レゾン・デートル|CASE.03 超弦の遺恨

神秘は科学の手で解体できる。それが僕の信仰だ

雁桐右京。その名は心臓外科医──嘴馬遼士郎にとって浅からぬ縁を持つ物理学者の名である。
そんな右京が突然嘴馬の元を訪れた。右京が日本へ戻ってきた理由には五年前に発生した連続殺人事件が関係しているという。しかし問題を調べようとした矢先、ある人物が不可解な死を遂げる。『この紐とルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。ヒント…5年前に発生した八人連続殺人事件』。真実を知るため嘴馬らは捜査を開始するが……?
さらに同時に発生した脳外科手術の術中死。誰にでも輸血可能な血液製剤──〈メディウム〉がその死因に挙げられ、四宮椿は独自の調査を開始する。
背後で蠢く希少血を巡る陰謀。市民団体〈きぼうの庭〉と繋がる歪んだ神秘への祈り。
椿は父・沖田蒼司と共に因果の渦へ──。
物語は十二年前の惨劇、その真実へ指をかける。(CASE FILE.02 収録予定)

CASE.02 - マスグレイヴ家の儀式書 https://privatter.me/page/6973712c73d47

※同人誌版の原稿をそのまま移植しているため、改行が少なく横書きでは読みづらいと思います。縦読みリーダー表示をお勧めします。

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 6
 ——翌日
 湾岸医療センター 特別病室


 俺がその人のオペをすることは終ぞなく、空になった病室には誰もいない。
 職権濫用をしたのは初めてのことだった。無理やり親父を別の病院に放り込んだのだ。
 俺は今しがたストレッチャーに載せられ、手術室へ運ばれていった親父を見送り、病室を後にする。向かう先はこの二つ隣の病室だ。
 そこには先日の騒動に巻き込まれた、浮城佐奈芽が一時的に入院していた。様々検査を受けたらしいが、特に健康状態に問題はなかったらしい。軽い脱水症状は起こしていたものの、健康そのもの、と内科からお墨付きをもらったと話していた。
 俺が病室に入ると既に見舞いの先客がいた。雁桐右京である。なぜかベッドサイドで如何にも「親族です」と言わんばかりに陣取り、何やら小難しい本の文字列を追っかけていた。
「心配かけちゃってごめんね。けど、私も何が何だか……
 佐奈芽はそう言って困ったような笑顔を浮かべた。
「でも犯人は捕まったんでしょ。流石は雁桐くんね。よっ、名探偵」
「僕は探偵ではなく物理学者なんだがね」
「どっちでもいいわよ。それで……なんか私に聞きたいことあったんじゃないの」
……あ、ああ」
 言い淀む俺に右京がじとりとした視線を向けた。早く聞け、と顔に書いてある。
「あのさ……、佐奈芽。その。五年前の事件で、全ての遺体に硬膜外麻酔の過剰投与の痕跡があったって話だけど。嘘……だよな」
 佐奈芽は否定も肯定もせず沈黙した。だがすぐに口を開き、

……雁桐、みづきさん…………
 その女性の名を口にする。重苦しい空気を纏った吐息が病室へ吐き出され、佐奈芽は一度瞼を伏せた。
「警察が言ってたんだが、栄生会総合病院に搬送されたらしいな。それで緊急手術になったって」
「緊急手術に呼ばれて、麻酔管理を……硬膜外麻酔の量を間違えた。絶対にありえないミスだった」
 佐奈芽は深く息を吸い、吐き出す。重苦しい荷物を下ろすように。決して戻らぬ命に祈りを捧げるように——、声を絞り出す。
「言い訳はしないわ。……私が、彼女を殺したの」
「それは違うだろう」
 右京が即座に否定した。
「搬送されてきた時点で雁桐みづきは瀕死だったはずだ。出血性ショックを起こしていて、君の投薬ミスがあろうが無かろうが、彼女は多分」
「雁桐くんやめて。私が医療事故を起こした事実は変わらない。そしてそれを、克彦先生と隠蔽したことも、事実だから……これは私が背負うべき罪よ。……あの話は、貴方を真実から遠ざけたくて……知られるのが怖かったの。私は責任から逃げようとしたのよ」
 俺はかける言葉を見失う。
 親父が彼女に目をかけていた理由を突然思い出したせいだった。下手をすると彼女は、俺よりも俺の親父をよく知っている。
 だから、俺は。より正確な表現をすれば——、互いの目的のために、協力関係をとることにした。ずっとそう言い聞かせている。
 時々俺は、佐奈芽のことがよくわからなくなる。
「佐奈芽くん。雁桐みづきの遺体が螺旋捜査部に収容された話は聞いているか?」
…………そういえば、確かに手術後に螺旋捜査官が来たわ。でも何でそんなこと聞くの?」
「やはりか」
 右京は天啓を得たように天井を一度見て、
「ヴィンセント・ジョーカーは……
「ごめん、どういうこと? 何言ってるのか全く理解できないんだけど」
 佐奈芽は困惑のままに右京へ問いかける。俺も正直右京が何を言っているのかよく分からず顔を顰めた。
 まず『ヴィンセント・ジョーカー』って誰だ。右京の脳内では全てのピースが嵌り、事象の全貌が詳らかになっているのだろう。
「あと一つ、明らかにすべきことがある」
「あと一つって何? 犯人は捕まったんでしょ?」
 佐奈芽が不安そうに右京の方を見ながら言った。
「まあそう怖がらないでくれ、佐奈芽くん。君はこの件において被害者だし、その件は既に決着がついている。僕が言っているのは、僕へこれを送りつけてきた本人に聞かなければわからない事だよ」
「梅原なら今、螺旋捜査部と陰陽庁から取り調べされてんじゃねえのか」
「梅原理玖ではないよ、遼士郎」
 梅原理玖ではない? 右京にわざわざ挑戦状を叩きつけたのがあの男でないなら、他に誰がいるというのか。俺は疲れた頭を回して考える。
「この問題をもう一度見てくれ。『ルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。ヒント5年前に発生した連続殺人事件』とある」
「そういやお前、梅原に『一部は解いた』とか言ってたよな」
「ん? 解けるわけないだろ。そもそもルーシュチャ方程式なんて代物が何なのか、いまだにわからないんだから」
「なんだそりゃあ……
 俺は呆れかえって何も言えなくなった。忘れていたが右京はそういう奴である。
「五年前の事件では、確かに遺体の一部に数式が書かれていた。そしてそれらの解がミスカトニック大学を示したというのは、以前から言っている通りだが……多分、この方程式は『方程式』という名を冠しているだけで、実際は魔術式マギリアだと思う。数字が重要となる魔術はいくつかあるが、その中でもとりわけ重要なのが召喚術だ」
「えっと……オカルト話?」
 佐奈芽がよくわからない、という表情で俺たちを交互に見ている。
「残念ながらただのオカルトではないよ。これは現実で人知れず起きている、受け入れがたい事実だ」
「ああ、おばあちゃんがよく言う『馬子の背骨に触れるようなこと』ね」
「僕としては与太話として聞き流してくれても構わないんだが」 一度言葉を区切り、右京はじっと佐奈芽を見て、「これは君が敬愛し……その一方で嫌悪している師に深く関わっている」
 そして静かに、問いかける。
「佐奈芽くん。君は馬子の背骨に触れる、その覚悟はあるか?」


諸注意
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