柚子子
2024-09-22 21:07:26
118496文字
Public ベリーベリー
 
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微原作沿 爆豪長編(2)

サイトに掲載している長編の第二章です。

苗字さん、ちょっと」
 授業と授業の合間にお手洗いに立った帰り、廊下でふいに声を掛けられた。振り返ると、そこには隣のクラスの女子が立っている。
 なんとなく顔と苗字くらいは知っている。けれど話したことはないはずのその子は、
苗字さんって、雄英のバクゴーくんの彼女だよね?」
「えっ、そ、そうだけど……
 唐突に、思いもよらない話をしはじめた。
「バクゴーくん、このあいだ講習でうちの弟と遊んでくれたんだって。それで、お礼言っておいてほしくて」
「ごめん、ちょっと話が見えてないんだけど……。えーと、それは何の、どういう話?」
 戸惑いながら、詳細をたずねる。最初から最後まで、意味がまったくわからなかった。
 別のクラスの子が私に爆豪くんの話を展開すること自体は、まあそういうこともあるだろうと納得できる。なにせ爆豪くんは有名人だし、私が爆豪くんと付き合っていることは、ほとんど周知の事実だからだ。
 しかし、講習で弟? いったい何の話なんだ。混乱する私に、その子は「あ、聞いてなかった? じゃあ意味わかんなかったよね」と笑って、事の次第を詳しく説明してくれた。
「なんか、ヒーロー科って仮免許の試験? が最近あったんだよね? 私も詳しくは知らないけど、それは苗字さん聞いてる?」
「うん、そこまでは聞いてる」
 ついでにそこで落第した学生が、救済措置として補講を受けていることも知っている。爆豪くんは目下、その補講で挽回しようと努力しているところだ。
「それでその、仮免試験の補講? ていうのかな、とにかくそういう何かで、小学生を相手に仲良くなりましょうー、みたいな内容の講義をやったらしいのね。で、そのときの小学生たちのなかに、ちょうどうちの弟がいて」
「ヒーローの仮免試験って、そんなことやるんだ」
 なるほど、それはたしかに爆豪くんが本試験で落第したのも頷けた。本試験でも小学生を相手にしたかまでは知らないけれど、そういったハートフルな対応が求められる試験ならば、爆豪くんが落とされるのも然もありなんというところだ。
 深い納得を得ている私の内心を知らない女子は、それでさ、と話を続ける。
「うちの弟、ここんところ結構反抗期みたいな感じで、ちょっと荒れてたんだよね。でもその講習以来、わりと落ち着いてる感じでね。バクゴーバクゴーって、家でもいまだにはしゃいでる」
 その子はそこで、にこりと笑って言った。
「すごいんだね、名前ちゃんの彼氏」
 その笑顔に、嫌な含みはひとつもないように見えた。目の前の彼女は、ただただ爆豪くんを賞賛している。ヒーローとして、ヒーロー科の学生として弟を笑顔にしてくれた爆豪くんへの敬意を、爆豪くんの恋人である私に伝えてくれている。
 ちくちくと、胸の奥が痛んだ。ここのところしばらく感じていなかった、あのちくちく。じりじりと焦燥で胸の底を焦がす、あのいやな感覚。
「伝えておくね、爆豪くんに」
 笑顔でそう言って、私は教室に戻った。
 いつのまにか握りこんでいた手のひらが、じんわりと汗ばんでいた。
 もっと頑張らなくちゃ。もっと私も、ちゃんとしなくちゃ。
 どんどん前へ進んでいく爆豪くんに置いていかれてしまわないように、もっともっと、頑張らなくては。

 ★

 その週の週末、私は爆豪くんとの待ち合わせ場所である、雄英の最寄りの駅へと向かっていた。
 仮免補講は教員引率のもと、送迎の車で会場に行って戻ってくるそうだけれど、爆豪くんはいつも雄英まで車で戻ったあと、寮に戻らずそのまま待ち合わせの場所まで来る、という面倒くさいことをしている。
 たぶん、行き帰りで勝手な行動をとるのは引率の教員に悪い、という意識が少なからずあるのだろう。あとは単純に、私を学校の関係者の目にふれさせたくないとか。
 山深い場所にある雄英の近辺まで歩かされるよりは、いっそ駅で待ち合わせにしてくれたほうが、私としても助かる。なので理由がどうであろうと、その点については特にかまわない。
