レゾン・デートル|CASE.03 超弦の遺恨

神秘は科学の手で解体できる。それが僕の信仰だ

雁桐右京。その名は心臓外科医──嘴馬遼士郎にとって浅からぬ縁を持つ物理学者の名である。
そんな右京が突然嘴馬の元を訪れた。右京が日本へ戻ってきた理由には五年前に発生した連続殺人事件が関係しているという。しかし問題を調べようとした矢先、ある人物が不可解な死を遂げる。『この紐とルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。ヒント…5年前に発生した八人連続殺人事件』。真実を知るため嘴馬らは捜査を開始するが……?
さらに同時に発生した脳外科手術の術中死。誰にでも輸血可能な血液製剤──〈メディウム〉がその死因に挙げられ、四宮椿は独自の調査を開始する。
背後で蠢く希少血を巡る陰謀。市民団体〈きぼうの庭〉と繋がる歪んだ神秘への祈り。
椿は父・沖田蒼司と共に因果の渦へ──。
物語は十二年前の惨劇、その真実へ指をかける。(CASE FILE.02 収録予定)

CASE.02 - マスグレイヴ家の儀式書 https://privatter.me/page/6973712c73d47

※同人誌版の原稿をそのまま移植しているため、改行が少なく横書きでは読みづらいと思います。縦読みリーダー表示をお勧めします。

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 5

 右京は一呼吸をおいて、ゆっくりと唇を動かす。少し乾燥した唇の隙間から吐き出される息の音が居室にこだました。俺は自分自身が緊張している事を自覚する……俺はコーヒーカップに残っていた、すでに冷めてしまったそれで口を湿らせた。
「神秘は科学の手で解体できる。それが僕の信仰だ」
 そう前置きをして右京は続けた。横目でその様子を伺う桔梗は何も言わずに黙ったまま、優美に手を膝の上で重ねている。
「先程桔梗くんが言った通り、僕は『雁桐右京』という別人の人生を乗っ取って今ここにいる。そしてその『本物の雁桐右京』は、僕の家族を殺害した……仇だ」
 俺は衝撃に顔を歪める。親の仇? その親の仇の人生を乗っ取って、今の右京になった? 何を言われているのか全くわからず俺は莫迦みたいに固まって右京を穴が開くほど見つめた。
「ただそいつは吸血鬼で、幻想が遠のいたこの日本社会の中では急速に力を失っていた。そこで目をつけたのが、僕らのような神使、この場合は八咫烏だった」
「待て待て待て! つまり桔梗さんが言ったのは、陰陽庁が呪詛師を全員しょっぴいたわけじゃなくて」
「無論この一件には陰陽庁も絡んでいる。だが彼らが来た時には既に、僕以外の烏丸一族は全員死んでいた。たった一匹の吸血鬼にあっさり神使が殺されたんだ」
 右京は深い絶望を湛え、そして遠くを見つめ、
「この世に神などいない」
 そう吐き捨てた。
「神と崇められる何かはいても、そいつらは決して僕らを救いなどしない。ただぼんやりと痴呆老人のように僕らを眺めるだけだ」
 果たしてそうだろうか。確かに神と崇められる何かがこの世に根を下ろしている、という右京の主張には理解できる部分がある。俺がかつて経験した事を、第四手術室の惨劇を思う。
 俺は恐る恐る口を開き、右京が解体したという幻想について問う。右京は一度瞼を伏せて続けた。
「君の推測は正しい。遼士郎」
 右京は自嘲気味に笑った。
「烏は決して忘れない。たとえ奴がどんな姿になっていようと、その身から滲む気配は隠せない。人間に紛れる吸血鬼らしく、人間の姿をしていたが、一目で奴だと分かった」
……
 俺は返す言葉を見つけられないまま黙りこむ。
「それで、殺したのか」
「殺したという言い方は正確さに欠ける。解明によって、解体したんだ」
「それは……
 俺はその言葉に弟子の後ろ姿をはっきり見ていた。
 四宮椿は言った。幻想を解体するためだけの魔術があると。右京の言っている事が全て真実だとすれば、それは幻想を解理して幻想から強制的に脱却させた、という意味に他ならない。
 名探偵は二人いたのだ。
 幻想や神秘にとっての大敵は其の解明者だ。それを己の歩む道だと定め、往く者が二人。
 片方は現実に生まれながら神秘への目を開き、片方は幻想に生まれながら己の世界を否定する。
 俺は鈍く痛むこめかみを押さえながら続きを待つ。俺の考えている事を見透かすように、右京は眼鏡の奥で鋭利な眼光を俺へ向けている。
「つまり、お前の仇は解明によって人間になった、ってことか?」
「その通りだ」
 右京は器用に片方だけ口角を上げた。
「奴は一気に老化し、先端医療無しには生きられない身になった。己の若さと力を誇示する事を生き甲斐にしている吸血鬼にとってどれほどの屈辱だろうな……。まあそれはどうでもいい。奴は既に死んでいるし、そして遼士郎……君は奴に会っている」
……まさか」
 俺は栄生会総合病院での出来事を思い出す。
「院長室で死んでたあの老人か?」
「そうだ。あれが本物の雁桐右京であり、僕が解明によってただの人に変えた……恐らく世界で唯一の存在だ」
 信じがたい話だが、それを嘘だとは思えなかった。
