冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-09-02 02:14:15
95389文字
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レプリカント・ティアーズ

※創作刀剣女士ネタ
※山姥切長義ルート


10


 何度も何度も夢に見た。
 懐かしい本丸にただいまと帰る夢。門前で掃き掃除をしていた江雪さんと小夜くんが目を丸くして、それからそっと表情を和らげておかえりなさいと言ってくれる。小夜くんに手を引かれて屋敷に向かうと、縁側では大伯父と大般若さんが仲良く並んで一服している。主従それぞれからくしゃくしゃと頭を撫で回され、あとで土産話をたっぷり聞かせるよう約束する。屋敷に上がるとあちこちの部屋から声がかかり、審神者執務室から顔を覗かせた博多くんがよう帰ってきんしゃったね! とおひさまみたいに笑う。またあとで手を振っていったん別れ、途中ですれ違った切国くんがぶっきらぼうな声で元気そうで何よりだと呟く。白布を被った背中を見送って厨房のほうへ進むと、深みのある出汁の香りが漂ってくる。時代がかった珠暖簾をくぐって厨房を覗くと、お玉で鍋を掻き混ぜている歌仙さんが振り向いて大ぶりの牡丹のような満面の笑みを咲かせる。よく帰ってきたね、待っていたよという言葉に頷いてると、作業台で漬物を切っていた日向くんが慌てた様子で手を洗ってから駆け寄ってくる。きらきらと美しい菫青日長石の瞳をいっそう燦めかせ、頬を紅潮させて笑み崩れる。
 ――おかえり、雛罌粟。
 夢は、そこでおしまい。
 ただいまと応えることは許されず、伸ばした手で虚空を掻くばかりの孤独な妾が非情な現実に取り残される。
 何度も何度も何度も何度も絶望し、慟哭した。帰れないわが家を、会えない家族を思いだしては、声が嗄れるまで名を呼んで泣き叫んだ。
 あんな思いは、もうたくさんだ。
 日向くんを目の前にして妾が取った行動は手入部屋からの逃走だった。
 日向くんの脇をすり抜け、ベッドから飛び降りようと試みる。すぐさま山姥切くんに後ろから抱きこまれて敢えなく失敗した。
「こら、病み上がりで何をしようとしているんだ」
「は――離して!」
 じたばたもがいていると、ほっそりとした少年の両手に頬を包みこまれた。
 菫青日長石の双眸がひたと見つめてくる。揺るぎなく、容赦の一切ないまなざしに力が抜けた。
「雛罌粟」
 嗚呼――日向くんの声だ。
 夢ではなく、目の前にいるかれは現実の存在なのだと鼓膜と心が打ち震える。
 脱力した体を山姥切くんがしっかりと抱え直してくれた。細かく震えている両手を日向くんに取られると、叱責をおそれる子どものように肩が跳ね上がった。
 星屑を閉じこめたブルーヴァイオレットの瞳がほろりと苦笑する。
 妾の顔を下から覗きこむように膝を折った日向くんは、記憶の中と変わらない、妾よりも小さくなった両手に力を込めた。
「ごめんね。とても驚かせて、混乱させてしまっていると思う。いまが無理なら、時間を置いて落ち着いてからでもいいんだ。どうか……僕と、話をしてくれないかな」
 本丸へ迎え入れられた日、大伯父の後ろに隠れて縮こまっていた妾の前に片膝を折り、大伯父の袖越しにそっと覗きこんできた少年の笑みがよみがえる。
 ――僕は日向正宗、栄えあるあなたの守り刀の御役目を仰せつかった、刀剣男士だよ。
 ――少しずつでいいんだ。僕と、僕らと仲良くなってくれたらとても嬉しい。みんな、僕らの未来の主に会える日を楽しみに待っていたんだよ。
 あの日、生まれてはじめて『神様』を目にした。
