柚子子
2024-09-23 10:25:00
101523文字
Public ベリーベリー
 
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微原作沿 爆豪長編(3)

サイトに掲載している爆豪長編の第三章です

 いつのまにか俺は、息を殺して聞き耳を立てていた。
 物形の言葉はどれもこれも無関係な第三者による、無責任な放言にすぎない。それはもちろん分かっている。
 それでも俺には、その放言を一笑に付すことはできなかった。なぜなら物形の言葉は、それこそまさに、今の俺が苗字にたいして考えていること、そのものだったからだ。
 もっとも実際には、俺の思考がそこまで悪いほうに進んでいたわけではない。そもそも俺には苗字がしんどい思いを抱えている……かもしれないことだって、今の今まで初耳だった。そんな状態で、いきなり苗字がきつがっているという前提の話をされても、そこまで思考が追い付かない。
 ただ、今の俺と苗字の置かれている状況を見れば、否が応でもそういうことを考えざるをえない。別れるつもりが一切なくても、だからといって無視しておける問題ではない。
 そばにいられない彼氏に、何の意味があるのか。
 その答えを、腹立たしいことに俺自身、持っていない。
「雄英生が大変なのは、部外者の俺でも知ってる。知ってるけど、でも苗字さんまでその大変さに付き合う必要はないと、俺は思う。しんどい気持ちで無理してまで、バクゴーと付き合う必要はある?」
 その場に突っ立ったまま、俺は唇を噛む。悔しいが、物形の言っていることは正しい。
 入学前には思いもよらなかった事件に次々見舞われ、思い描いていたのとは多少違う高校生活を送ることになった。しかし俺が今こうして雄英生として忙しくしているのは、ほかでもない俺自身が選んだ進路だ。
 たとえ入学前にこうなることが分かっていたとしても、俺はまず間違いなく雄英を受験しただろう。そしてクソカス連合をぶっ倒す。
 不本意な思いも多々あったものの、ある一面においてはたしかに、俺は望んで今こうして世間でいう「大変」な思いをしているわけだ。だが、翻って苗字はといえば、まったくもってそうではない。苗字は付き合ってからというもの、ずっと俺の都合に振り回され続けている。
 いや、しかし苗字だって、何度も選択の機会はあった。
 そもそも俺と付き合うと決めたのだってそうだ。入寮のタイミングでも、そのあとだっていつでも、苗字は俺と別れることはできた。別れると言い出さなかった以上、苗字だってただ振り回されているばかりではない。そのはずだ。
 にもかかわらず俺が開き直れないのは、それが最大限俺にとって都合のいい主張でしかないことも、頭の片隅で理解しているからだった。認めたくないが、分かってしまう。
 苗字はクソ頑固だから、一度付き合うと決めた以上は、こんなことで別れようなんて言い出さない。少なくとも、俺本人に明確な非がないと苗字がそう考えているかぎりは、俺の多忙を理由に別れを切り出したりはしない。そういう苗字の思考の癖みたいなものを、俺は都合よく利用している。
 苗字にとっての別れる別れないという話は、好きとか嫌いとか、そんなもんとは別の次元の話なのだろう。もっと単純な話だ。今別れるのは苗字にとっては筋が通らない、だから別れない。それだけだ。
 本当は、物形の言っていることが正しいのかもしれない。苗字の信じる筋道は、世間的にはずれているのかもしれない。世間一般の常識に照らしてみれば、物形の言葉の方が筋が通っているのかもしれない。
 知らず、俯けていた顔を上げた。姿は隠したまま、俺はふたたび苗字と物形を見る。
 俺らしくない思考が頭をよぎったのは、自分に負い目があったから。正しいことをしていると思っていても、その正しさを苗字に押し付けるわけにはいかない。苗字がついてくると分かっていて、いつまでも振り回すわけにはいかない。
 相澤先生の言葉が脳裏に浮かぶ。苗字はヒーローを目指す人間じゃない。あいつは、ただの『市民』。ヒーローになんか微塵も興味がない、モブのなかのひとり。
 ──だが、だったらなんなんだ。
 俺はこぶしを強く握った。
 だったらどうだっていうんだよ。
 しんどかろうがなんだろうが、別れねえと決めてんのは苗字だ。たとえそれが、苗字から俺への好意の裏付けではないとしても、そんなことは関係ない。
 苗字が別れねえなら、こっちには別れる理由なんかない。
 クッッッソむかつく話だが、こっちはあのクソ根暗に惚れて、好きで、そんで付き合ってんだ。だったらもうしゃあねえだろうが。振り回していようがなんだろうが、俺が責任もって腹を括らせるしかない。
 と、頭のなかで息巻いたところで、仕方ない。やっぱもう俺が出ていって全部終わらすか。死ぬほどの恥は晒すかもしれないが、このまま言いたい放題されているのは性にあわない。
 けれど、俺はまたしても足をとめるはめになった。
 俺が動き出すより先に、根暗が口を開いたからだった。

