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シノハラ
2025-11-05 00:17:44
76995文字
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無風
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无风短編まとめ
全部全年齢です
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あなたのおかげ
※無風結婚アンソロに寄稿させていただいたお話
無限が風息に手渡したのはやけに煌びやかな封筒だった。
すでに開封済みのそれは無限宛てであるのが明白で、自分が読んでいいのかと念のために視線だけで問いかける。
否定される可能性はほとんどなかったが、彼の端的な許可を得てから風息は厚紙の封筒の口を歪ませて中の肌触りの良い紙を取り出した。
「
……
結婚式の招待状? 北河? 誰?」
「私と付き合いのある家系の人間」
封筒の裏面を確認すると、見覚えのない名前が綴られている。
無限の言い回しを聞くに、もしかしたら館の関係者ですらない極個人的な付き合いの人間なのかもしれない。
「へえ。めでたいな」
「あなたも出席する?」
わざわざ風息に見せてきた意図は全く掴めなかったが、ひょっとして縁者の吉報に舞い上がっているだけなのだろうか。
他人の幸福を素直に喜ぶ彼に頬を綻ばせながら彼宛ての招待状を返すと、無限から予想外の提案が飛んできた。
「なんで?」
「パートナーの方もどうぞと書いてある」
思わず目を丸めて疑問を呈すと、ちゃんと読みなさいとばかりに指摘されてしまった。
無限が指さした定型文の印字より少し下にあった手書きのメッセージに目を通すと、たしかに丸っこい字で無限が告げた通りの言葉が記してある。
風息のあずかり知らぬ場所で、いつの間にか無限は風息をパートナーとして紹介していたらしい。
たしかに自分達にはもう、恋人なんて初々しい言葉は似合わないのかもしれない。
けれど、改めてそう定義されてしまうとくすぐったさを感じてしまい、風息は思わず文字から視線を外す。
「まあ、私さえ行けば角は立たないと思うけど」
「とはいえ呼ばれているのに行かないのはちょっとな
……
」
無理する必要はないと無限は思っているようだったが、見知らぬ相手とはいえ晴れの日に水を差すのは忍びない。
「じゃあ行く?」
「ああ、この日なら特に予定もないし」
現代の式の作法を押さえる必要はもちろんあるが、挙式日までは充分に時間があった。
ならばそう案ずることもあるまいと結論付けた風息の前で、無限は早速とばかりに両名の参加の意向を招待状に書き記す。
ペンのインクを乾かそうとしているのか軽く招待状を振りながら、無限が結婚かとぽつりと口にした。
家ぐるみで付き合いのあるようだったから、もちろん幼い頃から知っている子の式なのだろう。
「考えたことある?」
それにしては口調に感慨深さが足りないのでないかと思っていたところに、無限が風息に水を向けてくる。
自分達の事についての話かと尋ねると、生涯で他にそういうひとがいたのかはちょっと気になるけどと前置きしつつも無限が肯定した。
「そうだな
……
正直なところなかった。あんたとって話じゃなくて、今まで生きてきての話だけど」
「やっぱり妖精は結婚に拘らない?」
「別に俺が特殊ってことはないんじゃないかな。配偶者として振る舞ってるし、周りの奴らもそう思ってるみたいなのはいくらでもあるけど、わざわざ式を挙げるって話はほとんど聞かない」
かつて龍游にいた頃ですら、妖精同士の結婚式に参加する機会は一度しかなかった。
ただそれも、長く連れ添っているふたりの内の片方が式の服を着てみたいと言い出したのがきっかけで見様見真似で執り行った程度の物である。
