レゾン・デートル|CASE.03 超弦の遺恨

神秘は科学の手で解体できる。それが僕の信仰だ

雁桐右京。その名は心臓外科医──嘴馬遼士郎にとって浅からぬ縁を持つ物理学者の名である。
そんな右京が突然嘴馬の元を訪れた。右京が日本へ戻ってきた理由には五年前に発生した連続殺人事件が関係しているという。しかし問題を調べようとした矢先、ある人物が不可解な死を遂げる。『この紐とルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。ヒント…5年前に発生した八人連続殺人事件』。真実を知るため嘴馬らは捜査を開始するが……?
さらに同時に発生した脳外科手術の術中死。誰にでも輸血可能な血液製剤──〈メディウム〉がその死因に挙げられ、四宮椿は独自の調査を開始する。
背後で蠢く希少血を巡る陰謀。市民団体〈きぼうの庭〉と繋がる歪んだ神秘への祈り。
椿は父・沖田蒼司と共に因果の渦へ──。
物語は十二年前の惨劇、その真実へ指をかける。(CASE FILE.02 収録予定)

CASE.02 - マスグレイヴ家の儀式書 https://privatter.me/page/6973712c73d47

※同人誌版の原稿をそのまま移植しているため、改行が少なく横書きでは読みづらいと思います。縦読みリーダー表示をお勧めします。

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 ——同刻 螺旋捜査部 資料室


 腰ほどまである黒髪。それは丁寧に後ろで団子状にまとめ、耳元には淑やかさの象徴——白い椿の髪飾りをつけた和装の女性。温度のない、資料の群には似つかわしくないものだ。
 沖田桔梗は、分厚い捜査資料をテーブルに並べ目にも止まらぬ速さで紙を次々捲っていく。
 赤ワインのような深みがある深紅の瞳が高速で左右に動き、情報が全て彼女の頭蓋に収められてゆく。これが普通の者ならば情報同士が持つ細い糸が絡み合いもつれ合い……やがて圧倒されて全貌が見えなくなってしまうだろう。
 蜘蛛の巣は人が触れればすぐに糸が千切れる。だが正しき者が見ればその蜘蛛の巣を正しく解釈し、全貌を明かすことも可能だ。
 沖田桔梗は事務椅子に腰かけ、指先を突き合わせて瞼を一度閉じる。
 雁桐右京は確実に生きている。魔術師としての才覚があったというのは多少は驚くべきことだが、桔梗にとっては些事であった。
『雁桐右京』という名前が偽名であるという事実に比べれば。

「問題はどこから攻めるか……かしら」
 誰もいない資料室に、桔梗の声に答えるものは無い。黒いバインダーを優美な曲線の指が開き、彼女の瞳がその人物の資料を捉える。
 雁桐右京。本名、烏丸善爾からすまぜんじ
 烏丸家は八咫烏という神の使いの血を引きながら、呪殺によって名を上げた一族だ。かつては陰陽道の大家として名を轟かせ、そしてとっくに滅び去ったはずの血筋である。
 没落してなお細々と現代にまで残っていたようだが、右京が生まれて程なく滅亡した。その後右京は児童養護施設で育ち……高校生になってからは一人暮らし、現在まで独身。
 つまり、姪とされている雁桐みづきと、雁桐右京の間には血縁関係がない。彼は雁桐家となんの関わりもない赤の他人である。
 桔梗は少し瞼を持ち上げ、三冊目のバインダーへ手を伸ばす。そこには本来であれば一般人には決して閲覧許可が降りるはずのない資料が収められていた。
 五年前の事件、それを紐解く手掛かりが繋ぎ合わされ、桔梗の頭の中で事件が丁寧に詳らかにされていく。
「実に興味深いけれど……」桔梗は扉の方へ視線を投げた。「少し拍子抜けね」
「鼻が良いな、君は。警察犬に転職すべきだ」
 全身黒で固めたその男は嫌悪感を隠さずに桔梗へ言葉を吐きつける。丸眼鏡の奥で鈍い光を放つ砂金石には呆れと諦観が入り混じっている。
「あら、貴方こそ鳥の癖に随分と夜目が効くみたい……
「余計な事をするな。頼むから大人しくしていてくれないか」
「何もしていないわ。何もしなくても、嘴馬くんは時間をかけ、孰れこの事件の真相に辿り着くでしょう」
 桔梗は口元に皮肉な微笑みを浮かべる。
「貴方、自分でも良く理解しているのではなくて?」
「本当に、君は……嫌な女だな」
「そう?」
 桔梗は彼の言葉をそよ風のように受け流して続ける。
……初歩的な話だけれど、万物には使いどころがあるの。例えばこの紙切れだって、必要な時に使えばどんなものよりも強力な託宣になるわ。貴方が必要だと判断し、ミスカトニック大学の門を叩き、そして馬子の背骨に触れたのと同じことよ」
「僕の過去をほじくりかえすのが今『必要な事』か?」
「ええ。何よりも重要な事よ。貴方の背後に何があるのか? さらに言えば貴方がヴィンセント・ジョーカーを司法取引によって放免できるよう手引きした理由についても……全て五年前の芹沢馨事件よりさらに前に起点があるから」
…………
 男は押し黙った。沈黙は是と桔梗は解釈し、先程の冷笑とは異なる柔らかい模範的淑女の微笑みを目元に浮かべた。
「私は貴方に対して今まで特段何の感情も持っていなかったの。でも今は違う」
 桔梗は軽く目を細め、「貴方を軽蔑しているわ」
「僕が殺人を犯したからか?」
「ふふ、何て面白みのない質問かしら。殺人なんてやりようはいくらでもある。私なら軽く6万5536通りの方法が思い浮かぶわ」
……桔梗くん。君は一体何が言いたい?」
「教えてあげる気は無いわ。これを教えてしまったら意味がないもの……
 桔梗は開いていたバインダーを閉じる。
 男はその言葉に顔を顰めた。水墨が床に撒き散らされるように、或いは影が光によって姿を変えるように、人の形がたちまち小さなカラスに変化する。カラスには足が三本生えていた。
 八咫烏である。
 雁桐右京は強力な先祖返りであった。
「女狐め。……僕の邪魔をしないなら何でもいい。遼士郎に妙な事を吹き込むなよ」
「それは誉め言葉として受け取っておくわ。〝クロウ〟」
……!」
 カラスの姿になった右京は一瞬凍り付いたように動きを止めた。何故そこまで知っている、と言いたげな動作に桔梗はつまらないものを見るような顔になり、右京から視線を外す。
 彼女の表情にはありありと……『心底つまらない男』と書かれていた。

諸注意
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