さもゆ
2024-11-15 22:45:21
59923文字
Public BF
 

【BF腐】これは私の宝箱だ

8月に開催されたついったーの素敵企画「青いバナナの皮をむく」に参加させて頂いたやつと、リクエスト募集した時に書いたものをぎゅっとして箱に詰め込みました。本当にありがとうございます!

2019.10.3 たまごのお粥pixiv投稿作品


お題大正時代的な雰囲気、日本暮らし東洋文化学者のAと、貧しい家から奉公に出される少年英(そのうちAのもとで働きだすに違えねえ)
※25歳くらい×12~3歳
※なんちゃって大正
※冒頭は落語・眞景累ヶ淵から引用しております



ラムネと銃と怪異先生




「“今日より怪談のお話を申上げまするが、会談ばなしと申すは近来大きに廃りまして、余り寄席で致すこともございません、と申すものは、幽霊と云うものは無い、全く神経病だと云うことになりましたから、怪談は開花先生方はお嫌いなさる事でございます。それ故に久しく廃って居りましたが、今日になって見ると、却って古めかしい方が、耳新しい様に思われます”」
 竹箒でざあざあ、昨夜の台風で飛んできた落ち葉など掻き集めていると、次第にその音が聞いたこともない幽霊の爪が土壁を引っ掻く音に似ているんぢゃないかしらなどと思い、僕の背筋はどうにも汗が冷えて薄ら寒くなってきた。
 ぶるっ、ひとつ身震いしたのち、はてさてぶつぶつ呟いていた落語の続きは如何様だったかしらと首を捻らせる。
「ええと、……“これはもとより信じてお聞き遊ばす事ではございませんから、或は流違いの怪談ばなしがよかろうと云うお勧めにつきまして、名題を眞景累ヶ淵と申し、”……そんなら、神経病と云うなら、もっと昔の日本人は皆神経病の患者と云うことになるよね。開花先生方は、伝承とか、信じておられないんだろうか」
 田舎では今でもよくよく暗闇に近づきすぎて天狗に攫われちゃいかんとか、墓所で口笛吹いたら罰が当たるとか、夜中爪切ったら親の死に目に会えんとか、近所の大人や親に言い聞かされたりするけれど。
 この落語だって、僕の親が幼い頃何度も帝都に聞きに行って、冒頭だけしっかり覚えて口伝えに僕に語って聞かせたものなのだ。おかげで本物はまだ聞いたことがないけれど、こう云う話や噂、伝承、落語などと云ったものは、姿形は変えても、人の口に上る限り消えやしないのだと思えてくる。だから、幽霊は神経病なのではなく、こちらの見方語り方が変わっただけで、実際にいるんぢゃなかろうか。だって、その方が、余程面白いに決まっている。ざあざあざあ、竹箒のつまらない音が、蝉の鳴き声と相俟って、薄気味の悪いものに感じられるくらいには。
 はーあ、僕は長く溜め息を吐いた。
 たとえば、僕がも少し大きければ、勉強をうんとこさ頑張って、帝国大学に入学して、好きなことたくさん学んでやるのに。生憎と僕は小学校の尋常科を卒業したばかりの田舎の貧しい奉公人だ。たとえ大学に入れたって、新人会に所属させられて学生運動に引きずり込まれるのが関の山だ。お隣の息子さんが云っていた。あいつら、日の丸を掲げ、やれ排斥だ休校だと騒ぎ立て、時代は民主主義だと政府に言論を吹っ掛けている。バンカラだよ、と。全くよくわからないけど、そんなの、どうだって好いのになあと僕は思うわけである。
 人間より大きかったりするらしい天狗が、背中の黒い翼でどうやって鳥のように飛ぶのか、そう云うこと考える方が楽しいのに。
 僕はきっと都会ぢゃ生きられないんだろうな。学校で好くしてくれた先生もそうおっしゃってた。だったら、この商家で旦那様のお供をしたり、幼い坊ちゃんの子守りをしたり、こうして店の軒先掃いたり、とんと休みはないけどこつこつ働いて手代や番頭さんになるため努力した方が、うんと好い。うん、うん。僕はそうやって生きていくのだな。怖い目になど、遭いたくないもの。愛ちゃんの夢物語のようなことは、現実にゃ起こらないものね。



