レゾン・デートル|CASE.03 超弦の遺恨

神秘は科学の手で解体できる。それが僕の信仰だ

雁桐右京。その名は心臓外科医──嘴馬遼士郎にとって浅からぬ縁を持つ物理学者の名である。
そんな右京が突然嘴馬の元を訪れた。右京が日本へ戻ってきた理由には五年前に発生した連続殺人事件が関係しているという。しかし問題を調べようとした矢先、ある人物が不可解な死を遂げる。『この紐とルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。ヒント…5年前に発生した八人連続殺人事件』。真実を知るため嘴馬らは捜査を開始するが……?
さらに同時に発生した脳外科手術の術中死。誰にでも輸血可能な血液製剤──〈メディウム〉がその死因に挙げられ、四宮椿は独自の調査を開始する。
背後で蠢く希少血を巡る陰謀。市民団体〈きぼうの庭〉と繋がる歪んだ神秘への祈り。
椿は父・沖田蒼司と共に因果の渦へ──。
物語は十二年前の惨劇、その真実へ指をかける。(CASE FILE.02 収録予定)

CASE.02 - マスグレイヴ家の儀式書 https://privatter.me/page/6973712c73d47

※同人誌版の原稿をそのまま移植しているため、改行が少なく横書きでは読みづらいと思います。縦読みリーダー表示をお勧めします。

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 ***

 俺はすぐに着替えて東医を後にし、裏口からタクシーを拾った。向かう先は福岡市は博多区——商売人の街である。そんなビジネス街の中に俺の実家、栄生会総合病院は居を構えている。メーターが上がっていくのを眺めながら、しかしどうやって麻酔薬の使用履歴なんて調べるというのか……現実的な問題が鎌首をもたげた。経営一族の人間とは言っても俺は東医の人間で、病院から見れば完全な部外者である。
 だが、ふと思い至ることがあった。そもそも五年前にその事実が出て警察が把握していないということは考えにくい。だがわざわざ桔梗がわかりやすくヒントを出し、俺の進むべき方向を示したということは。
(麻酔薬の使用履歴には問題がなかった……?)
 だがそうだとすれば、なぜ右京は俺の親父が事件に深く関与していると推測した理由がいまいちわからない。
 それになぜ佐奈芽は桔梗に五年前のことを聞いた? 俺に何か重大な事を隠しているのか? 単純に俺の目が節穴なだけだと思いたいが、「事件が終わっていない」と断言した右京のことを考えると、全てが怪しく思えてきて――頭が爆発しそうな気持ちになる。
 はっと前を見ればもうすぐ病院の正面玄関だ。俺はクレジットカードを差し出して運賃を支払い、吹き抜けになっている開放的なロビーへ足を踏み入れた。東医のロビーよりも病院らしい病院のイメージを受け、白と淡い緑色が冷たい印象を掻き立てている。
 すぐに五階の奥にある院長室に向かい、少し迷って……俺は意を決し、ノックもせずに室内へ入った。
「親父……
 椅子は窓の方を向き、俺の声には一瞥もくれない。肘掛けに置かれた皺のある手には点滴が接続されている。俺は近づきながらその点滴チューブを視線で追いかけ、接続されている薬品名へ視線を向けた。
 ジアゼパム。
 ……静脈麻酔?
 俺は一瞬何が起きているのか全く理解できず硬直した。

——ッッ!」
 俺は点滴を閉め切り留置されていた管を腕から引き抜く。
 すぐさま内線をかけて麻酔科と救急へ連絡し非常事態を伝える。ジアゼパムならフルマゼニルで拮抗できる……明らかに常用量を超え、致死量が投与されている……呼吸、心拍は? 完全にフリーズして使い物にならない頭をどうにか動かし、俺は椅子から彼を引き剥がす。
 顔を覗きこむ。
 この男は親父……嘴馬克彦ではない! 全くの別人だ! 一体何が起きている? 俺は困惑しながらも床に寝かせて呼吸音と脈を確認する。いつからこの状態なのか、なぜ院長室で、疑問が浮かんでは消える。
 だが何もしないわけにはいかない、俺は一縷の望みに縋って胸骨圧迫を始めた。深く沈み込む胸中が、一瞬ポキ、と俺の掌の下で骨が折れる感覚があったが、それを気にしている場合ではない。院長室に飛び込んできた、麻酔科医と看護師たちがAEDを持ってくる——電極を胸に貼り付け、心電図を読み取らせる——

