卓上のメニューを見て、パスタと定食をそれぞれ注文した。ドリンクバーで飲み物を補充してから、テーブルの上を一度片づける。昼時が近づいたことで、店内はだんだんと賑やかになりつつある。
片付けに手を動かしながら、私は爆豪くんに尋ねた。
「爆豪くんは春休み、っていってももうあと何日かしか残ってないけど、残りはずっと予定つめつめなの?」
「明日はインターン」
爆豪くんはそこで一度言葉を切った。じっとこちらに注がれる視線に、私はなぜだか妙に胸がそわつく。
「え、なに……」
「……今日も根暗で能天気な顔さらしてんな」
「根暗で能天気な顔ってなに。絶対悪口」
「鏡見りゃ分かんだろ」
爆豪くんの暴言にも、微妙にキレがない。落ち着かない気分で爆豪くんから視線をそらし、思考を話の内容に集中させた。
なるほど、インターンの準備などがあるから、今日の予定も半日ということになったのかもしれない。もしかするとこの半日の時間を捻出するのも大変だった、という可能性もある。
私のようにのんびりと春休みを過ごしている学生とは違うのだ。そう考えると、ファミレスでよかったのか悪かったのか、という最初の疑問にまたぶち当たってしまうのだけれど、ひとまずそれは置いておくとして。
「明日はインターンで、それで?」
「……その後もだいたいインターンか特訓だわ。あと二年の予習」
その言葉に、私は思わず身を乗り出した。
「あ、もしかして爆豪くんが今日持ってきてるのって、二年生の予習教材? 見せて見せて」
「急に興味関心を示してんじゃねえ!」
「お願い、ちょっとだけでいいから」
そう言って、爆豪くんが片づけようとしていた参考書を貸してもらい、中身をぱらぱらとめくった。「ガリ勉のレベルを上げてきやがった」と爆豪くんから悪口が聞こえてくるような気がするけれど、聞こえないふりをする。ガリ勉を悪口として使用するような人間に、返事をしてやる義理はない。
まだ習っていない範囲なので分からないけれど、ぱっと見た感じでは、かなりレベルの高い教材を使用しているように見える。さすがは雄英というところだろうか。
予習教材として出してくるのがこのレベルということは、実際の授業がもっとハイレベルなのは想像に難くない。その授業をヒーロー科のカリキュラムと並行で学習していくというのだから、なんともすさまじい。
問題を見ているうちに、めらめらと対抗心が燃えてくるのが分かった。ヒーローを志す爆豪くんがこのレベルをやるのであれば、私だって負けてはいられない。もっと、もっと頑張らなければ……!
「今日一ぎらついてんのが人の参考書パクって眺めてるときて、てめえまじで頭おかしいだろ」
「いや、だって、やっぱ気になるから」
「デートの意味調べなおして出直せ」
暴言を吐かれながらも、爆豪くんの参考書を眺めつづける。と、そのとき。
「あれ、そこにいんのってエンデヴァーとこの学生じゃん! 雄英生!」
ふいにすぐそばから声がして、はっとした。見知らぬ男性グループが、私たちのテーブルのそばに立ち、爆豪くんに向かって笑っている。
私は急いで、参考書に没頭するふりをして顔を隠した。別に逃げ隠れしなければならない謂われはないのだけれど、なんとなく反射でそうしてしまったのだ。少し前に友人から「バクゴーくんのまとめサイトとか作られたりして」という話をされたのが、潜在意識に残っていたのかもしれない。
顔を隠したまま、私は様子をうかがう。爆豪くんは腰を上げることもなく、横柄な態度で相手を睨みつけている。
「いいねー、デートしてんの?」
「あ? 誰だてめえら」
「善良な一般市民だよ」
「善良な一般市民は休日の学生に声かけねンだよアホが」
見たところ、爆豪くんは彼らグループと面識がないようだ。彼らがいうとおり、本当にたまたま通りすがって、爆豪くんのことを知っていたから声を掛けただけの人たちなのだろう。顔が売れるというのは、こういうハプニングにも対処していかなければならないということらしい。