 約束の時刻の十分前に駅に到着した。十月になってめっきり寒くなってきたから、日暮れのこの時間はあたたかな上着が必須だ。
 指先をこすりあわせて、そわそわしながら暖をとった。爆豪くんがいつもやってくるほうに視線を向けながら、ぼんやりと彼を待つ。
 ふと視線を上げると、近くの店のドアガラスに反射した、自分の姿が目に入った。
 昨日美容院にいったばかりだから、特にいつもと変わりない格好でも、なんとなくいい感じに見える気がする。
 私が髪型を変えると、爆豪くんはたいてい、一応のコメントはしてくれる。なのでそれが誉め言葉であろうとなかろうと、気付いてもらえてよかったな、というよろこびはある。
 爆豪くん、私が美容院にいったことに気付くだろうか。疲れているから、それどころではないかもしれない。あんまり期待しすぎないようにしておこう……
 と、手に持っていた携帯の液晶が明るくなる。画面を見ると、発信元は爆豪くんだった。待ち合わせ時刻まであと三分だから、遅刻の連絡だろうか。珍しい。
 携帯を耳に当て、電話を受ける。
「もしもし、爆豪くん?」
「今日、無理んなった」
 開口一番に、爆豪くんが短く言い放った。一瞬、音が遠くなる。
 電話の向こうで、誰かが話す声が聞こえた。男の人の声も、女の人の声もする。
「えーっと、……あ、調子が悪いとか、そういう?」
「違ェ。仮免補講が長引いた。今から戻るんじゃ間に合わねえ」
 爆豪くんの声は淡々としていた。それでもかすかに、語尾に疲労がにじんでいる。
 朝から出掛けて、この時間までみっちりと講義を受けて、そりゃあ疲れていないはずがない。
 ふだんの爆豪くんは、その補講のあとに私に会うための努力をしてくれている。今日はたまたま間に合わなかったけれど、それだって爆豪くんにとっては大変な負担だろう。
 爆豪くんの落ち度ではない。補講が長引いたのだから、仕方ない。仕方ないことだ。
 一度大きく息を吸い込んだ。音が通話で伝わってしまわないように、そっと深呼吸をする。それからようやく、私は電話の向こうで黙っている爆豪くんに返事をした。
「そっか、わかった。そういうこともあるね、仕方ない」
「どっかで埋め合わせはする」
 爆豪くんとも思えない、ものすごく常識的なセリフ。少しだけ自分の口角が上がるのが分かる。
「いや、大丈夫だよ。だってわざとドタキャンしたわけじゃないんだよね? だったら、そういうこともあるよ。大丈夫」
 私が言うと、爆豪くんはまた電話の向こうで押し黙った。爆豪くんの声は聞こえない。彼のまわりにいる人たち、おそらくはヒーロー科のひとたちの声だけが聞こえる。
 今そこで爆豪くんと一緒にいられる人たちの声だけが、ひとりで携帯を握りしめている私の耳に届いている。
 さっきからずっと、胸のあたりがちくちくしつづけていた。それをどうにか、せめて爆豪くんとの通話がつながっているあいだだけでもと、私はぐっとおさえこむ。
「そういうことなら、なんか美味しいもの食べて帰ろっかな。爆豪くんも気を付けて帰ってね」
……苗字
「いや、そんなしょぼくれなくて大丈夫だよ、本当に。こんなことで怒んないから」
「しょぼくれてねえわ!」
「また、会えそうな日あったら教えてね」
……おう」
「じゃあ、気を付けてね。ばいばい」
 通話を切って、携帯をかばんにしまう。さっき見たドアガラスに視線をやると、中途半端に口角が上がった私が、そこにぽつんと映っている。
「あー……
 我知らず、声を発していた。口角が上がったままの口から、変にトーンの高い声がこぼれる。
 胸のなかのちくちくは、いよいよとげとげしさを増していた。息苦しさを感じて、私は大きく深い呼吸を何度かくりかえす。それでもちくちくとした何かは、胸のなかにわだかまりつづけている。
「大丈夫大丈夫、怒ってない。嫌じゃない。大丈夫……仕方ない、仕方ない、……大丈夫」
 自分に言い聞かせるように繰り返しつぶやく。不思議と少しだけ、気分がよくなった。
 大丈夫、だいじょうぶ。たしかに楽しみにはしていたけれど、でも別に、デートなんていつでもできるものなんだし。ドタキャンではあるけれど、周りに人がいるなかで電話をかけてきたということは、それだけ急いで私に連絡をしてくれたということでもある。