 ところで、僕の働く商家の奥様はとても信心深い。
 旦那様は幽霊は神経病だと思いつつ商売の神様だけは贔屓しているようだけれど、そんな旦那様に表面的には肯きつつも奥様ときたら健気に神棚に毎日手を合わせたり有名な神社や寺の護符を奉公人に買いに行かせたり、坊ちゃんが酷いお風邪を召された時なぞは夜な夜な御百度参りを欠かさなかった。物が失くなった時などは「あらこれは家に巣くう妖怪か霊魂の仕業だわね」と塩を振り撒いたりする。ほとんどの人はそれを見て奥様は頭がどこか弱いのだなと思うわけだが、僕のような者は「奥様、魔除けの塩なら、あそこのが好いと思われます」と一寸 ちょっと得意になって助言するので、奥様は僕を大層お気に召していた。「最近の子は、怪談ばなしとか、無縁かと思っていた」どうやら奥様は僕と同じで摩訶不思議なことが好きらしい。

 だからお気に入りの奉公小僧に、街で噂の異人を一寸見てきておくれよと命令するのも、案外自然なことであった。
 奥様は確かに抜けているところがお有りだけれど、その実気遣いに長けた人だ。もしかしたら、僕がつまらない気持ちで日々の作業をこなしていることに、気づいていたのかもしれない。
 奥様のお使いという命を受けて、僕は滅多にない休みのようなものを獲得したのである。

 異人と云うのはつまりこの大日本帝国より外にある国の人間のことであるが、僕は一度も異人と云うものにお目にかかったことがなかった。それはそうだ。だって僕は帝都にも行ったことのない小僧で、毎日を商家の中と近隣の狭い範囲で過ごしているので。学校の先生が云うことしか知らないのである。
 曰く、青い目を持ち、金の髪で、僕らより背格好が大分と大きい。呪詛のような言葉を話す人間。刀ではなく、銃を帯刀……帯銃? している。西洋の物語に出てくる洒落た王子様。僕にはそのイメエジもあった。あるいは、魔物、妖精! 日本の妖怪とどう違うのだろう。異国にも幽霊がいるとして、きちんと青い目をしているのだろうか……。噂の異人さんは、噂では、金の髪に緑の目をしているらしい。
 緑の、目! 
 それはつまり、街の南にある竹林の竹と同じ色と云うことだし、幼い頃遊んだ山の中の深い滝つぼと同じ色で、奥様が髪に挿す簪の飾り玉(翡翠と云う石だそうだ)と同じ色と云うことだ。信じられない。学校に通っていた頃、薄い茶色の目をした子がいたけど、それでも緑とは全然違う。想像できない。
 想像できないことと云えば他にもあって、その異人さんが何故この街にやって来たかもあらゆる噂が舞い飛んでいた。想像の域だ、事実はどれかわからない。異国から逃れてきた位の高い人だとか、楊貴妃の子孫で一国傾城を企んでいるとか(これだけは僕は違うと思っている。だって楊貴妃は清国の狐であると伝説がある。日本で玉藻前になったと云う話もあるし、金髪碧眼の国の人間は彼女にとって好みぢゃないのではなかろうか)、あまりに白すぎる肌を血色好くするため健康的な日本人の血を啜りに来たとか。マシなものを挙げるなら、旅行、留学、移住。ただ、旅館に泊まっているらしいから、流れ者であるのは確かなように思える。

 奥様に感謝しながら街へ出て、真砂路を歩きながら、太鼓のように打ち鳴っている胸を押さえつつ、噴き出る汗を拭った。
 ……どうしよう、どうしましょう、奥様。一寸見てきて、それで僕はどうすれば好いのでしょう。目の色を確認すれば好いのでしょうか? 嗚呼、そうだ、僕にはきっとそれくらいしかできない。僕は異国の言葉は話せないし、内向的だもの。どうにもならないよ、どうにも……

 ところがどっこい!

