レゾン・デートル|CASE.03 超弦の遺恨

神秘は科学の手で解体できる。それが僕の信仰だ

雁桐右京。その名は心臓外科医──嘴馬遼士郎にとって浅からぬ縁を持つ物理学者の名である。
そんな右京が突然嘴馬の元を訪れた。右京が日本へ戻ってきた理由には五年前に発生した連続殺人事件が関係しているという。しかし問題を調べようとした矢先、ある人物が不可解な死を遂げる。『この紐とルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。ヒント…5年前に発生した八人連続殺人事件』。真実を知るため嘴馬らは捜査を開始するが……?
さらに同時に発生した脳外科手術の術中死。誰にでも輸血可能な血液製剤──〈メディウム〉がその死因に挙げられ、四宮椿は独自の調査を開始する。
背後で蠢く希少血を巡る陰謀。市民団体〈きぼうの庭〉と繋がる歪んだ神秘への祈り。
椿は父・沖田蒼司と共に因果の渦へ──。
物語は十二年前の惨劇、その真実へ指をかける。(CASE FILE.02 収録予定)

CASE.02 - マスグレイヴ家の儀式書 https://privatter.me/page/6973712c73d47

※同人誌版の原稿をそのまま移植しているため、改行が少なく横書きでは読みづらいと思います。縦読みリーダー表示をお勧めします。

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 1
 ——現在 六月十八日
 東都医科大学附属病院


 曰く、人は彼女を天才と呼ぶ。或いは〈忌まわしき名探偵〉と。
 その医師の名は、四宮椿しのみやつばきという。
 最優先事項は、そんな彼女の監視。それが螺旋捜査官——市ノ瀬咲良いちのせさくらに与えられた職務だった。
 俺の感覚からしても、咲良は今までの螺旋捜査官とは毛色が随分と違っている。
 なまじ魔術の世界に明るくないせいなのか、それとも単純に医者になるために努力してきた自負があるからか、それはよくわからないが。それでもただ一つわかるのは、咲良が椿のことを、
「あいつは本物の大厄災です」
 かなり正確に評価している、ということだ。
「まあそう言ってやるなよ」
 俺——嘴馬遼士郎はしまりょうしろうはへらりとした表情を口元に浮かべて、血気盛んな若者を諌めてみる。悪口を言われている当人はまだ万全でないこともあって、十階の特別病室に入院中だった。咲良はたまった書類仕事を片付けながら唇をへの字に曲げた。
「あの。嘴馬はしま先生、あんたがあいつの指導医なのは知ってます。できる限りこんなこと言いたかねえですけど、あいつの教育めちゃくちゃ失敗してませんか」
「あはは……」咲良の声で、俺の近くに立っていた沖田蒼司おきたそうしが流れ弾を喰らう。「うん、……その、……なんというか、ごめんね」
「あ、いや。違くて。違います。沖田先生が悪いわけでは」
 咲良は萎れた蒼司を見かねて必死にフォローを始める。逆効果だとは言わないでおいた。それを言えばお互いに萎れて大変なことになる未来が見えるのだ。
……俺が……、気に食わないだけです。別に、あいつが悪いわけでもないんですよ」
 咲良はラップトップの画面に視線を投げながら呟く。プライバシー保護のために反射シートが貼られているようで、何がその画面に映っているのかはわからない。おそらく、椿に関する文書やら、報告書の類だと思われた。
「あいつはれっきとした医者や。やけど……
 四宮椿は、螺旋捜査部の厳重監視対象である。咲良と、もう一人の螺旋捜査官——大河おおかわカレン。その二人から常に監視を受けている。
 その原因を作ったのは、俺だ。できる限り考えないようにしてきた澱が這い出る。俺があの時、もっとより良い選択をできていたら——そう思い、慌てて頭を振り払う。
「まあまあ、甘いもんでも食べてちょっと休憩しようぜ。ケーキ買ってきたからよ」
「それ、遼士郎が食べたいだけだよね」蒼司が困ったように微笑む。
「いいだろ別に。エネルギー使うんだよ、オペって」
「はいはい、そうですか。咲良、先に選んでいいよ。遼士郎がそれダメって言うかもだけど」
「ありがとうございます……、あ、じゃあそのチョコレートのやつを」
 しかし間髪入れずに蒼司が、「いやこれは僕が食べるからダメ」
「なんなんかちゃ。選ばせてくれるんやないんですか」
「冗談だよ。はい、チョコ。でも本当によかった」
 蒼司はそう言って眦を綻ばせた。顔立ちは本当に親子で、椿と蒼司は瓜二つの容貌をしている。だが、蒼司が纏う柔らかさは彼だけのものだった。
「いきなりのことだったでしょ。警察病院に飛ばされて、しかもそれ以降の音沙汰がなかったから、結構心配してたんだ」
「目をかけていただいたのに、こんなことになって申し訳ないです」
 咲良は眉を顰めた。
 螺旋捜査官は基本的に、一般募集のない官僚と聞く。確か魔術に明るい人間か、血筋に幻想や神秘と関わりのある者をスカウトして人員を補填している——とか。
「俺個人としては、今すぐにでも臨床に戻って、外科に行きたいんですけど」
 咲良は苦々しい顔で、ドーム型のチョコレートケーキにプラスチックのフォークを突き刺した。可愛いくまちゃんをフォークが貫通している。容赦ねえなこいつ。
「あの莫迦を野放しにして戻るわけにはいきません」
「ふふ……
 蒼司は堪えきれなくなったように吹き出して、「あはははは!! クソ真面目!! あーもう、可愛いなあ」
「かわ……いくはないでしょう。感性大丈夫ですか?」
 一応、蒼司はかつて咲良を一時期指導した立場だ。そんな師(もどき)に対してもズバズバこうして言えるのは、咲良の生真面目さと、奇妙な愛嬌のバランスなのだろうな、と勝手に分析してみる。
……その……
 咲良は言いづらそうに視線を彷徨わせた。わずかに震える指先が、先日の出来事を思い出しているのだろう——、容易に想像がつく。
…………椿は。あいつは、なんで……あんな……。あいつは医者でしょう。救う手立てはいくらでも思いつけるんやねえかって、思ってしまう」
 曰く、人は彼女を時折〈医学における万能の天才〉という異名で呼び表す。だがそれは決して、賞賛ではなかった。
 椿の成果はほとんど表に出てこない。より正確にいうと、成果はある。が、そこに椿の名前はない。
「あいつは頭が良すぎるからな」
 俺は苺の正方形のケーキを取る。上に乗った苺とクリームを、フォークで軽く掬ってみる。
……凡人の僕らよりも、人間の限界が早く理解できてしまう。だから、必死になって誰かを助けるために足掻くのが、怖いんだと思う。必死になって助けられなかった時、苦しいでしょう」
 咲良は蒼司の言葉に唇をきつく結んだ。納得しているというより、少しだけ反抗心が覗いていたような表情だったが、
「そう、ですね。……そういうことにします」
 弟子は素直に師匠の言葉を受け入れた。もし椿だったらここら辺で屁理屈をこね始めるところである。そして俺はいつも言い負かされ、気づくととんでもないことに巻き込まれているのだ。

