冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
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レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート


08


 昔の夢を見た。
 大伯父の本丸で暮らしはじめて間もないころの夢だ。当時の妾は五歳になったばかりで、来る日も来る日も現世の家族を恋しがっては泣いていた。
 血縁とはいえ面識のなかった高齢の老人と、見るからに人外の美青年や美少年で構成された男所帯に放りこまれたのだ。しかも最前線の現役本丸、否応なしに血腥い場面に遭遇する。
 平和な一般家庭で生まれ育った幼い少女にとって、本丸はおそろしい鬼の棲家だった。
 大伯父の細君はすでに亡く、本丸には刀剣女士は一口もいなかった。女手があればもっと早く本丸に馴染めたかもしれんなあと、大伯父は後年まで申し訳なさそうにこぼしていた。
『鬼』に見つからないように隠れては声を殺して泣いていた。だが決まって、泣き疲れてうとうとしはじめると『鬼』がそっと声をかけてきた。
 たいていは日向くんや小夜くんを筆頭とする短刀、もしくは面倒見のいいお兄ちゃん揃いの脇差だった。打刀以上の大きな刀剣は妾を怖がらせまいと遠慮して、隠れている妾を見つけるとわざわざ小さ刀を呼んできていたらしい。
 だが、その日はたまたま短刀も脇差も任務で出払っていた。妾を見つけた『鬼』はほとほと困り果て、逡巡の末に妾が隠れていた納戸の引き戸をそろそろと開けた。
 荷物と壁の隙間に膝を抱えてうずくまっていた妾は眠気がピークに達し、泣き腫らした瞼がいまにも落っこちそうだった。指一本ぶんの光が差しこみ、低い青年の声が「おい」と呼びかけてもぐらつく頭を傾げてみせる反応で精いっぱいだった。
 青年が呆れまじりにため息をついた。鳥の子色の光を背負った、襤褸布を被った人影が納戸の中に入ってくる。
……、雛罌粟」
 噛みしめるように通称を口にした青年は、妾の前で膝を折ると両手を差しのべた。
「もうすぐ日が暮れる。こんな暗くて寒い場所で居眠りしたら、風邪を引くぞ。寝所まで運んでやるから、こっちへ来い」
 その声はとても不器用で、とてもやさしかった。 
 妾はしょぼつく両目をこすり、隙間から這いだして自分から青年の腕の中に潜りこんだ。素直に身を委ねると青年はかすかに息を呑み、壊れやすい玻璃ガラス細工でも扱うかのように慎重に妾を抱き上げた。
 納戸を出ると、青年の言うとおり長い縁側は茜色に染まった。
 ゆらゆらと揺れる視界で、硝子戸から斜めに射しこむ夕陽に金糸の髪がきらきらと光の粒をこぼしていた。
 これが妾と大伯父の山姥切国広――切国くんのファーストコンタクトだった。
 切国くんの呼称は、舌足らずな口で「山姥切」と正確に発音するのは難しく、国広というと先に仲良くなっていた堀川国広――川国くんの印象が強かったために落ち着いた妥協案だ。当の切国くんは満更でもなかったらしく、呼べば照れ臭そうに襤褸布で顔を隠しながらも「なんだ?」と律儀に返事をしてくれた。
 大伯父の刀剣で、切国くんは妾と積極的に関わろうとする部類には入らなかった。常に一定の距離を取り、遠くから見守ってくれているお兄さん――そんなひと
 妾が思春期を迎えると、切国くんはますます遠ざかった。「おはよう」とか「おやすみ」とか、些細な挨拶を交わす程度の仲になった。
 最後に言葉を交わしたのは、寄宿舎に入るために本丸を離れる前日だった。
 いつかかれに抱っこされて寝所まで運ばれた縁側に座り、ぼんやりと春の夕焼けに見惚れていた。
「雛罌粟」
 振り返ると、あいかわらず襤褸布を被った切国くんが立っていた。
「少し、いいか」
 不思議に思いながら頷くと、切国くんは少しあいだを空けて妾の隣に腰を下ろした。
 妾も切国くんも、夕焼けの下で茜色に染まっていた。襤褸布から覗く金糸の髪が幼い日の記憶と同じように燦めき、きれいだなと思った。口にはしなかったけれど。
「あんたが学舎から帰ってきたら、主は隠居して跡目を譲ると聞いた」