 正しくその展開の仕方がぴったり合うことが、旅館への角を曲がる道で起こった。
 旅館は山の麓にある物寂しい建物で、手前にこれまたすぐにでも潰れそうな駄菓子屋があるだけの、閑散とした場所に建っている。いくら都会的ではないと云え、もっと栄えた旅館が他にもあると云うのに、異人さんはそこに泊まっていると云うからそりゃ奇天烈な噂も蔓延るだろう。道順通り、僕は駄菓子屋を曲がったのである。
 余所見をしていたのだ。駄菓子屋の軒先の、氷の張った桶に突っ込まれた瓶に、一寸ばかし気を取られていた。そして無駄だとはわかっていたが、照りつくお天道様から逃れたくて早足で歩いていたのである。
 どんっ!
「うわっ」
 壁にぶつかった、と思った。人と云う感じぢゃなかった。けれどこんな所に壁など無いはずであったから、僕は愚かにもまさか塗り壁でも出現したのではと期待がちらついた。馬鹿め。塗り壁は九州に伝えられている妖怪だ、こんな処に、ましてや真昼間にはいない。とかく僕は盛大に尻餅を着き、地面に掌を擦りながらも痛みに耐え、何にぶつかったかときらりと瞳を上向けた。
 そこに居たのは背丈がうんと高い、逆光のせいでのっぺり黒々した人の影だった。あ。僕の喉から一音漏れた。色を見た。きらきら、何色か……
「Sorry, are you okay?(悪い、大丈夫か?)」
 その色が近づいてくる。腰を屈め、地に膝を着き、じわじわ五月蝿い蝉の叫びを押し退けて、僕の心臓をどくんと鳴らせた。
「アー、と」
 その人が云った。
「ゴメナサイ。……けが、は?」
 僕の視界に映るは、雪のような真っ白な肌に、薄桃の唇、緑の両目に、金の睫毛と眉毛と髪の毛……
 全てが複雑な色だ。日本人ではない。ではこれが噂の。
 噂の異人の彼は、きらきら光る色をいっぱい持っていた。
 鼻が高い。彫りがある。肩幅が広い。僕は無遠慮に、まじまじ、僕の視線に合わせてくれている男の顔を見続ける。男? 男だよな、あ、着物ぢゃない、洋服だ、知ってるぜこれはシャツだ、それに、……ええとズボン吊り。開いた襟から喉仏が見えるし、男だ。恐ろしく綺麗な色を持った……「えっ?」僕は頓狂な声を出した。今、何を訊かれたんだ?
 金色の細い眉毛が、うんと下がる。
「けがは、ナイ、ですか」
 罅割れ一つない唇から発される言葉は、頼りなく、不慣れで、聞き取りづらく、見た目に対してちぐはぐだった。間を置いて、僕はびくっと肩を跳ねさせた。
「え、あ、けが。怪我? ない、ないよ。ないです」
 なんだか耳の奥がこそばゆくなる。助けてください、奥様! 僕は心の内で叫んだ。一寸ばかし見てくるつもりが、対面してしまうとは神様が僕に意地の悪いことをしなすったんでしょうかっ? そんな、どうして! 嗚呼ありがとうございます! 困った!
 一瞬で頭の中が矛盾に塗れ、立ち上がることすら忘れていた僕の前で、彼は(年は幾つくらいなのだろう。二軒隣の、大学に通う酒蔵の次男より遥か年上ということだけはわかる)、益々その柳眉を下げた。そして、吹っ飛んでいた僕の草履を(わあ、彼の履物ったら凄い! ぴかぴかの革でできた頑丈そうな洋靴だ! でも泥がこびりついているのが勿体無い)あろうことか足元に差し出し、裾の捲れ上がった僕の足首をそっと掴んで持ち上げた。指はひんやりして、骨張って、僕の足首など簡単に絞れそうなくらい長く大きかった。
「えっ。え、あっ」
 混乱するうち、そうして草履は僕の足に戻ってきた。彼の手によって。
……ゴメンネ」
 低く掠れた、耳に心地好い、胸をくすぐる声音だ。
 緑色がじっとこちらを窺っている。脳裏に、実際には見たことないくせに頭の中でずっとこびりついていた西洋の物語の一場面が駆け巡った。僕は咄嗟に口を覆い、されど無駄な行為だったので、思ったことは口をついて指を擦り抜け出ていった。
「あなた、西洋のお話に出てくる、王子様ですか?」
 しいん、蝉の声さえその時ばかりは止まったように思えた。ぱちっ。金色の長い睫毛が瞬き、緑の瞳が、あちらこちら。じわじわじわ、蝉が鳴き出した。ふっ、ふはっ、鼻息が引き攣れ、目の前の彼は肩を揺らしてそっぽを向く。どうやら笑っているらしい。違う。笑われたのだ。たちまち恥ずかしくなって顔を赤らめる。女児ぢゃあるまいし、ちょ、直球過ぎた。「あの」僕は上手く取り繕えないかと唇を湿らせた。何故か塩辛い味がして、眉を顰める。
 笑いを押さえた男が僕に向き直り、僕の顰め面に悪いと思ったのか、優しげに微笑んだ。
「いえ、俺は……王子じゃナイ。ザンネン。もっと下のクライ、学者だ」
「えっ」
「ゴメンネ、夢を見さセてアゲれナく、て……」 
 窄まる言葉尻と共に、再び白い指が伸びてきて、僕は僅かに身を引かせた。それに躊躇う素振りを見せたものの、指先が今度は僕の手首に触れる。僕の口を覆っていた手が、そうっと剥がされた。
Oh my gosh.(なんてこった) 」彼が云った。「If I were a prince, I would be disqualified. It's bloody, Princess.(俺が王子なら失格だ、血塗れだぜお姫様)」
「えっ? あ、凄いな」僕はへらりと笑った。「なんて云ってるかちっともわからん。はは、すげえや……
 呪詛だなんてとんでもない。全く耳慣れない流れゆく言語が、本当に彼にとっては慣れた言語なのだということに感動していると、握っていた手首を示され、反対の手の人差し指が僕の唇に押しつけられた。金の眉尻が打って変わって上がっている。
「ウソツキ」
「へっ?」
「けが、してマス。良くナイ」
「えっ」
 見れば、僕の右の掌は皮が擦り剥け血が滲み出ており、唇から離れた人差し指にも血が付着していた。さっき覆ったからか。ぺろり、唇を舐める。なるほど。汗かと思っていた。しょっぱい。「えと、その、ごめんなさい」えへへと僕は誤魔化し笑いを浮かべた。



