爆豪くんが雄英の寮に入ったことで、私の夏休みの後半はとたんに暇になってしまった。毎日爆豪くんにメッセージを送ったり、ときどき通話はしているものの、一日のほとんどの時間は爆豪くんと無関係に進んでいく。
爆豪くんと付き合うまえ、三か月前まではこれが日常だったのだ。そう思うと、ちょっと信じられないような気分になる。
課題やら何やら、それなりにやることはあるものの、受験が差し迫っていた昨年とは打って変わって、今年の夏休みは自由そのもの。
オールマイト引退後の世間の混乱をかんがみて、あまりひとりでは出歩かないようにしているけれど、そうなるとどんどん暇を持て余すことになってしまう。結果、信じられないほどだらけた生活を送っている。
「ひまだ……」
ドン、ドンと窓の外から響く重い破裂音を聞きながら、私は自室の勉強机に頬杖をついていた。ほとんど進んでいない夏休みの課題を、夏休みも終盤の今頃になって、慌てて片付けている。夏休みの前半にいろいろあったとはいえ、課題をぎりぎりまでやり残すなんて、本当に中学時代では考えられないことだ。
こんなことではいけない。たるんでいる。
高校がゴールではないのだし、三年後には大学受験もある。
ひとまず今は、本腰をいれて課題に取り組まなければ。
そう、頭では分かっている。分かっているのだ。けれどなかなかその気にならないのは、夏休みという膨大な自由時間を手にしていること、そして遠くから連続して聞こえる低く鈍い音に、集中を乱されているからだった。
手からシャープペンが落ちる。ぼんやりしていた。
「……行きたかったなぁ、港の花火大会」
つぶやきをもらすと、自然と溜息がこぼれた。時計代わりに机の上に置いた携帯の待ち受けには、消していないままの花火大会のスケジュールが、今日の日付とともに表示されている。
本当であれば、今日は爆豪くんと一緒に花火大会に行く日だった。爆豪くんの入寮の決定とともにつぶれてしまった予定。それでも惜しい気持ちがして、消すに消せなかったスケジュール。
もちろん仕方がないことだと分かっている。けれど、がっかりする気持ちはどうしようもない。せめて、浴衣を新調する前でよかった。新しい浴衣を用意したうえで行けないとなっていたら、がっかり感は今の比ではなかっただろうから。
カーテンを締め切った窓を見て、また溜息を吐く。ベランダに出れば花火は見えるけれど、そんな気分にはなれない。
頬杖をついていた姿勢を崩し、机の上に広げたノートにぺたんと頬をつけた。シャープペンのあとが顔に残るかもしれないけれど、そんなことはどうでもよかった。
爆豪くん今頃何してるかな……。考えるともなく考える。
時刻はもうじき二十時になろうとしている。いくら寝るのがはやい爆豪くんとはいっても、さすがにまだ起きているだろうか。クラスのみんなと話でもしているのかな。
入寮前、まだ自由にいつでも会えたときは、こんなにも爆豪くんのことばかり考えていなかったように思う。会えない時間が何やらはぐくむというのは、なるほどこういう痛々しい感じなのかもしれない。
と、ふいに携帯の画面が点灯する。手に取り画面を確認すると、待ち受けにはメッセージのポップアップがひとつだけ表示されていた。
『今』
たった一文字の、短いメッセージ。
送り主は爆豪くん。
え? 今、なに? どういうこと?
今、何かをしているという文章を送ろうとして、途中で送信してしまったのだろうか。首をひねりつつ、だらしない姿勢のままメッセージアプリを開く。
爆豪くんの『今』に既読をつけた瞬間、今度は着信画面に切り替わった。
「えっ!?」
思わず声が裏返った。なかば反射のように、着信を受ける。背筋をのばし、座ったままで姿勢をただすと、通話が爆豪くんにつながった。
「えっ、あ、爆豪くん?」
「ん」
「もしもし、えーっと、こんばんは?」
「寝ぼけた挨拶してんじゃねえ」
寝ぼけてはいないけれど、たしかにぼやぼやした挨拶ではあった。驚いていたせいで、あまり頭がしっかりしていない。けれどそれはそれとして、そもそも挨拶ひとつしてこない爆豪くんに、文句を言われる筋合いはない。
「おい、根暗。聞いてんのかよ」
「ごめんごめん、聞いてる」
「……なんか話せ」
いつもの雑な話の振り方だった。もしかして暇なのだろうか。
「え? あー、そうだなぁ……」
適当に場つなぎの言葉を発する。
「今ちょうど、爆豪くんのことを考えてたよ」、一瞬、そんな甘えたセリフが脳内で再生された。けれどさすがに、気持ちが悪いだろうと言わずにおく。そんな甘えたことを言ったところで、爆豪くんには鼻で笑われて終了だろう。だいたい、そんなことを言っている自分なんて、想像したくもない。
「今日は、えーと、高校の図書室に行ってきた」
