その日の晩、ちょうど爆豪くんから電話がかかってきたので、さっそくバレンタインの話をすることにした。ベッドに腰掛け、膝の上に歴史の暗記プリントを広げたまま、爆豪くんとの通話にも意識を割く。
「バレンタインのチョコをね、用意しようと思うんだけど。当日の手渡しって、できそうな感じかな?」
こういうとき、同じ学校に通っているなら、サプライズでもなんでもできるのだろう。しかし現状、私が爆豪くんと会って話をするためには、事前に爆豪くんに外出届を出しておいてもらう必要がある。呼び出すのならばせめて、用件くらいきちんと明らかにしておくのが、呼び出す側のけじめというものだ。
「あ? バレンタイン?」
私の言葉をオウム返しにする爆豪くんに、私はうん、と頷いた。
「バレンタイン。世間は今、そういうことで盛り上がってるらしいんだよ」
「知っとるわそんくらい! 馬鹿にしてんのかてめえは!?」
「えっ、知ってるんだ、ごめん……。私はすっかり忘れてたから、爆豪くんもてっきり忘れているものだとばかり……」
「クリスマスん時ゃあんな盛り上がっときながら、んだその温度差は!」
「だってクリスマスはファミリー向けイベントでもあるけど、バレンタインってそういうのじゃないから……私のこれまでの人生に無関係すぎてスルーする癖がついてた」
正直に申告すると、爆豪くんは「陰キャの世間にゃバレンタインもねえのかよ」とド直球の悪口をぶつけてきた。怖っ。
「こんだけ世の中浮かれてりゃ嫌でも目に入るだろうが。一生下向いて歩いてんのか? 根暗も極まりゃいい加減苔むすぞ」
「今日なんかすごい絶好調じゃない? あと根暗じゃないし苔もむさないし」
肌に苔むすとか、そういう個性の人に聞かれたら怒られそうだな、と思いつつ、私は反論する。
「一応、友達からチョコもらったりはしてたよ」
「ザコ人生がよ」
なにもそこまで言わなくても。むっとしながら、私はさらに言い返した。
「……そりゃあ爆豪くんはね、バレンタインに馴染みも深いかもしれませんけど」
「あ?」
「チョコでもクッキーでもマシュマロでも、何でもあちこちからもらってたんでしょうね」
中学時代、爆豪くんがいかほどバレンタインに女子からチョコをもらっていたかは知らないけれど、まったくゼロというわけでもなかっただろう。本命かどうかは別として、義理のひとつやふたつ、みっつやよっつ、あるいはそれ以上、もらっていてもおかしくはない。
私と爆豪くんでは住む世界が違う。そんなことは中学の頃から分かっていることだ。それなのに、別にいまさら蒸し返さなくたっていい話ではないか。
「爆豪くんと違って、私は男の子にチョコ渡そうなんて思うの自体、はじめてのことなんだもん、仕方ないじゃん」
「…………」
開き直って言うと、爆豪くんは黙り込んだ。逆に聞きたい。爆豪くんは、私がほかの男子にチョコを渡したことが一度でもあると、本気で思ったのだろうか。ここまで一切色恋に縁なく生きてきた私に、そんな機会があるはずないなんて、少し考えればわかりそうなものだけれど。根暗だなんだと揶揄するのなら、私の根暗ぶりを見くびらないでいただきたい。
しばし沈黙が落ちる。やがて爆豪くんが口を開いた。
「バレンタインって何日だ」
「十四日」
「十四……、木曜か」
「うん、そのはずだけど」
爆豪くんが無言になる。ごそごそいう物音が聞こえ、なにか確認しているのだろうなという気配だけが、電話の向こうから伝わってくる。
ほどなく、爆豪くんがふたたび口を開いた。
「放課後、インターンで潰したぶんの授業の補習がある。その前一瞬なら出られる。六限のあと」
要するに、そのタイミングでならば受け取れる、ということだ。雄英と夢咲女子は最寄り駅を同じくしているので、下校時に寄るのはそれほど苦にはならない。もとよりこちらも、そのつもりでいた。
ただ、チョコの受け渡しがあるということは、爆豪くんには一度、校外に出てきてもらう必要があるということ。あまり時間がないのであれば、手渡しは諦めるしかない。
「いいの? 渡すのが無理そうなら、郵送にしようと思ってたんだけど」
「手作りの食いもん郵送される方が怖ェだろうが」
面倒くさそうに言われて、驚いた。郵送が怖い云々、についてでは、もちろん、なく。
「えっ、爆豪くん手作りがいいの? 既製品のチョコじゃなくて? 私の手作りだよ? 本気で言ってる?」
びっくりして聞き返した瞬間、電話を切られた。ぶつっ、という音が聞こえてきそうなほどの、勢いのある切り方だった。通話の切れた携帯を、私はまじまじと見つめる。
そうか、爆豪くんは私から、手作りのチョコをもらえると思っていたのか。市販品ではなく、手作りを……。
意外すぎる意見に、私はまだびっくりしていた。絶対に既製品にしろと言われると思っていたのに、爆豪くんは当然のように私が手作りすると思っていたらしい。爆豪くんにとっては、バレンタインのチョコレートというのは、手作りであるべきものなのか。え、本当に?
