レゾン・デートル|CASE.03 超弦の遺恨

神秘は科学の手で解体できる。それが僕の信仰だ

雁桐右京。その名は心臓外科医──嘴馬遼士郎にとって浅からぬ縁を持つ物理学者の名である。
そんな右京が突然嘴馬の元を訪れた。右京が日本へ戻ってきた理由には五年前に発生した連続殺人事件が関係しているという。しかし問題を調べようとした矢先、ある人物が不可解な死を遂げる。『この紐とルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。ヒント…5年前に発生した八人連続殺人事件』。真実を知るため嘴馬らは捜査を開始するが……?
さらに同時に発生した脳外科手術の術中死。誰にでも輸血可能な血液製剤──〈メディウム〉がその死因に挙げられ、四宮椿は独自の調査を開始する。
背後で蠢く希少血を巡る陰謀。市民団体〈きぼうの庭〉と繋がる歪んだ神秘への祈り。
椿は父・沖田蒼司と共に因果の渦へ──。
物語は十二年前の惨劇、その真実へ指をかける。(CASE FILE.02 収録予定)

CASE.02 - マスグレイヴ家の儀式書 https://privatter.me/page/6973712c73d47

※同人誌版の原稿をそのまま移植しているため、改行が少なく横書きでは読みづらいと思います。縦読みリーダー表示をお勧めします。

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 開胸手術を一件こなして今日の業務は終わりだ。吐く息が重苦しく感じられるのは今日一日で得た収穫が、実家の問題の再認識だけというのも、ため息をつきたくなるには十分すぎるものだろう。
 家に戻れば右京がいるだろうが、俺が彼にしてやれることも少ない。暫くの間家に泊めてやるのが関の山である。
 普段はそこまで酒を飲みたい衝動に駆られることもないが、意識的に目を逸らしていた問題を突きつけられ……加えて親父が医者のくせに、最新のロボット手術を受けたがらないという性格。俺と弟妹が束になってかかっていこうと、あの頑固ジジイに手術同意書の印鑑を押させるのは至難の業だ。
 ビールと酒のつまみでも買って帰ろう、とスーパーマーケットへ足を向ける。
 安売りになっている旬の野菜と、半額シールが貼られた刺身。まあいいか、すぐ食べるし、とカゴヘ放り込んでから気づく。俺の家には今栄養失調寸前の人間がいることを。
(あいつ好き嫌い多いんだよなあ……
 医大生時代をふと思い出す。とにかく好き嫌いが細かかった右京は碌な食生活を送っていなかった。
 俺も俺で料理のレパートリーが多い方ではない。適当な野菜炒めとか、冷凍のパスタとか。困ったら冷凍餃子か鍋にすぐ頼っている。
 しかしあの凝り性な天才に気を遣ってもしょうがない……俺は早々に脳内で「これ嫌い」「あれ嫌い」と言っているイマジナリー右京を追い出す。俺が家に帰り着く頃には時計が九時を指していたが、医学特区の白い街並みのせいか妙に明るく感じられた。
「やあ。おかえり遼士郎」
「ただい、ま……?」
 妙な感覚になって思わず語尾にクエスチョンが浮かぶ。部屋の奥から味噌汁の匂いがほのかに鼻腔をくすぐった。
「夕飯食べたか?」
「いや、今からだ。ちょうどよかったよ。つい先程、数時間の格闘を経て味噌汁を生み出したところだとも」
「何と戦ったんだよ」
「茶こしだ」右京はそう言って俺の手からエコバッグを強奪した。「ああ、これはいい。野菜天ぷらにしよう」
「えっ揚げろってこと?」
 素揚げでいいなら楽だ。後が少し面倒だが、流石に居候を許しているのだ……洗い物ぐらい丸投げしてもバチは当たらないだろう。
 ダイニングテーブルの皿が空き、ビールの缶が半分ほどの重さになったところで、右京は少し迷うような表情を見せる。だがそのすぐ後には意を決したように俺の目を見据えた。
「君を巻き込みたくはないが……君の力が必要なのは事実だ。災害に巻き込まれたと思って協力してもらえないか、遼士郎」
「内容による。俺はただの外科医だぞ」
 俺は皿に残っていたシソの葉と大根を自分の醤油皿へ移す。
