ちこと
2024-10-29 20:36:55
56961文字
Public poke小説・SS
 

【2012年発行個人誌】drip,drop,daydream

2012年に発行した個人誌の再掲です。サトシとラティアスで人魚姫パロのようなお話。
完成版のデータが見当たらなかったのですが、ほぼ同じ内容のはずです。
もう何年も前の作品で、つたないところも多くはずかしいのですが、せっかくなので……。





……なあ、ピカチュウ」
「ぴかぴ」
「おまえも、思い出したか?」
……ぴっか」
 こくり、とはっきりうなずく相棒を認めて、サトシはシャツをもう一度、ぎゅっと握りしめた。
 どうしてだかは、わからない。だけど、自分たちは、いまのいままで、大切なことを、とても大切なことを、忘れていたのだ。
 忘れてはいけないことを忘れて、のんきに日々を過ごしていたのだ。
 その事実が胸に突き刺さって、ものすごく痛い。サトシは信じられなかった。自分が「あのこと」を忘れていたということが、まったく信じられなかった。だけど、ほんとうのことなのだ。
 そのことを受け入れて、そうしたら、次に浮かんできたことに思い至って、サトシははっと顔をあげた。
(おれたちが、『あのこと』を忘れていたって、)
「彼女」がここにいる理由には、ならないんじゃないか。


 そのとき、きい、と空間に差し込まれた音は、静かだった。弾かれたようにして、サトシとピカチュウは小屋の戸口を見る。この小屋を訪れる存在は、サトシとピカチュウにとって、ただひとりのはずだった。
 だけどそこにいたのは、見慣れた、そしてふたりが期待した、少女の姿ではなかった。
「あれ、は……
 サトシの喉から、かすれた声が漏れる。
 宵闇に青白く浮かび上がるそれは、うつくしい光の球だった。
「ぴ……
 ピカチュウの両耳が揺れる。大きな光体は、ゆっくりと、なにかのかたちを成していく。
 見覚えのない、はずがなかった。ついいましがた脳裏に還ってきた記憶の中に、これによく似た姿があった。だけどそれは、いまはもう、この世に現れるはずがなかったのに。
 声をかすれさせたまま、サトシはその名をつぶやいた。
「ラティオス……
 護るべきもののために命を落とした、心やさしい兄の姿だった。


……ラティ、オス……
 もう一度、震えた声で名前を呼ぶ。
 目の前の青い光は、間違いなく、そのポケモンの輪郭をかたちどっていた。それを確認するかのように、サトシはその名を呼んだのだ。
 だけど光は、サトシの声に応えることはなかった。ただ、戸口に佇んで、じっと動かない。
 サトシは、ごくりと喉を鳴らした。返事がなくとも、サトシのこころには、もう確証があった。口のはしを、真一文字にきゅっと結ぶ。
 サトシのやりたいことを先んじて悟り、ピカチュウはベッドからすとんと降りる。床に両足を下ろすと、サトシは枕元の上着に手を伸ばした。しばらく着ることのなかった青いそれに、袖を通す。黄色のジッパーを、しっかりと上まであげた。
 それから、黒のグローブを手に取る。最初に左手、それから右手。ぎゅっと音を立てて、しっかりと両手にはめる。ピカチュウが手渡した赤い帽子を、その頭にしっかりと被った。最後に、帽子と同じ色の靴を履く。
 身支度を終えて、サトシはベッドから立ち上がった。そうして、一歩、また一歩と、じっと佇む光に向かって歩いていく。脚の痛みは、もう気にならなかった。
 サトシが、それに続いてピカチュウが、光の目の前で足を止める。そして、強い瞳で言った。
「ラティオス、全部教えてくれ。いったい、なにがあったんだ」
 サトシの言葉にうなずくように、大きな光が部屋一面にひろがった。