溶けかけ。
2025-04-12 15:55:13
27453文字
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花雨

なみセレ開催おめでとうございます!
エピローグまで更新終わりました。
みなさま、ご精読ありがとうございました!


霧の誘惑(ブルーベル)


 ──ねえ、知ってる? ブルーベルの花が鳴ったら妖精が気に入った子を自分たちの世界に連れ去ってしまうんだって。

「君はそんな根拠のない噂を信じているのか?」
 ヌヴィレットがフリーナの言葉に呆れたように返した。
「さぁね。でも、物語に語られる妖精が気に入りそうな場所であることは事実だろう?」
 二人がいるのはエリニュス山林地区。霧の幽林道と名付けられたこの場所には白い霧がいつでもかかっている。幻想的、といえば聞こえはいいが、視界が悪いというのは必ずしも良いことばかりではない。寧ろ、デメリットと言えるだろう。
「ほら、聞こえるだろう? 妖精たちの囁きが」
 風が吹くたびに群生したブルーベルがさわさわと囁きあう。フリーナはその音色に耳を傾けているようだった。
「さて、調査を始めようか」
 彼女の言う通り、今日は調査のためにここにやって来た。何故かと言うと……
「妖精が本当にいるのか検証しなくてはならないからね」
 にっ、とニヒルな笑みを浮かべたフリーナにヌヴィレットはため息をついた。そう。ここ数日、このエリアでは事故が絶えないのだ。誰かの悲鳴を聞いた、という話から始まり日に日に噂は肥大していった。霧の中に人影を見た、大男がこちらを睨んだ……与太話を挙げれば枚挙に暇がない。そして、ついに怪我人が出たというのだ。
 そうとなれば話は変わる。とはいえ、多忙な警察隊や特巡隊、マレショーセファントムを不確かなことで動員するわけにもいかない。ヌヴィレットは話を聞いた当初、噂を信じた者による集団ヒステリーだと考えていた。だからこそ、ブルーベルの花の時期が終われば噂は立ち消えるものだと思い、放置していた。それにフリーナが珍しく興味を示さなければ、きっと来ることもなかっただろう。
「さて、調査開始だ」

 二人はしばし、霧の中を散策するも何の成果は得られなかった。
「結局、噂は噂ってことだね」
「ああ。やはり、噂を信じた者による集団ヒステリーの可能性が……
「待って、ヌヴィレット。何か聞こえないかい?」
 フリーナがヌヴィレットの口を塞ぐ。耳をすませば、彼女の言う通り、霧の中から微かに悲鳴のような声が聞こえてきた。
……! あっちだ!」
 フリーナが止める間もなく駆け出す。ヌヴィレットも舌打ちをしてその後を追った。
「待て、フリーナ殿。一人では……
 危ない、という前にフリーナの姿が掻き消える。風が吹いて、ブルーベルが鈴の音を鳴らす。
「フリーナ殿!」
 ヌヴィレットは辺りを見回す。清涼な香りが一段と強くなった気がする。
「フリーナ!」
 まさか、あの噂は本当だったのだろうか。ヌヴィレットは霧の中をがむしゃらに走り回る。
「フリー───」
「ここだよ、ヌヴィレット」
 フリーナが霧の中から姿を現す。その腕には一匹の狐が抱かれていた。
「多分、悲鳴の正体はこの子だよ。ヌヴィレット」
 フリーナが子狐の頭を撫でる。
「どういうことだ」
「狐の鳴き声は人の悲鳴に似ているんだ。だから、この子が親を呼ぶ声が人の悲鳴に聞こえたんだと思う」
「なるほど。では、人影は?」
「それは気のせい……なはずがないだろう?」
 フリーナが今回の事件について滔々と話始める。そして、締めくくるように「今夜、もう一度ここに来よう」と言った。

「ちくしょう! どこ行きやがった!」
 男が悪態をつく。
「キミが誘拐したあの子なら僕たちが保護したからここにはいないよ」
 霧の中から聞き馴染みのある声がした。男はゆっくりと振り向く。
「これは、これは、フリーナ様。おひとりでこんな辺鄙な所にいらっしゃるとは……散歩ですか?」
「いいや。大捕物さ。キミというの犯人のね」
 男の背に冷たい汗が流れる。この口ぶりから察するにフリーナは今回の騒動の正体に気がついたのだろう。
「大捕物? 天下の水神様が善良な一般市民を捕まえて何を言い出すのかと思えば……名誉毀損で訴えられてもしかたありますまい?」
 大丈夫。たとえバレたところで、この神の口を封じてしまえばいいのだから。
「どうせ、僕の口を封じれば、とか思っているんだろう?」
 フリーナが男を嘲笑する。
「分かっているのなら話は早い。野郎どもかかれ!」
 男の声が霧に吸い込まれる。辺りはしん、と静まり返っていた。
「おい、どうした! お前ら! 早く出てこい!」
「──まだ分からないのかい?」
 フリーナが嗤う。
「大捕物だって言っただろう? キミの仲間たちならフォンテーヌ廷で一足先に取り調べを受けているんじゃないかな?」
「まさかっ……
「そのまさか、さ。キミたちが攫った狐の子妖怪が僕たちに色々と教えてくれたからね」
 笑うフリーナに、男は剣を握る手に力を入れる。大丈夫。神とは言え、相手は小娘一人。後れを取る相手ではない。
「ふ……フフフ……アハハハ! 流石はフリーナ様! 見事な名探偵ぶりですね」
 男の大声が濃霧に響く。その声はびりびりと辺りを震わせた。
 一人とは都合がいい。男は剣を握るとフリーナに突進した。
「一人で来るとはあなたもバカなお方だ!」
 フリーナまで剣先が肉薄する。あと少し──男は口の端を吊り上げた。
「──────え?」
 フリーナまであと数センチ、というところで男の体が後ろに吹っ飛んだ。どう、という轟音が鳴り響き、男の着地点には砂埃が舞う。頭を強く打った男はそのまま気を失った。
……流石だね、ヌヴィレット」
 フリーナが霧に紛れていたヌヴィレットに振り返る。悪戯っ子の顔したフリーナに彼は呆れた表情で返した。

 後日、執律庭から今回の件についての発表があった。
 霧の幽林道には稲妻から妖怪を攫い、売買する悪人が潜んでいたこと。
 狐の子妖怪が親を恋しがる声が悲鳴の正体であったこと。
 その他にも取り調べなどで発覚した事実が息つく暇もなく連日報道された。狐の子妖怪には同情が集まり、稲妻へと返そうという気運が高まると共に子どもを攫った犯罪者たちへの非難も相次いだ。件の犯罪グループは人身売買以外にも数多の犯罪に手を染めていたようで、彼等の罪状がヌヴィレットの執務室で山を築いている。

「フォンテーヌに悪い思い出を植え付けてしまったね」
 遠ざかる稲妻行の船を眺めながらフリーナが独り言ちた。
「そうとも限らないのではないかね。少なくとも、この数日間、あの子狐は随分と楽しそうな様子であったが」
 ヌヴィレットはフリーナと楽しそうにはしゃいでいた子狐の姿を思い出す。あの表情を見るに悪い思い出だけではないはずだ。
「うん……そうだね。そうだといいな」
 春の日差しの如き優しい笑みでフリーナが微笑む。
 二人は船の姿が見えなくなるまで見送った。
 
ブルーベルの花言葉 「謙遜」「変わらぬ心」