さもゆ
2024-11-15 22:45:21
59923文字
Public BF
 

【BF腐】これは私の宝箱だ

8月に開催されたついったーの素敵企画「青いバナナの皮をむく」に参加させて頂いたやつと、リクエスト募集した時に書いたものをぎゅっとして箱に詰め込みました。本当にありがとうございます!

2019.10.3 たまごのお粥pixiv投稿作品


お題A英、人妻パロ
※17歳×25歳



三日間の執行猶予




 好いた男の帰りを甲斐甲斐しく待ちながら、食事を作り、近所のガキの世話までするなんて、そんなの実質人妻だ。
 実質というか、実際、完全にそうなのだけれど。
 ただ、性別が男ってだけで。



 両手に引っ提げた買い物袋を攫うのは簡単なのに、どうして持ち主を攫うのは複雑なのだろう。
 袋ごと手首を掴んで、あの大きな目が更に見開かれるのを近くで見て、それからちょっと太めの凛々しい眉が困惑して垂れ下がっているうちに、得意の人心掌握で丸め込んでしまえばいいだけの話だ。簡単で、単純。
  アッシュは半袖から覗く腕に手を伸ばそうとして、けれどそうしたらもう二度と微笑んでくれないかもしれない、と思うとどうにも恐ろしくなり、結局いつもの通り片方の買い物袋だけを掻っ攫った。
「あっ」
「よう」
 ずしりと右手が重くなる。アッシュの肩掛け鞄より厚みがある(というのも、アッシュの鞄の中にはほとんど何も入っていないのだ)買い物袋の中は、1番上が卵パックで塞がれていた。その下に、ちらりと鶏肉が見える。
……オムライス?」
「残念、親子丼。オムライスがいい?」
「なんでもいいよ、英二が作ってくれるなら」
「おだてたって何もないぜ。唐揚げも作ってやるよ」
「単純だなあ、オニイチャンは」
 彼の性格通り、現実が単純で甘かったら良かったのに。
 たとえば、彼──アッシュの幼馴染みであり、八つ上の男、奥村英二──が既に誰かのものではなく、こちらを少しでも意識してくれたら、とか、他人様のパートナーを奪っても合法になって誰にも咎められないとか、はたまた彼の旦那が極悪非道の人物で、彼自らこちらの手に落ちてくれないか、とか。せめて同い年だったらとか。
 そんなことは天地が逆転でもしないと起こりっこないし、それを英二はちっとも望んでいないから、現実は全く甘くない。
 アッシュは苦々しく頬の内側を噛み、斜め下から注がれる視線に気づくとわざとらしく首を傾げて見せた。「なあに、オニイチャン」高校に入ってからの二年間で、彼の背はとっくに追い越していた。
「また喧嘩したのかい」
 茶の混じった黒目は真っ直ぐアッシュを見上げている。
 アッシュも真っ直ぐ見下ろした。
「してないよ」
「シャツに血がついてる」
 ほんの数瞬、目線を自身の制服に走らせた。そんなヘマするかよ、心中での返事が聞こえたわけでもあるまいに、彼は十年来の幼馴染みらしく言う。
「困ったやつだなあ。もうちょっと自分を大事にしないと」
 それから二歩三歩、先へ進むと、くるりと振り返って自身の右頬を人差し指で示した。
「ちょっと腫れてる」
 あ。
 そういえば、制服を汚さないよう気をつけるあまり、首から上に意識がいっていなかった。失敗した。
……虫歯だから」
 言い訳は苦し紛れだった。英二は仕方ないなあというふうに笑い、絆創膏と湿布買ってきといて良かった、と笑った。

 もうひとつ、どうしても彼を諦めきれない理由がある。
 彼の、旦那。夫。亭主。その役割である一人の男が、アッシュと同じアメリカ人である、ということだ。
 ただのアメリカ人ならここまでとやかく思わない。しかし、あの男といったら、髪の色も瞳の色もアッシュと同じなのだ。当たり前の色じゃない。灰がかった金髪に、滅多に見ない緑の瞳。
 いけ好かない。
 性格はまるで真逆だった。
 家庭や周囲の環境によって短気で喧嘩っ早く、無愛想(場合によっては愛想を撒いて謀略を巡らす)に育ったアッシュとは違い、大人しく控えめで、礼儀正しく、人付き合いも難がない態度のその男は、あまりにも善人だった。英二を幸せにして、愛し、愛されるのに充分な人間だった。
 だからこそ嫌いなのである。
 自分じゃ駄目だと分かっているから、どうにもならないと知っているから、足踏みするしかない。
 英二が幸せなら身を引きたい。これは真実であるはずなのに、彼を腕の中に囲ってしまいたいとも思う。なんて意地汚いんだろう。
 それほどまでに好きだった。
 