「ああ……うん。しばらくは見習いという形で御爺様おじじさまの補佐止まりだけれど、譲渡の手続きが諸々済んだら……正式に本丸を引き継ぐよ」
「あんたが俺の次の主になる。ということだな?」
 妾が「うん」と頷くと、切国くんは翠玉髄の双眸を細めた。
「なら、ひとつ頼みがある」
「頼み?」
「主になったら、俺を修行へ行かせてくれ」
 妾は目を瞠った。
「打刀の極制度なら、わたしが帰ってくる前にはじまると思うよ? 切国くんの練度ならすぐに修行へ出られるでしょう?」
「俺が、雛罌粟の帰りを待ちたいんだ」
 切国くんがゆっくりと茜空を振り仰ぐ。自分の中の想いを丁寧に解きほぐし、金平糖をひと粒ずつ差しだすように青年は語った。
「いまの主の下で極めたら、おそらく俺は永遠に主の山姥切国広のままだ。あんたが跡目を継いで『主』と呼ぶようになっても……あんたの山姥切国広になりきれないまま、未練と後悔を抱えて生きていくだろうな」
「そんな――
「ほかのやつらは、きっとうまく折り合いをつけられるんだろう。だが、俺はできる自信がない。下手をしたら主を追いかけて殉死するぞ、勝手に」
 ぎょっとする妾に、切国くんはあえかな笑みを滲ませた。
「くだらない感傷であんたを煩わせたくない。あんたが主になったら、心からあんたのために戦いたい。あんたの山姥切国広になるために……どうか、許してほしい」
 妾に向き直った切国くんは襤褸布を脱ぎ、深々と頭を下げた。
 呆然と金色のつむじを見下ろしていた妾は唾を飲みこみ、居住まいを正した。
「山姥切国広様。審神者になる者として、御身の誓願を確かに聞き届けました」
 切国くんの肩が揺れた。
「いつか、あなたがわたしの刀になったら。わたしのためにもっと強くなってください。わたしの帰りを待つあなたや、本丸のみんなのために、わたしもしっかり励んでくるから」
――ああ」
 ゆるりと面を上げた切国くんは、少年のように笑って頷いた。
「約束する。必ず、あんたが誇れるような刀になるよ」
 切国くんの笑顔が静止画のように凍りついた。
 過去のリフレインが中断し、世界が暗転する。急速に意識が浮上し、薄赤い闇がぼんやりと広がる。
 ……だれかが右手を握っている。
 重い瞼を押し上げると、視界は水彩のような橙色にぼやけていた。
 暗褐色の木材を組み合わせた低い天井。古風な裸電球と、乾燥させた種々の薬草の束がオブジェのように吊り下げられている。
 妾は視線をめぐらせた。
 漆喰の壁、硝子壜が並んだ木製の薬品棚。夕陽に照らされた窓辺、木製の作業机と椅子。
 部屋の中央には簡素なパイプベッドが三台並び、妾は衝立で仕切られた奥のベッドに寝かされていた。
 古めかしい診察室のような室内には見覚えがあった。二の丸の本館にある手入部屋だ。
 ほうと息を吐きだし、妾の手を両手で握ったまま俯いている青年に視線を向ける。
 いつも被っている襤褸布が脱げ、まばゆい金糸の髪が夕陽に燦めいていた。まるで夢の続きのような光景に切ない痛みを覚える。
「国広くん」
 武装を解いた両手が震えた。
 切国くんと同じ、けれどもっと幼い光を宿した翠玉髄の瞳が揺らいでいる。はくりとくちびるを波打たせ、国広くんは声を詰まらせながら呼んだ。
――、あるじ?」
 無性に泣きたくなり、妾はごまかすようにいびつな笑みを取り繕った。
「うん……そうだよ。ごめんね、ずっと黙っていて。結果的に騙すようなことになっちゃった」
 国広くんの喉が引きつった音を立てる。
 翠緑の瞳が涙の海に没し、あっという間に決壊した。
「な――んで、あんたが謝るんだ。俺が、俺が! 初期刀なのに、不甲斐なくて、情けなくて……主をむざむざ死なせて、偽物をあんただと信じこんで……ッ」
「違う。違うよ、国広くん。きみは悪くない。何も悪くない。悪いのは玉葛で……隙を見せた妾よ」
 打ち震える青年の両手に左手を重ねに額を寄せた。
「ごめんね。つらい、苦しい思いをさせて。理不尽な目に遭って……それでもわたしをあきらめないでいてくれて、見放さないでいてくれて……ありがとう」
 国広くんが嗚咽を洩らし、妾の枕辺に突っ伏した。
 子どものように泣きじゃくる初期刀の頭を撫でていると、ガチャリとドアノブが回される音が聞こえた。
