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鳴上
2024-01-22 17:38:37
73645文字
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ナツシン
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ナツシンまとめ2022〜23
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おはよう、アサクラ
「おはよう」
「おお、おはよう」
俺は大学の講義室で、隣の席に座ってきたアサクラに挨拶をした。アサクラは学部の中でも有名で、元気で明るくて、それでいて人当たりのいい性格からか、学部の中心的な人物だった。俺はそんなアサクラとよく話すし、食堂で一緒にご飯食べたりするし、飲みに行ったりもする。ただ、アサクラはどこかのグループに属しているわけではなくて、その時の気分や誘われた方に行く、とかそういうのが多かった。
今日の講義は一般教養科目で、あまり興味のない機械の仕組みについて学ぶものだった。なんでこれ取ろうと思ったんだっけ?ああ、アサクラが取るっていうから、じゃあ俺らもって感じで、俺がいつもいるメンツはこぞって履修したのだった。まあもう4回生なので、単位はもうほぼ取り終えているし別に履修する必要はないのだが、まあアレだ。その場のノリだ。せっかくなら一緒に受けようぜっていう。今年で卒業だし、要するに思い出作りの一環だった。
俺たちの所属する経済学部は卒業論文じゃなくて卒業研究がある。俺とアサクラは同じ研究室なので、必然的に一緒にいる時間が多かった。誰とでも仲良いアサクラだけど、学部の中では俺が1番なのではないかと思う。共同研究しているわけではないけど、ちょっと成績が危ういアサクラの研究にアドバイスしたり、逆に俺のを見てもらって意見をもらったり。大学4年間の中で、アサクラと共に過ごした時間が1番長いのが4回生だ。だからかは分からないが、アサクラはよく俺の隣の席に座る。眠たそうに挨拶しながら、俺の隣に腰掛けるのだ。
「なに、夜更かししたの?」
「いや、そういうわけじゃね〜けど、ちょっとな」
アサクラは大きな欠伸をして、腰のあたりをさする。
「腰痛?」
「まあそんな感じ」
「じじいかよ」
「うるせーよ」
アサクラに肩をドン、と叩かれて俺は思わず笑ってしまった。あと半年もしないうちに、俺たちは離れ離れになる。アサクラの進路をはっきりと聞いたことはないけれど、少し前に地元の方に戻ると言っていた。アサクラの地元はここからは遠いところにあるらしい。
そこまで考えて、なぜか胸がきゅっと苦しくなった。だけどその理由が分からなくて、首を傾げていると、前の席あたりで何やら人々がざわついていることに気がついた。そちらの方向を見ると、俺たちよりも四つほど斜め前の席に、黒髪の男が座っているところだった。そういえば聞いたことがある。今年入学した工学部の一年に、とんでもない奴がいるって。なんかよく分からないけど有名な賞を総なめにして、この大学にもトップで入学した、確か名前が──
「せ、セバくん!あの、隣に座っていい
…
?」
「あー、お好きにどうぞ」
そう、セバだ。セバナツキ。入学当初から話題になってたけど、実物を見るのは初めてだ。わざわざ隣の席に座っていいか、なんて聞くくらい好意が見えている女の子をフル無視して、ヘッドホンをつけて音楽を聴いているようだ。生意気だな、と思うけど納得もする。あの顔の良さなら、今までもうざったらしいくらいモテていたに違いない。そうやってセバナツキの観察をしていたからか、ふと彼がこちらを振り返った。
「あっ、セ
…
」
「ではこれから授業を開始します。まず今日のレジュメを
…
」
やべ、見過ぎたのかも、とどきりとしたが、反応するよりも早く講師がマイクで授業を開始することを告げた。セバナツキは何も言うことなくそのまま前を向く。ふう、なんか分からんけどよかった。そういえば、
「わるいアサクラ、なんか言ったか?」
「あ〜いや、なんも!」
アサクラが何か言いかけた気がしたから聞き返したけど、本当に気のせいだったらしい。アサクラは眉を寄せて笑っていた。
授業はたいして面白くない以外なんの問題もなく終わって、昼休みに突入した。あ〜今日は大学の近くのコッテリ濃いラーメンが食いたいな。
「お前昼飯どうする?俺大学近くのラーメン食いたい」
「え!俺も俺も!今ちょうどそう考えてたとこ!」
「お〜んじゃ行こうぜ!」
