Dr.ギャップ
2023-11-16 22:36:03
72744文字
Public 二次創作短歌オンリー歌会
 

2023二次創作短歌オンリー歌会(メイン歌会)

2023年秋に開催した二次創作短歌オンリー歌会(メイン歌会)の参加作品とコメント一覧です(参加申込順・敬称略)。

企画詳細→ https://privatter.net/p/10391147
企画用ハッシュタグ→ #二次創作短歌オンリー歌会


toico


何にでもなれるしなっていいのだと笑う永遠でないほうの夏


【選評コメント】
★何となく学生の主体が思い浮かびました。「何にでもなれるしなっていい」、可能性を感じるとても清々しくて素敵な言葉だな、と思います。永遠とは即ち不変のようなイメージもあって、その夏がいつか終わるものだということは少し寂しいけれど、永遠でないからこそ、何にでもなれる/変わっていけるのかな、と期限付きのものに対して肯定的になれるような素敵な歌だと感じました。──古月もも

★永遠の方の夏なんてあるんだろうか、とも思ってしまうけどそれが救いのようにも思えてとてもすきです。ひぇ〜!──てくてく

★なんて優しい目線を感じる短歌なのだろうと心に響きました。
それと同時に最後の「永遠でないほうの夏」で、切なさもあり
このひとつの短歌のなかにさまざまな解釈を入れることのできる"空間"を感じました。
心から「たいせつ」に思っている人への「何にでもなれるし〜」なのか、それとも軽く「何にでもなれるし〜」なのか
皆様の解釈も楽しみですし、詠まれた方の解説も大変楽しみです。──隙間

★上の句で描写されている内容は、当たり前にそう思えていたら改めて噛み締める必要が発生しないはずです。主体は自分の人生の舵を自分で取れない、何かしらの制限下に置かれていたのではないか、という想像がかき立てられます。
下の句は「燃えたぎる鍋を見すえて だいじょうぶ これは永遠でないほうの火/井上法子」の本歌取りでしょうか。「永遠でない」夏を提示されると、その反対側の概念として、あったかもしれない永遠の夏を思い浮かべずにはいられません。しかし、季節がめぐり、時がすすんでいく「永遠でない」夏のさなかを駆け抜けてこそ、主体の未来には無限の可能性がある。爽やかさと切なさが同居した読み心地で好きな歌です。──池田いくら

★やさしい言葉づかいでありながら、もしかしたらだからこそ、胸に深く沁みいる歌です。「永遠でないほうの夏」ということは、きっと「永遠のほうの夏」もあり、そちらのほうが一見大切なのかもしれない。しかし歌われているのは「永遠でないほう」の、きっとありふれた夏であり、誰にでも訪れるような夏なのでしょう。でも、だからこそ「何にでもなれるしなっていい」という言葉がみんなに向けられた、希望とやさしさに彩られた言葉であり、胸の奥でじんと熱を持つようなものなのだろうと思います。とても好きな歌です。──せいら

●「何にでもなれるしなっていい」時期が誰にでもあったはずで、でも成長するにつれてなくなる。永遠だと思っていたのに、今振り返るとそうではなかった。「笑う」は無知の証でもあり、自由の象徴でもあるのでしょう。──おかのきくと

●「永遠でないほうの夏」という表現が面白いです。めぐり来ない、ひと夏限りの刹那的な何かが、その後の生き方を左右する言葉をくれる。主体がこの言葉に従って生きることで、「永遠でないほうの夏」は主体の中で逆に永遠になるのかな、と思いました。──ゆの

●「永遠でないほうの夏」ということは、「永遠の夏」もあるということだと思います。未来への可変性を寿ぐ「永遠でないほうの夏」を思い浮かべるとき、同時に変わることのできない「永遠の夏」が浮かんできました。ここから先は私の妄想ですが、何ものにもならない、不変のもの=死者?または記憶の中の人間なのかな、と思いました。
なっていい、という表現は自身には使わないんじゃないかと思うので、これは寿がれた側の視点でしょうか。とすると、季節は過ぎ去るものであり、しかも永遠でないとされていることから、ここに歌われている一瞬の情景に儚さを感じました。たぶん、この一瞬が、のちにずっと思い出すことになる一瞬になるだろうという予感がします。そうすると、永遠でないほうの夏は、記憶の中で永遠になるのでしょう。──南天

●「永遠でないほうの夏」ってめちゃくちゃエモい〜!!と思いました。何にでもはなれないのに、何にでもなれるって信じられた頃。──石ころ

●この言葉たちを短歌のリズムに乗せているのが秀逸ですし、一見呪いを解くようなことを言いながら逆に呪いになっているのが癖なので好きです。下の句で突き落とされるのが気持ちいいし短歌の醍醐味を感じます。ところで「永遠でないほうの夏」いうフレーズで呪術廻戦の夏油傑が出てきてしまったのですが、そうでなくても原作が気になります。──四月