かわりに、当たりさわりのない近況を報告した。つまらない内容だけれど、爆豪くんは意外と、私のどうでもいい日常の話をそれなりにちゃんと聞いてくれる。
「夏休みだろ。なんの用事だよ」
「委員会の当番があって、登校しなくちゃいけなかったから」
「そういやなんか言ってたか」
夏休みに何度か登校しなければならない日があることは、爆豪くんにも話していた。それを思い出したようで、爆豪くんは「ふうん」と相槌ともつかない声をもらした。
久しぶりに乗った地下鉄は、夏休み中というのもあって、がらがらにすいていた。自宅の最寄りから高校の最寄りまで、ずっと座席に座ることができるなんて、通学時間であればめったにないことだ。
爆豪くんと四十分間、立ったままの登下校をつづけてきた一学期。ほんの一か月前までは、これが日常になっていくんだろうなあと、ふわふわしたことを考えたりもしていた。
けれど日常になるはずだった時間はもう、過去のものになってしまったのだ。がらがらの地下鉄の座席に座り、少しだけセンチメンタルな気分になりもした。考えても仕方ないと分かっていても、感情は勝手にわいては膨らむのだから仕方がない。
「それで、図書室で夏休みの課題やって」
「あ? おまえガリ勉が取り柄のくせに、課題まだ終わってねえのかよ」
「ああ、うん。なんか、いろいろあって、あんまり手につかなくて終わってなかった」
それで、だいたい今日のトピックは全部だった。あまりにも何もない夏休みで、話していて恥ずかしくなってくる。きっと爆豪くんの夏休みは私と違って、刺激に満ちているのだろう。
「爆豪くんは? 今日は何してたの」
「いつもと変わんねえ。特訓だ、特訓」
特訓。私の平凡な日常には、およそ登場しない単語だ。何を特訓するのだろう。想像もつかないけれど、合宿に続き大変だろうことだけは予想がつく。
「大変だねぇヒーロー科」
「仮免試験近ェからな」
「そういえば言ってたね、仮免試験。それをとると、外で個性使ってよくなるんだっけ」
「緊急時……必要ならな」
「なんか、すごいね……」
「遅ェくらいだわ」
鼻を鳴らした爆豪くんに、すごいねえ、と私はまたバカの一つ覚えに繰り返した。
オールマイトを引退に追い込むような敵の一味に拉致されたにもかかわらず、爆豪くんはすでに次の目標に向けて努力をはじめている。もちろんそれは学校のカリキュラムに沿った結果ではあるのだろうけれど、それでも私ならばきっと、次に一歩進む前には一度休みたくなってしまうはずだ。
「ほんと、すごい」
と、ふいに電話の向こう側で、カラカラと何か軽い物音が鳴った。なんの音だろう、と考えたところで、それが窓の網戸を開く音だと気付く。
「爆豪くん今どこにいるの?」
「あ? 自分の部屋」
「あ、そうなんだ。いや、まあそうか」
電話をしてきたということは、個室にいて当然だった。寮生活と聞くとどうしても、ほかのクラスメイトと一緒にいるところばかり想像してしまう。
「部屋つーかベランダ」
そう言って、爆豪くんが舌打ちをひとつ打った。
「あちーな、クソが」
「なんでベランダ? 電話の声、他の部屋に聞こえちゃわない?」
「平気だろ。どうせ窓閉めてエアコンつけてるやつばっかだわ」
そこでふと、爆豪くんが言葉を切る。なにか続きがありそうな気がして、私は黙って爆豪くんの言葉を待つ。部屋のエアコンがかすかにうなる音。
やがて爆豪くんが、何気ない調子で言った。
「……見てんのかよ、おまえは」
「え? なにを?」
「……」
「え? なに?」
「花火」
あ、と間抜けな声がもれた。そういうことか、と得心がいく。
今日は爆豪くんと一緒に花火大会に行くはずだった日。その約束が果たされることはなかったけれど、それでも爆豪くんは、ちゃんと覚えていてくれたのだろう。
うちの近所の花火大会の花火が、雄英の寮から見えるはずもない。それでも爆豪くんは、ベランダに出てくれたのだ。たとえ花火が見えなくても、せめて夜の空気を味わうために。
窓の外からはまだ、花火の音が低く響き続けている。
閉ざされたカーテンに向け、手を伸ばす。ベランダに出れば、花火が見える。いや、カーテンを開けるだけでも、窓ガラスごしに見えるはずだ。
けれど結局、私はカーテンを開かないまま、携帯を握りなおした。
「見てなかったよ、音は聞こえてるけど」
「家から見えるんじゃねえのかよ」
「うん、ベランダに出たらね。でも、いいや。今年は部屋で涼しくしておく」
たぶん、ここから花火を見たら、花火大会に行けなかったことばかり考えて、寂しくなってしまう。そんなことを思うくらいなら、花火など見ずに済ませたかった。
ドン、ドンと花火が夜空で破裂する音が続く。もう終盤なのか、音は絶え間なく続いている。
「チッ」
爆豪くんが舌打ちをする。通話しながら花火を見るという、それらしいことをしない私に対する苛立ちの舌打ちかもしれない。だとしたら申し訳ないかぎりだ。