そうやって俺とアサクラは席を立つ。他の奴らは学食で食べるみたいだ。ふたりで歩きながら思う。やっぱ俺とアサクラって相性良いっていうか、俺が思ってたことをアサクラが先に言う、みたいなことがたまにある。だからアサクラとは気が合うんだと思う。こうやってふたりでご飯を食べることも結構あるし。
ラーメン屋に行って濃いラーメンを食べて、美味いけどしんどいなって話をしながら、卒業研究のために研究室へと戻っている途中。
「あ、アサクラくん!」
後ろから話かけられたアサクラが足を止めて振り返るので、俺もそれに倣う。声をかけてきたのは、同じ学年の文学部の女の子だ。確か。
「この間ぶりだね、全然連絡くれないから心配になっちゃった」
「あー、そうだっけ?ごめんな」
「もう、アサクラくんったら!また連絡するから、次の飲み会にはきてね?」
「おっけー、また誘って」
文学部の子はアサクラの答えに満足したのか、にこりと笑って去って行った。そういえばアサクラってあんま連絡してこないし、こっちから連絡しても返さない。連絡先は人気者ゆえか出回っているようで、色々な人が知っているはずだ。
「アサクラって携帯あんま見ないよな」
「そうかも、連絡先知ってる人少ないし」
アサクラの連絡先はどうやら一方通行のようだ。まあ俺は知ってるし、アサクラは遅いけど返信くれるんだけどな。なんだか気分が上がって、俺は鼻歌を歌いながら歩みを進めた。
その日の夕方。研究室で課題を進めていたが、そろそろ帰ろう、と俺は席を立った。アサクラは俺より早く帰って行ったし、研究室のメンバーも今日は居残りはしないみたいで、俺と同じタイミングで片付け始めた。片付けをしながらふとカバンを覗くと、今日の一般教養のレジュメを講義室に忘れてしまったことに気がついた。確かあの講義、レジュメからテスト出すって言ってたような。あー、面倒臭いけど取りに行くか。一緒に歩いてた友人にその旨を告げて、午前中も訪れた講義室へと向かった。そして扉を開けようとして、中に人がいることに気がついた。
この時間、この講義室は使われていないはずだ。もしかしてサボりに使われているのか?扉のガラス部分から中を覗くと、キラキラと輝く鮮やかな金髪が目に入った。心臓がどきり、ひとつ音を立てる。
あれって、アサクラ
……
?もうとっくの昔に帰ったはずなのに、なぜこんなところに。席に座る朝倉の前には黒髪の男が立っていた。どこかで見た気がするけれど、後ろ姿だから誰かは分からない。
食い入るようにふたりの様子を見つめていると、ふとアサクラが楽しそうに微笑んだ。愛おしいものを見るような、そんな目で。ヒュ、と喉がなった。気がつけば黒髪の男が吸い込まれるようにアサクラの顔に自身の顔を近づけて、ふたりの影が重なった。カーテンが揺れる。窓からは夕焼けが色濃く入り込んでいて、まるで映画のワンシーンを観ているようだった。
見てはいけないものを見てしまったように思えて、俺は忘れ物を取らずにその場を立ち去った。走って構内を駆け抜ける。周りの人が自分を見ていることが分かったけど、走って走って、気づけば最寄り駅まできていた。膝に手をついて息を整える。ああ、あの後ろ姿。どこかで見たと思ったけど、今日だ。それは興味のかけらもない機械の講義。自分の前に座っていた、セバナツキの後ろ姿だった。
「はよ!今日早いな〜」
「ああ、おはよう」
昨日は思ったように眠れなくて、朝もいつもより早く目覚めてしまった。だからいつもより格段に早い時間に研究室に来ていた。今日も元気よく研究室に入ってきたアサクラは俺に気づくと声をかけてきた。昨日は眠たそうにしていたけれど、今日はそうでもないみたいだ。
「なんだ、今日はお前が寝不足?」
「まあそんなとこ」
アサクラが席に座りながらパソコンを取り出し起動する。その姿を見ながら俺はアサクラとたわいもない話をする。こういう時間が、存外気に入っていた。
「そういえば、アサクラってセバナツキと仲良いの?」
気にしないフリをしようと思った。考えても仕方のないことだし、そもそも見間違いとか、人違いかも、とかも考えた。だけどアレは間違いなくアサクラだったし、キスをしていたのはセバナツキだった。
「いや、特には。なんで?」
「なんとなく聞いただけ。気にしないで」
「?ふ〜ん。そういや、昨日のさ〜」
俺の突然の質問も、アサクラは特に気にしていないようだった。そうしてこういう時に限って気づくのだ。俺って、アサクラのこと何も知らないのでは?だって恋人がいるとか、好きな人がいるとか、そういう話をしたことがなかった。家族の話を聞いたことはないし、アサクラの地元がどこかも知らないし、そういえば住んでる家も知らない。好きな食べ物とか、好きな音楽とか、尊敬している人とか、そういうくだらない話は何度もした。だけどアサクラのもっと内側に入りこむ話は、したことがなかった。それに気がついていなかったのにもゾッとする。思いたくもないけれど。もしかして俺は、アサクラに線を引かれていたのだろうか。そんなはずない。俺たちの4年間が虚構だったはずがないのだ。