「
――
……
そろそろ乾いたんじゃないか?」
「ああ、そうだね。投函してくる」
こういうのは早いに越したことはないと早々に出かけることにしたらしい無限の背中を見送って、ひとりになった部屋で風息は思わず飲み込んでしまった問いを反芻する。
本当ははじめ、無限の方こそ自分達の結婚を考えたことがあるのかと尋ねようとしていたのだ。
訊けずじまいになってしまったのは、そもそも結婚に対する自分自身の気持ちがはっきりしていないことに気づいたからである。
こんな状態であると答えられてしまったら、答えに窮してしまうだけだ。
結婚が嫌だとか、彼としたくない気持ちがあるわけではない。
ただ、結婚そのものや結婚式というものが風息にはよく分かっていなかった。
もちろん、人間社会における結婚の意義はある程度理解しているつもりだ。
けれど、それは人間の社会の話であって、妖精と真人間とは言い難い人間の間にすんなり適応されるとは思えない。
それに自分達の関係は周囲にも既知であり、今更改めて周知する必要性も感じなかった。
もし無限に自分達の結婚を考えていると言われたなら、風息はどんな返事を用意すればよいのだろう。
そんなことすら分からない状態で無限だけに考えを求めるなんて、どうにも不誠実に思えてならなかったのだ。
あの日以来自分達の式の話は話題に上がらなかったが、お互いそれなりに意識はしていたと風息は思っている。
というよりも、風息が式の知識を取り入れ、必要な衣服や装飾品を揃える必要がある手前、結婚を意識しないわけにはいかなかったのである。
招待された式は西洋風とのことで、風息はスーツを一着仕立てる運びになった。
無限から借りられれば良かったのだが、自分と彼では身長くらいしか体格で合致する部分がないのでうまく着こなせない。
その代わりに装飾品の類は彼の物が借りられたのは良かったが、結果的に無限と風息の服装からはどこか似た印象を受ける仕上がりとなった。
いつもはそれぞれ好みの服を着るばかりで、足並みを揃えるなんてこれっぽっちも考えたことはない。
色が違うだけのカフスを付けるのは少々気恥ずかしかったが、出席者だって多少浮ついているくらいでちょうどいいと自身に言い聞かせながら風息は慣れないボタンを留めた。
式の前日に無限が花嫁の家系について話をしてくれた。
無限がまだこんな歳まで生きるとは夢にも思わなかった頃に出会った人物の家系で、ずっと無限の事情を知りながらも律儀に交流を続けてくれているらしい。
その人物の直系なのか傍系なのか後から少々気になったのだが、無限からすれば些細なことなのだろう。
たぶん、その一族からしても些事であるのは彼らの判断からも窺える。
たとえ先祖の言いつけだったとしても、もう四百年近く経った今でも律儀に守り続けている一族なのだ。
その上、相手がいつまでも歳を取らない得体の知れぬ人間ときている。
簡単にしか話を聞いていない風息にだって、相当懐の深い一族だと理解するのは難しくない。
当日無限から紹介された花嫁家族は一目でそうと分かる温和な顔立ちをしていた。
真っ白な衣装に身を包む花嫁を見て、始終嬉しそうな妹とは反対に少し寂しそうな母親。
嫁に出る娘の緊張を預かったように背筋を不自然に伸ばしている父親は無限を見て、少々安心したようだった。
その様子からこの家の子供が結婚をして籍を外すのは初めての事なのだと、無限が言っていたのを思い出す。
この代はともかく、無限はこの家系の結婚式を数多く体験しているはずだ。
役に立ちはしないだろうが、いるだけでなんとなく心強い存在なのだろう。
その父と同じように母も娘も無限と挨拶をする時には同じように頬を緩め、それが長く共に暮らした者達の間で伝播する仕草であるのが分かった。
花嫁が話す機会は式の前のためになかったが、きっと同じように無限を迎えるのは想像に難くない。