 まばゆいほどの美しさに本能的な畏怖を抱くと同時に、幼子と目線を合わせるため土に汚れるのも厭わず膝をつくやさしさに心打たれた。
 日向くんの手を握り返すと、磁器人形ビスクドールを思わせる薄桃色のくちびるがハッと息を呑んだ。
「ひゅうがくん」
…………うん」
「政府の報告書で、日向くんを含む白刃隊の何振りか刀剣破壊寸前で救援部隊に保護されたっていうことは知っていたの。でも、みんな損傷がひどくて……顕現解除の上で手入を施さなければならなかったって」
 顕現解除とはすなわち、付喪神の受肉を解き、分霊を本霊へとお還しする御霊還しの儀を意味する。刀解と異なり依代である刀剣は残るが、そこに宿っていた分霊の記憶や人格はリセットされる――新たに勧請された分霊の多くは、まったくの別個体だ。
 生き残った大伯父の刀剣も顕現解除後に手入を受けて修復に成功したが、再び顕現した分霊は以前の記憶をすべて失っていた。練度も初の一に初期化され、まっさらな別個体の刀剣男士になった日向くんたちを大伯父の後継として相続するか否か問われた妾は、相続権を放棄しかれらの保護を政府に依頼した。
「別刃になっちゃった日向くんたちと向き合う勇気がなかったの。妾が知っている日向くんたちが消えてしまったのなら、まったく別の場所で新しい刃生を歩んでほしかった。思い出も、みんなの無念も、ぜんぶ妾が憶えているから――だから、ひとりで、みんなの仇を討とうって決めたの」
……うん」
「みんなが、白刃隊がね、御爺様を守るためにどんなに死に物狂いで戦って折れていったのか、ぜんぶ、三角室長が調べて教えてくれたの。隠しゲートまで御爺様を送り届けて、その前で、最後まで残っていた日向くんたちがずたぼろになりながら戦い続けたって」
「僕と大般若、日本号、鯰尾……それから、切国だ。大般若と、切国の……折れる音を、憶えているよ」
 うなだれた日向くんは弱々しく呟いた。
 妾は固く瞼を閉ざして頷いた。
「救援部隊が駆けつけたとき、大般若さんと切国くんは粉々に砕けた破片だけの状態だったそうよ。日向くんと号おじさん、ずおくんの三口はかろうじて虫の息だった……て」
――切国が、ね。『おまえは雛罌粟の守り刀なんだから、あの子のために必ず逃げ延びろ』って言ったんだよ」
 両目を瞠って日向くんのつむじを凝視する。
「切国だけじゃない。日本号も鯰尾も、大般若も、僕を庇いながら戦ったんだ。僕まで折れたら雛罌粟が悲しむ、きみを守る刀がいなくなってしまう、そんなのはだめだって……
「日向、くん」
「二度目の顕現で記憶を失ってから、何か大事なことを忘れてしまっている気がしてならなかった。どこかの本丸に配属される話もあったけれど、そんな気にもなれなくて……自分の身の上を知って、単純にきみに興味が湧いたんだ。『自分の主になるはずだった人間は、どんな子なのかな』って」
 日向くんは重たげに頭を持ち上げ、笑おうとして失敗したようにくしゃりと顔を歪めた。
「そんなとき、歴史改変特異点調査室に勧誘されたんだ。きみとの接点を持たないよう、三角管理官直属の調査員隠密になった。ほとんど単独行動だったから、きみと山姥切以外の調査官や護衛官も知らないはずだよ」
 日向くんの存在を隠し続けていたのは三角室長なりの配慮だろう。日向くんの記憶が失われたままだったら、きっと最後まで妾へ明かさずにいたに違いない。
「記憶は――いつ、取り戻したの?」
……三角管理官からきみの様子を教えてもらって、徐々に、昔のことから思いだすようになっていったんだ。記憶が完全に戻ったのは、きみが、僕らの仇を討ち果たしたと知ったとき」