「好きなんだから、仕方ないじゃないですか」

 その言葉が耳に届いた瞬間、俺ははっと目を見開いた。
 今まさに俺が考えていたこと。それとほとんど同じ言葉が、聞きなれた根暗のぱっとしない声で、そのまま俺の耳に届いた。
「寂しいか寂しくないかでいったら、寂しいですよ。そりゃあそうですよ、しんどいに決まってる」
 根暗の声は、半分笑っているように聞こえた。
 なに笑ってんだ、と思いかけ、気付く。笑ってでもいないと、こんな話はできない。
 頭のなかで考えていただけの俺とは違う。苗字は今、目の前の人間に本心をさらけ出し、対話をするという作業をしているのだ。
 しんどくないかと聞かれて、しんどいと答える。自分の弱点を認めたうえで、真っ向から反論する。それがきつくないはずがない。
 弱みを実際に口にすることがきつい作業だということを、俺はもう、嫌ってほどに知っている。
「私がしんどいのは、たしかに物形さんの言うとおりかもしれない。でも、だからって、それがなんなんですか? だって、好きなんだから仕方ないんですよ。それ以外に理由なんか、あるわけないじゃないですか」
 こんなときなのに、苗字の言葉に胸がぐっと詰まった。
 付き合ってからずっと、苗字はたいして俺のことなんか好きではないのだろうと思っていた。付き合おうと思える程度には好きでも、それ以上でも以下でもない。その程度の好かれかただと思っていて、俺はずっとそれが腹立たしかった。
 最近になって、もしかしたら苗字は俺が思っていた以上に、俺のことを好きなのかもしれないと気がついた。アホみたいな嫉妬をして、勝手に病んで、それでも俺はまだ完全には苗字からの好意を信じてはいなかった。
 ずっと、むかつくくらいに、俺の一方通行なのだと思っていた。
「そんなに好きですか。バクゴーのこと」
 物形の問いに、「はい」と苗字がはっきり答える。俺が聞いているなど、まさか知るよしもない苗字は、俺に聞かせたこともない話を口にし続ける。
「というか、そばにいてくれる誰かが欲しいだけなら、私は最初から、爆豪くんのことなんか好きになってないんですよ」
 根暗の声は、少しも揺れていなかった。
 まっすぐ芯の通った、迷いのない声だった。
「たしかに、そばにいてほしいって思っても、爆豪くんって全然、本当に全然、私のそばになんかいてくれなくて……、会いたくても会えなくて、ここのところなんか連絡も滞りがちなんですけど」
「うん」
「でも、爆豪くんだから、会えなくて寂しいんだと思います。爆豪くんじゃないひとがそばにいてくれたとしても、多分、私がそれで平気になるなんてことは、ないと思います」
 へへ、と。そこで根暗が照れたような笑い声をあげた。自嘲でもなんでもなく、本当にただ照れたような、アホっぽい根暗の声。俺が聞きなれた、気の抜けるような根暗の声だった。
 最後にこういう声を聞いたのは、いつだっただろう。そんなことすら、今の俺には分からない。
 分からないのに、それでも根暗は、苗字は、俺がいいというのだ。
「暴言吐かれても、恋人らしいことなんか一個もなくても、私は爆豪くんがいい。爆豪くんから別れろって言われないかぎり、私は爆豪くんの恋人でいたいです。そのためなら、少しくらいの我慢はするし、一緒にいるための努力もします」
 だから、ごめんなさい。
 根暗はそう言って、物形に向けて頭を下げた。
 いつのまにか辺りはすっかり暗くなっていた。路地裏は深い影におおわれている。もともと表情の見えなかった物形はもちろん、横顔は見えていた根暗の表情すら読むことができなくなっている。
 ふいに、深い溜息の音が路地裏に響いて溶けた。物形だった。
 物形は首を傾け、背中を伸ばすようにストレッチのような動作をしてから、もう一度、今度は軽い溜息を吐き出した。
「まいったなぁ。苗字さん、そんなに好きなんですね。バクゴーのこと」
「うん、好きみたいです。困っちゃいますよね」
 苗字が応じる。物形も苗字も、もう普段どおりらしい声音に戻っていた。
「俺さっきも言ったけど、バクゴーのことを好きでいつづけても、多分この先しんどいばっかだと思うよ。雄英って今逆境に立たされてるし、世間的にもヒーローそのものが厳しい目で見られてるし。そのビハインドを取り戻して、かつ強さをアピールするためには、相当厳しいカリキュラムでやっていくことになると思うから」
「物形さん詳しいですね……
「まあ、うん。俺、オタクなんだよね。読書も好きだけど、それ以上に雄英ファンというか。体育祭もチケットとって見に行ったし」
 まじか、クソナードがここにもいやがった……。なんっで俺の周りには、こう根暗だのオタクだの、そんなんばっか集まってくるんだ。陰のものが集まるな、散れ。まじでこっちを見るな。
 げんなりした気分の俺とは対照的に、苗字はなぜか嬉しそうに笑っている。つられてなのか、物形まで笑っていた。てめえはもう少し落ち込め。悄然としてろ。
「バクゴーもさ、かっこいいんだよな……苗字さんが好きになるのも、悔しいが分かるんだよ……
「もしかして私たち、同担ってやつですか?」
「いや、そういうんじゃないんだけど! だって俺、バクゴーにやられたウララカさんを応援しているから……
「爆豪くん、仇なんだ」
「そう、俺は今のところバクゴーに負け越している……二戦二敗だ……
 どういう思考と発想してもそうはならねえんだが? 百歩ゆずって根暗とのことは敗北カウントしてもいいが、丸顔の敗けを自分のものにカウントしてんじゃねえ。てめえ観客席で見てただけだろうが。自己投影すんな。
 すっかりぐだった空気に辟易し、俺はその場を立ち去ることに決めた。
 去ろうとした俺の背後から、物形と苗字の会話が聞こえ続けている。
「爆豪くんとのことは、まあ、そばにいられないなら、私が追いかけて追いつけばいいかなと思ってるので。だから大丈夫です」
「分かりました……。それはそれとして、また俺と本の話はしてくれますか?」
「どうかなぁ……。下心があるって知ってる相手と会うのは、微妙かもしれないです」
「じゃあ下心捨てるから。友達になりましょう」
……ちょっと保留にさせてください」
「うわー、欲、出さなきゃよかったかなぁ」
 まじでまったくそのとおり。二度と欲を出すな。一生身を慎んで生きていけ。
 結局一度も顔を合わせて話すことのなかった物形相手に、俺は内心でそんな言葉を送りつけた。