レゾン・デートル|CASE.03 超弦の遺恨

神秘は科学の手で解体できる。それが僕の信仰だ

雁桐右京。その名は心臓外科医──嘴馬遼士郎にとって浅からぬ縁を持つ物理学者の名である。
そんな右京が突然嘴馬の元を訪れた。右京が日本へ戻ってきた理由には五年前に発生した連続殺人事件が関係しているという。しかし問題を調べようとした矢先、ある人物が不可解な死を遂げる。『この紐とルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。ヒント…5年前に発生した八人連続殺人事件』。真実を知るため嘴馬らは捜査を開始するが……?
さらに同時に発生した脳外科手術の術中死。誰にでも輸血可能な血液製剤──〈メディウム〉がその死因に挙げられ、四宮椿は独自の調査を開始する。
背後で蠢く希少血を巡る陰謀。市民団体〈きぼうの庭〉と繋がる歪んだ神秘への祈り。
椿は父・沖田蒼司と共に因果の渦へ──。
物語は十二年前の惨劇、その真実へ指をかける。(CASE FILE.02 収録予定)

CASE.02 - マスグレイヴ家の儀式書 https://privatter.me/page/6973712c73d47

※同人誌版の原稿をそのまま移植しているため、改行が少なく横書きでは読みづらいと思います。縦読みリーダー表示をお勧めします。

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……八人連続殺人事件……知ってるだろうけど『芹沢馨せりざわかおる事件』は被疑者死亡によって、多くの疑問を残したまま幕を引いたんだ」
「ほう。それは初耳だな」蒼司の言葉に、右京は軽く眼鏡の奥の瞳を細めた。「芹沢が死んだのは僕がアメリカに行った後か?」
「そうだね。芹沢は逮捕後犯行については全面的に自供していたようだけど、取り調べ中に突如舌を噛み切って自殺し……動機や、英国街での事件については謎のまま送検されてしまった」
「遺体は司法解剖されたのか?」
「いや、実施されていない。監視カメラにも自決する瞬間が写っていて、司法解剖は不要と警察は判断したらしい」
「成程。三人目以降の被害者の身体に数式を書きつけた理由も、分からないままか」
「うん……芹沢が自供したのは三件目以降の殺害方法と、自分が全ての犯行を行ったという二点のみで、それ以外は黙秘を貫いていたらしい」
「成程」
 右京は右手の人差し指で軽くテーブルをコツコツと叩いた。思案を巡らせる時の癖である。俺は徳利から残りの酒を全て猪口へ注ぎ、彼の思考を邪魔しないように気をつけながら足を組み替えた。
「それで、蒼司。……稲田昌義いなだまさよし中川和人なかがわかずとの死亡時画像診断については?」
「忘れてなかったか……」蒼司は苦々しい顔になり、「まあ、今更渋っても無駄、だよね」
「殊勝な心がけだ。どうかそのままでいてくれ」
「頭部が圧壊していた」
 蒼司は一言、思い出すのも躊躇われるといった雰囲気で言った。
「どういう表現が適切なのか、正直本当に分からないんだ。まるで布切れみたいに……雑巾絞りみたいな感じでねじられた状態で、これを外傷と呼んでいいのかどうかさえ分からなかった」
「二人ともか?」
……うん。二人とも同じ状態で致命傷であることは疑う余地がなかった。頭部以外に目立った傷が何も無かったし、何よりも……
 蒼司は言葉に詰まり、続きを言い淀む。そして恐る恐る、信じてくれるかどうかは分からないけど、と前置きをして重い唇を動かした。
「この世に存在するどんな凶器になり得るものを使おうと、人間の頭をあんな風にするなんて絶対に不可能だと思う。どう考えてもこれは、その……人ではない何かが二人を襲った、としか……
「非科学的だな。いつの間にオカルティズムへ隷属したんだ?」
「絶対言うと思った! 僕だって何も盲目にそんなことを考えてるわけじゃない。あんな風になった遺体を見れば誰でもそう思いたくなる」
「あ~……蒼司、お前完ッ全に右京のペースに乗せられてんぞ」
 俺は素直な幼馴染が哀れに思えてきて思わず口を挟んだ。恐らく右京はこの後……
「なら死亡診断書と画像を見せてくれ」
「ほらみたことか」
……」蒼司は顔を顰めて、「お前が、正式に螺旋捜査部あたりから調査を依頼されたっていうなら見せても問題はないけど……そうじゃないんでしょ」
「残念ながら僕は、諮問探偵開業許可証SHERLOCKなんて便利なものは持っていないのでね。ただこのような問題を与えられたなら、答える義務が僕にはある」
「どういう意味だよ」
 俺は右京の言わんとすることがいまいち理解できず首を傾げる。コツ、コツ、と二度テーブルを人差し指の爪が叩き、右京は伏しがちな瞼を持ち上げた。
「五年前、僕があの数式の解をもっと早く導き出し、そしてその意味に気付いたならば……殺人は防げていた可能性があった」
 細い指先が握り込まれ、爪が掌へ食い込む。
 珍しく右京は感情を露わにして、目元には後悔を浮かべていた。
「僕はあの時、数式の意味にまで思案を巡らせなかった。もっと深く考え……事件に向き合ったのなら……いや、全て言い訳だな……僕は逃げたんだ。僕に課せられた責任から」
 消え入りそうな声が静かな店内に溢れた。
 右京が「アーカムへ行く」と言ったのは、その数式の真意に気づいたからというだけではなかったのか。
 俺は自分の思慮の浅さに嫌気が差した。長年付き合いがあっても、俺は心のどこかで雁桐右京という人間が、難問を解くことだけに生きがいを見出し、それ以外には毛ほどの興味も示していない冷血な奴だと勝手に解釈していたのだろう。

