月ノ華
叶うならまた君のことを撮らせてよ 最期と言わずに何年だって
【選評コメント】
★叶わないからこそ願ってしまう。永遠に残る作品の中の「君」の姿が最期であることが悲しい。形に残した君は微笑んでいそうな気がする。移ろいゆく季節の中で思い出を重ねていきたいと願う歌だ。──深山静
●「叶うなら」「最期と言わずに」の表現から、永遠の別離と、その時が近づいていることをを互いに理解している二人の歌なのかな、と感じながら読みました。──toico
●「最期」という言葉にドキッとしつつ、願いのこもった優しい歌だな、と思いました。主体は恐らく写真や映像に関わりがある方なのかな、と想像したのですが、限られた空間の中で一人を見つめ続けて、被写体の魅力を最大限に引き出す作業ってとてもロマンがあるな、と思います。
きっと相手にはなんらかの命の制限があって、もう撮ることはできないとわかっていつつ(だからこその「叶うなら」という言葉)、「何年だって」撮り続けたいという切実な思いが伝わってきます。──古月もも
●「最期」とは死別でしょうか。「何年」でも撮りたいのに「叶」わない。造語や力強い言葉を使わないがゆえに、「最期」にカメラが寄るような感を受けました。老舗料亭のお茶漬けのような、洗練された引き算の美です。──おかのきくと
●大切な人の「最期」の撮影を頼まれた主体のやりきれない思いが伝わる歌でした。相手はもう覚悟を決めたか、あきらめてしまったのでしょうが、頼まれたほうはつらいですよね。「叶うなら」という言葉から、次の機会が難しいという現実と、それでも願わずにいられない切実さを感じました。撮ったのは写真と映像、どちらなのか少し気になりました。──ゆの
●切ないシーンですね。今際の際なのでしょうか、最期に写真を撮る
…というドラマ性がありますし、何年だって、という、これから先ずっととは言い切れない絶妙な期間がこの二人のなんとも言えない距離感を表しているような。原作も気になります。──四月
●被写体だった人との別れだと思うのですが、「最期」とあるので君はもうこの世にいないように思います。主体は写真を撮る/「君」は撮られるというポイントにフォーカスしている感じがするのと、関係に期間のリミットが存在していた気配があるので、恋人・友人というよりはややビジネスライクな関係性がベースとなっていた繋がりだったのではと想像します。──池田いくら
●ここで一旦離れたら今生の別れになってしまうような切実さを感じました。「君」は病などでもう長くない人物でしょうか。──谷澤
●「叶うなら」「最期」から切なさが伝わってきます。
思わず一日でも長く二人が一緒に居られるよう願ってしまう歌でした。──海月雪夜
●下の句は「これが君の最期と言わずに何年だって撮らせてよ」もしくは「君の最期しか撮っちゃいけないなんて言わずに何年だって撮らせてよ」のどちらかかなと思っています。どちらの場合も〈何年だって〉から “私”が望む時間の長さとを思って切なくなります。「何度だって」よりも、撮影に限らず君の時間そのものを共にしたいという“私”の思いが感じられるようで
……
〈叶うなら〉と呼びかけている先もまた〈君〉という風に読んでいるのですが(〈君〉は二人称なので呼びかける先も〈君〉)、もし〈君〉が寿命などによって最期を迎えようとしているなら酷だと思いつつ、神や仏ではなく〈君〉が祈りの先であることから見える”私”の祈りの痛切さや真摯さがあるように思います。──Dr.ギャップ
【作者コメント】
原作:文豪とアルケミスト
作中主体は久米正雄、「君」は芥川龍之介です。
この二人は生前のアレソレの影響で関係が拗れまくってたせいで久米の実装以降ホントに色々あって
……! 数々の闘いを経て現在は生前通りとは行かずともある程度関係性の修復が見られたのではないかと私は思っています(というか修復しててくれ)。
久米は生前、田端の芥川邸にて芥川が煙草を吹いていたり木登りしたりしている姿をビデオカメラに残しています(田端文士村記念館で見れます)。しかしその翌年、芥川は久米に「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」などを記した遺書『或旧友へ送る手記』と遺稿を遺してこの世を去ってしまいました。