式の後に娘がどこに帰るのかを風息は知らないが、遅かれ早かれ彼女はこの家族の家から離れるのだろう。
その寂しさをもってしても、娘は一人の男と共に歩むことを選んだ。
風息だって似たような状況ではあるのだろう。
館の目がある手前、風息は共に暮らした者達と日々を共有することは無くなった。
もちろん望めばいつだって会いに行けるが、かつてのような蜜月はもう二度と戻らないはずだ。
そして、何の因果か生まれとは縁も所縁もない相手と寄り添って暮らしている。
とはいえ、彼女と風息を取り巻く環境は当然ながら大きく異なる。
無限と共に在ることを選んだのは風息だが、例えば龍游で円満に暮らしていた頃にその選択ができたかというとおそらく否だろう。
風息には到底できない決断を彼女はしてみせたのだ。
式が始まって姿を見せた花嫁の表情からはそんな葛藤は欠片も読み取れなかった。
父親に預けきれなかったのか僅かに緊張の浮かぶ面持ちでありながら、どこか幼さを感じさせる薔薇色に頬を染め上げている。
生涯にこれ以上の幸福はあるまいと告げる花嫁の眼差しが式場の様子を窺っているらしい花婿に向けられた。
彼もまた緊張しているのか、生涯の相手の眼差しに気づくのが遅れたのがほほえましい。
慌てて視線を合わせようとする花婿に、花嫁が今にも溶けてしまいそうな微笑みを返す。
あまりの柔らかさに距離がある場所から見ても目を見開いたのが分かる花婿が、誘われるように笑みを湛えた。
少しぎこちないばかりか、口角が強張る瞬間があるのはきっと彼が泣き出してしまわないように堪えているからなのだろう。
夫となる男の下手くそな笑みにつられたのか、花嫁の口元も少々歪む。
ふるりと瞬かせる睫毛にはわずかに水滴が滲み、ちかちかと光を弾いていた。
そこにあるのはこの世で最も美しいと称賛されるべき光景だった。
彼らが交わす表情とその奥底にある思いに結ばれて、二人はいつまでも寄り添って暮らすのだと誰もが確信しただろう。
公衆の面前で浮かべるにはあんまりな代物のはずなのに、風息にはどうにも眩しく思えて仕方がなかった。
誰もが花嫁と花婿に意識を注いでいるはずの瞬間に、風息は二人から目を逸らす理由を求めて隣にいる無限を盗み見る。
無限は真っ直ぐに花嫁を見つめていた。
その眼差しはどこまでも柔らかくありながら、同時に彼もまた眩しさを感じているようにも思える。
ひょっとしたら風息と同じような感想を抱いているのかもしれないとその表情を探っているうちに、それがとんでもない思い違いだと気がついて風息は思わず息をつめた。
無遠慮に注がれる視線が気になったらしく無限がちらりと風息に視線を寄せる。
場違いな振る舞いだと咎めるようなそれに風息は慌てて視線を式の中心人物に戻したが、無限の眼差しばかり思い出してしまって式の進行は全く頭に入ってこなかった。
風息はただの無限のおまけで、何の役目も与えられていなかったのが不幸中の幸いである。
彼の、風息の恋人である無限の眼差しには羨望が混ざり込んでいた。
その事実を認めた瞬間、無限と暮らし始めてから彼をまねてようやく規則正しく動かせるようになった心臓がどくんと跳ねる。
あの時無限が風息に結婚の意志を尋ねたのは、好奇心によるものではなかったのだ。
そう、今更ながらに確信した。
彼は風息と結婚したいと思っている。
共にいるだけではなく、この儀式を執り行いたいと。
ほんの少し前、たとえば昨日の風息であれば、彼の願いに首を傾げてしまったかもしれない。
けれど今、目の前にいる彼らのおかげでぜんぶ分かってしまった。
そうして隣の人を選ばなければ、風息は一生分からないままだったかもしれない。
もし、もしも。
こうして自分達が式を挙げられたなら、あんなふうに彼も表情を綻ばせるのだろうか。
少なくともこの瞬間にこの世界で自分ほど幸福な者はいないのだと教えてくれる、うまく笑えなくなるほどの喜びをそのかんばせに浮かべて。
その瞬間を彼に作ってやりたいと思った。