 衝立のむこうから足音が近づいてくる。駆けだしたい衝動を必死に堪えているかのような歩調。
 斜陽を浴びて、銀雪の髪に光線が走った。いくさ装束の外套と武具を外した姿の山姥切くんは、目が合うとやつれた美貌をくしゃくしゃに歪ませた。
「とんだ悪夢だ」
 いつもは撫でつけている前髪が乱れて、いつも以上に国広くんそっくりだ。
 藍方石の両目は赤らんでいて、ああ、かれも泣かせてしまったのかと申し訳なく感じた。
「なんでだよ。どうして……きみが、こんな……!」
「運が悪かっただけよ……たぶん、ね」
 妾は苦笑し、まだ力の入らない体を苦労して起こした。
「でも、『姥捨山正宗』のおかげで現世に踏みとどまることができた。運は悪いけれど、刀には恵まれたわ」
「ハッ! きみがすり替わっていることに気づきもしなかった初期刀と元バディを前に、皮肉か?」
「まさか別人が肉体を奪って成り代わるなんて思いつかないわよ、普通は。玉葛は最低限の接触だけできみたちを遠ざけていたんだから、気づく機会なんてゼロに等しいわ」
 それに……と、白状する。
「妾も、隊長くんが山姥切くんで初期刀くんが国広くんだって、ひと目でわからなかったのだからおあいこよ。情けないないわ……審神者として」
 山姥切くんは口を引き結び、国広くんがいる右側と反対の左側に回りこんだ。
 かれがベッドの端に腰かけると音を立てて軋んだ。国広くんのすすり泣きはか細くなっている。
「雛罌粟」
「何かしら」
「俺は、きみをなんて呼べばいいのかな。雛罌粟なのか、姥捨山なのか」
 背中を向けたまま尋ねてくる山姥切くんに、妾は目を伏せた。
「どちらも妾よ。手入の前に話したとおり、いまの妾は『雛罌粟』の魂を核とした『姥捨山正宗』の神格と、それに伴う肉体で構成されている。妾の記憶と人格のベースは『雛罌粟』だけれど……『姥捨山正宗』の影響で、変容している側面もあるわ」
「雛罌粟でもあり姥捨山正宗でもある、か?」
「ええ。ただ、本来の『姥捨山正宗』――更級ちゃんと妾は別人格だから、ひとつの肉体にふたつの人格が同居している状態とも考えられるわね。更級ちゃんの意識はほとんど眠っているから、妾が主人格になるのかしら」
 手入を経て、傷ひとつない状態に復元された左手を見つめる。
 本当に妾は人間ではなくなったのだと、寂しく実感した。
「彼女は迷わず妾を『主様』と呼んでくれた。嬉しかったわ。妾はまだ、審神者でいてもいいんだって思えたから――
 横から白皙の手が伸びて、淡褐色の妾の手を掴んだ。
 逃さないとばかりに、痛みを覚えるほど握りしめられる。俯けていた視線を上げると、白熱する激情を湛えた瞳に射抜かれた。
「どの名で呼べば、俺はもう二度ときみを失わずに済む?」
……どれでもかまわないわ。山姥切くんが呼びやすい名前で」
「そうじゃない。俺が欲しいのは、きみを確実につなぎとめておける名の呪だ」
 名前とは呪いであり、祈りであり、誓約だ。
 斯くあれと存在の有り様を縛める楔は、時に痛みを、時に救いを齎す。山姥切くんほどその両方を知る刀はいまい。
 妾はかれの手を握り返した。
「やっぱり、山姥切くんが決めて。山姥切くんが考えて口にしたほうが、より強い呪となって魂に結びつくから」
 山姥切くんは柳眉の谷間に深い皺を寄せた。
 美人は怒っている顔も美人だというが、山姥切くんも例に漏れず不機嫌なしかめっ面すら秀麗だ。
「おすて
 妾は息を呑んだ。
往年むかしは、子の健康や家の繁栄を願って『捨』や『ひろい』と名付けて捨てた子を再び拾うという風習があっただろう? 験担ぎにあやかって、きみが何度でも命を拾って帰ってくるように」
 青いまなざしが翳り、銀細工のような睫毛に覆われる。形のいいくちびるが左のてのひらに触れ、次いで手首の内側に落ちた。
 ぽかんとしたまま凝視していると、山姥切くんが意地の悪い笑みを覗かせた。
「知っているかい? お捨には『手に負えない女』という意味もあるんだ」
「なっ……何よ、それ」
「きみのようなお跳ね・・・にはぴったりだろう」
 左手を捕らわれたまま、にこやかな表情で凄まれる。不穏な気配に警戒していると、右手をぐいと引かれた。
二口ふたりとも、俺の存在を忘れていないか」
 ふてくされた国広くんが腫れぼったい半眼をすっかり据わらせていた。