レゾン・デートル|CASE.03 超弦の遺恨

神秘は科学の手で解体できる。それが僕の信仰だ

雁桐右京。その名は心臓外科医──嘴馬遼士郎にとって浅からぬ縁を持つ物理学者の名である。
そんな右京が突然嘴馬の元を訪れた。右京が日本へ戻ってきた理由には五年前に発生した連続殺人事件が関係しているという。しかし問題を調べようとした矢先、ある人物が不可解な死を遂げる。『この紐とルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。ヒント…5年前に発生した八人連続殺人事件』。真実を知るため嘴馬らは捜査を開始するが……?
さらに同時に発生した脳外科手術の術中死。誰にでも輸血可能な血液製剤──〈メディウム〉がその死因に挙げられ、四宮椿は独自の調査を開始する。
背後で蠢く希少血を巡る陰謀。市民団体〈きぼうの庭〉と繋がる歪んだ神秘への祈り。
椿は父・沖田蒼司と共に因果の渦へ──。
物語は十二年前の惨劇、その真実へ指をかける。(CASE FILE.02 収録予定)

CASE.02 - マスグレイヴ家の儀式書 https://privatter.me/page/6973712c73d47

※同人誌版の原稿をそのまま移植しているため、改行が少なく横書きでは読みづらいと思います。縦読みリーダー表示をお勧めします。

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***

 ——数刻後


 暫くして俺の居室を尋ねてきたのは浮城佐奈芽……と思いきや、その後ろからそっと顔を出した沖田桔梗だった。珍しいこともあるものだと、俺は大してうまくもないインスタントコーヒーを出してやり、彼女を来客用の一人掛けソファに案内する。
 普段からそんなにコーヒーは口にしない、と言っていた事を思い出したのは、コーヒーを入れて彼女に出してからだった。桔梗は俺の表情に内心を察したか、一度瞼を伏せて迷いなくコーヒーカップへ指をかける。
 桔梗はいつも通りの柔い微笑みを口元に浮かべていたが、長年の付き合いのせいなのか——、嫌に勘が冴える今日は、その笑みの裏側に様々なものを隠していることを察してしまった。
「悪だくみも大概にしとけよな」俺は自分用に出した薄いコーヒーを啜った。「……それで、何かあったのか?」
「雁桐くんに会ったわ」
「右京に!?」
 思わずコーヒーを噴き出しかける。
「なああいつ大丈夫なのか? 何か怪我とかしてないか? 誰かに……
「落ち着いて。相変わらず酷い顔色をしていたけれど、特に問題はないわ」
「そ……そうか」慌てて椅子に腰かけ、「なあ、あいつはなんで急に消えた? 桔梗さん、何か知ってるなら教えてくれ。頼む」
「私も多くを知っているわけではないのよ」
 桔梗はそう言った一方で訳知り顔だった。俺に対してくすりと微笑みを返し、
「雁桐くんは、貴方を中途半端に巻き込んで……そして自分勝手にいなくなってしまったわ。貴方、彼に怒りを感じないの?」
「それは……、多少は……
 俺は言い淀む。怒りを感じないか、と聞かれ、確かに怒りを多少は感じている自分に気づく。だが圧倒的に俺の心にあったのは心配と焦燥だった。それが友人へ向けるものなのか、それとも……一度深い関係を持ったが故に引きずる憐みや情の類なのかはわからない。
「多少は感じてる。でも……心配だ」
「そう。貴方。本当、懐に入れた相手には、とことん甘いわね」
 桔梗は少し呆れたように唇を引いて呟く。
「じゃあ彼がアメリカで何をしていたか、聞いていて?」
 俺は「いや、」と曖昧な返事を返す。
 右京は自分のしていたことを何も話そうとはしなかった。ただ俺は深く聞こうともしなかった。俺もあれこれ話そうという質ではないのでお互いさまだと納得させていたし、実際それで納得していた。
 だが今回はそうも言っていられない。右京も俺も事件の渦中にいるのだ。そして桔梗がそんなことを聞くということは、考えなくてもわかる。彼女は俺の思考を正しい方向へ誘導しているのだ。それは右京がアメリカでしてきた事が、今回の事件に——ひいては五年前の芹沢馨事件に深く関わっている、という事を示している。
 俺はその見解を述べて、それに対して桔梗は少し目元を緩める。どうやら正解を引き当てたらしく、俺は内心ほっと胸を撫で下ろした。
「彼はミスカトニック大学の神秘部門の一員よ」
「神秘部門って……まさか『博物館ミュージアム』か?」
 俺はかつて起きた事件を思い出す。現在ではその一切が秘匿され、人の目に触れることのないその事件を。
 口を固く閉ざしながらも真実を知っている者たちは、それを『熾天使降臨案件』——或いは『第四手術室の惨劇』と呼んだ。
 博物館と呼ばれているミスカトニック大学の神秘部門は、その事件の折に専門家として調査に来ている。惨劇の中心人物である四宮椿を外界から隔離して、徹底的に調べることを提案したのもそいつらだった。