「無論それは分かっている。それと同時に僕が事件の全容を話すと君は一度苦虫を噛み潰したような顔になって、最悪だと言って、そのあと結局協力してやると言うのも分かっているんだ」
「お前な……
「君にはそもそも最初から『友人の頼みを断る』という選択肢が無い。俗にこれをお人好し……あるいは八方美人という」
「あーもう今のでお前を窓から放り捨てたくなったぞ」
「そうか。頼むから捨てないでくれ」
 右京は残っていたビールを一気に飲み干す。うわばみとはまではいかないが、かなり酒に強い彼にとっては、ビールなど水に等しい。
「五年前に起きた連続殺人事件を覚えているか?」
「ああ、あの……八人殺し」
 医学特区はお世辞にも治安が良いとは言い難い。その象徴的な事件として、五年前に発生した八人連続殺人事件は今でもよく語種にされがちだ。実際あの事件は——
「それだ。その件で僕は捜査機関から協力を頼まれ、知恵を貸してやった」
 俺はその言葉に頭を捻る。右京は別に法医学者ではない。彼の専門は物理学だ。
 俺の疑問を察したのか、右京はチラシの裏紙を引っ張り出してボールペンで何か数式を書きつけた。
「実はあの事件はただの連続殺人ではない。三件目の殺人事件以降……このように、数式が遺体の一部に書きつけられた状態で発見された」
「なるほど。警察がお前に協力を要請するのは道理だな。で……その答えは?」
「思考の過程を飛ばして答えだけを求めるのは良くない癖だぞ」
「聞いたってわっかんねえんだからしょうがねえだろ」
 右京が扱っている領域は俺からしてみれば宇宙人の言語に等しい。学生時代も数学や物理はそれほど得意科目というわけではなかった。右京は俺の言葉に唇を尖らせ、「全く」とだけ零した。
「まあ確かに、君が言う通り思考の過程は別に重要じゃない。得られた答えが、一つの場所を示したということのほうが今は重要だ」
「それは……アーカムのことか?」
「察しが良いな。その通りだ」右京は二つの数字を紙に書き、関数の座標を書き記すようにカッコで囲む。「これは緯度と経度だ。そこにある施設を示していた」
 俺はふと昼間の事を思い出す。見覚えのある大学の名をネットの海で見つけたことを。
 ミスカトニック大学。マサチューセッツ州、アーカムに存在する総合大学だという。
「何だ? 随分と今日は鋭いな、遼士郎」
「日本に帰ってきたのもその連続殺人事件が関係してんのか」
「大ありだ。それで昨晩、君の家に来る前に東医に……より正確に言うと、麻酔科に行ってきた」
「佐奈芽の所に? 何で?」
「一応彼女も事件関係者だからね。しかし何故かそこに君の御父上がいたから慌てて隠れて、こっそり話を聞いていたんだが」
 右京はバツが悪そうな顔になって続けた。
「君の御父上は何か重い病を患っておられるようだが、問題はそれではないんだ」
……ちょ、ちょっと待て! どういう意味だ、それ」
 つまり親父は佐奈芽の前で俺に電話をしていたということか。彼女の疲れた様子は親父のせいだったのか。納得はしたものの嫌な予感に怖気立つ。首筋に冷たい鋭利な刃物を押し当てられ、生命の生き死にを握られているような感覚があった。
「君の御父上は重大な隠し事をしている。そしてそれは五年前の連続殺人事件に深く関わっている……断片的な情報だが、そう推測を立てるには十分だった」
 ぱちり、と全てのピースが嵌った感覚があった。
 五年前の連続殺人事件。八人の被害者。そしてアーカムから戻ってきた右京。
 なぜ親父が佐奈芽の元に行った? あの連続殺人事件に……親父が関わっている? だがなぜわざわざ彼女の元へ? 俺の視界がぐるぐると回転し、酷い眩暈に襲われる。
「そして、僕が日本へ戻ってきた最大の理由はこれだ」
 右京はそう言って封筒を取り出し、中から三十センチほどの赤い毛糸の紐と、トランプほどの大きさの紙片を取り出した。
 紙には一言、ただ短く……問題が書き添えられている。

『この紐とルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。
 ヒント 5年前に発生した八人連続殺人事件』


諸注意
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