冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
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レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート

07


 ふと気がつくと、赤い花畑の只中に立っていた。
 野火のように真っ赤な花がどこまでもどこまでも咲いている。空は明るいのか暗いのかよくわからず、あかあかと染まった地平がいっそう鮮烈だ。

「主様」

 甘いハスキーボイスに呼ばれた。
 振り返ると、黒いヴェールをすっぽりと被った少女が花を掻き分けて歩いてくる。顔はヴェールに覆われているが、白く長い髪と赤と黒を基調にしたいくさ装束は見て取れた。
 わたしはひとつ瞬き、少女と向き直った。
……『姥捨山正宗』?」
 問いかけに、少女――『姥捨山正宗』は大きく首肯した。
「そうです。あたしは『姥捨山正宗』。ああ嬉しい。ようやく主様とお話しできた!」
『姥捨山正宗』は妾の両手――彼女と同じ肌の色、同じいくさ装束を纒っている――を取って、子どものように体を弾ませて喜んだ。
「妾の神格と器を明け渡すことで主様の魂を現世につなぎ留めておけるかどうか賭けだったけど、うまくいってよかった。もしも四十九日を過ぎていたら、主様の魂は常世に渡ってしまって間に合わなかったの」
 彼女の説明を聞いているうちに罪悪感がこみ上げてくる。
「いまの妾は……あなたの存在を乗っ取っているようなものよ」
「いいえ、いいえ。妾が妾のままだったら、まともに顕現なんてできなかった。主様の魂を核にして、なんとか刀剣女士の体裁を保っていられるの」
『姥捨山正宗』は物憂いため息を洩らし、力なくうなだれた。
「正宗の高名を面白可笑しく皮肉るためだけに作られた架空の刀、それが『姥捨山正宗』。だけど主様は、膨大な歴史の記録に埋もれて消えかけていた妾を見つけて立派な刀のかたちにしてくれた。妾を呼んで、錆まみれの刃を厭わず触れてくれたことが――本当に嬉しかったの」
 ぎゅうと手を握られる。『姥捨山正宗』は泣きそうな口調で続けた。
「本当は主様が死ぬ前に助けたかった。ほかの付喪神のように守ってあげたかった」
「そんな! あなたはじゅうぶん妾を助けてくれているわ」
 たまらず『姥捨山正宗』を抱きしめる。少女が息を呑み、こわごわと背中に両手が回った。
「本当にありがとう。あなたのおかげで、妾はもういちど戦える」
「主様……
「なんだか変な感じね。あなたも『姥捨山正宗』で、いまの妾も姥捨山正宗だから。なんて呼べばいい?」
『姥捨山正宗』の背中を撫でさすり、苦笑とともに首を傾げてみせた。
 彼女はおずおずと見えない口を開いた。
「あの、主様のお好きなように呼んでください。主様が呼んでくださる名前なら、どんなものでも嬉しいです」
「うーん、そう言われると困るわね」
 顎に指を添えて思案する。
 名前はこの世で最も短い呪だ。存在の有り様にも影響を及ぼすのだから、『姥捨山正宗』にそぐわぬ呼称は避けるべきである。
更級さらしな――というのはどうかしら」
 姥捨山の一帯は、古くは更級と呼ばれていた。かの有名な『更級日記』の由来も姥捨山を題材にした和歌にちなむ……と、学生時代の講義で習った覚えがある。
「姥捨山の別名は更級山ともいうそうよ。あなたの物語がはじまった土地の名をけして忘れないように」
『姥捨山正宗』は何も言わない。待ち焦がれているかのような沈黙に乞われるまま、くちびるに音を乗せる。
「更級ちゃん」
 風が吹いた。
 清く瑞々しい春風だ。さざ波が立つように雛罌粟の花々が揺れる。
 赤い花びらが舞い上がり、はらはらと妾たちに降り注ぐ。花びらは『姥捨山正宗』――更級ちゃんの体に触れる端から薄紅色に染まり、桜の花弁に変わっていく。
 黒いヴェールが滑り落ちた。
 更級ちゃんの顔を塗り潰していた、のっぺりとした闇が消えていた。滑らかな淡褐色の肌、真っ白な睫毛に煙るパパラチア・サファイアの双眸、艷やかな桜色の花唇。鏡合わせのように妾と同じ容貌の少女が眼前にいる。
 はたはたと長い睫毛を上下させ、更級ちゃんは息を吸いこんだ。おそるおそる両手で自分の頬に触れ、目を瞠る。
「これが妾の顔……?」
「そう、そうよ。妾が貰った、『姥捨山正宗あなた』本来の姿」
 更級ちゃんの両手に自分のそれを重ねると、彼女はせっかくの美貌(と言うと、自画自賛しているようで微妙な気持ちだ)をくしゃくしゃにして抱きついてきた。
「主様――主様、主様、主様!」
 泣きじゃくりながら何度もわたしを呼ぶいじらしさに胸が苦しくなった。
 更級ちゃんを掻き抱いて頷き返す。
「ここにいるわ、あなたの中に。妾の中にはあなたがいる。これからはずっといっしょよ」
「ずっと?」
「そうよ。ただの鉄屑になる日まで、ずうっと」
 各本丸に顕現した刀剣の付喪神は、本来の神格を勧請した分霊だ。
 刀解や刀剣破壊といった『死』を迎えた分霊は、本来の神格――根源たる本霊に還る。『姥捨山正宗』の分霊である更級ちゃんも、順当に考えれば本霊に吸収される。
 そのとき、妾の魂はどうなるのだろうか。
 更級ちゃんの神格を譲り受けた時点で『姥捨山正宗』の一部と認識される? それとも異物として抹消される?
 どちらにしろ、妾という人格はきれいさっぱり消え去るはずだ。
 付喪神に来世はない。本霊に還った分霊は純粋な霊力まで濾過されてしまうので、同一の記憶と人格を保持したまま新たな分霊として顕現したケースはほとんど報告されていない。
 与えられた命はいちどきり。更級ちゃんのおかげで、妾は延長戦のチャンスを得た。
 ――絶対に負けてたまるか。
 妾の決意に染まったように、雛罌粟の花は赫々と燃えていた。