 それに、爆豪くんにしては珍しく、お詫びをほのめかしたことまで言ってくれた。そもそも爆豪くんは補講、いうなれば学業の一環として補講に出ているのだから、私よりも補講が優先されるのは当然。補講が長引くのは、そのぶんだけ長く爆豪くんが強くなるための指導を受けられたということでもあって。
 だから全然、気にしていない。
「よし……。帰るか」
 爆豪くんにはああ言ったけれど、ひとりで食事をするような気分ではなかった。せっかく出掛けてきたけれど、今日はこのまま家に帰ろう。家に戻れば、何かしら食べるものもあるだろう。
 気を取り直して、改札の方へと向く。電光掲示板を見上げると、私が乗りたい電車までは、まだしばらく時間がありそうだ。今私がいる改札前には、私以外にも待ち合わせをしているとおぼしき人が何人かいる。寒いけれど、ホームで電車が来るのを待っていようか──
苗字さん?」
 そのとき、ふいに隣から声を掛けられた。完全に意識を内向きにしていた私は、いきなり話しかけられ、びくりと身体をすくめる。そのとたん、隣から「わっ、驚かせてすみません!」とまた声が聞こえた。
 ぎこちない動作で、首を回して声の方を見る。そこにいたのは見覚えのある長身の男性、書店でアルバイトをしている物形さんだった。
 物形さんは私と目が合うと、表情をやわらげた。
「やっぱり苗字さんだ。こんなところでどうかしたんですか? あ、待ち合わせかな。なんか今日おしゃれしてますもんねぇ。あ、こういうこと言うとセクハラぽくなっちゃって、あんまりよくないのか……?」
 微笑んでいたかと思えば、今度は困ったように首をかしげている。私はまだ何も言っていないのに、物形さんはひとりでどんどん話をすすめていく。
 やがて物形さんも、私が黙ったままでいることに気が付いたようだった。
……苗字さん? どうかしましたか? どこか具合が悪かったりとかしますか……?」
 心配そうに尋ねられ、私は慌てて笑顔をつくった。
「や、ちょっと……なんか、気が抜けてしまって……今、いい感じにこう、精神をあれしてたところだったんですけど……
「え、俺なんかしましたか? す、すみません」
「いや、大丈夫です……全然、物形さんが悪いとか、そういうのではないので……
 笑いながら首を横に振る。たいして親しくもない相手に余計な心配をかけたくはないという、当たり前の思考をできる自分がちゃんとまだ残っていることに、少なからずほっとした。
 けれど今優しくされてしまうと、なんだかいろいろまずい気がする。メンタルを立て直している最中に話しかけられたせいで、まだ完全には精神がととのっていないのだ。ちょっとしたことで全部ぐずぐずになってしまいそうな気がするから、できれば今は放っておいてほしい。
 それなのに、物形さんは何を思ったか、神妙な顔つきで私の顔を覗き込んでいる。挙句の果てには、
……何か、美味しいものでもご馳走しましょうか?」
「え!? いや、大丈夫です、本当に」
 びっくりして、私は勢いよく固辞した。どうしてそういう話になるのだろう。爆豪くんと食事する約束が反故にされたからといって、ほかの誰かと食事をなんて気分になれるはずもない。
「今日はもう帰るだけのつもりなので、お気持ちだけ、本当に」
「でも苗字さん、なにか嫌なことがあったって顔をしてますよ」
「いやなこと……
 その言葉に私は、なんと言ったらいいのか、なんと言うべきなのか、分からずに困ってしまった。物形さんもまた、困った顔をしている。どうして彼がそんな顔をしているのかは分からなかったけれど、私はといえば、途方に暮れて笑うしかなくなっていた。
 笑っていたはずだ。たぶん、自分では笑っていたつもりだった。
「いやなこと、なんですかね……
 ぽつりと呟く。疑問というほどでもない、ささやかな引っかかり。ささくれのような、ちっぽけな思考。
 いやなことがあったのだろうか。
 私は今、いやなことをされたのだろうか。
苗字さん、」
名前ちゃん」
 今度は背後から名前を呼ばれた。ゆっくりと振り返れば、そこには目立つ赤髪の男の子が、これまたやはり困ったような顔で立っている。今日はみんな、困ってばかりだ。
「切島くん」
 私が呼ぶと、物形さんが「友達かな。大丈夫ですか?」と私の顔を覗き込んだ。大丈夫か、というのは知り合いか、という意味だろう。私は物形さんに向かってうなずいた。