『花やぎ』からの帰り道はお互いに沈黙を貫いていた。俺は右京の事を何も知らなかったのかもしれない。右京はずっと何かを考え込むような表情で押し黙っており、俺が横目で様子を見ても、それにすら気づいていないほど深く思考の海へ潜っていた。
 右京の頭脳には宇宙が詰まっている、と蒼司が言っていたことを思い出す。確かにその通りかもしれない。彼が言う通り、彼は宇宙の真理を見つめている。俺には全くちんぷんかんぷんな世界だが、彼にとってその世界は魚にとっての水のようなものらしい。
「遼士郎、先に帰っていてくれないか」
「ん? あ、ああ……その……どうか、したか」
 俺はその言葉に嫌な気配を感じ取った。
 必死でそれを認識しないようにするが、俺の視界を覆い尽くす黒霧は……実際にはそこにないのだが、俺の視界は確かに霧で埋め尽くされ、今右京を引き留めなければとんでもない事になるという確信を連れてくる。
「どうしたんだ、遼士郎」
「あ……いや。最近福岡も物騒だからよ。もう終電も近いし、明日にすれば」
「そういうわけにはいかないんだ。級友に『今こっちへ戻ってきている』と連絡したら、会いに来いと言われてね。丁度今集まって飲んでいるらしい」右京は微笑んだ。
「数研の奴らか?」
「そうだよ。君も来るか?」
「いや……いいよ。行ったところで気遣わせるだけだろ」
 絞り出した声が掠れていたかもしれない。流石に違和感だらけの行動だっただろうが、右京は俺の奇行も特段気に止めていない様子だった。基本的にこいつはそこまで人に興味がないんだった、と思い出す。
「顔色が悪いぞ。飲み過ぎたんじゃないか」
「大丈夫だよ。お前こそ飲み過ぎてその辺でひっくり返ったり、電柱に抱き着いたりすんなよ」
「しない。僕を何だと思っているんだ、君は」

 そうして、俺は一抹の不安を覚えながら右京の背中を見送った。
 その別れが――とんでもない事件の幕開けとなるとも知らず。

諸注意
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