レゾン・デートル|CASE.03 超弦の遺恨

神秘は科学の手で解体できる。それが僕の信仰だ

雁桐右京。その名は心臓外科医──嘴馬遼士郎にとって浅からぬ縁を持つ物理学者の名である。
そんな右京が突然嘴馬の元を訪れた。右京が日本へ戻ってきた理由には五年前に発生した連続殺人事件が関係しているという。しかし問題を調べようとした矢先、ある人物が不可解な死を遂げる。『この紐とルーシュチャ方程式を用いて求められる最大の素数を求めよ。ヒント…5年前に発生した八人連続殺人事件』。真実を知るため嘴馬らは捜査を開始するが……?
さらに同時に発生した脳外科手術の術中死。誰にでも輸血可能な血液製剤──〈メディウム〉がその死因に挙げられ、四宮椿は独自の調査を開始する。
背後で蠢く希少血を巡る陰謀。市民団体〈きぼうの庭〉と繋がる歪んだ神秘への祈り。
椿は父・沖田蒼司と共に因果の渦へ──。
物語は十二年前の惨劇、その真実へ指をかける。(CASE FILE.02 収録予定)

CASE.02 - マスグレイヴ家の儀式書 https://privatter.me/page/6973712c73d47

※同人誌版の原稿をそのまま移植しているため、改行が少なく横書きでは読みづらいと思います。縦読みリーダー表示をお勧めします。

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『今日は戻れそうにない』とのメッセージに、俺は己を納得させて目を閉じる。シングルベッドに身を投げ、一度寝返りを打ってスマホをベッド脇にあるキャビネットに置く。
 アラームはいつも通り六時にセットしてあるはずだ。いつの間にか寝落ちていた……と喧しい着信音で目を醒ます。時計を見るとまだ四時にもなっていない、未明と呼ぶべき時刻であったが、発信相手の名前で眠気は一気に消えうせた。螺旋捜査官からの着信など、俺にとっては冷や水で洗顔するよりも遥かに眠気覚ましの効果がある。
「もしもし」俺は素早くスマホをスピーカーに切り替えてから電話に出た。「何かあったのか?」
「嘴馬先生、早朝に申し訳ないんですが……出頭願えますか」
 電話越しの市ノ瀬咲良はそう言った。できる限り冷静を装い、必死に感情を押さえつけているような空気があった。
「は?」俺はその言葉の意味を測りかねて声を上げた。「どういう……事だよ? 俺は何も……
「実は未明に遺体があがりまして、その方のスマートフォンや持ち物を調べたところ、あなた以外に明確な繋がりがないようでして……その。本人確認をお願いしたく」
「待ってくれ! それは、いや、いい……すぐに行く!」
 俺の心臓は早鐘を打っていた。慌ててその辺に引っかけていたカッターシャツとスラックス、黒いスーツジャケットに袖を通して家を出る。タクシーを拾える時間なわけがない。それに昨晩の酒が抜けきっているとは思い難い……俺は冷たい空気に支配された早朝の市街地を駆けずる。県警の医学特区署は比較的東医に近い場所にあり、俺が住む単身者向けのマンションもその同じ地区内だった。
 動揺など一切隠せないまま俺は警察署に転がり込む。咲良がロビーに入ってきた俺を見つけて大股で近寄ってきた。側には少し小柄な刑事も一緒にいる。
「大丈夫ですか」咲良は少し声を落とす。
「大丈夫に見えるのか?」刺々しい言葉が飛び出した。俺は頭を振って、「いや……悪い、遺体を見せてくれ」
「一応発見状況もお話しておきます」
 刑事——梅原理玖うめはらりくは懐から警察手帳を取り出し紙を繰った。
「発見現場は二見ヶ岡霊園の管理事務所の傍にある公園です。早朝に飼い犬の散歩をしていた近隣住民が、横になっている人影が見えたので近づいた。そしてそれが首のない男性の遺体だったという通報です。鑑識の現場検証で、犯行現場は遺体遺棄現場とは異なるという結論が出ています」
……
 俺と咲良、梅原は慰安室の前で立ち止まる。最悪の可能性が頭を過る。
 あの時覚えた違和感を俺は見逃した……いや、意図的に気にしないよう頭の隅へ押し込めた。無理やりにでも引き留めておけば……まだ右京だと決まったわけではない。
 だが、経験則として抗えない事実がある。俺はこみ上げてくる吐き気に思わず口元を押さえた。
「嘴馬、先生……
 咲良が俺を気にするように視線を彷徨わせた。
……すみません。俺も心苦しいのですが」
「大丈夫だ。分かってる」
 俺は慰安室に足を踏み入れる。廊下よりも冷たい空気が顔を撫でた。白い布がかけられた遺体が安置されている。
 梅原が白い手袋をつけ、布を取り払う。そこにあったのは細身の男の遺体だった。首から上が無く、鋭利な刃物で切断された後……左半身が焼かれている。服は草臥れたスーツとポロシャツのように見えるが、俺は一歩引いて遺体のつま先までを視界に入れた。