 ぎゅう、と日向くんの指先が両手に食いこむ。いくさ装束の肩を震わせ、少年は息を洩らした。
「気が狂いそうだった。仲間を犠牲にして生き延びたのに、主はすでに亡くなっていて、きみをひとりぼっちにして復讐の人生を背負わせてしまった。不甲斐なくて、苦しくて、自刃して主と仲間たちに詫びようと思ったよ」
 自刃という言葉に血の気が下がる。日向くんは眉尻を垂らして苦笑した。
「三角管理官に『くだらない感傷でおまえに使った資源にするな』って一喝されたよ。『なんのために生き延びた。雛罌粟は自分の意志で戦場に留まっているのに、守り刀が勝手に退場するつもりなのか』――ってね」
 睫毛の下に隠れていたブルーヴァイオレットのまなざしが妾を射抜く。妾の手を両手で丁寧に包み直した。
「きみがいち調査官として働き続けるのなら会わないまま、これまでどおり陰から助けようと思った。もしも普通の審神者として本丸を持つことを選んだら……僕をきみの刀にしてほしいって、正面から会いにいくつもりだった」
「だから、二の丸へ来てくれたの?」
 日向くんはしららかな眉間にぐっと皺を刻み、怒りと悲しみがないまぜになったような表情を浮かべた。
「いまは後悔している。もっと早くきみの前に姿を見せるべきだった。あんな本丸へ行く必要なんかないって、過去へ飛んできみを引き留めたい」
「日向くん!」
 過去の改変を望むと捉えかねない発言に、思わず批難めいた声が出た。
 日向くんはばつが悪そうに目を伏せ、「ごめん」とこぼした。
「過去はやり直せない。歴史の改竄は因果律を狂わせて、ねじれた未来の先で別の悲劇が生む。……わかっているんだ、頭では」
 妾は首を横に振り、日向くんの手を額に押し戴いた。
「日向くんのせいでもだれのせいでもない。妾の仇は、玉葛よ」
「雛罌粟……
「それに――それにね。妾、ひとりぼっちじゃなかったよ。会えなかったけれど、見えないところでずっと助けてくれていたんでしょう? 山姥切くんも、調査室の仲間も、更級ちゃんも、二の丸に来てからは国広くんたちもいてくれた。日向くんやみんながあきらめずに手を差しのべ続けてくれたから、妾、ここまでたどり着けたのよ?」
 山姥切くんの手が背中を撫でさする。妾は洟をすすり、日向くんに向き直った。
「御爺様を守ってくれてありがとう。日向くんたちのおかげで最期までそばにいてあげられた。知っている? 本丸を襲撃された審神者の六割以上は生死不明で、遺体が発見されなくても規定の期間を過ぎたら戦死と見なされて遺族に死亡通知が出されるの。何人も何人も、現世へ送られる空っぽの骨壺を見てきたわ。でも御爺様はちゃんとお葬式を挙げて、お墓に骨を納めることができた。これって、とてもすごいことなのよ?」
 感謝を告げた瞬間、日向くんは両目を見開いて息を呑んだ。
 堪えきれなくなった涙が溢れて視界が歪む。縋るように日向くんの手を握りしめた。
「日向くんたちは立派に主君を守り抜いて、妾や家族の許へ帰してくれた。本当に、本当にありがとう。妾に会いに来てくれて、ありがとう」
 嘘偽りのない、心からの言葉だった。
 妾の両手に残されたものはあまりに少ない。それでも、本丸最後の日、血と炎の中で懸命に未来へとつないでくれたひとがいたから。
 なんて尊く輝かしい、妾の誇り。
「おかえりなさい、日向くん」
 日向くんの肩がわななく。端整な面を人間の男の子のようにぐしゃぐしゃにして妾の膝に突っ伏した。
 声を上げて泣きじゃくる日向くんをはじめて見た。つられて妾も嗚咽を洩らし、華奢な体を抱きしめる。
 ――嗚呼、夢ではない。
 その事実がただただ嬉しくて、妾は日向くんといっしょに泣き続けた。