「ごちそうさまでした」
 食事の前後に両手を合わすのを初めに教えてくれたのは英二だった。
 彼は親代わりであり、兄の代わりでもあって、友人でもあり、決して他の誰にも代われない一番大切な人でもあった。
「お粗末さまでした」
 二人の男が暮らしているこの高級アパートのダイニングは、生活感が溢れている。揃いの食器に、アッシュが好んで食べることのない甘い物。ソファにかけられたサイズの大きな上着、冷蔵庫のメモ、作り置き……。招かれる度に胸の内をざらりとヤスリで擦られる心地になる。
 来なきゃいいのに、英二と共にいる時間が長くなるならと身を切っている。つくづく健気で愚か。なりたくてなったわけじゃないが、学校一の優秀な不良が聞いて呆れるだろう。ああ、呆れているよ。
……旦那は?」
 空いた皿を重ねながら訊いた。
 いつもなら、この時間、夜の八時には帰ってくるはずだ。アッシュと入れ替わるようにして。
「今日は帰ってこない」
「なんで?」
「出張。三日間だけだけど」
「その間、一人なのか?」上擦りそうになる。
 英二は考えるように視線を彷徨わせたあと、名案とばかりに指を鳴らした。
「泊まってったら? 土日だし。昔みたいにさ」
 小学生だったら、喜んで頷いただろう。
 けれど今は高校生だ。それも、お前を好きな。
 黙り込んだアッシュを窺うように、英二は情けなく眉を下げた。「……駄目かな」その言動に、他意はない。昔っから面倒見てきた年下の男の子が、大きくなって最近素っ気なくなってきたから、物寂しく感じているだけの、年上心だ。アッシュは分かっていた。
……明日の朝ご飯は?」
「ベーコンエッグと、こんがりトースト。納豆」
「納豆はいらねえ」
「そもそもきみ、朝起きれないだろ」
「起こしてくれたら、起きるよ」
「骨が折れるな」
「そしたら、昼は俺が作る」
「えっ、ほんとに?」……目が、きらきらしている。
 アッシュは眩しくなって瞼を狭めた。「片付け終わったら、先に風呂入っていい? 明日、叩き起こされなきゃいけないから」
 もちろんいいよ、嬉しそうに頷かれたので、益々視界を狭くするしかなかった。