 涼し気な水色の硝子瓶の中身を、ビイ玉が栓をしている。
 僕が駄菓子屋の角で気を取られていた、夏の庶民用の(サイダーより安いだけで、子供のお小遣いでは高い)飲み物、トンボラムネである。栓を開ける時に「ポン!」と音が鳴るらしく、初めてそれを聞いたお役人は銃声と間違えて刀に手をかけた、と云う有名な話がある。
 僕はそのトンボラムネをぎゅっと両手で握り、隣に座る異人さんをちらちらと見やった。
「あのう、これ、ほんとに好いんですか」
 右手には、白いハンケチが巻かれている。赤色が滲んでいるだけで申し訳ないのに、よもやラムネまで。僕はすこぶる身を縮こまらせていた。
 擦り向けた右手を大層気にしてくれた異人さんは、駄菓子屋の水道で丁寧に僕の右手の砂利やら血の塊やらを洗い流すと(その際、僕は痛みで唇を噛んでいたけれど、異人さんから香ってくる汗ぢゃない匂いにどぎまぎしていた。異国の匂いだろうか。甘い煙か、草花のような、好い香りだった)、ズボンのポケットからハンケチを出して巻いてくれたのである。それだけぢゃなく、僕の手を引いて駄菓子屋の縁台に座らせると、ラムネをひとつ買って渡してくれたのだ。もう僕はどうすれば好いのかわからなかった。隣の異人さんは、そんな僕を見て、困り眉で微笑んでいる。
「お詫びダカラ。どうぞ、貰っテ」
……はい、そんなら、有り難く……
 遠慮を続けるとお互いの眉が下がりきって目にくっつくような心地がしたので、僕はラムネを胸にぺこりと頭を下げた。どうしよう、どうしよう……初めて尽くしだ。ラムネって、どうやって開けるんだろ。
 顔をそろりと上げると、変わらず目尻は下がり口角が一寸だけ上がっている。「あ、あ、あの」僕はとにかく何か喋らなくちゃと思った。こんなこと、二度とない。現実にゃ起こらない愛ちゃんの夢物語のように夢に終わったって構わない。今、目の前に街で噂の、異人さんがいるのだ。
「は、ハンケチ。あの、これ、洗って、お返しします」
 裏返った声が出た。
「ン? あげるヨ」
 こてり、首を傾げられる。
「い、いえ、でも、こんな綺麗な布。僕には、勿体ないです」
「モッタイナイ」
「はい」
「ムツカシイな、その、言葉……
「えっ? あっ」
 僕はずいと身を乗り出した。
「こ、言葉。勉強、したんですか? 日本語を、わざわざ?」
 迫られ上目で見られた彼は、たじろいだようだった。(時折あることだった。何せ僕の目は女のように大きいとよく揶揄われたので。あまり見つめるなと番頭さんに叱られたこともある)
「ウン、少し」
 肯きに、僕はラムネを握り直した。冷たかった瓶が、どんどんぬるくなっていっている。瓶からも額からも汗が流れていき、僕の頬はきっと上気しているに違いない。
「質問、好いですか?」
 普段なら有り得ない不躾さだったが、好奇心が溢れて止まらず。彼は逡巡したのち、にやりと面白そうに歯を見せ、膝に頬杖ついて肯いてくれる。「いいヨ。カンタンな、ものナラ」僕は更に身を寄せた。
「あなたは、王子様ぢゃなければ、何故ここに?」
「はは。あー、調べモノ」
「調べもの? 何を?」
「色ンなこと。ええと、……文化、を、ヒカク、する」
「文化を比較……」さっき、学者、と云っていた。文化学者! 僕は閃き、ぱっと顔を綻ばせ、声を上擦らせた。「あ、あの、ぢゃあ、あなたは知ってる? 西洋の幽霊と、日本の幽霊の違い」
 きょとん。異国の先生は目を瞬かせた。
