さもゆ
2024-11-15 22:45:21
59923文字
Public BF
 

【BF腐】これは私の宝箱だ

8月に開催されたついったーの素敵企画「青いバナナの皮をむく」に参加させて頂いたやつと、リクエスト募集した時に書いたものをぎゅっとして箱に詰め込みました。本当にありがとうございます!

2019.10.3 たまごのお粥pixiv投稿作品


お題A英、英を甘やかすA
※59丁目時代



長男だって甘えたい




 大抵のことには予兆がある。地震の前の犬の遠吠えとか、テロの前のホームレス共のざわめきとか、あと、とんでもないことを言う前の英二の雰囲気とか。
 アッシュはそういう予兆を察して身構えた。
 そして彼が口を開く。
「あのさ、……えーと。だ、だっこ」
What?」

 ──ここ数日、半ば無理やり同居させている大切な同居人の様子がおかしいことには気づいていた。
 たとえば、朝アッシュを起こす作業がいつもより手ぬるいとか、Tシャツを前後反対に着ているとか、買い物に行っても何も買わずに帰ってくるとか(そのことについて言及すると「財布じゃなくて買い物自体を忘れるなんて愉快すぎる英二さんだぜ」となんだかよく分からない返し方をされた)、なんというか、普段より、うっかりが多かったのである。
 加えて決定的なのが、何かを言いかけてやめるというのが何度もあったということだ。
 アッシュはそれについてあらゆる予想をしていた。しかしながら行き着いた答えはたった一つで、てっきり、もうきみといることはできない、日本に帰るよ、と言われると思っていたのに。
 実際はアッシュの理解できない恐らく日本語を言われただけだった。