「爆豪くんももう部屋に戻ったら? ベランダ暑くない?」
「うっせえんだよ、てめえ俺に指図してんじゃねえ!」
「わかったわかった、じゃあ適当なところで部屋に戻りなね」
「しつけーんだよ! 今戻ったわクソが!」
「戻ったんだ」
行動のはやい爆豪くんは、もう部屋に戻っていた。電話の向こうで、何やらごそごそやっている音が聞こえる。その音を聞きながら、私も学習机を離れてベッドに腰かけた。通話はまだつながっている。
こんなふうに日常のなかに爆豪くんの時間が重なるようになるなんて、一年前には思ってもみなかった。一年前の私は、爆豪くんの隣の席になって、一喜一憂したりしていたのだっけ。いや、一喜はしていなかった。ただただ憂鬱になっていただけだった。
来年の爆豪くんと私はどうなっているのだろう。
「ら、」
来年は、と言いかけて。
けれどそれは、いうべきではない言葉なのだと、口にする前に気付くことができた。
先行きが不透明で苦しい思いをしているのは、私だけではない。私よりも爆豪くんのほうが、きっとずっと、見えない未来に振り回されている。
「ら、ってなんだ、らって」
爆豪くんが尋ねてくる。私はめまぐるしく頭を回転させ、しりとりの要領で『ら』のつく言葉を探し出した。
「ら……ラグドールが」
「あ?」
「ラグドールが、早くよくなるといいね、と思って」
我ながら苦しい発言に頭を抱えたくなる。なぜ、どうして、ラグドール。私がヒーローに微塵も興味を持っていないことを、爆豪くんは知っているのに。
「ラグドール……って、あのねこババアのひとりか」
「うん、えーと、そう、ニュースで見たから。心配だなあと」
これは半分本当のはなし。爆豪くんも巻き込まれた騒動のなかで、ラグドールがひどく負傷したというニュースが流れていたのを覚えている。なにせ爆豪くんに関係するニュースなので、一時期はそれなりに真剣にチェックしていたのだ。もっともそれも、爆豪くんが無事に帰ってきてからの話だけれど。
「つーかてめえ、ヒーローに興味ねんじゃなかったのかよ」
「そう、だから、たまたまニュースで見て覚えてただけ」
「ハッ、ミーハーが」
鼻で笑われてしまったものの、ひとまずはごまかし通せたようで安心した。電話の向こうの爆豪くんにばれないよう、ほっと息を吐きだす。
あまり遠い未来の話はしないようにしよう。敵の出方がわからない以上、爆豪くんたちがこれからどうなっていくのかも分からない。ある程度の指針はあるのかもしれないけれど、それだって生徒の爆豪くんに知らされているかは不明だし、部外者である私に知らされる情報などきっとほとんど何もない。
だから話せるのは、近くて確定している未来の話だけ。それ以上は、守れない約束のような話ばかりになってしまう。守れない約束や未来のはなしはきっと、爆豪くんを嫌な気持ちにさせる。
「そういえばさっき、仮免取ればふつうに個性使えるって話してたけど、ということは仮免試験に受かったら、爆豪くんもふつうに街でヒーロー活動するってこと?」
「知らね。免許与えるってんだから、なんかしら権限が必要な活動はすんだろ」
「ふうん……」
ということは、場合によっては爆豪くんがヒーローの活動をしているところに、私がばったり遭遇することもあるかもしれない、ということだ。課外活動なのか実習のような感じなのか、いずれにせよ活動中に話しかけることはできないけれど、遠目に見るぶんにはかまわないはず。
「なるほどねぇ……」
「自分から聞いといて、んだそのシケた返事は……!」
「いや、なんかすごいなぁと思って。そっか、なるほど。私もがんばらないとね」
「てめえごとき根暗が頑張ったところでしれてんだよ」
「最悪な激励どうもありがとう」
それから少し世間話をして、爆豪くんとの通話は切れた。まだ夜更けには早い時間だけれど、爆豪くんは明日も早くから特訓があるのだろう。もともと早寝のひとではある。
通話の切れた携帯を見つめながら、爆豪くんとの先ほどまでの会話を思い返す。最後に会ったときよりは、こころなしか元気になっていたような気がした。入寮前の爆豪くんは、本当に見ていて心配になるくらい、覇気と闘志が足りていなかった。
少しは回復したのかな、だとしたらよかった。そう思いつつも、まだ爆豪くんが本調子ではなさそうなことは、暴言の量と質から察せられた。
なにか、私にできることがあればいいんだけど……。
入寮し、会える頻度もめっきり減ってしまった爆豪くんに、私ができることはなんだろう。エアコンの音だけが静かに満ちた室内で、私はベッドに腰かけたまま、しばらく物思いにふけっていた。
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