 ……違う。
 その確信があった。
 理由は二つある。服こそ右京のものだが、明らかに足が大きい。右京は身長の割に足が俺よりも小さい。そして、最大の違和感は首にある。左側だけが激しく焼かれた遺体の首元には焼け残った刺青の痕があった。
 右京は刺青など入れていない。つまりこの遺体は別人である可能性が高い。俺は一縷の希望を見出す。ならばなぜこの人物は右京の服を着て、首を切られ、その上半身を焼かれて遺棄されるようなことになったのか? そもそも右京はどこにいるのか。俺はぐるぐると巡る思考は口にできないまま、食い入るようにその遺体を見た。
「別人ですか?」梅原が俺の様子を見て鋭く質した。
「ああ、DNAは……
「これからです」咲良が言った。「それと嘴馬先生に出頭をお願いしたのは別件もあって……、すみません。あとはお願いできますか」
 咲良は一つ舌打ちをしてスマホを確認する。おそらく螺旋捜査部から呼び出されたのだろう。
 梅原は俺を取り調べ室へ誘った。俺はすごすごと固いパイプ椅子に腰を下ろす。狭い部屋には白い蛍光灯の光が降り注ぎ、俺より十は年下の刑事に急に威圧感を覚える。部屋が捜査せるのか、それとも光のせいなのか……あるいは梅原が有能な刑事である故かは分からないが。
「雁桐右京という人物について、ご存じですよね」
「ああ。よく知ってるよ。俺が医大生だったころからの知り合いだ。三日前かな……急にうちへ来た」
 隠す必要も無いと感じたのでこれまでの経緯を全てを話す。梅原は手帳にメモを書き取りこくりと頷いて、分かりました、とだけ答えた。
「彼が五年前に発生した連続殺人事件の、重要参考人であったこともご存じですか?」
「遺体に書かれた数式を解くために、警察から協力を要請されたっつう話はしてたが……それとはまた、別の話か?」
「ええ。被害者の中に、彼の親族と思われる人物が含まれていました」
 梅原はそう言って俺の前に写真を置いた。どこか右京に似ている風貌の女性である。ふわふわとしたボブカットの黒髪に、赤茶色の瞳。顔にはそばかすがあるが、右京と並べると目元や口元などに似た部分をいくつも発見する事ができた。
「彼女は?」
「雁桐みづき。雁桐右京の姪です」
 梅原は複雑そうな顔になり、「ですが……
「何かあったのか?」
……実は、これはその……螺旋捜査部の介入で秘匿されたことなんですが……雁桐みづきの遺体が、消えているんです」
「遺体が消えた?」
 俺は小声を意識しながら問いかけた。遺体の消失など露見すれば警察にとっては大問題の大スキャンダルに他ならない。
「どういうことなんだよ」
「俺が聞きたいぐらいです。しかも死んだはずの雁桐みづきにそっくりな女性が、アメリカで捕まっているんですよ」
「何が起きて、……
 俺は差し出された写真を見た。写真の中でバツが悪そうな表情を浮かべている女性が、雁桐みづきの血縁者——否、本人であることは疑う余地がない。目の形や顔のそばかす……髪の毛は少し赤茶色かかっているものの、雰囲気は明らかに彼女のものである。
「彼女の名はヴィンセント・ジョーカー……素性がよく分からないのですが、FBIからの情報によると、フィラデルフィアの路上生活者のようです」
「捕まったって言ったよな。彼女は一体何の罪で?」
「窃盗です。民家から時価ウン億ドルの宝石を盗んで売り払おうとしていたところを捜査官が拘束。現在身柄は拘留されているそうですが、放免されるだろうという見方が強いです」
「放免? 何で?」
「司法取引です」
 その言葉に、俺は梅原の言おうとしていることに察しがついた。
……右京がその、彼女を放免するために司法取引を主導したって言いたいのか?」
 梅原が俺の言葉に頷く。
 右京は単身でとんでもない事件に挑んでいる。俺は昨晩右京を無理やりにでも引き留めなかったことを激しく後悔していた。
 右京が何故ヴィンセント・ジョーカーの司法取引に関与したのかは分からない。ミスカトニック大学に関わることなのかも知れないし、或いは姪、雁桐みづきに関わることなのかも分からない。推測するにも情報が少なすぎる……本人に聞こうにも『大丈夫か?』という曖昧なメッセージは再送を繰り返し、送信に失敗し続けていた。
 俺が認めたくないだけで右京はもう既に——、そんな考えすら過る。
 俺の知らないところで五年前の事件は未だ胎動し、悪意の芽はゆっくりと、確実に現在へ侵食していた。
 朝日に照らされる白い街並みは、仄暗い殺意を未だ覆い隠している。

諸注意
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