 パジャマとして渡されたシャツはアッシュのものよりほんの少し大きい。
 まだ自分は伸び盛りだし、ゆくゆくはあの男を越えるかもしれない。そうしたら……無駄だ。むだ。見た目が似ているから、なんだっていうんだ。アッシュじゃ駄目なのだ。
 英二の隣にいるには、アッシュじゃ事足りない。
「英二?」
 濡れた髪のままダイニングに戻ると、電気はそのままに彼の姿は見当たらず、 ソファに回り込んだら寝こけている姿を発見した。テーブルには、大したことないのに、換えの絆創膏が置かれている。
「おい、風呂上がった」
 身の丈より余裕あるソファに仰向けで寝ている姿は年齢よりずっと幼げだった。裾が捲れて腹が見えてしまっている。
 アッシュは半ば嫌になりながら、親切心で、捲れた裾をぐいと下ろした。「英二、起きて。風呂入れよ」肩を揺さぶる。
 ううんと唸ったあと、ようやく睫毛が震え、瞼が薄く持ち上がった。
「起きた?」
 アッシュはほっとして、さっさと離れようとした。しかし、肩を掴んでいた手を取られ、頬で擦り寄られた瞬間、心身の機能が一切停止した。
 英二が擦り寄った掌に、温かな唇が触れる。
「キス、してくれないの……?」
 不明瞭な喋りだった。彼はまだ半分夢の中で、寝惚けていて、そうしてアッシュを旦那と見間違えていた。
 何が悪かったのだろう。肌の色、髪の色、目の色が同じだったから? 旦那のシャツを着ていたから? それらがなければ、こんな思いはせずに済み、この最悪な結果に辿り着かずに済んだ。
 利用できる。利用したい。
 この容姿で、そんな、見たこともない顔を向けてくれるなら。少しの間だけでも、お前の特別になれたら。
 気がついたらアッシュは彼に覆いかぶさり、唇を合わせていた。
 柔らかな感触は脳髄まで侵して、どこかの回路を焼き切らせた。睫毛が触れそうな距離の黒目はとろんと微睡み、受け入れるように閉じられる。唇を離し、もう一度合わせた。
 ちゅっ、と軽い音が、二人の間で小さく鳴る。二回、三回、四回目に伝達能力が回復し指先まで命令を行き渡らせ、彼の耳朶を擽らせた。
「ふ、……ンン」
 英二の腕が背中に回る。内も外も火傷しそうなくらい熱いのに、心の奥底は氷のように冷たかった。
「ん……っ」
 上半身が密着し、キスも自然と深くなる。英二から舌を差し込まれ、自分は昂っているはずなのにやはりどこか虚しく、いつもこうしているのかと旦那に対して殺意さえ湧いた。
 英二はアッシュの舌を探り当てると、ちゅうと吸った。誘うような動作だった。怒りたいような喚きたいような気持ちになり、彼の頬を手で包むとぐっと舌を押し返し、咥内を舐ろうと動いた。
「んっ」
 けれど、首を振られ、繋がりが解ける。濡れた唇で、溶けきった瞳で、英二が悪戯っ子のように言った。
「お風呂まだだから、だめ」
 アッシュは自分の口を乱雑に拭った。
 そして、黒い瞳から微睡みが抜け、瞬きをし、みるみるうちに見開いていくのを、じっと見ていた。
 先ほどの熱が嘘のように顔色を青くした英二は、ソファの隅に身を起こす。
「ごめん」
 何が起こったか、何をしていたか、信じきれていない様子だった。
 有り得ないことだったのだ。
 彼の中で、アッシュを最愛の人と見間違え、求めることは。
 そりゃあ、そうだ。
「ごめん、アッシュ。僕、なんてことを……ごめん、気持ち悪かっただろ、ごめん。ごめん……
 こちらを気遣い謝罪を繰り返す英二を前に、心の奥底の氷が音立てて脳みそを冷静にさせた。
 アッシュは現実が甘くないことを知っていた。
 どれほど願っても、彼は自分を特別にはしないし、年齢は覆らないし、旦那の代わりは考えない。
 でもその旦那は三日間いないのだ。
 アッシュはソファに乗り上げ、可哀想な彼の手を取ると、潤む黒目を真っ直ぐに見つめた。
「俺、あんたのことが好きなんだよ」
 英二がびくりと強張った。
 弱く指先を握り込み、わざと、優しく、縋るように続ける。
「三日間だけでいい。その間だけ、あんたを、好きにしたい。酷いことはしない。嫌なことも。ただ、俺を、拒まないでいてくれたら……そしたら、さっきのことは、誰にも言わない。なかったことにする。三日が過ぎれば、その間のことは綺麗に忘れる。もう近づかない。なあ、お願い。でも、これってやっぱり、駄目かな……
 生まれて初めて彼に対して謀略を図っていた。それについて後ろめたさも罪悪感もないわけではなかったが、しかし、本当に、言葉の通りの心情だったのだ。嘘は何一つとて吐いていなかった。
 英二は意思の強さを時折発揮する人間だったが、それ以上に弱っている者に滅法甘い人間だった。十年来の、可愛がっていた年下の幼馴染み相手なら、尚更。
……三日間、だけ……?」
 小さな問いかけに、大きく頷く。
「三日間だけ。約束する。言質を取ってくれて構わない。了解してくれるなら、絶対に、言わない。……英二の旦那に、何も」
 脅されている自覚はあっただろう。そうなるように仕向けているのだから。
 彼は、やがて、ゆっくりと頷いた。アッシュは頭を垂れて、吐息とともに言った。
「ありがとう」
 ごめんなさい。
 口の中に苦い味が広がる。
 三日間の猶予期間は、まるで自殺のために与えられた時間だった。それを与えたのは、紛れもなく、アッシュ自身だということを、よくよく理解していたのだった。