 右京は性根が徹頭徹尾な科学者だ。たとえこいつが八咫烏の血を引く人外の一族の生まれであろうが、何だろうが——、俺がよく知る『雁桐右京』という人物はそういう奴だ。
 だがそうだとして、何故その本物が栄生会総合病院にいたのか、さらに言えば何故あのような奇妙な状況で殺害されたのか? 多くの疑問がある。あの男にはワタリガラスの刺青があった。もし最初に発見された被害者……濱田礼人にも同じように刺青があったなら、両者には明確な繋がりがあると考えるべきだろう。
 確か英語ではワタリガラスを『レイヴン』という、と若手の医師が言っていた。俺はその疑問を口にする。
「その入れ墨はミスカトニック大学の『博物館』に所属する、対外国蒐集部隊『レイヴン』のものだ」
 右京はそう言ってスマホを取り出し俺に写真を見せた。
「ここに写っている男が、頭部が切断され、半身を焼かれた状態で発見された濱田礼人だが、この男は教員という側面だけではなく……レイヴンの一員として主に日本での蒐集活動に従事していた」
「それは納得できるけど、あの老人は? 彼はお前が幻想の背骨を解き明かして、ただの人に戻した……んだよな。だったらあの爺さんがレイヴンの一員であるっていうのはどういう理屈だ」
「それは僕と、ある人物の取引によって成されたものだ」
「ある人物?」
 俺は桔梗を見る。何となく裏ボスっぽい雰囲気を常に醸し出している彼女ならやりかねない……と内心思っている節があった。
「まあ嫌。私が自ら違う方向へ歩んでいることをお忘れかしら」
「まあ……それは確かに」
「僕が取引したのは、葛城かつらぎマリアンヌ・アイリッシュという女だ。彼女は僕から見ると一応の上司にあたる。僕に『雁桐右京の名前と人生』を与える代わりに、僕が解体したあの吸血鬼について調べる権利をくれ、と言ってきた。僕は快諾し、東都大学へ入学したわけだが……
「その結果、あの老人はレイヴンの一員になったのか」
「おそらくな。マリアンヌは使えるものなら何でも使うし、いらなくなったら平気で捨てる。昨日まで猫可愛がりしていてもだ。僅かに残った幻想を嗅ぎ分ける吸血鬼の嗅覚をあてにして、彼女が欲しいものを手中に収めるために私的な手駒としていたのだろう」
 右京は一度言葉を切って視線を床に落とし、深々と見たこともないほど心労の滲む顔を上げる。俺は何となく『葛城マリアンヌ・アイリッシュ』という女性がどういう女性なのか察しがついてしまった。
「そして問題は芹沢馨事件だ。あの事件は僕への復讐で間違いない。あの事件において、遺体に刻まれた数式の解がアーカムを……ミスカトニック大学を示したというのは、以前話した通りだ」
「けど復讐って……人間に戻った吸血鬼が復讐するにしたって、無理があるじゃねえか。一体どうやって」
「僕にとってもそれが最大の疑問だったんだ。だがミスカトニック大学でその疑問は解けた」
 右京はジャケットの内ポケットから、件の問題が書かれた紙と赤いひもを取り出してローテーブルに置いた。
「幻想の解体によって、残された一部を僕は手に入れていた。僕はそれを解体の証明としてマリアンヌに渡し、契約の担保にした。そしてそれはミスカトニック大学の神秘蒐集庫に収められ、厳重な封印が施されていたはずだった」
「その言い方だと盗まれたか紛失したか……って感じだな」
「まさにその通り。ミスカトニック大学に到着後、真っ先に蒐集庫へ向かったんだが、警備を担当していたはずの魔術師が皆、全身をねじ切られて死んでいた」
「全身をねじ切られて……」 俺は芹沢馨事件の発端を思い起こす。「英国街のホテル警備員と同じだな」
「ああ。警備が全員死んでいたこともあって僕はあっさり最奥に辿り着き、派手に圧壊した倉庫を発見し……そこにあったはずの残滓が全て消えている事を確認した」
「誰かが持ち出したのか?」
 俺は問いかける。右京はその問いに首を横に振った。
「実は同僚が分析したところ、徐々に時間をかけてその残滓から幻想が再発生し……加えて外因によって何らかの変異が起こった、ということらしい。もうこうなってくると僕の手には到底負えない。だがそれを知って、漸く芹沢馨事件が『防げた可能性のあった殺人』であることに気づいた」
「まさか、数式か?」
 俺はあてずっぽうであるものの、唐突に閃いたそれを口にする。右京は僅かに目を見開き、「君はたまに、異常な勘の鋭さを発揮するよな」と困り顔で微笑んだ。
「ミスカトニック大学へ導かれた事は偶然じゃない。……あれを解くべきではなかった。……おそらく、僕は既にルーシュチャ方程式の一部を解いている」
 右京はそう言って、今度は真っ直ぐに俺の目を見据え——迷いの消えた表情でこう言った。

「遼士郎。君の力が必要だ。災害に巻き込まれたと思って、僕に力を貸してくれ」


諸注意
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一部猟奇的な表現や犯罪に関する表現がありますが、これを助長する意図は持ちません。

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