河童の皿箱
2025-04-02 09:56:44
34188文字
Public 遊戯王:長め
 

幸せを探しに

ワゴンとフゥリが密会する話
捏造設定多数



 その日、櫓には陽光が降臨した。神に捧げられた少女の体は大人びて、髪も伸びた。その身体の急成長は、神のためか、それとも妖のためなのか。けれど、それを見上げる男は無意識のうちに理解してしまった。あぁ、彼女はもう、どこにもいないのだ、と。
 実体を持った狐の耳と、狐の尾。白無垢を纏い、狐の嫁に入る。神を閉じ込める器として、彼女は産まれ、そして育てられ、磨き上げられてきた。神の目に他の子らが留まらぬようにと、忌々しい小細工までして。そして、彼女はその務めを立派に立派に、果たした。オオヒメに選ばれ、その身に神を降ろし、現人神として顕現した。
 狐の嫁は、現人神は、中空に踊り、そしてすいと手を挙げた。あたたかな春の陽に、はたはたと静かに、静かに、雨水をもたらす。広き山里にあまねく光と、水の恵みが降り注ぐ。人々は歓喜の声を上げる。これで、田畑の実りは約束された。男の耳が特段大きな歓声を拾い上げ、泣きじゃくる能楽師を抱き寄せては、その小さな耳を押さえた。

 よくやったわ、フゥリ。
 頑張ったな、フゥリ。
 これで、私たちの一族は未来永劫の繁栄を約束された。
 お前は尊いことをやったんだぞ、フゥリ。

 「……帰るか、セアミン」。男は震える声を抑えて、能楽師に視線を合わせては幼子が頷くのを待った。喜びと祝福と、降り注ぐ神の恩恵にじっとりと身を濡らし、ふたりは階段を降りた。



 御剣の里も、御鏡の里も、御珠と違ってオオヒメに選ばれなかったとしても、やはりオオヒメの降臨は祝うべきことなのだろう。日が沈む頃には、御剣と御鏡の里を巻き込んでのどんちゃん騒ぎが開かれていた。しとしとと降りしきる雨の中、御巫の子らや、引退した御巫や、里お抱えの楽師たちが一堂に会し、女らは舞い踊り、男らも酒や飯をかっくらう。
 無礼講の様相を見せてきたその宴を、外からやってきた芸人集団一行は宿から眺めていた。ふと、扉がトントントンと叩かれ、開いてみれば、顔を見せたのは宿を貸してくれた御鏡の長と、仲の良い御剣の長――櫓の上でフゥリの前に舞った、ニニとハレの母親たちだ。一行に、宴に出てくれないか、君たちの芸を見せてくれないか、と。
 一行の長である浮世絵師は首を縦に振った。けれど、一行の華である能楽師は首を横に振った。能楽師はぐすぐすと泣き止むこともなく、そして、その片割れであるもう一人の能楽師もまた、悲痛な面持ちのまま、側にいることしかできなかった。
 「ワゴン。わりぃけど、セアミンたちを頼む。俺とスパイダーで行ってくるぜ」、と。雅楽師は問うた。「わしがおらんくていいのか? 曲が足りんじゃろ」、と。けれど相変わらず飄々とした浮世絵師は多くを語ることもなく、「そこらの楽師にでも頼むさ。セアミン達を頼めるの、お前しかいないしな」、と。人形の準備をしていた黒衣の荷物をぐいと掴んで宿を出た。
 雅楽師は宿の部屋に戻る。残されたのは、座卓に伏せて泣きじゃくる能楽師と、悲痛なる能楽師とやはり、思うところの多い雅楽師であった。あの身をささげた少女の笑顔が、神のためではなく、家のためではなく、ただ楽しむために舞ったあの舞が、忘れられなかった。

 窓の外では、雨の中に火が灯り、人々が喜びに身を打ち振るわせている。楽しげな声が、遠い遠い宿まで届いてくる。雅楽師はただ、ふたりの能楽師を抱き寄せて、あやすことしかできない。
 「あの子はわしを恨んでいるだろうか。何一つ力になれなかった。わしは……」。自らの胸の内に垂れ込んだ、重い重い雨雲に耐え切れなくなって、とうとう雅楽師は弱音を吐いた。小さなつぶやきに、能楽師は首を横に振った。「フゥリは、恨んでない。……ワゴン、ごめんなさい。セアミンは……ひどいわがままを、ワゴンに押し付けた」、と。もう一人の能楽師が零す。「ワゴンさんと一緒にいるときのフゥリは、とても楽しそうでした。ごめんなさい、ちゃんと、言葉に、できそうにありません。……それでも、どうか、自分を恨まないでください。きっとやれることは全部やったのですから」、と。
 「……すまん。わしも、まだ気持ちの整理が追いついておらん」。雅楽師はただ、泣き続ける能楽師の背を撫でては、降りしきる雨音を聞き続けた。

 ちく、たく、ちく、たく、と。時計の針が進んでいく。夜遅くの時間に差し掛かる頃になっても、宴は楽し気に歌い、雨は止まない。けれど、能楽師たちがこくり、こくりと舟をこぎ始めた。「眠れるうちに、眠ったほうがええ」。雅楽師は布団を敷き、能楽師たちを横にしては、己もまた横になり。ぽん、ぽんと、あやし続けた。

 「明日は、晴れるじゃろうか」。