せっかく転生したんだから昔のままとはいかずとも旧友同士仲良く笑っててくれ、もちろんこれで最期だなんて言わずに図書館が続く限りこの先何年だってさ
――二人を取り巻く史実と過去を踏まえ、そんないち特務司書の願いと共に詠ませていただきました。──月ノ華
「正しさ」を求めて斬った先の世で美しく咲け折節の花
【選評コメント】
★先の時代に思いを託しつつ戦う、幕末や革命期の人の姿が鮮やかに浮かびました。
未来を生きる人々を「折節の花」とした表現が素敵です。──海月雪夜
●上の句の「斬る」という苛烈さから下の句「折節の花」への祈りに転換する流れが、イメージ的にも鮮やかで引き込まれました。幕末、歴史の転換期に信念を持って活動した新撰組などが思い浮かびました。潔さが印象的な歌です。──ゆの
●語り手は、今世を諦めているのでしょう。何かを「斬」らなければならない自分には、季節の花が彩ってくれるような鮮やかな生活は無い。諦観と潔さそのものが、研ぎ澄まされた刃のようです。白く輝く刀身を見ました。──おかのきくと
●一つの「正しさ」を求めて斬りながらも、その先の世で咲いてほしいのは一種類の何かの象徴のような花ではなく、折節の、さまざまな種類の花が咲いていてほしい、未来は今より広がっていてほしい
…というような、苦い祈りの歌だと感じました。──四月
●かぎ括弧つきの正しさは、他と相容れないと分かりつつも主体が信じ、求めるものなのだと感じました。未来への祈りの成就と、花開く風景が重なるようです。──toico
●ヒーローが自己犠牲の末世界の平和を守る話かなと読みました。主体が暴力行動(防衛のためだったとしても)を起こさないと、美しい花が人々から美しいと愛でられているような平和な未来が来ない、ということでしょうか。斬られた存在がその後も五体満足であるとは考えにくいので、この行動は「正しさ」のためであると自分に言い聞かせ葛藤をねじ伏せながら刀を振るう主体の姿が浮かびます。「求めて」いるのがなんとも苦しげで、斬った相手と互角のいい勝負をしているというよりは、殲滅戦のように主体有利で状況が動いており、だからこそ本当にこれでいいのかと迷いが起きているように想像しました。──池田いくら
●「正しさ」をと「」で強調している所が主体自身が言い聞かせるような気持ちを正しさに持っているよう感じました。人を斬ることに対する心の揺れ動きと覚悟、それでも先の世界・人たちへの祈りのようなものがあるのだと思います。すっとした意志の上の句とそれを受け継いで開く祈りの下の句に思いの強さを受け取りました。──山と森と街
●カギ括弧付きの〈「正しさ」〉と〈美しく〉の対比あるいはバランスが印象的でした。この”私”が武器を振るう理由は「正しさ」で、その先に望むのは〈美しく咲け〉なんだなぁと。また〈折節の花〉ということは、咲いて終わりではなく美しい花が四季を巡るような、平穏の継続を望んでいるのかなと想像しました。ただのハッピーエンドではなく、それが末永く続きますようにという祈り。少し切なくなるくらいまっすぐな祈りだなと思います。
またその祈りがあくまで〈先の世〉に向けられており、今ここでは花が美しく咲くことは望めないとしているのも印象深く感じました。──Dr.ギャップ
【作者コメント】
原作:刀剣乱舞
「舞台『刀剣乱舞』綺伝 いくさ世の徒花」の歌仙兼定と「ミュージカル『刀剣乱舞』江水散花雪」の和泉守兼定をイメージして詠みました。
異なる本丸の話なはずなのに、二振りとも自らの大切な人を花に例え、「花を愛でる」という表現を使っていたのが印象に残っています。「正しい歴史」を守るために誰かの願いとそれによって歪んだ歴史を斬り、咲くべきときに咲き散るべきときに散る人々の命の花を愛おしむ、そんな二振りの兼定の姿が映し出せていれば本望です。──月ノ華
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