「知り合いです。あの、ご心配おかけしてすみません」
「大丈夫です。じゃあ、友達がきたなら、俺はこれで」
 そう言って物形さんは、あっさりその場を去っていく。私は物形さんの背中を数秒見送ったあと、切島くんへと向き直った。
「こんばんは、久しぶりだね、切島くん」
 いつのまにかすぐ近くまで歩いてきていた切島くんは、私と視線をあわせたあと、さっきまでの私と同じように、去っていく物形さんの背中へと視線をうつした。
「おう。……今の人」
「ちょっとした知り合いの人。たまたまここで会って、少し話してただけだよ。切島くんは? 今帰り?」
「おう、インターンで。さっきまで先輩と一緒だったんだけど、名前ちゃん見えたから先に行ってもらった」
 仮免補講は送迎の車が出るのに対し、インターンは公共交通機関を利用するのか。ヒーロー科のインターンがいったいどういうことをするのかは分からないけれど、爆豪くんが一学期にいっていた職場体験のようなものだろうと、私は勝手に想像する。
「それより、名前ちゃんはここで何してんだ。あ、爆豪と約束してるとか」
「その予定だったんだけど、今日は爆豪くん無理らしくて、今から帰るところ。補講がね、大変みたいで」
「あー、なるほど。たしかにな」
 切島くんは腕組みをして、うんうんしきりに頷いた。切島くんから見ても、仮免補講は大変なものらしい。補講の内容なのかスケジュール的なものなのか、そのあたりは定かではないけれど、ともかく大変であることには違いない。
 それとなく、私はあたりを見回した。周囲には駅の利用者がそこかしこにいるけれど、私たちと同年代の学生はどこにも見当たらない。また、私たちに注意を払っていそうな人物も、特にはいなさそうだった。
 ぐるりともう一度周囲を確認。それから私は切り出した。
「あのさ、切島くん、ここで今日私に会ったこと、できれば爆豪くんには黙っておいてくれないかな」
「え?」
 当然のように、切島くんが戸惑いの声をあげる。
「あ、違うの、誤解しないでね。爆豪くんと約束してたのは本当だし、私が今日ここで待ってたことも爆豪くんは知ってるんだけど……
 でも、と私は続けた。
「爆豪くん、すごく大変そうだから。……今はあんまり、ヒーローになるのと関係ない話、しないほうがいいよね」
「いや、関係ないって」
「だって切島くん、爆豪くんに話すとき『名前ちゃんすっげー落ち込んでる感じだった』とか言っちゃうでしょ」
 苦笑しながら私がいうと、切島くんは言葉につまった。やっぱりそうなんだ、とその顔を見て思う。物形さんと話しているときも、できるだけ笑顔で話すようにはしていたけれど、それでも多少落ち込んでいるのまでは、たぶん隠しきれていなかったのだろう。だからこそ、物形さんもああして心配してくれた。
「そういうの、内緒にしておいてほしい、ごめんね」
 顔の前で両手をあわせて、少しだけ顔を俯けた。顔を上げると、切島くんがさっきより一層困った顔をしてこちらを見ている。友達である爆豪くんと、その爆豪くんの彼女である私。ふたりのあいだで板挟みになってしまったら、そりゃあ困りもするだろうか。おかしなことに巻き込んでしまって、それについては申し訳ないと思う。
 切島くんは、しばらく悩まし気に視線をさまよわせたり唸ったりしていた。けれど最終的には、分かったと言って納得してくれた。私がほっと胸をなでおろすと、切島くんが溜息まじりに言った。
「爆豪、今頑張ってんだよ。でも、名前ちゃんのこと、忘れてたり、どうでもいいと思ってるわけではねーと思うから」
「大丈夫だよ、分かってるから」
 そう答えると、切島くんがまた困ったような、何か言いたげな顔をする。これ以上会話を長引かせて、うっかり切島くんに心変わりされては困る。
「ごめんね切島くん、秘密を守ってくれてありがとう」
「その言い方はずるいだろ……
「ね、私もそう思う」
 改札の前で切島くんと別れて、ひとりで地下鉄のホームにおりていく。秋の夜の冷たい空気が、駅のホームをしんしんと冷やしている。
 しばらくぼんやりと電光掲示板を見たあと、歴史の暗記帳をかばんから取り出した。大丈夫、私もすべきことをすればいい。すべきことをしていれば、そのうちきっと大丈夫になる。