『電気ショックを実行できません』
 無慈悲な機械音声が響いた。
 波形フラット。眼球反射の確認をし、気管挿管を試みていた若い医師が男の顎を触り、首を振った。
「僅かですが……死後硬直が始まっています……
「そんな」俺は莫迦みたいにそれしか言えず、「一体何が起きてるんだ……
 ならば本物の親父はどこにいる? スマホはデスクに置かれたまま。この男は一体何者だ? よく見れば顔の彫りが深く、西洋人の血が混ざっているようにも見受けられた。
「お……俺、警察に連絡します」
 気管挿管を試みていた若手が言う。白衣の胸ポケットに付けられた名札には、『救急部』の文字があった。
「頼む」
「この人は一体何者なんでしょう」横にいた若い医師が恐る恐る言った。「院長室でこんな……
 俺は横たわった男を観察した。ふと手首に目が留まる。そこには刺青があった。羽を広げたカラスのような刺青が入っており、カラスの足元に星が三つ並んでいる。
「刺青……」横の彼がぼそりと呟く。「ワタリガラス?」
「ワタリガラス? その辺にいるカラスとどう違うんだ?」
「日本では北海道でしか見られないんです。渡りをするからワタリガラス……で、英語ではレイヴンと呼ばれます」
 彼は刺青を指差した。羽の一部に目を凝らさねば見えないほど小さい文字で『Raven』と刻まれている。
「一般的なカラスは『Crow』なんです。呼び方が違って」
 重要な手掛かりなのか、俺の気にしすぎなのかはまだ判断がつかない。警察が到着して現場検証を始めるのを横目に、俺たちは院長室に備え付けられた応接スペースに移動した。
 博多署の刑事に混じって一人、見知った姿がある。医学特区署所属の梅原だ。なぜか一緒に現場検証に参加していた。所轄が違うのではないか……と素人考えが浮かぶが、もしやあの遺体とこの素性の知れない刺青の老人、二つの事件には関連性があるのではないか? あの刺青は妙に引っ掛かる。もし俺が梅原に見せられたあの遺体、その首に刻まれたものと同じであれば。
「嘴馬先生、貴方も大概よく事件現場で会いますね。四宮先生ほどではないですけど」
 梅原は溜息を隠さずに続けた。
……例の首無し死体ですが、螺旋捜査部の連中が持って行きました。最悪です」
「何でそんなことを俺に教える?」
「またしらばっくれて。どうせ調べているんでしょう? 五年前の事件についても、この事件についても」
「それはまあ、そうと言えばそうかもな」
 俺は曖昧な答えを返した。沖田桔梗という人の敷いたレールの上を走っている自覚はある。
螺旋捜査部市ノ瀬捜査官と仲良しこよしな嘴馬教授であれば何か知ってるのでは?」
「いや知らねえよ流石に」
 俺を情報屋か何かと思っているらしい。梅原はわかりやすく口を尖らせ「ちぇ」と声を漏らした。
「右京とも連絡つかねえし……
「やはり雁桐右京は行方を眩ませているんですね」
「やはりってどういう意味だよ」
 俺は顔を顰めて梅原を質した。梅原は言い難そうに前髪を一度かき上げる。そしてスラックスのポケットに手を突っ込んでみたり、ジャケットの内ポケットから警察手帳を取り出してみたりと居心地悪そうにした後、半ば投げやりに言った。
「既に合同捜査本部が立っていまして」
 梅原は諦めたような口調になり続ける。
「本部は雁桐右京を殺人容疑で指名手配しました。首無し死体、そしてこの現場……麻酔薬を使った殺人が実行されるとは予想外でしたが、彼を犯人だと疑うには十分な要素が揃っていますから」
「首無し死体の身元がわかったのか?」
「はい」梅原は警察手帳を捲る。「被害者は濱田礼人はまだあやと。県立大宰府紅梅高校勤務の数学教師で、雁桐右京とは同学部同学科の同級生だったそうです。それと両者共に数学研究会に所属していました」
「それだけで右京を犯人だと思ってるのか」
「そんなわけがないでしょ。濱田は雁桐にかなりの額の借金があったようです。加えて電子カルテ追従型保険証のデータから分かったのですが、濱田は心療内科のクリニックを複数箇所受診し、プラセボを処方されています。そのうち一か所、こばやし心療内科クリニックというところで……
「そういう事か」
 俺は呟く。「薬物を乱用してたのかもな。抑うつ状態が続いた患者は自傷行為に走ることが多い。その中には目に見える自傷だけじゃなく、そういうのも含まれてる」
「それってオーバードーズっていうやつでしょう」
 俺は数週間前に搬送されてきた若い女性を思い出した。大量の鎮痛剤を服用したことでそのまま意識消失し、家族がそれを発見して救急要請。東医へ運び込まれ、緊急手術で一命を取り留めたが。
 そういうことに手を出す若者は家庭内に問題を抱えていることが多い。彼女もそうだった。
「詳細はカルテを見ねえとわかんねえよ。……なあ梅原、あのさ」
「はい」
 梅原は警察手帳にメモを書きながら答える。
「何か気になることでもありましたか?」
「濱田の首元にさ、刺青入ってなかったか?」
……刺青、ですか? いや……まだ科捜研と法医学研究所から結果が全部返ってきてないので……あとで確認しておきます」
 僅かに梅原の顔に動揺が浮かんだように見えたが、恐らく杞憂だろう。俺は梅原から顔を背けて現場検証を行う鑑識たちへ視線を向け、必死に悪い方向へ傾く思考を追い出そうとした——結局、逆効果であったことは言うまでもない話である。

諸注意
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本作品はフィクションです。実在の団体・名称とは一切関係ありません。
一部猟奇的な表現や犯罪に関する表現がありますが、これを助長する意図は持ちません。

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