そもそもスイーツだろうが料理だろうが、他人の手料理って、嫌なひとは結構嫌なものだと思うのだけれど。爆豪くんはそういうの、あんまり気にならないタイプなのか。寮で生活していると、そういうのも平気になっていくものなのかもしれない。
本当に手作りでいいのか、と聞き直そうかとも一瞬思ったけれど、すんでのところでそれは思いとどまった。電話越しに激しく怒られる未来が、はっきり見えたからだった。
机のうえに置いてあった眠気覚ましのガムに手を伸ばし、ひとつ口に放り込む。ガムを噛みながら、先ほどの爆豪くんの言葉の真意に思いを馳せた。
爆豪くんは、それほど食べるものにこだわるタイプではない。だからこそ、既製品から選ぼうとしていた、というのもある。私がつくろうがパティシエが作ろうが、作り手に価値を見出すタイプではないといえばいいのだろうか。単純に、味がおいしければいい、というタイプだと思っていた。
けれどさっきの話を踏まえれば、爆豪くんにとってはバレンタインというのは、手作りのチョコを贈るのが当然、わざわざ私に確認するまでもない、疑う予知もない常識、ということになる。
そこまで考えて、私は気が付いた。
……いや、そうではないのか。
携帯を見つめたまま、暗転した画面にうつった自分と、今は何もつけていない自分の耳を見て、思う。
誰がつくったか、ではない。手作りならば、誰がつくったものでもいい、というわけではないのだ。
大切なのは、恋人である私がつくったか。多分だけれど、おそらくは、そういうことだ。
私だって、爆豪くんが贈ってくれたからこそ、付けなれないアクセサリーをつけている。例としては違うかもしれないけれど、根本的な部分の考え方は似たようなものだろう。
イヤーカフはたしかにお気に入りになっているけれど、もしもこれがイヤーカフじゃなくたって、たとえば全然趣味の合わないアクセサリーだったとしても、爆豪くんが贈ってくれたものならば、私はきっと大切にした。
そういうことなのだろうか。それならば、思いがけない爆豪くんからの言葉にも納得がいく。
そうだったら嬉しいな、とも思う。そうであってほしい。
ふたたび携帯を操作し、メッセージアプリを開く。昼間、バレンタインの話をしていた友人に「一緒につくろう」とメッセージを送り、私はにやにや笑いをかみ殺す。
友人からはすぐに返信があった。「バクゴーくんやっぱ手作りがいいって言ってたでしょ」
今回ばかりは、たしかに友人の勝ちだった。
★
それから半月が経過して、バレンタイン当日。私は授業のあとにしばらく時間をつぶしてから、雄英高校へと向かった。爆豪くんは授業と補習の合間を縫って出てきてくれるので、遅刻も長居もできない。
女子高のバレンタインがあれほど盛り上がるイベントだとは、まったく思いもしなかった。ここのところは三年生の大学受験に配慮して、学校全体が少し静かになっていた印象なのだけれど、今日ばかりはその限りではなかった。
飛び交う生チョコ。乱舞するクッキー。交錯するブラウニー。ばら撒き用のスイーツが、本当に文字通りばら撒かれていた。おかげで私もおなかいっぱいだ。
一応私もばらまき用のお菓子を持参していたのだけれど、それを出すまでもなかった。市販のチョコの大袋だから、日持ちすることだけが救いだろうか。いっそ大袋は爆豪くんに渡して、寮で食べてもらってもいいかもしれない。
そんなことを考えつつ、雄英までの道のりをのんびり歩いた。吐く息は白い。今日は学校帰りなので、耳には何もつけていない。イヤーカフは持ってくるか悩んで、結局やめてしまった。なくしても困る。
