河童の皿箱
2025-04-02 09:56:44
34188文字
Public 遊戯王:長め
 

幸せを探しに

ワゴンとフゥリが密会する話
捏造設定多数

 修練広場の稽古場に、カランと響いた琴の音ひとつ。するりと袖が風に揺れて翻る様を、凛とした目つきで男は見ていた。
 キンと冴えわたる寒空も何のその。舞い踊る少女ははだけた衣装と共に舞い、飄々と。男の指先が奏でる琴に合わせて足を踏み、扇子を開き、風をとらえて踊る。その舞の、なんと美しきことか。いつか少女が胸を張って聞かせた舞を洗練させてきた家の歴史の長さも、いつも口にせぬ少女自身の努力も、その舞を作り上げるには不可欠なものだったのだろう、と。男は舞姿に見惚れ、けれど一切の手を抜くことなく、彼女の足取りを、彼女の奏でる風音を、その指先でとらえて、弾く。その旋律に少女は笑みをこぼし、またひゅうと吹く風を扇子の上で遊ばせた。

 互いが満足するまで奏で躍ったそのあとに。雅楽師の男は大きな鞄から真新しい上着をひとつ取り出した。「舞の合間は寒かろう」、と差し出し、少女が首をかしげて受け取って、ぱっと広げてみれば。それは存外大きく、瑞々しい緑に染め上げられた、無地のケープコートであった。「これ、貰ってもいいんですか?」と少女が恐る恐る尋ねれば、男は微笑んで頷いた。「舞を見せてくれるせめてもの礼だ」、と。
 ならばと、少女は早速コートを羽織ってみる。随分と長い上着だ。足の上ほどまで上着の裾は垂れ下がり、全身を寒さから守ってくれる。それ自体は厚いものではなかったが、裏地か、加工か、ひんやりとした風をはじき返して、そして体温を受け取ると短い時間でぬくぬくとしてくる。通された腕はすっぽりと隠れていたが、舞衣装の白い振袖がひょっこりと覗いた。「ううむ、ちゃんと合うものを探すべきだったか?」と男が唸れば、少女は笑って首を横に振った。「いいえ、とってもあったかいですよ。素敵な贈り物を、ありがとうございます」、と。深々と頭を下げる少女を見て、男もまた笑う。

 ごぉん、ごぉん。時を知らせる鐘が鳴った。「ああ、もうこんな時間なのか」。男が時計をちらりと覗いて、呟いた。「これから、御鏡のところに行かなくては」。男は雅楽師であり、仕事のために、仲間のために、この里を度々訪れていた。祭りの日に仲間の能楽師たちが手を引っ張ってきて出会ったこの少女――フゥリの舞に感嘆し、懇願し、会う時間を作った。少女、フゥリとしても、誰かから指名を受けて舞い踊る、というのはやぶさかではなかった。
 ただ。ただ少し。鞄に荷物をまとめ、琴をしまい込み、立ち上がった男に、少女は上着の袖の内側を握りしめた。「次は、いつ会えますか?」。少女が尋ねれば、男は微笑んだ。「明日のこの時間に。待っている」、と。

 去っていく背中に、少女はため息をついた。行ってしまった。誰もいない稽古場に、また冷たい風がひゅうと吹いた。上着の中の温もりは喜ばしく、明日の約束も嬉しく。けれど、少女はその身を凍えさせていた。
 とぼとぼと、少女は帰路につく。稽古場の衣裳部屋で上着と衣装を脱ぎ、手入れをしてから、しわが付かないように丁寧にたたんで、別々の風呂敷にまとめて、ぎゅっと縛る。せっかく頂いた素敵なコートも、人前では着られない。どこにしまおう。少女が悩んだ末に決めたのは、稽古場の自分用の箱だった。ここなら、勝手に覗くやつはいないだろう、と。上着をしまった風呂敷を、その箱の奥底にしまい込んだ。

 稽古場を後にする。ざわざわと木々が揺らめく。重苦しい胸の内に、ため息をついた。

 帰ろう。