河童の皿箱
2025-04-02 09:56:44
34188文字
Public 遊戯王:長め
 

幸せを探しに

ワゴンとフゥリが密会する話
捏造設定多数



 雄大なる山々に、咲き誇るは桜の花々。春の野辺には菜の花が揺れ、祭りへと赴く人々の足取りを追うかのよう。鳥のような冠と、鬣のような鬘と、楽師の衣装を身に着けた男はひとり、その人々の列に連なっては、通い詰めていた森深くへと向かう。
 天に捧ぐが如く聳える高い櫓を、天空から舞い降りてくる螺旋階段のような光が照らす。各々の衣装に身を包んだ少女たちが粛々と祝詞を捧げ、取り囲む大人たちは崇拝する神を、オオヒメを迎えるために、あくせくと走り回っていた。その少女たちの中に緑を認めれば、男はふっと微笑んだ。

 粛然とした祭りの鈴の音を耳にすれば、男は酷く寂然とした気持ちになった。あの少女は自らの境遇に、何も言いはしなかった。だからこそ、自分も何も言わぬと決めた。ただ、何も知らぬと、見て見ぬふりをできるほど薄情にもなれなかった。互いに何も言わぬまま、菓子や飯を食い、血肉として、練習をして……とうとうこの晴れの日を迎えることとなった。
 木々の隙間から覗く空は快晴。差し込む春の陽気に花々が揺れ、子たちが機嫌よく歌う。けれど、この場をうっすらと取り囲む不気味な寒気に気づいているのは、どうやら自分だけのようだ。けれど、部外者には何も言う権利がない。オオヒメのお眼鏡に叶う舞を捧げられる御巫は誰なのか。この日のために、彼女たちが必死に練習を重ねてきたことを、男はよく知っている。そしてこの日の祭りに限っては、その結果が予定調和であるということも。
 遅れてやってきた幼い能楽師が、男の右手を握った。ちら、と見てみれば、目元を真っ赤に腫れさせている。昨晩はずっと、こんな調子だった。無理もない、友人が死のうとしているのに、何もできなかったのだ。「どうして泣かずにいられるの」と、能楽師は雅楽師に問いかけた。雅楽師は呟いた。「大人はのう、ややこしいもんじゃ」、と。ぐすぐすと、涙を乱暴に拭う能楽師へ、懐から手拭いを出し、手渡してやった。「セアミン。泣いてくれてありがとうなぁ」、と。能楽師は渡された手拭いで顔を覆い隠し、やはりぐすぐすと。

 そう。部外者には、何も言う権利はない。それが伝統行事であるのならば、尚更。たとえそれが、八百長試合だったとしても。たとえそれが、ひとりの人生を犠牲にするものだったとしても。たとえそれが、どんな悲劇を引き起こすのか、想像もつかないようなものだったとしても。
 方々の伝統文化に学びを得ようと、この里を訪れた男たちはまず、御剣の里長と御鏡の里長に接触した。彼女たちは男たちを歓迎し、受け入れ、この里の文化を丁寧に教えてくれた。五穀豊穣を祈願するため――日の神と崇められる初代御巫、オオヒメの降臨のために、少女たちは御巫となり、舞うのだと。
 幼少期から舞の鍛錬をし、その身に霊界から呼び寄せた霊獣を宿し――そうして磨き上げらえた御巫が、オオヒメを呼び寄せられるほどになれば、その身にオオヒメを降ろし、現人神として里に恵みをもたらす。ただし、選ばれるのはひとりだけ。故に、御剣と御鏡と御珠の3つの里は永く永く切磋琢磨し、どの里のものがオオヒメに選ばれるのか競っているのだと。
 そこまではまあ、都会から離れた伝統文化の根付く場所ならよくある話だった。だが、里長の娘たちと遊んでいた能楽師が、学びの一環として御巫たちのまねごとをする中で、御珠の筆頭御巫と接触し、そして、御珠の里の良からぬ企てを知ってしまった。ある少女を人柱に妖狐を召喚し、その強い妖力でオオヒメを引き寄せてしまえばよい、と。
 少女たちが櫓へと登っていく。緑の背中も遠ざかっていく。男は小さく肩を落とした。残念ながら、人柱や生贄というのも、良くある受け入れ難い話だ。そして往々にして阻止しようとすれば、人命を奪う形での抵抗に遭う、というのも。寝首を掻かれてしまう危険を鑑みれば、男たちができることは見て見ぬふりだけであった。けれど、能楽師は幼かった。「何とかできないの」、と。
 故に、雅楽師は口を噤み、御珠の筆頭御巫――フゥリと接触を図った。彼女が凍えるならば上着を、体に必要な栄養が削られれば食料を、舞の洗練をさせたいのならばそれに見合った音楽を、与え続けた。彼女が自らに課せられた責任を放棄することを、期待して。
 けれど、それ以上に。少女は、あまりにも良い子であった。自らの責任に誇りを持っていた。すべて合わせれば、半年ほどか。それだけの時間を共に過ごしたが、彼女が理不尽から無責任に逃げ出すことは、終ぞなかった。男は察した。もう、できることはないのだと。