それにしても、爆豪くんも爆豪くんだ。見知らぬ相手にいきなり暴言をぶつけたりして、見ているこっちがひやひやしてしまう。
彼の口の悪さはもう癖というか病気のようなものなので、相手が初対面とか顔見知りとか、そういうこととは無関係に飛び出してしまう。私はただ、あとからネットにあることないこと書かれませんようにと、胸のうちで真剣に祈るしかない。
そんな私の心配をよそに、一般市民グループの皆さんと爆豪くんの、事故みたいな会話は続いている。
「今日はエンデヴァーんとこ行かなくていいの? 学校も休み? あ、春休みか」
「うるせえ、オフだわ見りゃ分かんだろうが!」
「へー、意外にもエンデヴァーってちゃんと休みくれるんだ」
「ブラック事務所じゃないんだな」
「学生だけじゃね? サイドキックになったらブラックだろ」
「エンデヴァー以上に働いてるサイドキックなんざいねえわ」
「つーかさぁ、ちょっと聞きたいんだけどさぁ」
「あ?」
「……バーニンって彼氏いる? 雄英生なんか知ってる?」
「知るわきゃねンだよ……!」
「バーニンまじでタイプでさぁ……。キドウと付き合ってる説は嘘だよな? オニマーもないよな?」
「そもそもエンデ事務所って所内恋愛とかある空気なの?」
「んなこと俺が知るわけねえだンだよ! 自分で問い合わせしろ!」
「そんなの問い合わせても絶対答えてもらえねえじゃん」
「俺も答えるわけねえんだが!?」
「そこをなんとかさぁ。教えてくれたら今度のチャート、エンデに投票するからさぁ」
「そこはバーニンに入れてやれや!」
「たしかに」
「つーかオフだっつってんだろうが! 話しかけてくんな!」
爆豪くんが怒鳴り声で蹴散らしてようやく、一般市民グループはその場を離れていった。彼らが去った方向を振り返ってみると、少し離れた席について、爆豪くんに手を振っている。
爆豪くんは思い切り顔をしかめて、一般市民グループを威嚇した。やることなすこと、ヒーロー志望とは思えない柄の悪さだ。
しかし、よりにもよってまさか爆豪くんに話しかけてくるとは。相手は大人だったし、そういう意味では対・子どもということで話しかけやすかったのだろうか。ヒーロー科のインターンといったって、こうして普段の姿を見れば、がたいのいい高校一年男子でしかない。
「なかなかインパクトのある一般市民だったよね……」
「モブが図々しい」
爆豪くんの対応もかなり斜め上だったものの、相手方に腹を立てている様子はなさそうだったので、そこだけは安心する。アンチに絡まれたら、あるいは喧嘩を売りに行ったらどうしようかと思っていたのだ。
そろそろと顔を出し、ようやく肩のちからを抜いた。残っていたアイスティーをすする。タイミングを見計らったかのように、ちょうど注文した料理が運ばれてきた。
安心したら、なんだか急に空腹を感じはじめた。爆豪くんの料理も運ばれてきたので、さっそく食事にとりかかることにした。
「しかし爆豪くん、すっかり有名人だね」
パスタをフォークに巻き付けながら、私は言った。爆豪くんが「あ?」と視線をこちらに向ける。
「さっきの話。マスクとかしてこなくてよかったの? 変装とか、プロでも人気のある人はするんじゃないの? 知らないけど」
「いらん。つーかコス着てねえときに声かけてくるとか、まじでマナーがクソかよ」
「一般市民にクソかとか暴言吐く人間に、マナーを説かれても……」
とはいえ、爆豪くんの言い分にも一理あるのはたしかだ。こんなふうに、デートの最中にいきなり話しかけられていては、おちおち遊びにも出られない。爆豪くんがプロになってからならばともかく、学生のうちからとは思いもしなかった。
──「バクゴーくんの彼女っていわれて名前ちゃんが出てきたら、やっぱりバクゴーファンとしては、ちょっとイメージ違うってなるのかな?」
ふいに脳裏に、友人の言葉がよみがえる。
さっきの一般市民グループにも、もしかしたら私の顔を見られたかもしれない。話しかけられこそしなかったものの、デートという言い方をしたということは、彼らも爆豪くんが女子とふたりで出掛けていたということには、当然気付いていることだろう。