式を執り行うことで自分達の間柄が多くの人に認められるとか、彼と正式な家族になれるとかそんなことは全て些事に思えてしまう。
その時、無限は今目の前にいる二人が浮かべるような表情を風息に向けてくれるのだろうか。
それとも、風息では全く想像もできないような表情を風息に教えてくれるのかもしれない。
結婚がどういうもので、どんな意義を持つのか。
今日式場に足を踏み入れるまでに、散々調べたつもりだったのだ。
それが持つ力が風息には意味も価値もないものだと、ほんの少し前までの風息は判断していた。
誰に認められずとも風息は彼と共にいるつもりだし、そうある事で利益を受け取るつもりもない。
そんな状態で行う婚姻に意味はないと、そう思っていたのに。
これこそが、この一瞬こそが価値なのだ。
この瞬間を何を手放しても得たいと思う人々の思いがすとんと風息の腹に落ちて、小指の先にまで痺れに似た歓喜と共に染み入った。
* * * *
はっきりと式帰りだと分かる服装で街中を歩いているからか、ちらほらと視線を受けた気がする。
女性ほど分かりやすくはないだろうが、周囲に気を払うタイプの人間であれば風息と無限が結婚式の参列者であったことくらいは容易に分かってしまうのだろう。
自宅も近くなり人の姿が減ってくると、スーツに合わせて手を入れていた髪が気になってくる。
多少見られても構わないと少々固めた髪束を崩そうとしたところ、あともう少しだからと無限に窘められた。
手持ち無沙汰になった指先をすり合わせながらちらりと無限が下げる菓子の袋を見ると、お腹が空いているのかと尋ねられる。
一応自分の腹具合と相談してから頭を振ると、じゃあ明日紅茶を用意して食べるのがいいと無限が提案した。
疲れただろうから今日は早く寝てしまおうとか、風呂は風息が先に入ってすっきりすればいいとか。
無限はつらつらと話題を繋げていく。
風息が相槌を打つだけなのにもお構いなしなのは彼にしては随分珍しい事態である。
きっと彼も今日の事を意識して、緊張もしているのだろう。
そうそう見られない彼の様子を可愛らしく思うのは嘘ではないが、風息だってもちろん落ち着かない。
歩く理由があるからよかったものの、在宅中なら熊のように室内を練り歩いてしまっていたかもしれないくらいである。
前方に誰もいないのを確認してから足を止めて、ふたりで歩いてきた道を振り返る。
聴覚で捉えていた通り人の姿がないのを見て視線を戻すと、足を止めた風息に合わせて立ち止まってくれた無限が思いの外近くにいた。
何も尋ねてこないのは、きっと風息がこれから何を話すかを予期しているからなのだろう。
「結婚の事考えてた」
うん、と無限が何でもないことのように相槌を打つが、その声は普段よりずっと小さく、夕闇の迫る道に溶け込むようにかき消える。
あと一歩距離を詰めれば触れられる場所にいる彼が、ほんの少し頬を強張らせていた。
風息の一挙手一投足を見逃したくないのか、無限を若く見せる大きなまなこがなかなか瞼の裏に隠れようとしない。
きっとすぐにでも言葉の続きを引き出したいだろうに、無限は風息が喋り出すのを待ってくれていた。
期待と不安を綯い交ぜにしたかんばせを緩められるのはきっとこの世界に風息の他にいない。
その事実が風息の胸を甘ったるく焼いて、早く伝えなければと急かしてくる。
風息が彼の望む言葉を告げた時、彼は一体どんな顔をしてくれるだろうか。
そうして、その日を迎えたなら、どう笑いかけてくれるのだろう。
その瞬間が少し怖くて、それなのに何よりも待ち遠しい。
「結婚したい。あんたと」
震えそうになる喉を無理やり押さえつけて、風息は願いを形作った。
文脈を考えればそう意外性もないはずの言葉は自分でも笑ってしまいそうなくらいに上擦り、鮮やかな緊張に彩られていた。
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