駅を出ると、すでに外は真っ暗だった。満員の地下鉄で火照ったからだが、みるみるうちにしんと冷やされていく。昨夜のニュースで今日は雪の予報だといっていたけれど、どうにか降らずに夜までもってくれた。寒さはこたえるけれど、雪で電車がとまってしまうほうが受験生としてはよほど困る。
イヤホンを耳にさしてマフラーに顔をうずめ、早足に家路につく。もくもくと足を動かしながら、先ほどまで電車の中で友人と交わしていた会話の数々を、考えるともなく思い出していた。
中学での三年間、入学当初こそ中学受験失敗を引きずり腐っていたものの、ほとんどの時間は楽しく過ごすことができたと思う。治安最悪の折寺中でも、みんながみんな荒れているわけではない。中学からの新しい友人も何人かできた。
けれどその子たちと高校になっても遊ぶかと問われれば、たぶん、そうはならないのだと思う。もしも今この状況で友人の誰かと仲違いしても、きっと無理に仲直りしたいと思わない。卒業したらもうそうそう会わないだろうしと早々に見切りをつけてしまう自分が、容易に想像できてしまう。
そう考えるとやはり、私は爆豪くんのことを友達だと思っているのだろうか。向こうがどう思っているかは別として、あくまで私がどう思っているか、の話になるけれど。
私は爆豪くんに親しみを感じているのだろうか。
中学三年の春頃と比べれば、たしかに爆豪くんに臆する気持ちは薄れている。たとえば今コンビニで爆豪くんと顔を合わせたら、たぶん迷わず声をかけるだろう。なんだかんだで多少の世間話くらいはする。
たかが世間話で、とはいえない。ほかの友人相手でもそれくらいはするけれど、ほかの友人と爆豪くんとでは、そこに至った過程が大きく違う。
そこまで考えたところで、はたと気が付いた。なんだか思考が、どんどん言い訳めいてきている。
ほかの友人と爆豪くんにいだく『友情』の違いを探して、言葉を頭のなかでこねくり回して。これではまるで、爆豪くんのことを友達だと思う理由を、特別な友達だと思いたい理由を、どうにか無理やりひねり出しているみたいだ。
……やめよう、この思考。
あまり突き詰めてはいけない思考のような気がして、私はそこで考えることを打ち切った。脳内にうずまく思考を取り去るように息を吐き出すと、吐いた息は白く浮かんで散っていった。
もっとほかのことを考えよう。もっとタイムリーな話題。そう、たとえば受験のこととか。
きっと今日の試験には合格している。まだ結果は出ていないものの、たしかな手ごたえ、自信がある。ようやく望んでいた夢咲女子に通うことができるのだ。これでやっと、底辺公立中学から脱出し、まともな環境に身を置くことができる。
だというのに、どうして手放しに喜んだり、安堵することができないのだろう。中学生活への未練など、何ひとつないはずなのに──
そのとき、ふいにとてつもない爆発音と眩い光が、背後ではでに炸裂した。
「え!?」
驚きすぎて、つんのめりそうになった。崩れた体勢をどうにか立て直し、慌てて振り返る。
振り返った先にあったもの──それは何やらばたばたと、まるで逃げるように夜闇のなか駆けてゆく見知らぬおじさんのシルエットと、なぜか死ぬほどひどい仏頂面をして仁王立ちする爆豪くんの姿だった。
え? どうして爆豪くんがここに?
意味が分からず言葉を失う私に、一歩、また一歩と爆豪くんは近付いてくる。そしてとうとう私の目の前まで歩を進めると、爆豪くんは唐突に私のマフラーの端をむんずと掴んだ。
「ひっ」
短い悲鳴が喉からもれる。頭の中で警鐘が鳴る。まずいまずい、なんか分からないけれど暴力のにおいがする!
しかし抵抗する間もなく、爆豪くんは私のマフラーを、力任せに思い切り締め上げた。
「えっ、爆豪くん! う、ぐう! ぐ、ぐるじっ、まっ」
「てめえは! マジで! とんでもねえ阿呆だな!!」
「ぐ、ま、まっ、はなして……何……」
「自分のクソ雑魚ぶりをちっとは考えろや!」
「まっ、ほんとまっ」
まじで締まっている。首が、まじで、締まっている。
声にならない声とともに、私は爆豪くんのことをやみくもに叩いた。生死がかかっているからこちらも必死だ。
「チッ……」
懇願のすえ、爆豪くんは不承不承の表情ながら、ようやく私を解放した。
「う、げほ……っ、はぁ、はぁ……」
膝に手をつき前のめりになって、どうにか呼吸をととのえる。頭まで血液が回っていない。耳鳴りが止まらない。
今のはさすがに冗談では済まされない。駄目だ、今のは完全に、私を殺そうという気概を感じた。多分、私が司法に泣きつけば殺人未遂で立件できるレベルだと思う。私が穏健派でよかったな、爆豪くん……!
心の中でひそかに捨て台詞を吐きまくる。そのくらい、本気で今のはやばかった。そもそも出会い頭に首を絞める人間ってどうなんだろう。どういう人間?