 勢い込んで訊いてしまってから、僕はまたもや、先ほどの比にはならないくらい赤面した。最悪だ。何を訊いてしまったんだろう。神経病だと思われる。小さな子ならまだしも、こんなこと、先生に訊く内容ではない。浮かれ過ぎた。「ああああの、ごめんなさい、忘れて……!」わたわたラムネを振り回す。すると時が止まっていたような彼も、少し慌てて僕の手を制した。
「Hey, don't swing it around.(おい、振り回すもんじゃない)」僕の小さな手が、大きな手に包まれる。「Let me see(そうだな……)」それまで僕を見下ろしていた視線が、同じ高さより、低くなった。つまり彼は僕の顔を下から覗き込んだ。酷く、真剣な顔で。
「西洋デハ、シタイハ、burial あー、土に、埋めル。そのまま。東洋デハ、火。燃やしテ、埋めル。ダカラ……、俺の国デハ、シタイは、動くヨ」
…………………えっ」
「西洋のユーレイバナシ、日本のより、物理、コウゲキ、テキ。足モある。国民に、文化ノ、違い。イロイロ。あと……、日本ハ、妖怪が、面白い。チャイナと似ているヨウで、ぜんぜん、……、ワカル?」
 反応のない僕に、ちゃんと日本語が通じているか不安になったらしい。
 こく、こっくり。僕は肯いた。肯いてから云われたことを何回も頭の中で半濁し、これでもかと目を見開かせた。
 今のはなんだ。真面目に答えて戴けたのだ。幽霊が、いるか、いないか、そんな議論は二人にとってどうでも好いことのように。僕にとっては、ずっと、そうだった。祖父母や両親の話では、明治に入ると幽霊は神経病の類いだと云われることが多くなり、妖怪は恐怖の対象から、娯楽の対象に変化していったと。大正の現在ぢゃ妖怪が人間と仲好くなりたいと試行錯誤する話がたくさんある。僕はそれが不思議で堪らなかったのだ。そう云う、自分がずっと曖昧に捉えていたものを、この異国の文化学者様は知っているのだ、学んでらっしゃるんだ、そう悟った刹那、ぶわりと体中の熱が上がった。
「学者様」
 僕の手を包む大きな手を、縋るように握り返してしまう。
「どうか、お願いです。僕とお話してください。知りたいんです。嗚呼、いや、僕はあまり自由に出歩けない、せめて今日だけでも、あ、そうだ、ぢゃあ。このラムネ。このラムネを飲み終わるまでのあなたの時間を、僕にください」 
 十数秒が経過した。
 彼が正しく日本語を捉えている時間だと思い、僕は静かに待っていた。蝉と心音だけがけたたましく耳を侵していた。
 そんな中でも心地好く響く低音が落とされる。
「Isn't it too pure for a seven-year-old?(七歳児だとしても純粋すぎやしないか?)」
 ぼそりと呟くような云い方だったので、僕は断られたのかと悲しくなる。けれどもすぐに緑の瞳が弧を描いた。そこでようやく、その色が、竹や滝つぼや奥様の簪の飾り玉より、余程綺麗な緑色だと気づいた。きらきらきら。街で噂の異人さんがにやりと笑う。
「Sure. いいヨ、俺で良けレば」
 僕は大声で叫んだ。あなたぢゃないと駄目なんです!

 それから開け方がわからないと恥ずかしがりながら差し出したラムネを、彼は代わりに開けてくれた。「ポン!」と音立ててビイ玉栓の開いた口から、しゅわしゅわ泡が噴き出る。僕は間近で初めて聞き見たそれに吃驚して、おずおず訊ねた。「これ、銃の音って、ほんと?」腰に帯銃していない異人さんは、軽く瞠目したあと、仕方ないなあというふうに、やれやれ首を振る。「見た目ドーリ。ガキだな、キミ」……ひょっとすると、この人、本来は、口がお悪いのかもしれない、と僕は思った。
 じわじわじわ、蝉が鳴き、擦り剥いた右手が仄かに痛みを放っている。それは神経病でも夢物語でもなんでもない、特別な時間の始まりだった。