 Dakko? まさかその一言に「もうきみといることはできない、日本に帰るよ」の意味が詰まっているとは思えない。
 
 アッシュはソファから背中を離し、新聞を置き、目の前に佇んでいる英二と真摯に向き直った。
「英二」
 斜め下を見ていた視線がちらりとこちらを向く。情けなく下がった太めの眉と、気まずそうに引き結ばれている口を見て、これは慎重にしなければ事態は良くないことになると本能的に理解した。良くないこと──あとで彼がアッシュの知らないところで一人静かに泣いてしまう、とか。
……なんて言ったんだ?」
 アッシュはなるべく普段通りの調子で訊いた。分からないことを紐解いていかないといけない。それも、優しく。
「あの、おれさ、……その、なんて言ったらいいんだろう」
 手をやった口から零れる言語は完全に日本語だった。ああ、まずいぞ。
 こいつは気づいているだろうか。不慣れな英語をかなぐり捨てる、それは余程のことであるということを。 だって、彼は、たとえ喧嘩中でも英語でなんとか反論してくるのだ。(一度、日本語で罵られたので「ここはアメリカだ英語で話せ」と怒鳴ったことがある。今思うとひどい話だ。もう言わない)そりゃ軽口や咄嗟の反応に日本語を使うこともあるが、それ以外ではどんな時でもアッシュに伝わるよう拙く不慣れに英語を駆使してくる。
 それができない、しないということは、彼の中で考えが纏まっていないか、アッシュに伝わるようにするのを半ば諦めているということだ。
 そんなのは駄目だ。
 アッシュは身を乗り出して、垂れている方の左手首を掴んだ。びくりと強張り、それが悔しくてそのまま手指へ滑らせ弱く握り込む。英二はじっとその様を見つめていた。握り返しはしなかった。
「英二」
 名前を呼んでから、気づく。
 何をどう言えばいいのか分からない。こちらの言語を彼はほぼ理解してくれるというのに、舌の動かし方が思いつかない。彼の言葉も自分の言葉も分からないなんて、それじゃあどうやってコミュニケーションを取るつもりなんだ。
 困惑し、不安そうな黒目を見ていた自分の視線が徐々に下がっていく。辿り着いた先は、英二と同じく握り込んだ手指だった。
「あ、あの」
 黙り込んだアッシュに、英二がようやく言う。
「こういうの、二十歳の男が言うには、だいぶキツいと思うんだけど」
 口を覆った掌に小人でもいて、そいつにだけひっそり告げるような囁き声だった。
「でも、言い訳させて貰うと、ほら、おれは一応、長男だし。世の中の長男長女って、下の子が生まれた途端に、甘え盛りの年齢でもそれを許されなくなるというか」
 目線は一定して白と黄色の指先に注がれている。
「そういうのって、やっぱり、たぶん、大きくなってからちょっとばかし響くと思うんだ。いや、僕は、おれはいつもきみに甘えてるけど、それは分かってる、ちゃんと理解してるよ、じゃなかったら、とっくにここを追い出されているだろ。でも、それとは別で、……なんというか、こう、たまにさ、純粋に、誰かと触れ合いたい時ってない? 甘えたい時がさ、寂しいとか、そういう。加えて、きみ、最近忙しそうだったし、……能天気に見えるだろうけど、不安じゃないわけじゃないんだ。……いつも心配してる」
 思い切ったように顔を上げ、そこでやっと視線がかち合った。目に見えない掌の小人はいなくなったようだった。
「だ、だっこ……だっこ? えと、ハグしてくれない? アッシュ」
 Can you give me a hug?
 きゅっと指先を握り返された。
 アッシュは数瞬、本当に極僅かな間、迷った。でもすぐにそれがコミュニケーションの正解だと悟り、立ち上がって手指を軽く引っ張り、彼をハグした。
 左腕だけ背中に回し、いつかの屋上で彼がしてくれたように、優しく強く包み込む。……そういうふうに、できていたらいいと思う。
「うわあ……なんか、恥ずかしいな」
 変に力が入っていたらしい体が、安心したようにもたれかかってくる。アッシュは受け止めながら背中を二度叩いた。
……ハグしたかったのか?」
「え? うーん、してほしかったというか、自分でもうまく言えないけど、どうしようもなく不安で」
「悪い」
「いいさ。こうしてると落ち着くってことが分かった。改めて甘えるのって、難しいけど……
……俺も分かって良かったことがある」
「何?」
「双方が理解できる言語力を著しく喪失した場合の、対処法。コミュニケーションの取り方は言葉だけじゃな──英二?」
 せっかく委ねていた体が腕の中で再度固まったのを感じ、アッシュは訝しくなって下にある顔を覗こうとした。
 黒い前髪のかかる額と、鼻と、頬が、赤くなっていた。
 その顔で慌て縋るように上目で見てくる。
「ぼ、僕、もしかして、日本語で喋ってた? ど、どこから? どこまで?」
 アッシュはちょっと、あらゆる衝撃を受けた。
「最初から。ハグしてくれない? の手前まで」なんとか言った。
「嘘だろ? え……っ、嘘?」
「嘘じゃない。無意識だったのか? あんな長ゼリフを? それこそ嘘だろ」
「ちょ、ちょっと待って……じゃあ、僕は、きみにとって、だらだらとわけの分からないことを言い連ねた挙句にハグを強請った、わけの分からない日本人だったってこと?」
「まあ、うん、そうなる」
「ホラーだ」
「スウィートだった」
「スウィート!」白黒させていた目が驚愕に見開かれる。「まさか、今、僕の知らない間に英単語の意味が覆されたり」「してないな」「スウィート……」必死に納得のいく意訳を探しているようだった。
 それでアッシュの感じた通りの意味をアッシュより正しく探り当てられたら居た堪れないので(純粋に、愛らしい、という意味で口にした。たぶん)、英語力を取り戻そうとしている彼を妨害すべく、両腕を持って抱き締めてやる。「ぐえっ」
「存分に甘えてくれていいぜ、オニイチャン」
「あ、あっ、ばか、ちょっと苦し、」
「甘やかし方なんて知らねーからな。教えてよ、今後のために」
「僕の甘やかし方を僕が教えるのか? しゅ、羞恥極まる。……ハグしときゃいいよ」
「了解」
「わーっ! 骨が!」
 バランスを崩し、それを受け止めたアッシュが仕返しとばかりにぎゅうぎゅう抱き締められるのは時間の問題だった。プロレス技のようなハグだ。
 しかし、弱った長男を甘やかすには、丁度いい具合らしく、今度同じようなことがあれば迷う前にこうしようと誓う。言葉より態度が大事な時が、あるのである。予兆が最悪な結果を辿ることがなくて、アッシュは心底安堵した。
 ハグをする体はどちらともなく温かく、それから、力強くて愛しかった。……やっぱりスウィートで合っていると思う。