ようやく呼吸が整い始めた。耳からイヤホンを抜き、私は改めて爆豪くんを見る。
どんな心境でクラスメイトの首を絞めているのかと思ったけれど、意外にも爆豪くんの表情は、いつもとたいして変わりなかった。先程よりはいささか機嫌が直ったのか、今はもう鬼のような仏頂面ではなくなっている。
とはいえ機嫌がいいわけでもないようで、むっとした表情は浮かべている。そういう意味で、いつもと変わりないといえる。
その顔を見ていたら、最近の爆豪くんの様子がおかしいと悩んでいたことを、ふと思い出した。
今のマフラー締め上げも、ここ最近の不審行動のひとつなのだろうか。だとしたら、事態は思っていたよりもよほどまずい。凶悪さに拍車がかかっている。
「なんで出会い頭にいきなり締め上げたりしたの、ちょっと本当に信じられないんですけど……。ていうかそもそも、爆豪くんがなんでここに、」
「てめえが気ィ抜いてんのが悪ィんだろうが、このクソボケが!」
「えええ、いきなり怒鳴られた……」
しかも何の回答にもなっていない。怒るより先に引いてしまって、私は絶句した。そのあいだにも、爆豪くんはさらにヒートアップしていく。
「つーか夜道歩きながらイヤホンつけてんじゃねえ! 防犯意識がカス以下か!?」
「え、それはごめん……?」
「チッ……」
いまいち成り立たない会話からは結局、何故爆豪くんがここにいるのかはまったく分からなかった。ただただ私が怒られたで終わってしまった。防犯意識の希薄さについてはご指摘の通りなので、次回からは改善することを爆豪くんに約束する。
音楽プレイヤーはコートのポケットにしまう。これ以上、爆豪くんに何か聞いたところで、きっと回答は得られないだろう。爆豪くんがどうしてここにいるのかは不明だけれど、これ以上の追及は面倒なのでやめにした。
ふたたび、自宅に向かって歩き出す。一定の距離を保ち、少し離れた場所を爆豪くんも歩いている。ついてきているのかな、と思わないでもないけれど、聞いたところで答えてくれるとも思えず、ただただ怒りを買いそうなだけだ。質問を投げるかわりにどうでもいい話をして、その場の空気を不格好につなぐ。
「今日、本命の学校の入試だったよ」
「どうでもいい」
にべもない。けれど返事があるだけましな方だ。返事があるということは、爆豪くんにも一応、会話に応じるつもりがあるということだ。
「中受で落ちたところだったから、じつは結構緊張してたんだけど、とりあえず何とかなってよかったと思う。多分合格したんじゃないかなぁ。これで受験勉強とはおさらばだと思うと、すこし気が楽になった」
「あっそ」
「うん、よかったよかった」
まだ受験が終わっていない相手にこういうことをいうのは、常識的に考えればあんまりよくないのかもしれない。しかし相手は爆豪くんだ。爆豪くんならば、この程度の世間話で気分を害することもないだろう。なにせ彼は、私が受かろうが落ちようがどうでもいいと思っているのだろうから。
そういう意味では、爆豪くんは気楽な話相手だと、いえなくもないのかもしれない。たまに返事をしてくれる可能性がある壁打ち、みたいな。
「……てめえの受験した学校、どこにあんだ」
そんなことを考えていると、やおら爆豪くんが問いかけてきた。思いがけず彼から質問され、一瞬戸惑う。
「え、えっと、〇〇駅。あ、そういえば雄英の最寄りと一緒だね」
「……あっそ」
爆豪くんに寄せた返事をしたというのに、返ってきたのはそっけない相槌だけだ。
「自分から聞いてきたのに……。別にいいけど……」
ささやかな文句を、爆豪くんはいつも通り黙殺した。暴言を吐かれるのと無視されるのだったら、もしかしたら暴言の方がましかもしれないな、と無視されやや落ち込み考える。
「最寄りが一緒ってことは、電車や駅で会うかもしれないんだよね」
「てめえが受かりゃ、会うこともあるかもな」
「私はたぶん受かると思うけど……。爆豪くんが受かったら、だね」
「ふざけんな、俺は余裕で一位通過だわ」
「倍率三百倍なのにすごい自信だ」
私の数歩後ろを歩く爆豪くんの顔は見えない。そういえばこういうとき、爆豪くんならば前を歩きたがりそうなものだけれど、彼はさっきからずっと、私の後ろを一定の距離を保って歩き続けていた。意外に人の後ろを歩くことにも抵抗がないらしい。
よほど大丈夫だと思うけれど、突然後ろから蹴り飛ばされないようにだけ、私もしっかり注意しておかなければならない。何事も自衛は大切だ。
冬の夜の空気はきんと冷たい。花のにおいも空気のにおいすら感じず、そこにあるのはただひたすらに冷たく透明な夜だけだ。けれど不思議と、こうして爆豪くんと歩いていると、刺すような寒さは感じない。受験が終わった解放感で、珍しくハイになっているのかもしれない。
「もう少ししたらいよいよ卒業だね」
私の言葉に、爆豪くんは何も返さない。かまわず私は続ける。
「中学生活に何の未練もないし、早く卒業したいよ」
「てめえはそうだろうな、根暗女」
「すぐそうやって人の悪口を」
少し後ろから、ケッと言ったのが聞こえた気がした。どこまでも口が悪い爆豪くんだ。
けれど今こうして私の後ろを歩く爆豪くんは、ここ最近のよく分からない、変な爆豪くんではなかった。そのことが、なぜかは分からないけれど、私には少しだけ嬉しく思える。
「爆豪くんも受験頑張ってね」
「当たり前だわ。つーかてめえに応援されるまでもねえんだよ」
そっけない返事に、私は笑いを噛み殺した。これでこそ爆豪くんだ。
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