 こくりと頷き桔梗は是と示した。口元が優美な曲線を描いたままなのが少しだけ不穏だったが、俺は彼女が口を開くのを待つ。
「ただ、博物館にも色々いるのよ。雁桐くんが所属している『博物館』は神秘や幻想の解体を専門に扱っている。つまり科学の手で幻想を制することを目的とした者たち、ということね」
「科学で幻想を壊す……
 俺はその言葉に少し怖気立つ。
 それは——目的そのものが、魔術師という存在の否定だった。
 博物館に属する者は皆魔術師である。つまり科学で幻想を壊すことを目的にした右京らは、大きく魔術というものから乖離したところにおり、尚且つその行為には多大な自己否定が含まれていた。
「でも右京はアーカムに行くって言って……あいつはそれ以前からミスカトニック大学に出入りしていたのか?」
「いいえ。彼がミスカトニックの門を叩いたのは五年程前のはずよ」
「五年、前……アーカムに行くっつって俺んちを出てった時か」
「彼の場合、魔術という非科学的事象を数学と物理学によって否定してやろうと躍起になっていたようね。そしてその過程で物理学者になったのだもの……興味深いと思わない?」
「それは、まあ、うん」
 俺は彼女の言いたいことがあまりわからずに曖昧な返事をする。
「桔梗さん、悪いけど全然話が見えねえ。何が言いたいんだ」
「ごめんなさい、砂を噛むような話をして」
「いや……
「結論だけ言いましょうか」
「いや、続けてくれ。右京に『解答だけを求めるのは良くない癖だ』って言われたからな」
……そう」
 桔梗は少し驚いた様子で目を丸くした。そんなことを言われるなんて、という文字が顔の脇に浮かんでいるような表情をされるとは思わず、俺は誤魔化すようにコーヒーを啜った。
「雁桐くんたち『博物館』が収容した吸血鬼の消失……そして五年前に発生した芹沢馨事件。さらに言えば事件の起点はもっと前にあるわ」
「もっと前って、いつ?」
「烏丸善爾が雁桐右京になった時よ」
 俺の脳が完全にフリーズしたのがわかった。
 烏丸善爾が、雁桐右京になった? つまり俺の知っている右京は『烏丸善爾』という存在なのか? なった、とはどういう意味だ? 名を変えた? 本当にそんな簡単な理由か? 俺はぐるぐると回転する視界を必死で耐え、桔梗の方を見遣った。彼女は俺の様子は予想済みと言いたげに、凪いでいた。
「貴方が知る雁桐右京は、烏丸善爾。彼は本物の雁桐右京を殺害し、成り代わった」
……なんで……そんなことを? だって最初っから博物館の人間だったらそんな必要ないだろ」
 桔梗は「あら、そうかしら」と言ってコーヒーカップをソーサーに置いた。
「何故ミスカトニック大学に収容され、解体屋と揶揄される『博物館』の者に隅々まで調べ上げられ、力を削ぎ落とされたはずの吸血鬼が脱走できたのか。そして何故それがわざわざ日本という遠く離れた場所で事件を起こしたのか……
「右京……いや烏丸善爾に復讐するため?」
「そうよ。そして吸血鬼を殺すにはいくつかの手段がある。有名だけれど、杭で心臓を貫くこともその一つ。他で言えば、神聖な能力を持つ者に殺害されることも、そうね」
 俺はエクソシストを思い出す。映画の中では聖書と十字架、聖水が悪魔と戦うには重要なアイテムだった。
「ええ。そしてその神聖な能力というのは、所謂吸血鬼殺しやエクソシストのような者に限られた話ではないの。原生的な神秘、神聖な力も含まれているわ」
「原生神秘はそりゃあ、吸血鬼なんてイチコロだろうけどよ。それとあいつになんの関係があるっていうんだ」
「烏丸一族は、八咫烏の血を引く半幻想の一族だったの。けれどどういうわけか彼らは呪詛によって人を害する者に成り下がったわ。そうして随分前に滅亡したはずだった」
……その呪詛師集団の生き残りが、烏丸善爾」
 俺は右京の本当の名を口にした。頑なに昔の話をしようとしなかったのはこれが理由だったのか、と内心思う。
「意図的に残されたのだと思うわ。彼は強力な先祖返りなの。八咫烏本来の力を持つわ。けれど……
 桔梗はそう言って窓の外へ視線を向けた。一羽のカラスが器用に足を引っ掛けて羽を休めている。だがよく見ると妙な点があった。そのカラスには足が三本あったのだ。
 カラスは窓ガラスをコツコツと嘴で叩いた。開けてくれ、と言わんばかりに。
「開けてさしあげて」
 俺は少し不安を覚えながらも窓を開け、カラスを室内へ招き入れた。黒いそれはふわりと床に着地する直前、紐が解けるように形を変え、影が人形を象る。それは右肩を軽く回し、申し訳無さそうな顔をして一度俺へ視線を向けた。
 そこに立っていたのは間違いなく俺が良く知る雁桐右京だ。少し疲れた顔をしているが、無事ではある。俺は怒る気力も呆れる気持ちも消え失せ、へなへなと椅子へ腰を下ろした。
 
