ笑ましそうに上から覗きこんできた傅役のまなざしがよみがえる。
 ――おはよう、雛罌粟。
「十年以上、ずっとそばにいた。主から預かった、大事な大事な宝物。僕にとって、この子はいつまでもいっとうかわいい『妹』なんだ」
 これは夢だろうか。
 息を詰まらせたまま動けない。後ろから伸びた少年の手が、さら……と卯の花色の髪を掬い取った。
「姿は変わってしまっても、声は確かにきみだった。もういちど、僕を呼んでくれないかな」
 山姥切くんの右手がそっと背中から離れる。それでいて励ますように、桜色のくちびるが仄笑んだ。
 のろのろと肩越しに振り返る。アルコールランプのあかりに照らされて、赤と黒のいくさ装束を纏った日向正宗――日向くんが佇んでいた。
 菫青日長石の瞳がわずかに揺れて、泣き笑いのような顔を見せる。長期遠征から帰ってきた昼下がりの続きのような、そんな穏やかさで。
「日向くん……?」
「おはよう――雛罌粟」