 我ながら悪い大人だ、と。男は自嘲する。もっと強引に手を引いて、里から連れ出せばよかったのだろうか。大声で喚きたてて策謀を知らせて回ればよかったのだろうか。仲間たちの命と引き換えに、少女を救い出したほうが、良かったのか。彼女は、助けてほしかったのではないのか、と。男は何度も自問した。自分たちの人生と、少女の人生を天秤にかけた。夜が明けようと、答えが出ることなどなかった。だが、沈黙している間にも時は進み、男の中の天秤は、自分たちの人生のほうが重いのだと無常に告げた。このまま、何もせぬことを選んだのだ。能楽師が涙をぽろぽろと流し、こうするしかなかったのだと、説得――いや、言い訳を重ねることしか、できなかった。
 少女たちが晴れの舞台で舞う。けれど、一向にオオヒメが降りてくる気配はない。そのまま、最後の3人――3つの里の筆頭が、三つ巴を演じることとなった。ここで降りてこなければ、今年はきっと不作になる。人々の祈りが強まる中で、男は冷え切った眼を中空へと向けた。妖術で目隠しをしているのだ、舞が見えないのだから、降りてこないのも当然だった。
 火鼠の力が燃え盛る剣と踊ろうが、猫又の力が流れゆく鏡像と踊ろうが、やはり天は答えない。最後の一人、御珠の妖狐が、舞台に立つ頃。冷ややかな空気は消え去り、代わりに満ち満ちたのは、九尾の狐の――くらくらするほどの妖力であった。

 びゅうと吹く風を、扇子が捉える。自らの思うがままにその羽を伸ばし、空を切り裂き、雲を払い、舞い降りる光を己の元へと、引っ張る、引っ張る。いままでうんともすんとも言わなかった大空は途端に輝き、長鳴鶏の意匠を纏い、日を背負う少女が目を閉じたまま舞い降りてきた。――オオヒメだ。それを視認したとたんに、人々は歓喜に身を打ち振るわせ、大歓声に沸き上がった。
 櫓の上では、選ばれし御巫がその身を差し出す。そうだ、現人神になるのだ。これでよかった、こうするしか、なかった。産まれた時から――ううん、産まれる前から、こうなる運命だったのだ、と。少女はひとり、扇子を降ろして、体の力を抜く。高笑いする妖狐の舌なめずりと、掛かった長鳴鶏の寝息に身を委ね、静かに目を閉じる。

 父よ、母よ。わたしはやり遂げました。これで、わたしを認めてくれますか。
 兄よ。わたしはどうすればよかったのでしょうか。これで、正しかったのですか。
 友よ。わたしは嘘を吐き続けました。これで、わかったでしょう。わたしは

 ……

 神と、妖狐と。いくつもの存在が混ざり、己が足蹴にされ、薄れゆく意識の中、少女はひとつの姿を思い浮かべていた。

 まるで天の使いの如き姿。のびやかな歌声と、繊細な指先と、穏やかで優しい笑顔。一緒に居た時間は、生涯で見ればそんなに長くはなかったけれど、ほのかな幸せを与えてくれた、あの人のもとに。

 ――いきたかったな。