待ち合わせ時間の少し前に、雄英の校門の前に到着した。人の出入りはほとんどない。ぼんやり待っていると、しばらくしてから爆豪くんが出てきた。
「爆豪くん、こっち」
「見りゃ分かんだよ」
まったく駆けてくる様子がなかったから、てっきり見えていないのかと思った。私のことがちゃんと見えていて、だらだら歩いていたらしい。相変わらずというかなんというか。
少し久しぶりに見る制服姿に、妙に心がそわついた。首元には私がプレゼントしたマフラーをつけてくれている。それだけのことが、とてつもなく嬉しい。マフラーからのぞいた鼻の頭が、ほんのり赤く染まっていた。
「ごめんね爆豪くん、忙しいのに」
「まったくだわ。アホが」
「じゃあこれ、約束のブツです。お納めください」
チョコの入ったラッピング袋いりの紙袋を、私は爆豪くんに手渡した。
「早めに食べてね。手作りなので」
「ケッ」
「あと、開封してないチョコの大袋あるんだけど、それもいる? よかったら寮の皆さんでどうぞ、でもいいし」
「いらねえ。甘いもんは足りてんだろ」
噂のスイーツ男子か、と内心納得した。たしかに美味しいスイーツを提供してくれる友達がいるのなら、わざわざこんなよく分からない差し入れは必要ないだろう。
「甘さ控えめで作ってますが、あんまり期待はしないで」
「はなからてめえに期待をしたことがねえ」
「そんなことはないでしょ……。というか、だったら手作りを要求しないでください」
「あ?」
「いらないなら返してもらってもいいんだけど?」
「ふざけんじゃねえぞ」
「それはこっちのセリフなんだよね」
いつも通りのやり取りをやったところで、時計を見た。授業と補習の合間の時間に出てくると言っていたから、そろそろタイムリミットだろうか。
長々引き止めても申し訳ない。ここいらで引き上げることにした。
「じゃあ爆豪くん、私は帰るけど、引き続き勉強頑張って」
「言われるまでもねえ」
「なんでそこで、素直にうなずけないんだろう?」
「てめえはさっさと帰れ」
「言われるまでもなくね」
校舎のなかに戻っていく爆豪くんを見送ろうと、手を振る。と、紙袋のなかをのぞいていた爆豪くんが、おもむろにこちらを向いた。
「おい根暗」
私を、というか私の不名誉なあだ名を呼んで、言う。
「三月の最後のほう、春休み入ってからなら、一日くらいどうにかなる」
「えっ、そうなんだ。じゃあ、」
デートに行けるね、と言いかけた私の声を、爆豪くんは遮った。
「そう遠くへは行けねえぞ」
「あ、それはもちろん」
「無ェ知恵しぼって、行きてえ場所考えとけ。ホワイトデーはそれにする」
「ん、了解。考えとくね」
「くだらねえ案出したら殺す」
それだけ言って、爆豪くんは踵を返した。爆豪くんの背中が見えなくなるまで見送ってから、私もようやくその場を離れる。ホワイトデーのことをちゃんと考えてくれているのだ。そのことが嬉しくなって、心が身体のなかを跳ね回っているような気分になった。
その夜、携帯を確認すると爆豪くんからの「食った」とだけメッセージが入っていた。からっぽになったラッピング用の箱の写真が添付されている。
やっぱり、「食った」の一言だけだった。予想通りだ。
爆豪くんの反応に苦笑いしつつも、悪い気はしなかった。
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