pinopipi
2026-05-18 23:07:05
99483文字
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交錯する恋花にレクイエムを②

ヌヴィフリ花吐き病の話②/長編/捏造しかない/何でも許せる人向け/メタ発言注意/ほぼ地獄のターン/一部キャラ崩壊注意


時は少し遡り、フリーナ帰国前日。
長きに渡り"ヌヴィレット"という名で人々から畏敬の眼差しを向けられていた男が威厳ある豪奢な法衣を脱ぎ、部下や親しい友人らに見送られながらパレ・メルモニアを去った後の話。
その手には餞別の品すら何一つとして持たず、男は身ひとつでフォンテーヌ廷を後にし、巡水船には乗らず自力で泳いで東の方へと向かった。



*・*・*・*・*・*



フォンテーヌで最も思い入れのある場所のひとつ、エピクレシス歌劇場。そして少し東の方角に位置するルキナの泉。自身の痕跡をあまり残さないように、少し離れた場所からそれらの外観を眺めた。

ルキナの泉には今日も何組かの年若い夫婦が子宝祈願に訪れ、仲睦まじそうに寄り添っていた。かつて神を演じていたフリーナは、歌劇場を出入りする度にこの光景を眩しそうに眺めていた。幸せそうな民の姿を見守る彼女もまた、同じくらい幸せそうな表情をしていたのだ。その意味が、今なら分かるような気がする。
平和の象徴ともいえるその光景を横目に、民の幸福とフォンテーヌの永続的繁栄を静かに祈った。

それから、その奥に壮大に聳え立つエピクレシス歌劇場を見上げると、やはり思い出すのはフリーナの姿だった。ここは数え切れないほどの審判や歌劇が行われた場で、それらの記憶の中心にはどれも必ず彼女がいるのだ。特に彼女が出演した数々の舞台は、その全ての演目を観劇し、今でも仔細な記憶が残っていた。
本日は審判ではなく、【Fille de l'étoileフィーユ・ドゥ・レトワール】という舞台の公演が行われている。無論、中に入ることはしなかったが、その熱狂ぶりは外からでもよく感じられ、思わず笑みが溢れた。その演目は過去に何度も観劇したことがあるものだ。かつて主演を演じていたのはフリーナで、その輝きと熱量は今でも忘れられない。フォンテーヌでは愛と憎悪をテーマにした悲劇や、複数の男女によって泥沼化した恋愛を描いた演目が多い中、これは数少ない喜劇のひとつだった。家が没落してしまった元貴族の令嬢が、様々な苦難に立ち向かい、元婚約者の愛を取り戻そうと奮闘する話。明るく前向きに自ら幸福を掴み取っていくその役は、フリーナによく似合っていた。コメディ調に進むこの物語は、実は各公演ごとに異なるアドリブシーンが存在する。主演が目に止めた観客を指名して物語の中に巻き込み、会場全体に笑いを誘う。フリーナが神を演じていた頃は一度も指名されたことがなかったが、たった一度だけ指名されたことがある。それは予言から1年が過ぎた頃、満を持して役者として返り咲いたフリーナが再び主演を務めた公演でのことだ。是非見に来て欲しいからと話すフリーナから最前列中央席の番号が印字されたチケットを公演日の半年も前に贈られ、その招待に応じた。その日は千秋楽。立ち見席まで満員。そんな大盛況の公演の中盤、彼女が演じる主人公が初めて相手役へ告白をするにあたり、何と伝えようかと言葉に悩む場面がその公演のアドリブシーンだった。友人役が色々とアドバイスをするも、なかなか言葉は決まらない。そこで彼女は、突然何かを閃いたようにパッと表情を明るくし、観客席へと目を向ける。そして迷うことなく観客席ーーー最前列中央へと向かって手を差し伸べ、役の口調のままこう言った。


『私にとって、貴方は月のような人でした。
それは果てしない夜空に輝く一番大きな星。
私が行くべき道を見失いかけた時、貴方の存在は夜道を明るく照らす月のように、いつも私に希望を与えてくれました。
私はそんな貴方をずっとずっと昔からお慕いしておりました。
ですが今の私は、地上へと流れ落ちた一粒の星。
昔は同じ夜空で寄り添っていたというのに、運命が私たちを引き裂いてしまった。
もう二度と、私は夜空へ戻れない。
貴方は、私には到底手の届かない人だということは分かっています。
今ではもう、あの頃とは何もかもが違う。
それでも私は、貴方と生きることを諦めたくないのです。
愛しています。
貴方の為ならば、どんな困難も必ず乗り越えて見せましょう。
どんな物語にも負けないくらい、最高のハッピーエンドをお約束します。
だからどうか、私の手を取っていただけませんか。』