「言ったはずだ」
 右京は桔梗に向かって苛立ちを隠さない口調で詰め寄った。
「僕の口から話すから何もしないでくれ、と」
「そんな悠長に構えている場合ではなくなってしまったわ」
……君は一体、何を」
 右京は桔梗を睨みつけ、言葉に詰まりながら彼女を非難するような顔で、
「いや、もういい……どうせ君がそういうなら、そうなんだろう」
「物分かりが良くて助かるわ。貴方たちもすでに気づいているでしょうけれど……
 右京は俺を気にかけるように一瞥し、桔梗を見据えた。
「あれが示したのはアーカムだった。まるで僕を嘲笑うようにミスカトニックへ導き、あれは僕にもぬけの殻となった収容庫を見せつけた」
「ちょ、ちょっと待て! わかるように説明しろ。お前ら二人はいい加減に頭の出来が一般人と全然違うってことを理解しろよな」
「まあ、そんな事はないわ。もう分かっているでしょうに」
「同感だ。だが……頼まれれば話す義務はあるだろう」
 右京は俺の正面に置かれた一人掛けソファに腰掛け、左側の肘掛けに体重を預けた。俺はその自信ありげな様子に、右京が何らかの解明を得たのだと気づく。
 
「全ての発端は僕にある」

 右京はじっと俺の方を砂金石に似た色合いの瞳で見つめている。その様子はまるで告解のようにも写ったが、一方でその瞳の奥で渦巻く狂気的な叡智を感じ取れてしまう。

「僕は二十数年前、とある幻想を解体殺害した。それが全ての発端だ」


諸注意
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