溶けかけ。
2025-04-12 15:55:13
27453文字
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花雨

なみセレ開催おめでとうございます!
エピローグまで更新終わりました。
みなさま、ご精読ありがとうございました!


エピローグ 花雨

        
 花束を携えて、アクアロードターミナルからナヴィア線に乗り込んだヌヴィレットは暖かくなった風に目を細めた。
 普段は観光客相手に観光案内をするエルファネも乗客がヌヴィレットのみということ、そしてヌヴィレット自身の提案により、座席に座って羽を伸ばしている。
 ヌヴィレットはその様子を横目で見つつ、巡水船から眼下を臨む。肌を晒していた木々はすっかり残らず花の装束を纏い、鳥たちは愛を求めて囀っている。あれは何という名の鳥の鳴き声なのだろうか、と微睡みの中でぼんやりと考えた。
 不意に、巡水船が止まる。春の陽気にうつらうつらと舟を漕いでいたヌヴィレットの体は慣性の法則に従い、横に傾いた。
「お疲れ様でした。ヌヴィレット様」
 エルファネが座席からはみ出していた花束を持ち上げ、ヌヴィレットに手渡す。ヌヴィレットも「ありがとう」と慣れたように礼を言うと微笑んだ。
「フリーナ様によろしくお伝えください」
「ああ。必ず伝えよう」
 ヌヴィレットは巡水船を後にする。目指す先はエピクレシス歌劇場……ではなく、湖中のウィーピングウィローだ。

 ヌヴィレットは歌劇場の上の丘を登り、ウィーピングウィローを左手に街道を突き進む。途中、街道を逸れて更に丘を登る。複雑な道だがヌヴィレットは迷わず突き進むことが出来る。勝手知ったる我が家への家路、ということもあるが、何よりも青い花の絨毯がヌヴィレットの帰る方向を教えてくれるのだから、迷うはずなどない。むしろ、これ以上にないくらい分かりやすい道しるべだ。

 丘を登りきり、木々により悪かった視界が一気に拓けた。見慣れた青が風に煽られ、波のように揺れている。ヌヴィレットは紫の花で飾られた玄関アーチを無視して、家の裏手へと回り込む。そこにあったのは────。
「すっかり、帰ってくるのが遅くなってしまった」
 ヌヴィレットは薄汚れた墓石の前に立つと水元素の力で汚れを落とす。汚れ、灰色がかっていた墓石は瞬く間に元の白を取り戻した。
「フリーナ殿。ここに来るまでに多種多様な花を見た。そして、幾度となく君のことを思い出していた」
 いくら待てども返事はない。当然だ。
 ────彼女は既に故人なのだから。
「旅人にパイモン、エルファネがそれぞれ、君によろしくと言っていた。……生きていた頃の君を知る者は旅人たちとメリュジーヌしかいないのだと思うと少し寂しい気もするな」
 ヌヴィレットの指先が「フリーナ・ドゥ・ヌヴィレット、ここに眠る」と刻まれた名を撫ぜる。ひんやりとした石の無機質な温度が指先から伝わって体温を奪われているようだった。
「孫たちも元気にしている。ああ、そういえば、三番目の曾孫に娘が生まれたのだ。君と私にとって初めての玄孫になる。君に似て、美人になるのだろうな」
 ヌヴィレットは先日抱いた玄孫の顔を思い出し、くすりと笑った。冬の月のような銀糸に、喪われてから久しく目にすることのなかった海の色のオッドアイ。隔世遺伝とはいえ、些か、主張が激しすぎるのではなかろうか。
「君のおかげでこの百年、退屈することはなかった。少しばかり寂しさはあったがね」
 ヌヴィレットは懐かしむように虚空を見上げて目を細めた。視線の先ではウィステリアが風に揺られて甘い香りを振り撒いている。
「帰りたい思う場所が故郷ならば、私の故郷は君だったのだろう…………酷いな、君は。私を置いて、先に逝ってしまったのだから」
 ネモフィラもウィステリアもフリーナにとっては自身の代わりでもあったということを知ったのはいつの頃だっただろう。
「ネモフィラは相変わらず勢力を増やし続けている……。不思議なことにエリニュス山林地区の在来種を侵すことなく上手く共存しているようだ。ウィステリアも大きくなった。……それほどの時間が経ったということだ」
 ウィステリアの樹齢は千年にも及ぶものもあるらしい。きっと、彼女はそれを知っていたのだろう。
「春になると君が植えた花々が芽吹き、私を楽しませようとしてくれている……何故、そこに君は居ないのだろうな…………
 ヌヴィレットの胸を占める喪失感。それが寂しさという感情であることを嫌というほど理解していた。
「君に、会いたい。と言ったら、君は怒るのだろうか?」
 死の間際、穏やかな笑みを整ったかんばせにのせ「僕のことは忘れて」と言ったフリーナ。
「すまないがあと千年はその約束を果たすことは出来ないだろう。ウィステリアを見るたびに君のことを思い出してしまうのだから」
 






「また、今日もかい?」
 ひらり、ひらり、と花が降り注ぐ。白にピンクに青に紫──色も種類も多種多様な花がフリーナの頭上に舞い降りて、青みがかった銀糸に降り積もる。
「忘れてくれ、って言ったんだけどなぁ」
 困ったなあ、と言うその顔はひどく穏やかで。手を空へと翳せばいとも容易く、花はフリーナの手中に落ちてきた。
「届いているよ、キミの想い」

 ──もう、声すら届かないほど遠くに来てしまったけれど。

 そっと手中の花に口付ける。雨のように降り注ぐ花々はヌヴィレットが僕のことを覚えている証、そのものだ。
「会いたいなぁ……会いたいよ、ヌヴィレット」
 前も見えなくなるほどの花の雨のなか、フリーナは泣き笑いの表情で二度と会えないヌヴィレットのことを想う。
 春の花を降らせてくれたキミに、明日は夏の花を降らせよう。


「フリーナ?」
 ぬるい風がヌヴィレットの頬を撫でた。そのなかによく知る気配を感じた気がして思わず、行く先を目で追った。
「私は随分と執着心が強いらしい」
 ヌヴィレットがゆっくりと掌を解く。巻き上げられたウィステリアの花弁がその手に載っていた。

 花雨:植物の成長を促す雨のこと。また、雨のように降る花のこと。