長いセリフを言い終えたフリーナは切なげな笑みを浮かべ、最前列中央にある朝焼けの瞳をただ真っ直ぐに見つめた。

シンと劇場内が静まり返る。舞台上の役者も、観客も、セリフを投げられた最前列中央に座る男も、全員がフリーナのサプライズーーーもとい告白いや、熱烈な公開逆プロポーズに驚愕し、言葉を失った。
しかし数秒の間を置いて、未だかつてないほど大きな歓声と拍手が同時に響き渡る。後ろの観客席からは誰かが啜り泣く声や祝福の声が聞こえ、劇場内は混沌を極めた。
そんなお祭り騒ぎの中、沈黙を貫くひとりの観客がいた。フリーナを含む舞台上の役者と全て観客の視線は、最前列中央へと集中する。それでもプロポーズに対する返事は一向にない。フリーナは一瞬だけ目を伏せた後、延び過ぎた間を回収するべく『って言う感じで告白してみようと思うんだけど、どう思う?』と、アドリブで友人役へと投げ掛けた。

今なら、あれはフリーナ自身の感情を役と上手く重ね合わせた切実な想いだったのだと理解できる。
あの頃、毎日のように告白を繰り返していたフリーナは、様々な言葉や演出で気を引こうと工夫を凝らしていた。故に最初からそれを伝えるつもりで招待したのだということは当時も気付いていたが、今改めて思い返すとどうしようもなく胸が締め付けられる。
フリーナはセリフで"手の届かない人"だと表現していたが、あの頃はまだ届く距離にいた。だが、当時は観客席から彼女の舞台上に飛び込むなど、考えたことすらなかった。あの時、もし彼女の手を取っていればなどと今更考えたところで意味はない。

男は歌劇場を後にし、更に北の方へと向かった。



*・*・*・*・*・*



フォンテーヌの地図上から少し北に外れた場所。荒々しい岩場が続く海岸がある。滅多に人が訪れないその場所は、"ヌヴィレット"にとって、始まりの場所であった。
足場の悪い岩の上を一歩、また一歩、ゆっくりと歩みを進めていく。やがて波打ち際へと辿り着き、海水に爪先を付ける前に一度後ろを振り返った。
決して短くはない月日を陸の上で過ごしてきたが、それも今日で最後。忙しなくも穏やかで温かな日常を繰り返した景色は既に遠く、その外観すらももう水平線の向こうに隠れて見えなくなっていた。
なんとも言えない複雑な感情が胸を締め付け、心を揺さぶる。
だがこれは決して未練などではないと言い聞かせ、視線を岩場とその先の海面へと戻した。
眼前にはあの頃と変わらぬ広大な青い海の景色。そう、ここは忘れもしない、フリーナと初めて出会った場所である。
潮風がふわりと懐かしい記憶を連れて来る。それは生涯忘れ得ない、衝撃的なものであった。

凡そ500年前の晩春の候。雲ひとつないよく晴れた日の深夜のことだ。いつものように宛もなく海を漂い続けていると、水元素で生成された1通の手紙が眼前に現れた。だが当時は人が使う文字など全く読めなかったため、それを手に取ることなくその場を離れた。だというのに、その手紙は何度も何度も、まるで行く手を阻もうとするかの如く現れる。
あまりにも執拗で煩わしいそれをぐしゃりと乱雑に掴み取ると、その刹那、水元素力が共鳴し淡く青い光を放った。儚くも美しいメゾソプラノがこだまホラガイのように響き渡る。それは水に溶けてしまいそうなほど儚く、しかし何処か懐かしい気配を纏っていた。

『特別なキミ、特殊なキミ』
『最大の劇場で、最高に見晴らしの良い席をキミのために用意しておこう』

その手紙は招待状だった。
宛名は空欄、差出人は魔神フォカロルス。
だが、確実に自身へと宛てられたものであると理解できた。

フォカロルスが統べるフォンテーヌという国を一度見てやろうと思ったのは、ただの気紛れだった。毎日、泳ぐことぐらいしかやることがない。それに、新たな環境に身を置くことで自身の存在意義を見出せるきっかけになり得るのなら、誘いを受けてみても良いかもしれないと、そう思った。何せ、あの頃は時間が有り余る程あったのだから。
手紙を握り締めたまま海底の砂を蹴り、月光が揺らめく水面を目指す。水面から顔を出し、頬に張り付いた髪を払うように振り返れば、岩場の波打ち際で膝をつく小さな人影があった。満天の星空を背景に、瑠璃色の月光で照らされた輪郭がふわりと浮かび上がる。そこにいたのは、此方へ手を伸ばす見知らぬ少女。目が合うと柔らかい微笑みを向けられた。そのあまりの美しさに、思わず息を飲んだ。

『こんばんは。キミが2代目の水龍だね?ふふっ、僕の手紙を読んでくれてありがとう。初めまして、僕は魔神フォカロルス。水の国、フォンテーヌの神さ。フリーナと呼んでくれたまえ!』