●「永遠でないほうの夏」とはなんと美しく儚い印象になる言葉でしょうか!学生たちの青春の一ページが連想される歌でした。──くぼたむすぶ

●〈永遠でないほうの夏〉の抜群さよ……!! つい永遠であるほうの夏のことばかり意識してしまうのですが、いつまでもは思い出せない、大切に抱えてはいけない瞬間もまたキラキラしたものをこぼしているよなと気づかせてくれる一首でした。どれだけ大切な思い出や時間の中にだって〈永遠でないほう〉はあって、そして永遠でないことがその輝きを損ないはしないのだということ。
 〈何にでもなれるしなっていい〉は中高生くらいの青春や思春期のイメージで、〈永遠でないほうの夏〉からはそうしたモラトリアムの終了の予感(この夏が永遠でないようにモラトリアムも永遠には続かない)、永遠でなさを含めての“今”という青春のいっそうの輝きのイメージを受け取りました。
 また翻って、この主体にとって「永遠であるほうの夏」はどんな夏なのだろう、と思います。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
映画「THE FIRST SLAM DUNK(2022)」は、原作の漫画とも、TVアニメーションとも異なる視点に光を当て、描かれた作品です。この短歌は、登場人物の一人である宮城リョータというキャラクターをイメージして作成しました。試合終了後にチームメイトと抱き合いながら、ひとり上方を向く彼の表情の晴れやかさがすきです。──toico



断ち切れたはずのもやい結い直せば帆に風はらむ、何処までもゆく


【選評コメント】
★船出のすてきな歌だと思います。断ち切れたロープを結び帆を張る、帆を張っていなかった=進めない、航路を諦めていた日々からの再出発。もやい結びを何かと何かを繋ぐものと考えた時に、大切な人や物事と再び向き合うことが出来たのだろうと思います。「何処までもゆく」と読み終わったときに、主体の感情を読んでいたところからふっと少し離れた俯瞰の目線になって船出を見送るような、その風が順風でありますようにと願えるような感覚になりました。また、もやい結びと結び方を指定する事で船に乗ること、恐らく船乗りでその基本結びを身体で覚えている人なのかなと感じられてキャラクターをしっかりと受け取れる気がしました。すてきな歌だと思います。──山と森と街

●何も捨てられなくなっちゃうな!でも断ち切らなかった決意が推進力なのだわ。苦しい〜!愛しい〜!となりました。爽やか。──てくてく

●「もやい結い」は船のことでしょうが、私は首吊り縄と読みました。風に揺れる帆と首吊り縄が、語り手よりも自由に見えるのが、皮肉です。「どこまでも」は物理的なものか、別の意味か。ぜひ解説を聞きたく思います。──おかのきくと

●情景が目に浮かぶような短歌です。もやいとは縄のことなのですね。「帆に風をはらむ」という言い回しもきれいですし、その後の読点が、この光景を見ている/もやいを結っている主体の感嘆の余白があるようでいいなと感じました。また、短歌でありつつ文の一節のような表現であるところもとても好きです。──四月

●とても前向きな歌だと思いました。「もやい」はそのままの意味かもしれないし、人との絆の比喩かもしれない。どちらであれ、切れたものはまた結べばいい、そうすればまた進むことができる。帆の描写が風を感じさせて、舟が波を切って進んでいく様子が想像できました。──ゆの

●リスタートの歌と読みました。
船舶に使われるもやい結びは力のかかり方が一方方向とのことでそうそう切れたりしないそうですが、一度切れたものをそのまままた結び直して大丈夫なんだろうかというポイントは気になりました。船旅は人生に喩えられることもあり、実景と言うよりは心象風景寄りなのかもしれません。──池田いくら

●もやい=舫綱は船を岸につなぎ止めるものだと思っていたけれど……?と思って調べたら、「二艘以上の船をつなぐとき用いる綱」も指すらしく、つまりこちらの歌は「二艘(以上)で〈何処までもゆく〉、その縁を〈断ち切れたはず〉だけれど結び直してより強いものにし、ともにゆく」という歌なんだなと解釈しました。
 一首の展開や言葉の連なりが素直で気持ちよく、〈何処までもゆく〉に自然と頷く気持ちになれるのが心地よいです。〈断ち切れたはず〉に軽い屈託を感じつつ、けれど〈結い直せば〉から“私”が”私たち”であろうと能動的に選んだことがわかって嬉しくなります。〈帆に風はらむ〉の風もそんな“私”の選択や道行きを応援してくれるよう。とても好きな歌です。──Dr.ギャップ

【作者コメント】
この短歌は、映画「アキラとあきら(2022)」に出てくる東海郵船グループを率いる階堂家の人々をイメージして作成しました。2023年11月現在、Amazonプライム等で視聴できます!──toico