不釣り合いだと思われてはいないだろうか。
ふさわしくないと、似合っていないと思われていないだろうか。
嫌な胸の騒ぎかたを感じ、私は大きく息を吸い込んだ。目の前の爆豪くんが、定食のチキン南蛮を咀嚼しながら、訝しげにこちらを見ている。その視線にこたえるように、私はなんとなく作った笑顔で力強くうなずいてみせた。
自分では根暗ではないと思っているけれど、とはいえ自分が華やかなタイプの人間でないことくらい、十六年も生きていればいやでも理解する。
爆豪くんとは違う世界の人間。それは自分でもわかっていて、今までだって、そういう視線を浴びたことは何度かあった。爆豪くんと仲良くしていることで、中学時代だっていろいろなことを言われた。
私が掛けられた言葉はいずれも「爆豪勝己と仲良くするなんて」という方向のものばかりだったけれど、私が聞かなかっただけで、当然反対方向のものもあっただろう。「苗字みたいな根暗と仲良くするなんて」と、あの爆豪くんが言われていないはずがない。
知らず、右耳につけたイヤーカフにふれていた。ここ最近、幸せなことが続いていて、あまり考えなくなっていた。できるかぎり目をそむけ、考えないようにしていた。
爆豪くんに置いて行かれないように、隣に立つのにふさわしい自分であるようにという思考。
その思考がふいに首をもたげ、存在感をいや増す。
ああ、よくない。このまま考え続けたら、多分あんまりよくないことになる。
一度ぎゅっと目をつむり、それからまた目を開いた。邪念を振り払うように何度かまばたきをすると、爆豪くんがいつのまにか、こちらをじっと見つめていた。
パスタの最後の一口を、口に押し込む。それを飲み込んでから、私は言った。
「この次に会えるのは、爆豪くんの誕生日のお祝いかな」
「……」
今日は半日だけという約束だから、食事を終えたらデートはおしまいだ。またしばらく会えない日々が続く。
爆豪くんの誕生日は四月の終わりのほう。うまくすれば、春の連休で少し遅めのお祝いをできるかもしれなかった。
「誕生日プレゼントにほしいもの、また考えておいてね」
私が言うと、爆豪くんは口を開き、何か言いよどむ。その様子を、私は何も言わずに見つめていた。爆豪くんがこんなふうに、分かりやすく言葉を選んだり言いよどんだりするのは珍しい。頭のいいひとだから、いろいろ考えているのだろうということは分かるのだけれど、爆豪くんはそういう膨大な思考も含め、あまり表に出さないからだ。
しばらく、私は爆豪くんの言葉を待った。けれど言葉は声にならないまま、爆豪くんはただ一度、溜息をひとつ吐き出した。そして、
「勉強会以外ならなんでもいいわクソが」
つまらなさそうに、そう呟いた。
「…………」
「何黙って目そらしとんだおい根暗! そらそうだろ! どこの誰が誕生日に勉強会企画すんだアホが!」
「たしかに、それはそうだけど」
「二度とてめえにプランニングはさせねえ。てめえは一生案を出すな」
「そんなこと言うなら、爆豪くんの誕生日はプレゼントからデートの企画まで、全部爆豪くんに任せちゃおうかな」
「誕生日の人間を喜ばせようっつーホスピタリティがねえのか!」
「爆豪くんの口から、ホスピタリティなんて言葉が出てくるなんて……」
そんな話をしているうちに、いつのまにか少しは心が軽くなっていた。爆豪くんとのことで頭を悩ませているはずなのに、心を軽くしてくれるのも爆豪くんなのだからややこしい。
「どちらにしても、誕生日のことはまた考えておくから。爆豪くんもちゃんと考えておいてね」
そう言ったときの私は、目先のことで頭がいっぱいだったのだろう。だからきっと、忘れていた。
約束できもしない未来の話をしてはいけないなんて、そんなことは昨夏からずっと、嫌というほど分かっていたはずなのに。
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