なんだか集中できなくて、俺は一旦家に帰った。いつもベッドに寝転べば襲ってくる眠気も来なくて、結局一睡もできないまま、午後に一コマだけ入れている講義へと向かった。もちろんその講義も集中できなくて、ボーッとしていたらいつの間にか講義が終わっていた。一緒に受けた友人に心配されつつも、その場で別れて家へと帰るために構内を歩く。寝れないのは嫌だから、今日は酒でも飲んで寝よう。コンビニに寄って、発泡酒じゃなくていいビールを買って帰ろう。そう思っていたら、どこからか争う声が聞こえた。さっきの講義は、いつも使っている棟よりも奥まった場所にある、少し古い棟で受けていたから、周りには木が多かった。何かトラブルだろうか、と思い周りを見渡すと、木が覆い茂っている中庭の空きスペースに誰かいるようだった。大丈夫そうなら関わらずに帰ろう、と木の影からこっそりと覗く。そうして俺は自分の間の悪さに後悔するのだ。
「ほんとセバっていっつもそうだよな!」
「お前には言われたくね〜」
「生意気だな歳下のくせに!」
「その歳下にいいようにされてるのは誰だよ」
聞き覚えのある声と、聞き覚えのない声。ひとつはもちろんアサクラで、もうひとつはセバナツキの声なのだろう。アサクラの金髪はやっぱり夕焼けでやけにキラキラと輝いていて、今はそれが心底嫌だと思った。
ふたりで何を話しているのだろうか。アサクラは怒っているようで、あまり仲良さそうには見えない。だけど二人は知り合いだった。それならどうしてアサクラは俺にそれを教えてくれなかったのだろう。嫌な予感で心臓が痛い。
「お前の警戒心がもっとあれば俺も安心できるんだよ。ただでさえ学年も学部も違うから一緒にいられねーし」
「女子に話しかけられたら優しくしろって言ったのはどこのどいつだよ
…
」
「だーかーら!セバはモテるんだから気をつけてほしいって話だろ⁉︎」
アサクラがそう言い募っているが、セバナツキはそんなこと関係ないとばかりにため息を吐く。
「ほんとお前って自分のことに鈍感だよな。そっちの方がモテてんじゃん」
「そんなことねーって」
「いやある。まあ、もうめんどくせーし俺が悪かったってことでいーよ」
「な!んだよそれっ、んむ」
セバナツキの顔が傾く。嫌な予感は当たるもので、俺は昨日に続いて再びふたりの唇が重なる瞬間を目撃してしまった。心臓が明確に痛み出して、もうここから逃げ出したかった。だけど、足は縫い付けられたように動かないし、目を逸らすこともできなかった。
軽く唇を合わせただけのキスがどんどんと深くなっていく。生々しい音が辺りに響き始めたのに、俺はまだ動くことができなかった。呆然とその光景を眺めていると、ふとセバナツキの瞳が、ゆっくりとこちらへ向いた。目が合って、俺は大袈裟に肩をびくつかせた。セバナツキが、こちらを見ていた。こいつ、俺がいるのを知ってて、わざとやってやがる!頭に血が昇りそうになって、
「
……
っ、ぁ」
アサクラの甘い声が耳に入って、その血は一気に下降した。俺はその声に耐えられなくなって、その場を逃げ出した。枝を踏んで植木を掻き分けてしまったから、きっと人がいたことをアサクラは知ってしまうだろう。でもこんな、人目のある構内でそういう行為をしていたのだから、自業自得だ。人通りのあるところまで走って、そこからは何事もなかったかのようにゆっくりと歩く。
アサクラがあの講義を取っていたのも、たまに腰を痛めていたのも、人に隠れるようにキスをしていたのも。きっと全部、そういうことなのだ。察してしまった自分に反吐が出る。セバナツキは明らかにこちらに気づいていたし、あれは牽制なのだろう。アサクラに対して微かに宿っていたこの感情を、あの男は機敏に読み取っていた。昨日、講義室で目があったのも、自分の恋人の近くにいる人間を確認していたのだろう。その執念に背筋がゾッとする。
だけど俺は、まだ何にも気がついていない。アサクラといると心地がいいところとか、アサクラと仲が良いことを自慢に思っているところとか、卒業後アサクラと離れ離れになるのが寂しいところとか。それが一体どこからきているのか、俺はまだ気がついていないのだ。だから、今俺の頬を伝っている冷たい何かにも気がつかないフリをして。明日もまたいつも通りに言うのだ、おはようアサクラって。
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