『僕の国に来ないかい?絶対に後悔はさせないよ。キミが求めている答えは、フォンテーヌできっと見つかるはずさ。」

『さぁ、僕の手を取って。キミを心から歓迎しよう!』

生まれて初めて向けられた好意的な眼差しに射抜かれ、この夜空で一等明るい星よりも爛々とした輝きを放つ少女ーーーフリーナの存在に目が眩んだ。それなのに目が離せず、瞬きすら出来ない。まるで落雷が頭上に直撃したかのような衝撃の後、全身に雷元素が駆け抜け、鋭利な爪の先まで痺れるような感覚。色違いの青の瞳、白波のような髪、鼓膜を揺らす透明な声、美しく完璧な笑み、細くしなやかな手。フリーナを構成するこれら全てに囚われ、気付けば呼吸すらも忘れていた。

直感的に、己が探していたのは"これ"だと思った。彼女は水を司る神で、古龍の大権の一部を所持する者。故に強く惹かれたのだと、当時は信じて疑わなかった。大きく脈打つ鼓動と指先に燈る熱を感じながら、逸る気持ちで彼女の細く白い手を取った。

それからフォンテーヌへ招かれた後もずっと、フリーナから目が離せなかった。舞台では勿論、日常でも。朝昼晩、いつでもそうだった。視界に入れば目で追い、見当たらない時にはその姿を探した。どれも無意識の行動だった。
ふとその事に気付いた時、それはいつの日か大権を取り返すために龍の本能が機を窺っているためなのだと解釈した。
しかし今思えば、それらは大権への執着ではなく、フリーナ本人への執着ーーーつまり一目惚れに起因する行動だったのだと理解できる。

ふ、と静かに笑みを浮かべる。
凡そ500年で様々な事を経験した。あの頃の己は、たった500年で陸がこんなにも離れ難いものになるとは露ほども思っていなかったが、水中で生きること以外考えたことのなかった孤独な龍が、随分と絆されてしまったようだ。

……"これ"も、もう私には必要のないものだな。」

男は水元素で小型のナイフを生成し、片手で握り締めた。反対の手で長い銀髪を鷲掴み、ひとつの束にして、首のすぐ後ろで刃を当てる。そして、最後の最後までどうしても振り払えなかった僅かな未練ごと全て断ち切るように、そのまま一気に刃を引いた。
かつて"威厳を示す為に"と、フリーナから勧められて髪を伸ばしていたが、もう誰にも威厳を示す必要などない。それに、『キミの髪はまるで月光のように綺麗だね』と褒めてくれる相手には二度と会えないのだから、これにはもう何の価値もない。
髪が短くなり頭が軽くなると、不思議と気持ちまで軽くなったような気がした。何の躊躇いもなく威厳の残骸を海へ向かってさらりと手放すと、それは空中で水元素の粒子となって跡形もなく消えて行った。

目を閉じ、一度深呼吸をする。
磯の香りとさざ波の音が心を宥めてくれる。水から生まれた己が最期に還るべき場所はやはり此処なのだと、潮風がそう悟すように髪や頬を柔らかく撫でた。

これから迎える結末は、決して悲劇などではない。
晴れやかな空と穏やかな海、そして何より凪いだ心がそれを証明している。
波打ち際から一歩踏み出し、爪先がゆっくりと海水へ浸かる。その水温は記憶にあるものよりも冷たい気がしたが、それはきっと陸の暖かさにすっかり慣れてしまった所為だろう。

あの日。海を離れ、陸で生きるという選択をして良かったと心からそう思っている。君と、君の愛する国で過ごした日々はーーー間違いなく、幸福なものだったよ。」

その声は誰の耳にも届かぬまま、さざ波に攫われ、広大な海原へと跡形もなく溶けていった。



*・*・*・*・*・*



晩春の最中、ミオソティスの香りを纏ったひとりの男がフォンテーヌから姿を消した。
愛おしい数多の思い出と、行き場のない恋心を大切に胸に抱き締めながら、潮流に呑まれ、少しずつ、少しずつ果てしない水底へと沈んでゆく。
やがて辿り着いた暗闇は、波打ち際で触れた水温よりもずっとずっと冷たかった。
男は小さな岩の洞窟の中に権能を用いて結界を張り、膝を抱えて閉じ籠もる。
暗く、狭く、冷たく、周りには何もない。
やっと独りになり気が緩んだためか、まるで感情が激流の如く溢れ出るような激しい発作が男を襲った。
ひとしきり吐いた後、乱れた呼吸を整えながら、掌の中に視線を落とす。
その儚げで愛らしい一輪の花を見てーーーー静かに口角を上げた。

私のことなど忘れたまま、君はどうか幸せになって欲しい。」

花言葉に抗うように小さく呟かれた言葉は泡となり、水面へと上っていく。
それをぼんやりと見送った後、ゆっくりと目を閉じ、浅い眠りについた。

自らが吐いた花ーーー愛する彼女の色彩だけが、孤独な男に寄り添っていた。