 ***

 玄関で鳴った呼び鈴に、意識が現実へ引き戻される。手元の本は全く読み進んでおらず、ぴたりと物語を止めていた。
「はあ……
 珍しい休みのせいか、無駄に感傷に浸っていることに気づく。
 ——十二年前。全ての因果の起点。何もかもが狂い始めた、最初の事件。
 第四手術室の惨劇。そんなふうに呼ばれる、凄惨な事件があった。東医はその舞台だった。
 十二人分の死と、一人の生と、鮮血を浴びて、俺は。
 
 窓ガラスを規則的に叩く雨音が、俺の鼓膜と過去を揺らしている。
 こいつがふらりと消えたのはもう五年は前の事だった。唐突にそれを思い出し、眼前に立つひょろりとした男へ視線を投げる。
 彼の濡れた鳥の巣のような髪の毛。ぐっしょり雨水のしみ込んだ草臥れたスーツ。どれもこれもあの日見送った当時よりはほんの僅かに年輪を重ねたことがうかがえる。
 お互いに年は取っているのだから当然のことではあるのだが、妙なことに唐突な訪問に対して、腹の奥でじわじわと怒りがこみ上げてきているのが分かった。
 普段から怒る事は少なく、寧ろヘラヘラした笑顔で理不尽を受け流すことに慣れてしまい、怒るという行為はエネルギーを消費するから、と無意識に避けていたというのに。
「お前さ、俺の都合とか考えねえの。家にいなかったら、とか」
「いないはずがない。君は立場的に考えても深夜当直は少ないはずだし、律義な性格をしているから生活のリズムを崩すのは本意ではないはずだ」
「本音は」
「相変わらず言わせたがりだな。月末の金曜日は東医のノー残業デーだから、心臓移植手術や緊急手術が入らない限りは帰宅しているはずだと思った。狙って来たに決まっているじゃないか。合鍵はここを出て行ったとき君に返してしまったから持っていないし……
 彼はそう言って革靴を脱ごうとした。俺は慌ててタオルを投げ渡す。浸水した靴下で廊下を歩かないでくれ、と思っていれば、幸いにもその願いは聞き届けられた。
 バスマットをくれないか、と言って大人しく玄関に突っ立ったままなので、流石に何だかいたたまれない気持ちになってくる。俺は珪藻土のバスマットを持ってきて玄関に置いた。
「メッセージに既読をつけないだろうと思った」
「いや、流石に無視はしねえよ」
「本当に?」彼はレンズの厚い眼鏡を一度外し、南の海のような色合いの瞳で俺をじっと見つめていた。
「返信するだろ。そりゃあ」
「別れたのに?」
「言い方。別に付き合ってねえ」
「それはそうだな」
 彼——雁桐右京かりぎりうきょうは眼鏡を己の顔へ戻し、俺を再び見据える。その表情には複雑な色が浮かんでいた。こういう時の右京は大抵の場合一人ではどうすることもできない、異様に入り組んだ複雑な問題を抱えている事が多かった。
 そして俺がそれに巻き込まれるというのも、何となく察しがついてしまった。
……すまない、遼士郎」
「後で聞くから一旦シャワーでも浴びてこいよ。風邪ひくぞ」
「しかし、見ての通り……
 右京は少し逡巡する素振りを見せた。俺は半ば諦めと呆れを交互に感じながら言葉を遮るように、「お前の私物なら捨ててない。そのままだから適当に引っ張り出してくれ。あと洗濯物は後でまとめて回すから、かごに入れといて」と言って、洗面所に右京を押し込めた。
 懐かしさが襲ってくる。それと同時に自分の傷口が開き、そこから血が滲むような鈍痛を覚えた。
 恐らくそれは、後悔という名前をしている。

諸注意
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